先日、101歳で亡くなった伯母の葬儀に伺い、女性スタッフのソフトで丁寧な対応ぶりに触れ、感謝しながらも、何処か少し物足りなさを感じたのも時代の流れでしょうか。
スマートな立ち振る舞いに、かつて面倒見の良さで肝っ玉母さんぶりを発揮していた、担当者の方が懐かしく思い出されます。
以前、ご葬儀の相談をお受けして、ご喪家のご要望等をお伺いしているうちに、こちらには是非あの方を推薦出来ればと、女性担当者のお顔が浮かんでくることが度々ございました。
なぜ、女性担当者なのか。
多様化した都会ではご相談相手もなかなか見当たらない中、常に生活者の目線で行動し、時に応じて臨機応変に対応出来る肝っ玉母さん的な存在は貴重で、時としてご喪家の方々にとって救世主的な役割も果たしてくれるのではとまで思われたものでした。
特にその活躍ぶりは少人数のご葬儀で発揮され、段取りや規則以上に、永年家庭を切り盛りしてきた女性ならではの目線が生きている様にも思われました。
急なご葬儀では、何からどの様に始めたらよいのか、お気持が動転しているご喪家にとって、普段少々おせっかいに思われる位の事でも、かえって潤滑油になる場合もございます。
「目の前におばさんがうろうろしているから、分からないことがあったらあのおばさんに聞けばよいと思って貰え、ご葬儀の折にはひたすらご遺族のおそばに立ってあげるだけ」とまで常々おっしゃっていました。
また、生後間もない赤ちゃんのご葬儀を担当された時は「孫を亡くしたお姑さんの立場に立って、プロの気持ちも揺らぐこともありますが、それはそれでよいのでは・・・」とまで言い切っていらっしゃいました。
ご葬儀の読経が始まると「ずっと抱いていたい」と柩の中の赤ちゃんを抱き寄せたお母様には、「ご自宅でお身内だけのご葬儀ですからいいですよ」と申し上げ、若いお母様は読経の間中、わが子を抱きしめていらっしゃったとの由。
後日、ご喪家から感謝のお手紙を頂いたのは言うまでもありません。
ご葬儀中でも、ここでこうした方が良いと思えば、生活者の目線で、黙ってでも行動してしまうのも、肝っ玉母さんの特徴です。
ご葬儀だけはやり直しがききません。
時代は変われども、これからも肝っ玉母さんの意思を引き継いでいってくれることを望みます。