オリンピックと車椅子

 年の瀬に入り、テレビをつけると来年のオリンピックに向けての競技が増々目白押しの感を呈してきました。

 あの日、前日の雨が上がり、日光・戦場ヶ原はどこまでも続く青空と静寂な空気に包まれていました。

 丁度、東京オリンピックの開会式のファンファーレが高らかに鳴り響いている時刻です。

 オリンピックに沸き立つ東京とバレーボールの大松監督のスポコン精神に違和感を覚え、原っぱの真ん中でキャンバスに向かって無心に絵筆を動かしていた当時が懐かしく思い出されます。

 報道を見ている限り、騒ぎは前回同様のようですが、今回はパラリンピックの存在がクローズアップされ、企業の中にも「車椅子陸上競技部」が設立され、注目を集めており、これを機に日常生活にもさらにバリアフリーの生活が定着してくれることを願いたいものです。

 ご葬儀の式場でもバリアフリーが定着してきておりますが、まだ取り扱う方の特別意識が前面に出てしまい、今一つの感が拭えないもどかしさを感じる場面も度々です。

 高齢社会に向けて、永年の友と最期のお別れも自由にできる雰囲気が、オリンピックを機に高まってくれることに注目したいところです。

 大分昔になりますが、ドイツのワイマールの小さなマーケットでの出来事が昨日の様に思い出されます。

 買い物をしていると、車椅子の叔父さんが突然あれを取ってくれと合図を送ってきました。

 その指示の仕方があまりに自然で、気が付くと叔父さんの脇で一緒に買い物をしていました。

 日本ですと車椅子の方だからやってあげなくてはという意識が先に立ってしまいますが、余りに自然な受け取りに我ながらびっくりしたものでした。

 以来、日本にはこんな社会がいつ来るのだろうかと半信半疑でしたが、やっとチャンス到来の兆しが見えてきたようです。

 来年のオリンピックは車椅子生活者にとっても最大のチャンスです。

 相変わらずオリンピックには懐疑的ですが、高齢化社会に向けてのチャンスだけは逃がさないように、しっかりと・・・。

広告宣伝の意義

当センターの使命は、「適切な葬儀社選びで、葬儀を前にした不安を取り除いてもらう」ということに尽きます。これなくしては存在の価値がありません。ただ、いい紹介をすればすべていいのかというと、これでは発展性がありません。やはり広く知ってもらわなければなりません。

松下幸之助翁は、広告宣伝の意義について次のように語っています。
――― 「今度、こういういい品物ができました。これをお使いいただければ、必ずあなたの生活にプラスになりますよ」ということを人々に知らせる、いわば義務があるといえましょう。そこに広告宣伝というものの意義があるわけです。ですから、広告宣伝の意義は、本来決していわゆる売らんがためのものではないと思います。こんないいものができた、これを何とかして知らせたい、そういうところから出てくる、まことに尊い仕事ではないでしょうか ――――

かつては、宣伝広告と言えば、大量の資金がなければできなかったわけですが、いまではホームページでもって簡単に宣伝できますし、SNSを利用したキーワード広告は小資金でターゲットを絞って効率的に広告ができる時代です。

そのため、誤解を与えるのを承知の上で、より目立つように、誇張した表現を使っていたりするのを見受けたりします。

これは当センターにとっても他人ごとではないところもあるかもしれません。ホームページで長い間、手入れしていない文言もありますので、広告宣伝お本来の意義に照らし合わせて、より適切に、少し見直そうと思っています。

葬儀社のホームページの見方

ホームーページは情報を提供する有力な手段であることは間違いありません。なので、葬儀社もホームページに力を入れて作っていますが、どのような情報の出し方、表現をしているかをみると、われわれはその社がどういう葬儀社なのか、おおよその見当が付けられます。

公営斎場や一般的な貸し斎場を自分のところだけが使えるというような表現をしていたり、誤解を与えるような値段の出し方をしていたり・・・、ひどいところも中にはあります。
要するに、消費者をばかにしているわけなのです。ホームページは、企業姿勢が現れる一つの例にすぎないので、ほかの部分でも同じようだと推量してもほぼ間違いないでしょう。
ただ、これはある意味非常に単純でわかりやすいです。

次のようなホームページはもう少しやっかいです。ホームページでは理念だのいいことが書いてあるものです。しかし、これで判断してしまうのは危なっかしい限りです。口では何とでも言えるのと同じことですから。

結局のところ、実際の行動や細部のところで判断するしかありません。ホームページは一つの参考材料にしか過ぎないということです。

人間臨終図鑑を一年に一度はめくってみる。

 忘れたころに読む本があります。「人間臨終図鑑」(山田風太郎著)です。

 この本は、古今東西の、作家やら芸術家、哲学者、科学者、芸能人、さらには、英雄やら武将、政治家、はたまた、犯罪者にいたるまで、古今東西の様々な人物の死に様を紹介し、享年別にまとめている異色な「図巻」です。

 自分と同じ年齢の項についつい眼が行きます。「51歳で死んだ人々」ページを開いてみます。
後醍醐天皇にはじまり、平賀源内、バルザック、岩崎弥太郎、岡倉天心、リルケ、マキノ省三などとそうそうたる顔ぶれです。

 たとえば、岩崎弥太郎の場合は次のようなものです。
 岩崎弥太郎は、大酒豪であったが明治17年夏頃から食欲不振となり、秋には何度か昏倒し、しばしば1升、2升の胃液を嘔くようになった。診察の結果、胃ガンと判明した。彼は「おれは男だ。いかなる病名を聞かされても驚きはしない。ただ、治る病気か治らん病気か、それだけ教えてくれ」と頼んだが、医師は最後まで本人に病名を告げなかった。明治18年2月4日、100回も吐瀉し、発声も困難となる。2月7日二人の息子に三菱の将来について毛利元就の故事をひいてからくも遺言を述べ、「腹の中が裂けるようだ。もう何もいわん」と絶命。息が絶えたあと、死んだ口から3,4升の吐物が流れ出した。

 死に様はまさに千差万別、新たなページをめくるごとに、うかうかと生きてられないとかみしめています。

 ちなみに、この本がうまれた背景は、当時、ダンテの「神曲」を自分流にアレンジした「神曲崩壊」という小説を発表していて、その副産物として、「人間臨終図巻」が生まれたということです。

デジタル遺品

 テレビ朝日『dele(ディーリー)』を毎週楽しみに見ています。
 パソコンやスマホに残された不都合なデジタル記録を依頼により抹消する業務を請け負う仕事にまつわる話です。「デジタル遺品」というべきもので、依頼人の死後、パソコンやスマホに遺るデジタル記録を内密に抹消するというものです。

 たしかに、デジタルデータはやっかいです。最近、遅ればせながら読んだ、上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」にも、遺すと困るものとして、ペットの次にパソコンや携帯のメモリは要注意と書いています。

 上野さんの本が出たのが、11年前なので、この問題を解決するサービスはなかったでしょうが、いまは、一定期間生存している認証を送らないと、死亡しているものとみなして、他人に見せたくないデータを自動削除できるソフトがあったりします。グーグルなど大量に個人データを保管しているところも同じようなサービスがあります。

 自分とは関係なさそうな話し方をしている、あなたはどうするつもりなのか?
ですか。

 わたしは、そういうソフトを使う予定はいまのところないです。削除するデータと遺すデータを整理するのも面倒ですし、データをどこかのサービスに預けるのも気が進まないです。見られたくないデータはその都度、どんどん削除し(もっとも復元されたらたまりませんが)、身近な人に見られてもいいようなデータだけにしておく。あとは、記憶にとどめておくだけでいいかなと。

センターをお知りになった経緯

 センターがお願いしているアンケートの項目に、「センターをどのようにしてお知りになりましたか」という質問があります。
 ほとんどの方は、インターネットで葬儀の事を調べていたときに見つけた、というご回答を頂きますが、少数ですが、電話帳で見つけたという方もいらっしゃいます。

 また、「お知り合いの方などにあさがお紹介センターを勧めたいと思いますか」という質問では、機会があれば勧めたい、ぜひ勧めたい、とご回答いただくことがおおく、大変有難く思っています。

 センターは、チラシをまいたり雑誌などに広告を入れたりなどをしていません。
 チラシを配ってネットを見ない方々にも知って頂ければ、と思う事はありますが今はもう少し考えてから・・・・と。

 今はなんでもネットで調べる時代で、葬儀社を探すのもまずネットから、という方はとても多い思いますが、パソコンが苦手、ネットはほとんど見ない、という方もまだまだたくさんいらっしゃる中でも、万が一の時の葬儀は安心できる葬儀社に頼みたいと思っている方も多いのでは、と推測すると、やはり、ネット以外のものでもセンターの事を知って頂くことをしなくては、と感じています。

 実際にセンターをご利用いただいた方のお力もお借りできれば、と、色々考えています。

 まだまだ、葬儀で不満が残ってしまったという声も聴かれる中で、一人でも多くの方が安心して葬儀を行えるようになれば、と思って活動しています。

生きる。

 それは「無」の境地を思わせる舞姿でした。
 先日、舞台写真の展覧会会場で出会ったモダンダンサー・アキコ カンダさんの舞姿の写真を前に、暫したたずんで見入っておりました。

 写真のキャプションには死の12日前の舞姿とありました。
 入院先の病院から駆け付け、舞台に上がった姿は全てをはぎ取り、観客ひとり一人に向かって生きることの意味を問いかけているようにも思われます。

 アキコさんの舞姿に5年程前、岩波ホールで上映されたドキュメンタリー映画が二重写しのように思い出されます。
 淡いピンクの柩がお弟子さんたちの手により、霊柩車に運び込まれました。
 万雷の拍手の中、静かに霊柩車は動き出します。
 享年75歳の舞踊人生でした。
 当方も思わず手を合わせ、気持ちの中でご一緒に拍手をしておりました。

 羽田澄子監督演出の映画「そしてAKIKOは・・・ ~あるダンサーの肖像~」は日本の著名なモダンダンサーのアキコ カンダさんが死の直前まで踊り続けた姿を克明に捉えておりました。
 最期まで舞うことで、ご自身の意思を貫き通したアキコさんの生き方は観る側に勇気を与え、お見送りの拍手が全てを物語っているようにも思われ、そこにはさわやかな余韻が感じられる程でした。

 バレエダンサーが憧れる著名なバレエ作品に、傷ついた一羽の白鳥が最後まで生きる力を振り絞りながら力尽きていく様を描いた、「瀕死の白鳥」という小品がありますが、まさにオーバーラップしているようにも思われます。

 死に方は生き方であることを、今回の写真展で改めて思い起こさせていただきました。
 久しぶりに最後の舞姿にお会い出来、思わず襟を正し、背筋を伸ばして、会場を後にいたしました。

「家族葬の大変さを実感しました」

 毎週日曜日掲載の4回シリーズ「弔いのあり方」という特集を朝日新聞がやっています。その第二回で、遺言通りに家族葬にしたご家族の話が載っていました。「家族葬の大変さを実感しました」という内容です。

 その大変さとは、葬儀の仕方とか段取りとか内容に関するものではなく、もっぱら、周りの人からの反応に戸惑ったというものです。
「なんで教えてくれなかったの」に始まり、「この前の葬儀(先に亡くなった配偶者の葬儀)に比べると質素でかわいそう」「えらい扱いだ。こんな目にあわせて」「友だちだってお別れを言いたい。それを遮るのはおかしい」といった具合です。故人の遺言であることを告げても、なかなか納得してもらえなかったそうです。

 これはなかなか難しい問題です。最終的には、喪主などの決定する人が、どこに視点をおくかで、やり方も変わってくることになります。あくまで故人の遺志を尊重するのか、周りの人の意向をくみ取るのか、くむとすれば、どういった人の、どこの範囲の人まで、なのか・・・・。みんなが納得するようにするのは難しいところです。

 センターの受けた事案でも、故人の意向は家族葬であったが、一般葬にして、良かったという人もいれば、意向通りに家族葬にして何ら問題はなかった、ということもあります。一般葬にしたが、あわただしくてゆっくりお別れすることができなかったので、次のときは、家族葬にしたい、という人もいます。

 ともあれ、みなに納得してもらうのは難しいかもしれませんが、決定する立場にある人は、それまでのつながりの中で、この人の言うことであれば納得、間違いない、仕方がない、と言ってもらえるような状況にしておければ、それにこしたことはありません。

電話帳からご相談

 今はインターネットを使って色々な情報を収集できますが、インターネットを使えない方もいらっしゃいます。
 
 今日、今はまだ元気ですが、ご両親の将来の葬儀について調べているという方からお電話をいただきました。
 話を伺うと、電話帳で何社も問い合わせているとのこと。
 その中にセンターの名前があり、センターはどういうところなのか、葬儀社を紹介するというのはどういうことなのか、など色々とご質問をいただき、色々と話をしたうえで、葬儀社をご紹介させていただきました。

 センターの存在をネットでお知りになった方は、ホームページに目を通して下さっている方が多いので、センターがどのような活動をしているのかを分かったうえでご相談を頂くことが多いので、すぐに葬儀のご相談に入ることができるのですが、葬儀社を紹介する、という事自体もよくわからないという方へ、まず、センターのことをわかりやすく手短かに説明する、ということが意外と難しいと改めて感じました。

 どのような状態の方であっても、まずは安心して相談していい所だと分かって頂けるように、もう少し頭の中を整理しなくては、と少し初心に戻った気持ちになりました。
 

比較サイトを自作自演するなんて

 センターのサイト上では、葬儀トラブルの事例や後悔した体験談を多数掲載しています。「追加費用を請求され、見積もりと違った」が代表的な例ですが、ネットやテレビで目立っていたので安心して依頼したが失敗したという例も少なからず寄せられています。

 目立つので安心、検索で上位にあるので安心、というわけでもないのですが、他に手掛かりがなければ、それが大事な要素になるのも仕方ないことではあります。

 葬儀社単体からの情報に対するリテラシーも必要でしょうし、今後は、それにも増して、第三者を装うようなサイトからの情報に対するリテラシーも必要になってくるかも知れません。

 先日、消費者庁が住宅トラブルの解決サービスを提供する社に対し、処分したという記事を読みました。同社が「比較サイト」を自作自演していたとして、景品表示法違反(優良誤認)で再発防止などを求める措置命令を出しました。

 発表によると、同社は2016〜17年、自社がつくった比較サイトで「50を超す業者サイトから優良業者を15に厳選! 電気工事業者を徹底比較」などと表示。1〜3位に自社の電気トラブル解決サービスを紹介していたというものです。
 比較サイトは第三者が運営しているように装っており、自社サービスのサイトへの誘導を狙っていました。

 上記のような悪質な事例が葬儀業界でも問題になる日もそう遠くないかもしれません。