お参りしたい人のお気持ちも考えて・・・。

 先日、お父様がご自宅で突然死され、警察での検視も終わり、御家族だけでのお見送りのお支度にとりかかっていましたが、お父様の友達に知れるところとなり、皆様のご要望で急遽お別れの場を設けることになりました。

 突然のこと故、御家族のお気持ちも動転されている中、昨今のコロナ禍での御葬儀同様に、お身内だけでのお別れをあえて1日葬に変更され、お友達とのお別れの機会を設けられたとの由。

 以前、アンケートを頂いた方のお言葉が蘇ってきました。

 「涙も笑いもある御葬儀でした。看病の流れのまま御葬儀に突入しながらも、残された家族がどれだけ気持ちに余裕をもっていられるかで、参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まり、すべてが過ぎ去る前に気付かされたお蔭で、皆様にも私たち家族にも一生の悔いが残らずに済みました」とのお言葉がリフレインしています。

 当初、ご本人様からは御家族4名様での火葬のみを希望され、病院に日参されている奥様のお体を気遣い「参ってくれる人が一人増えれば増える程、あんたが疲れるのだから・・・」と言い続けていらっしゃったと伺っておりました。

 しかしながらご相談者は当センタ―のホームページに記載されていた「お参りしたい人の気持ちを汲んであげることも大切・・」のくだりが頭の隅にこびりついて離れなかったご様子との由。

 当センターとのやり取りの中「近親者の率直なお気持ちをお伺いしていくうちに、父には申し訳ないが、御葬儀は私たちがどれだけその人達のお気持ちを受け止められるかにかかっている」と確信され、3ヵ月後の御葬儀には御親族の方々に大勢お見えいただき、通夜の晩、皆さんで斎場の大広間に雑魚寝をされ、久しぶりにお会いされた方々にとって合宿所のような1晩が思い出深く心に刻まれたご様子で、翌朝バケツリレーのようにして大広間に運ばれたお布団の山は圧巻でしたとご報告頂きました。

 お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎるとのご親戚の方々やお友達のお言葉に「どうぞ、お願いします。お見えになってくださいと言え、一生の悔いを残さずに済みました」とは奥様のお言葉。

 コロナ禍での規制の中、従来の御葬儀では難しい状況もあり、お別れもままならない中ですが、いつの世でもお別れのお気持ちに変わりはありません。

エンゼルメイク

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀もよりシンプルに、お身内とごく親しい方々のみのお見送りが、大半を占める状況となってまいりました。

 3密(密閉・密集・密接)を避け、ご出席の方々がマスクを外せない中、柩の中のお顔だけはお元気だった頃を彷彿させるメイクが施され、お見送りの方々も見慣れたお顔に安心して最期のお別れをされていらっしゃるご様子です。

 昔から、たかがメイク、されどメイクと言われますが、昨今の様にシンプルな御葬儀では、その方らしさが浮き彫りにされ、メイク一つで御葬儀の印象も大分異なってくるようにも思われます。

 以前、立会いで御葬儀にお伺いした際、ご遺族の方から「最期に元気な頃の母に会えてよかった」と大変喜んで頂けたことが、思い出されます。

 長患いで、痛々しい程やつれてしまわれたお母様でしたが、生前に近い姿で旅立たせてあげたいとのご要望で、プロのメーキャップ・アーティストの手により、シリコンを入れた特殊メイクが施されると、みるみる生気を取り戻し、お元気な頃のお母様が蘇ったのではと思われる程だったとの由。

 一方で、ご年配のお母様の御葬儀では、余りに綺麗にメイクを施し過ぎて、御葬儀の間中落ち着かなかったとのご指摘を伺ったこともございました。

 また、御葬儀の際に施されるメイクはエンゼルメイクとも呼ばれ、普段のメイクと違い、生前のその方らしさが如何に出せるが鍵になり、メイクを施す方は生前のお写真から推測され、またご遺族からお話をお伺いしてイメージ作りをされ、それは丁度絵画の修復作業にも似ているとのお話をお伺いしたこともございます。 

今は特別な情況下・・・?

 コロナ禍の中、オリンピックも終盤に入ってきましたが、ここにきて連日のコロナ感染者数が異常な数値を示し始め、毎日のニュース番組から目が離せない状態が続いています。

 更に追い打ちを掛ける様に、コロナ感染者も重症者以外は自宅待機を余儀なくされる状況が発表されるや、非難の的となり、慌てて修正したりと今年の夏は暑さと共に異常ずくめの毎日が続いています。

 御葬儀の世界も3密(密閉、密集、密接)を避け、通夜を省いた1日葬が主流を占め、本来の御葬儀が難しい状況の中、招く方も招かれる方も、どこか疑心暗鬼の状態が否めません。

 永年のお付き合いで、本来でしたら最期のお別れをされたいところですが、お身内だけのお見送りを希望されるご喪家サイドとのお気持ちのズレが徐々に出始めているようです。

 更に、菩提寺サイドも当初2日間の御葬儀に夫々の意味があるとのことで、中々首を縦に振らなかったご様子でしたが、最近は特別な情況下として許可をされているところも出てきています。

 しかしながら御葬儀の世界では、一旦一つの方向に流れが変わると、なかなか後戻りしないジンクスもあり、コロナ禍終焉後の御葬儀の在り方も大分様変わりして来るのではとも・・・。

 かつて団塊世代がご喪家代表を務めていらっしゃいましたが、気が付けば見送られる側に回り、次世代の御葬儀の在り方はよりhowツウ式の形式的な方向へ向かっていくのではとも予測されます。

 最期のお別れは人それぞれですが、流れに従ったまま荼毘に付され、後々あとに残された者が後悔することのないように・・・。

 その為にも、自分らしくご自身の最期はこのように・・・と、各自エンディングノートにご要望を書き込んで、残された方に託しておくことも、これから益々必要になるのではと存じます。

 数年前、会社の健康診断で末期癌を告知されたモーレツサラリーマンの半年を、映画監督である娘さんが冷静にかつ微妙な距離感をもって克明に描いていたドキュメンタリー映画「エンディングノート」が上映されました。

 サラリーマン時代、段取りが命と豪語されていたお父様は最後の仕事としてご自身を選ばれました。

 ご実家は代々仏式でしたがキリスト教葬を選び、ご会葬いただきたい方のリストをコピーし、奥様とご一緒に式場の下見をされ、準備万端整えた後、94歳になるお母様に携帯電話で最後のお別れをされ、洗礼を受けられました。

 映画が終り、エンドマークが出ても、暫し立ち上がれなかったことが思い出されます。

リピートには、時として思わぬハプニングも・・・。

 5年程前、お父様のご葬儀の際、センターの賛同社を御紹介した方から、この度、お母様の御相談を頂きました。

 コロナ禍の中、お父様の際とはお住いも変わり、当時とは大分離れておりましたので、新たに地元の賛同社を御紹介させていただきました。

 リピートをお受けするにあたり、前回同様、更にそれ以上にご満足いただける様、御紹介するスタッフも思わず力が入る瞬間でもあります。

 まずはご相談者からお話をお伺いし、御相談内容に適していると思われる地元の賛同葬儀社さんを複数ご紹介して、見積りをお取りし、ご説明申し上げておりますが、当センターではお時間がございましたら、出来るだけ直接担当者の方とお会いになり、お話し合いを持たれることをお勧めしております。

 と申しますのは、特に少人数の場合の御葬儀の良し悪しは、ご葬儀内容もさることながら、担当者と合う、合わない等の問題も重要になって参りますので。

 また、以前リピートに関しまして、こんなハプニングもございました。

 お父様のご葬儀から数えて7年間で6回目のご依頼を頂きました。

 実は5回目のご依頼を頂いた直前、前4回を担当された賛同社さんが突然の事情で葬儀社を廃業されるというハプニングに見舞われ、事情を説明して急遽新たな賛同社さんを御紹介させていただきました。

 新たな賛同社さんをご紹介するにあたり、ご相談者からは「父の葬儀から今まで4回もお世話になり、我が儘になりがちな要望もきちんと受け止め、対応して頂きましたので、新たに御紹介頂く担当者さんも私共の気持ちを受け止め、より良いお見送りの仕方をご一緒に考えていただける方を・・・」との切なる願いをお伺いし、前の担当者に匹敵する方、又はそれ以上の方を・・・と意気込んで、御紹介致しました。

 無事御葬儀が済み、翌年6回目のご依頼の際は、前回新たに御紹介させて頂いた賛同社さんをご指名頂き、前4回に匹敵する賛同社であることが証明され、御紹介した当方もホッといた次第です。

 御葬儀後のアンケートでもお褒めの言葉を頂き、6回目の新たなご依頼で、また新たな一歩を踏み出せた気も致しました。 

最期のお別れ

 五月の連休後、各地に緊急事態宣言が発令され、コロナ騒動も混沌とした状態が続き、人の心も疑心暗鬼の様相を呈している昨今です。

 御葬儀の世界も、コロナ以前の1年半前とは大分趣が変わってきました。

 しかしながら、御葬儀の形式・形体は変われども、お一人お1人最期のお別れの気持ちは同じです。

 以前御葬儀の立会いに、お伺いしたことが思い出されます。

 無宗教葬の式場では、ご会葬者が自由に時間を過ごしながらも、銘々が故人様ときっちり向かい合い、お別れしている空気が強く感じられました。

 葬儀社の担当者が喪主の方との打ち合わせで、第1に言われたことは「何もしないでほしい。無宗教葬ですので、献花する時間だけを取ってもらえれば、それだけでよい」とのこと。

 終始オペラのアリアが流れる中、お集まりの方々は一見三々五々おしゃべりに興じているようにも感じられ、喪主の方が時々お話の輪に入って、リラックスした雰囲気のままに30分が経過しました。

 30分後、お1人ずつの献花が終り、最期のお別れの儀ではゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。

 何もしないでひたすら故人様との最期の対話の時間を作ってあげるだけ。

 こんなひとときがあっても良いのでは・・・と思わされた御葬儀でした。

 御葬儀と言えば、1時間の中身が儀式で占められ、ご出席の方々もひたすらそれに従っているように見受けられた目には、新鮮に映ったものでした。

 先日、地方からのお電話で、東京近郊の施設に入居中のお身内の方が危篤状態ですが、万が一の際の御葬儀は直葬の形で結構ですので、葬儀社さんの方で執り行って頂き、御骨だけをご実家の方へお送りいただきたいとの御相談を頂きました。

 ご家庭のご事情は様々ですが、最期のお別れだけでも・・・。

 一抹の寂しさを感じた次第です。

担当者はご喪家と同じ目線で、目配り・気配り・心配りを・・・。

 月日が経つのは早いもので、昨年来のコロナに気を取られているうちに、今年も早4分の1が過ぎてしまいました。

 ゴールデンウイークを控え、コロナ禍の中、様々な催しの中止、又は延期が取り沙汰されていますが、御葬儀だけは待ってくれません。

 お見送りは3密(密閉・密集・密接)を避け、出来るだけシンプルに、お身内だけで執り行う方向にシフトしていますが、しかしながら、御葬儀は各ご家庭で日常的に執り行うものではありませんので、専門の業者さんにゆだねる形になり、担当者の采配ぶりで、良し悪しの落差が出てしまうことも度々です。

 ある意味、担当者の目配り、気配り、心配り次第で、ご満足いただけるか否かが決定すると言っても過言ではありません。

 先日もすでに他社での御葬儀を決め、施行の準備に入っておりましたが、担当者の対応にご不満をもたれたお身内の方から御相談を頂き、改めて当センターがご紹介した賛同社にお願いする羽目になってしまいました。

 また、当初病院付きの葬儀社さんにご自宅への搬送をお願いされたが、ご逝去されたお父様への配慮が足りない雑な扱いに、お母様が心を痛めているご様子を、見るに見かねたご長男の方から、改めて葬儀社探しをされたいとのご連絡を頂いたこともございます。

 一方で、御葬儀後「特殊な状況下のもと、ご喪家の気持ちを理解していただき、同じ目線で一緒になって考えて頂けた」とのアンケ―トも頂いております。

 また、不安を抱え、ご喪家のお気持ちもなかなか定まらない中、1度に説明されてもご理解いただくのが難しい場合もあり、ご喪家にスケジュール表をお渡して、「必要なものを一つひとつ、いつまでに揃えるのか、また決める必要があるのか」等をその都度説明され、担当者の目配り・気配り・心配りで初めての御葬儀の難局を乗り越え、ホッとされたお気持ちが垣間見えるアンケ―トも頂いております。

 どんな時代になろうとも、お見送りする気持ちに変わりはありません。

情況は変われども、御葬儀のスタンスは変わらず・・・。

 コロナ禍の厳しい状況の中、テレビを通じて連日病院関係者の奮闘ぶりが映し出されています。

 昨年来、日常生活も様々な箇所で制約を受け始め、暗中模索の状態が続いておりますが、御葬儀だけは3密(密閉・密集・密接)を避け、粛々と執り行われています。

 そんな状況の中、ネットを通して、パッケージされたハウツウ式の御葬儀も最近多くみられるようになってきました。

 しかしながら、本来ご喪家側にはお見送りのご要望も多々あり、お別れの仕方にも様々な顔がございますが、パッケージされた御葬儀では夫々のご喪家に応じたお別れは難しく、御葬儀後一段落され、振り返った際に、しこりが残るような場合も多々あるように伺っております。

 以前、当センタ―の賛同社にお伺いし、担当者と葬儀についてお話しする機会を頂いた折、異口同音におっしゃっていたことが思い出されます。

 どんな状況になろうとも御葬儀のスタンスに代わりは無い・・・。

 我々はアドヴァイザーであると同時に、影の部分でお手伝いをしており、ご喪家との信頼関係で、如何に喜んでもらえるかに掛っていると。

 御相談をお受けする担当者の気持ちが大事で、ご相談者のお気持ちをガチッと掴むことが出来れば、よほどのことがあっても大丈夫との由。サービスが行き届かなかったら、なんにもなりません。

 どの様な制約があろうとも、ご要望をどれだけ取り込められるかの1点に絞り、常にご喪家との二人三脚で取り汲んでいると胸の内を語っていただきました。

 ご喪家のご要望も様々ある中、お気持ちを汲み取り、臨機応変な対応が出来るのも永年御葬儀に携わってきた担当者のなせる業です。

 担当者は御葬儀を仕切りますが、主役はご喪家であり、私たちは悲しみを癒すお手伝いをし、お任せして大丈夫という安心感を持っていただけることが大事との由。

葬儀とお料理

 以前、御葬儀の立会いにお伺いした時のことでした。

 シャンパングラスを片手にした50人程の老紳士の方々がお集まりになり、久しぶりの再会におしゃべりで花を咲かせ、式場は終始和やかな雰囲気が漂っておりました。

 テーブルの上にはフランス料理が所狭しと並べられ、前方に置かれた柩を除けば、パーティー会場と見間違う程の雰囲気の中での御葬儀でした。

 このパーティー形式での御葬儀は、フランス滞在歴の長かった故人様の御希望でした。

 一方、御葬儀は出来るだけ質素に、その代わり、わざわざお越し頂いた方々には美味しいお料理でおもてなしをされたいと御希望されるご喪家もあり、御葬儀担当者の中にはご喪家の気持を汲んで、通夜のお食事にこだわりを見せ、60軒以上の仕出屋さんを当たり、1つ1つ吟味しながら、やっと満足のいくお料理に出会えた、とおっしゃる方もいらっしゃいました。

 通夜ぶるまいでは、特に昔から飲んで沢山食べて頂くのが供養になりますからとまで言われ、センターに頂くアンケートの中には「大変気配りのきいた立派な御葬儀でしたが、残念ながら出てきたお料理には今一つの感がありました」と遠慮気味に書かれる方もいらっしゃる程です。

 葬儀のお料理程、後々まで皆様の話題に上ることも珍しいのでは・・・。

 しかしながら、これは昨年初め迄のお話しでした。

 以来、コロナ禍の中、三密から身を守る為に美味しいお料理の出番である通夜が省かれたり、お食事の出ない通夜が当たり前の様になってしまいました。

 大皿に盛られたオードブルやお寿司が三密を防ぐためカットされ、お一人様用のお料理に代わり、御葬儀後の精進落としも、お持ち帰りの折詰弁当になり、ご列席の方々のお気持ちも、なんとなく心ここにあらずの状態です。

 更に最近では通夜のお料理、精進落とし共廃止の運命になってしまっているようです。

 担当者の中には、コロナ禍を機に、時代の変化と併せて、今後の御葬儀はお食事を含めてよりシンプルな方向に行ってしまうのでは、と危惧される方もいらっしゃいますが、一日も早く、元の御葬儀に戻ることを祈るばかりです。

ジャズメン最期の夜

 10月も後半を迎え、一気に秋の気配が濃厚になって参りましたが、今年は例年の秋とは大分趣が異なってきています。

 今の季節、例年ですと街中のライブハウスからはジャズの生演奏が漏れ聞こえ、秋の気配を一層盛り立てておりますが、今年はコロナ禍の中、一変して自粛が申し渡され、様々な制約の中、生演奏はひっそりと行われる始末です。

 それでも、今年で26回目のジャズフェスティバルを迎える、草分け的存在のわが町阿佐ヶ谷では、「ライブの火を消すな」とばかりに10月23,24日の両日、阿佐ヶ谷ジャズストリートを開催し、街中につかの間の懐かしいジャズのライブが戻って参りました。

 ジャズ仲間の結束は強固です。

 ジャズ仲間と言えば、以前の御葬儀でジャズ仲間の友情に思わず、胸を熱くしたことが思い出されます。

  時にもの悲しく、時に激しいジャズの音色は御葬儀でも度々耳にしておりましたが、以前都内でジャズ喫茶を経営し、ご自身も演奏されていた方の告別式にお伺いした際のことでした。

 喪主の奥様は「無宗教での音楽葬を」との故人様の遺志を継ぎ、通夜は昔からのジャズ仲間を中心に御兄弟、御親族の方々に、お集まりいただきました。

 無宗教葬の通夜には往年のジャズ仲間が駆け付け、御葬儀担当者も献花台をあえて柩の右側に置き・お仲間が献花をされてから棺の故人様とゆっくりご対面いただけるようにセッティングに気を使われたとの由。

 通夜の間中ジャズが流れ、ジャズ仲間も当初懐かしいライブの写真や譜面に触れ、思い出話に花を咲かせておりましたが、感極まったお仲間のお1人が突如トランペットを吹き、懐かしい曲を次々演奏されるや、他のお仲間も、負けじとスイングして盛り上がり、ジャズメンらしい最期の夜となりました。

 地方からお越し頂いたご親族は、通夜が始まるまで無宗教の音楽葬に難色を示し、特に故人様のお兄様は大反対と伺っておりました。

 しかしながら、お仲間の深い友情を目の当たりにされたお兄様は、通夜の御挨拶で涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」といたく感激された面持ちだったとの由。

 翌日の告別式はジャズの音楽が流れる中、御家族・御親族のみのお見送りとなりましたが、奥様はお兄様から改めてご挨拶をいただきました。

「これからも今まで同様、どうぞよろしくお願い致します」と・・・。

御葬儀の方向は・・・。

残暑お見舞い申し上げます。

 連日のコロナ騒動に気を取られているうちに、早くも残暑の季節を迎えてしまいましたが、お身体の方は大丈夫でしょうか。

 御葬儀も感染予防を第1に、最近はお身内の方のみのお見送りが主流となり、今年は葬儀・告別式を省いて、火葬のみの直葬を御希望されるご喪家が一段と増えて参りました。

 この傾向が拍車をかけ、さらに持続していくのか、はたまた1時的なことなのか、コロナ以降が気になる昨今でもあります。

 「直葬」という言葉がマスコミに登場し、世間を賑わし始めたのは10年余り前でした。

 当初は通夜/葬儀・告別式を省くことに抵抗し、ラジオの討論会で喧々諤々の論争が繰り広げられ、中には「独り身だけど、今まで沢山の人に世話になって参りました。御葬儀は出来るだけ多くの方に立ち会ってもらいたい。昔の人は老い支度と言って、いざと言う時の為に貯めていましたよ。いざと言う時には、誰かがちゃんとやってくれるでしょう。それが人の世というものだ」と、息巻く方の言葉が、今や懐かしく思い出されます。

 一方で、今までの因習にとらわれず、自身の最期は自身の考えのもとで執り行いたい、とおっしゃる方も増えて参りました。

丁度その頃でした。

 お手紙に添えて、1枚の絵ハガキが送られてきました。

 直送を御希望されていたお兄様の御相談に賛同された妹様からのものでした。

 絵葉書は赤いカンナの花咲く中を真っ直ぐ前を見据えた、白い服の少女の後ろ姿がパステル画で描かれていました。

 かつてのご自身を描いたその後ろ姿に、強い意志が感じられ、お兄様同様にお送りしたお見積もりをご覧になり、「その時はすでに1生が終って、何一つ携わることがございませんが、客観的に冷静に考えられ、妙にすっきり致しました」との文面に、少女の想いが伝わってきます。

 最近では直葬と一口にくくれない程、様々な工夫もなされてきています。

 コロナ騒動以後の御葬儀の方向は如何に・・・。