こんなご時世ですので・・・。

 久しぶりお会いすると、皆さん一様に「こんなご時世ですので・・・」と前置きの言葉が返ってくる昨今ですが、こんなご時世だからこそ、新たな出会いもあろうかと存じます。

 ご葬儀の世界もその一つかもしれません。

 親戚・縁者に気兼ねせず、お気持ちを素直に表した御葬儀が出来る時代になるのでは・・・?

 そんな予感さえもしてきます。

 担当者に伺うと、一般葬が激変し、通夜を省いて御家族だけでお見送りをされる1日葬、ないしは、お式を省いて、火葬のみの直葬を希望される方が大半を占め、昨今は式場の空きが目立つ状況とのこと。

 半年前の公営斎場での予約状況が信じられないほどの激変ぶりは、いつまで続くのだろうか。

 否、時代の変化と併せて、半年前の状況に戻るのは難しいかもしれません。

 親戚縁者はもとより、お世話になった方々を中心に広くお集まりいただいた、従来型の御葬儀はこうあらねばという時代はすでに過去のものになり、コロナ騒動をきっかけに、御葬儀の在り方も、ご喪家・ご本人様の意思に合わせた、小規模な葬儀に変化していくのではと推測される状況となって参りました。

 12年ほど前、直葬という言葉がマスコミに登場し始めた頃でした。

 まだ健康ですが、ご高齢なので万が一に備え、無宗教での直葬を御希望され、生前予約をされた方の妹様からも、お兄様の主旨に賛同されて、センターからお見積もりをお送りさせていただきました。

 早速に妹様からは、御礼のはがきと一緒に、ご自身の若かりし頃の自画像ですとパステル画の絵葉書が送られてきました。

 そこには赤いカンナの花に囲まれ、前方を見据えた白い服の少女が1人たたずんでいました。

 最期までご自身の意思を貫きたいと言う熱い想いが溢れた絵葉書の少女の横顔を見ていると、やっと、ご自身の想いが伝わる時代がやってきたのではという安堵感も伝わってきます。

 この1枚の絵ハガキを見ていると、コロナ騒動以後は、御葬儀の世界も 新たな時代がやってくるのでは、そんな思いも致します。

3密(密集、密接、密閉)の中での御葬儀は・・・。

 今年に入り、コロナ騒動以後、御葬儀の世界も大分様相が変わってきています。

 「密集、密接、密閉」の状況を避けるため、御葬儀を執り行う側、ご出席される側とも双方でためらわれ、中には御出席者10名以下と限定される式場も出てきているとの由。

 通夜のお食事を省き、1日葬が主流となり、家族だけでお見送りされ、永年の友人・知人の最期のお別れもままならない状況はいつまで続くのでしょうか。

 以前、闘病中の御父様の万が一を鑑みて、あれこれ悩まれた末、「今すぐという程ではないが、父の為にも出来るだけ慌てないで対処したい」との御相談を頂きました。

 一方のお父様は一抹のさびしさをこらえて、長年の看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見守ってほしいとのご要望を寄せていらっしゃったとのこと。

 ご相談者は、病院に日参される一方で、万が一に備え当センターに御相談されているご自身の行動に対し、当初自己矛盾に陥っていたが、センターとのやり取りの中で、次第にあらかじめ知っておくことが、ひいてはきちんと送ってあげることに繫がるんだと思うようになり、家族だけでお見送りすることも大事だが、長年のお付き合いの中で最期のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大事と思うようになられたとの由。

 ご相談者からは「お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎる」との申し出に「どうぞお願いします。お越しください」と言えたことで、一生の悔いを残さずに済みましたとのご報告を頂きました。

 3か月後の御葬儀ではご親戚の方々、古くからの友人・知人が馳せ参じ、久しぶりにお会いされた通夜の晩、皆様は大広間にて雑魚寝され、さながら合宿所のような様相を呈し、翌朝はバケツリレーよろしく、皆様の手で大広間にお布団の山が築かれたのは、圧巻の一言だったとの由。

 思い出深い最期の晩が、皆様の心に刻み込まれたのは言うまでもありません。

直葬、この10年、さらにその後は・・・。

 ご葬儀のご相談では特に昨年来、葬儀・告別式を省いた直葬のみのご希望が増えて参りました。

 今年も新年早々立て続けに、赤ちゃんを含めた直葬のご相談を頂きました。

 丁度10年程前、親を見送った団塊の世代の方々に向けてマスコミも「ご自身の最期をどのように迎えるか、はたまた迎えたいか」の特集を組み始め、ご葬儀は子に任せた親世代との違いを強調しておりましたが、当時はまだまだ親の代からの地縁も血縁も残っており、自身のことは自身で決めたいというお気持があっても、決心を要するまでには至っていなかったのが現状だったようです。

 葬儀社の担当者も「金銭的な問題の方以外は、御霊を成仏させる意味からも是非お式の方もとアドバイスをしています」とのお話でした。

 その後10年で時代の空気も一変し、ネットでの情報も参考にされながら、ご自身の生き方を含めて費用の面も考慮し、ご葬儀は出来るだけシンプルにされたいという方が地縁の薄い都会を中心に増え、最近では直葬も家族葬同様にご葬儀の一例として定着した感があるように思われます。

 当時、直葬をご相談された方々は確固たる信念をお持ちの方か、はたまた経済的に困窮され、お式が難しい方か二者択一の感が強かったのですが、最近ではごく一般的に選択される方が多くなりました。

 それに伴い、一口に直葬と言ってもご要望に応じ、火葬日まで個々の生活に合わせてのご面会やお別れがなされ、火葬場で最期のお別れとなるケース、はたまた自社式場に火葬当日ご安置し、火葬場出発前にゆっくりとお別れをされるケースと様々なお別れの仕方が増えて参りました。

 これからもさらに時代の空気に合わせて、既成概念にとらわれない、様々なお別れの仕方が増えてくるように思われます。

 ご葬儀も時代の変化に伴って、これから先、どの様な進化を見せてくれるのか・・・。

10年後のお別れはどんな形で迎えられるのでしょうか。

ご葬儀でのお言葉とは・・・。

 先日、ご葬儀の前にお伺いする場合、ご喪家の方々にどの様な御挨拶すればよろしいのでしょうかとのお問い合わせをいただきました。

 妹様のご主人のお父様がご逝去され、これからご自宅にお伺いし、お父様の納棺の儀に立ち会うご予定との事。

 通常ですと、納棺の儀は故人様を柩に移す儀式ですので、ご出席の方々も故人様と関係が深い故人様の御兄弟、ご家族、ご親族、親しいご近所の方等に委ねられる形になりますが、地域により、またそれぞれのご家庭のご事情もございますので、遠縁の方が納棺に立ち会う必要性を問いただす訳にもいかず、ごく一般的なお悔やみのお言葉を申し上げました。

 しかし、ご相談者はお悔やみのお言葉の後をどのようにすればよろしいのかとのこと。

 お悔やみのお言葉に添えて、「何かお役に立てることがございましたら、ご遠慮なくご用をお申し付けください」等の一言を付け加え、ご喪家のお手伝いを申し出たいところですが、普段ご喪家とのお付き合いもないご相談者の立場では、受け取り方により取って付けたような言い回しになりかねないので、率直なお気持をお伝えした後は間に入っていらっしゃる妹様にお任せされ、ご喪家もお忙しく大変な折ですが、お気持は伝わると思いますので、長居をしないようにお気を付けることを申し伝えておきました。

 一連のお式が円滑に進み、ご喪家に失礼の無いようにすることも大切ですが、ともすると慣れないあまりに、ご葬儀はこうあるべきとのハウツウ形式にとらわれ、最近は双方とも通り一遍のお見送りになってしまった感が見られると思うのは勘繰りすぎでしょうか。

 ご葬儀ではご喪家の御挨拶に始まりご会葬御礼のお言葉まで、また弔問・ご会葬の方々の御挨拶等様々なお言葉がございますが、心に残る御言葉は必ずしも形式に則ったものとは限りません。

 以前、立会いでお伺いした際の喪主の御挨拶は今でも心に焼き付いています。

 ご出棺に先立つ御挨拶の代わりに、長患いの末ご逝去されたご主人の病状を克明にお話された奥様の、これを話さずしてご葬儀を終わらせないとばかりの迫力ぶりは、100名程のご会葬の方々をその場に釘付けし、暫しご出棺の時間を忘れさせる程でした。

 ご会葬の皆様の拍手でのご出棺後、お帰りになられる方の表情が一様に晴々として、ご納得された御様子が見て取れ、傍でご一緒にお話をお伺いした当方も、思わず大きく頷いて、深呼吸をさせていただいたのが、昨日の様に思い出されます。

ご安置はどちらにされますか?

ご相談を受けた際には、ご安置をどちらにされるか(したいか)をお聞きします。
ご自宅か、ご自宅以外のご安置施設のどちらかを選んでいただくようになるのですが、「エレベーターのない団地の5階なので」とか、「マンションなので、搬送の時の近隣の方の目が気になる」など、本当はご自宅に帰してあげたいお気もちがありながら、難しいと思われている方が多いなと感じています。

ご自宅に思い入れがある方や、長期にわたってのご入院だった場合には、ご家族も、一旦は家に帰してあげたいと思われることでしょう。

葬儀社さんに悪いとか、断られると思っていたというご相談者もいらっしゃいました。しかし、「できることなら、ご自宅に帰してあげたい」と考えている葬儀社さんは多いです。
このようなご相談を受けた際には、一応、葬儀社さんには確認をするのですが、今まで私が確認をした葬儀社さんは、全て問題なくご自宅へお帰りになるお手伝いをしてくださいます。

例えば、エレベーターが無く、階段も狭い団地などにご搬送する場合には、納棺をしていない状態で葬儀社さんのスタッフがお身体を抱えてお部屋までお連れしてくれます。
マンションなどの集合住宅で近隣の方の目が気になる場合には、人の出入りが少ない時間帯を選んで搬送してくれることもあります。
また、ご葬儀までの待ち日数が長い場合には、一旦ご自宅にお帰りになり、後の何日かを安置施設にお預けすることもできます。

それぞれのご家庭で、色々なご事情はありますので、一概にはご自宅でのご安置をお勧めできることではありませんが、もし、少しでもご自宅にとのご要望がある場合には、あきらめてしまわずに、ご相談してください。

直葬でのお別れ時間の取り方は・・・。

 「独り身だけれど、今まで大勢の方に世話になりました。昔の人は老い支度と言って、いざという時困らないように貯めていましたよ。葬式には出来るだけ沢山の人に立ち会ってもらいたい。誰かがちゃんとやってくれるでしょう。それが人の世というものだ」

  10年程前、語気を強めた声がラジオから流れていました。

 直葬という言葉が、マスコミを中心に取り上げられ、話題になるにつれ、賛否両論に分かれ、あちこちでバトルトーク合戦が繰り広げられていたのが、つい昨日の様に懐かしく思い出されます。

 都会を中心に、いつの間にか浸透し、最近ではご喪家の事情に合わせて様々なバリエーションの直葬も目につくようになってきました。

 御家族と御兄弟の方のみでのお見送りをご希望され、ご葬儀のお式を省いた直葬をご希望の方が増えておりますが、お式が無い分、お別れの時間が取れない慌ただしさがございます。

 センターへのご相談でも、最期のお別れだけはゆっくり時間を取りたいとのご要望も多く、最近では葬儀社の方々にもそれぞれに、臨機応変な対応が求められて来ているようです。

 ご自宅でのお別れの場合は、葬儀社さんの方で納棺のお手伝いとご焼香のご用意、ドライアイスの交換だけをしていただき、お別れのお時間を十分お取りできますが、ご出棺当日までご自宅以外にご安置の場合は、葬儀社さんにより様々です。

 葬儀社さんの中には自社式場の和室に「付き添い安置」という形を取られ、ご自宅でされるようにお線香をあげ、ご喪家の方の1晩中付き添い、翌日ご出棺が可能なケースもございます。

 また、自社式場を所有している葬儀社さんの場合、ご出棺当日の朝、安置所から空いている式場に移動し、こちらでゆっくり柩へのお花入れとお別れが可能な社もございます。

 中には、ご出棺前日に自社安置所にお集まりいただき、お別れ室にてゆっくり1時間程のお別れが可能な社もございます。

 直葬のご要望が増える中、少しでもご要望に沿った様々なバリエーションのお別れができるよう、更なる期待をしたいと存じます。

写真

以前立会いでお伺いしたご葬儀では、故人様が趣味でよく使っていたカメラが思い出コーナーに飾られていました。
喪主をお務めになった奥様のお話しをお聞きすると、ご主人様は写真を撮ることは好きで、まわりの皆さんの写真を撮っていたようですが、自分が写っているものがほとんどなくて…、とのこと。
遺影写真に使う写真を探すのが大変でしたとおっしゃっていました。

実は私自身も写真に撮られることが苦手で、自分の写真はほとんどありません。子供が生まれてからは、子供の写真ばかり撮っていましたし、今では子供も大きくなり、写真を撮ることもあまりしなくなってきました。
手元にあるのは、つい先日、娘と一緒に撮ったプリクラくらいでしょうか…。

まだ現実味はありませんが、いつ起こるかわからない万が一のこと。このままだと、とんでもない写真を使われてしまうかもしれないと、頭の片隅では思っているのですが。
写真を撮られることも「慣れ」があると思うので、少しずつ、慣れていったほうがいいかも知れないと思い始めました。
下手な鉄砲も数撃てば当たる…かもしれませんので。

ご葬儀は無宗教葬で・・・。

 お寺さんとの付き合いも無いので、10年前に他界されたお父様同様に、お母様も万が一の際は無宗教での1日葬でお見送りをされたいとのご要望を頂いたのは、ご逝去の2ヶ月程前でした。

 お式の間特別なこともなく、お母様のお好きだった音楽を流し、献花でのお別れとなりましたが、ご列席の方々はお母様を良く知るお身内の方でしたので、ゆったりした時間が流れる中、夫々の方がお母様と向かい合って最期のお別れをされているご様子が強く感じられたとのことです。

 以前、立会いでお伺いした無宗教葬でのご葬儀が思い出されます。

 担当者と打ち合わせをされた際、ご喪家側からは「献花をする時間だけを取ってもらえれば、後は何もしないでほしい」とのご要望をいただいたとの事。

 オペラのアリアが流れる中、お集まりいただいた方々は三々五々おしゃべりに興じ、時折喪主の方が話しの輪に入り、リラックスされた御様子のまま30分が経過しました。

 30分後、お1人づつの献花が終り、最期のお別れの儀では各人がゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。

 何もされないで、ひたすら故人との対話の時間を作ってあげるだけ。

 こんなひとときがあってもよいのではと思わされ、ご葬儀と言えば1時間の中身のほとんどを儀式で占められ、ご出席の方々もひたすらそれに従っているように見受けられるご葬儀に慣れてしまった目には新鮮に感じられ、印象に残るお式でした。

 大好きな胡蝶蘭に囲まれた遺影の主は、ご出席いただいた皆さんとのおしゃべりを最後まで堪能され、ご満足された御様子でのご出棺となりました。

 但し、担当者からは親しい方以外の方がお越しになる場合、特に地方からお見えになられたご親戚の方がいらっしゃる場合等は、事の次第をご説明する必要が出てきますので、通夜の席で初めに喪主の方から無宗教になった経緯をご説明され、ご納得頂くことも大切ですとのお話を頂きました。

人生最後のお花は・・・。

 「母の希望もあり、経済的な事情で直葬を希望しますが、お別れのお花だけは十分に用意したいです」事前のご相談を頂いた最中、容態が急変され、間もなくお母様は80年の生涯を終えられました。

 ご葬儀後、担当者から送られてきた写真には棺の他にピンクと白の鮮やかなお花が段ボールの箱いっぱいに映し出されておりました。

 お花でお見送り頂いたお母様もさぞかしホッとされた事と存じます。

 改めてご冥福をお祈申し上げます。

 かつてご葬儀用のお花は限定されていたようですが、昨今はお好みの色や種類をご指定される方も多く、母の日近くには真っ赤なカーネーションで祭壇を埋め尽くす方、また柩の上いっぱいに薔薇の花束をささげる方とご要望も様々で、お花には夫々の思いが連なっているようです。

 特に薔薇の花の場合はトゲがあり、お花も鮮やか過ぎて、ご葬儀には向かないと言われてきましたが、棺の蓋の上に置かれたこぼれんばかりの薔薇の花束は鮮烈な印象でした。

 他界されたご主人のお歳と同じ60本の見事な大倫の薔薇は、毎年奥様の誕生日にお歳の数だけプレゼントし続けたご主人への、奥様からの最初で最後の贈り物とのことです。

 一方、1日だけのお別れ会としてパーティ形式でのご葬儀では、柩周りを初め、献花もお棺へのお花入れも全て白薔薇で埋め尽くされた中、最後に奥様が一輪の真紅の薔薇を手向けられ、ご主人へのメッセージとも受け取れた鮮やかな印象は今でも脳裏に焼き付いています。

 写真は一切撮らないで下さいと言うのが、奥様のからのご要望でした。

 また、生前臨死体験をされた際に見られたお花畑をイメージした祭壇をとの故人様のご要望では、花屋さんもご家族から詳しくお話をお伺いし、春にお花見をされたお花畑を見事に再現されていました。

 お花畑の道をたどっていくと故人様にご対面できる造りの祭壇の脇ではピアノ、チェロ、バイオリンのトリオによる演奏が静かに奏でられ、ご会葬の方々は棺の周りにお集まりになり、故人様とご対面をされたり、お花畑を写真に収めたりとそれぞれの想いで故人様とのお別れをされていらっしゃいました。

 お花畑と、演奏されていた「人生って不思議なものですね・・・」の音色とが相まって、忘れがたいご葬儀だったことが思い出されます。

「お葬式は疲れますね・・」

 以前、葬儀の立ち合いで告別式に伺い、喪主をおつとめのご相談者の方にご挨拶をさせて頂いた際、「やっと半分が終わりました。あと少し。お葬式は疲れますね」とおっしゃっていました。

 葬儀の準備、ご親戚への気遣いなど、慌ただしい非日常である時間の流れは、葬儀を仕切る喪主の立場の方にとって、大切な身内の方が亡くなってしまったという悲しみと、きちんと葬儀をやらなくてはという緊張で、気持ちや身体へのご負担はさぞ大きくなっていることと思います。

 見学で伺った斎場の担当者の方から聞いた話しでは、通夜・告別式、火葬を終え、初七日法要のため斎場に戻ってくる途中に喪主をされていた方が倒れてしまったことがあったそうです。
 その後すぐに回復され、初七日法要まで無事に済ますことができたそうですが、その喪主様は、無事に葬儀を終えるまで、と、よほど気を張っていらっしゃったのでしょう。

 お葬式を終えた後、緊張が解けて、ご家族が体調を崩されるというのはよく聞く話しです。
 お休みになれる時間がありましたら、細切れの少しずつの時間でも身体を休めていただくとずいぶん違うと思いますよ、と、ベテランの担当者が言っていたのを思い出しました。