あさがおの新たな門出・・(理事長就任のご挨拶)

あさがお
この花は、多くの人にとってなじみ深い花ではないでしょうか。
私も小学生の頃に学校で種を植え、夏休みには持ち帰り
そして成長日記を記すという記憶が思い出されます。

「あさがお」の花言葉は「愛情」と「結束」。

あさがお葬儀社紹介センターは、職員の深い“愛情”と、当センターに賛同頂いている質の高い葬儀社様との“結束”により、多くのご相談者様へより良いご葬儀の施行につながるよう”想い”を込めたサポートを行っております。

この“想い”は、これまでも、そしてこれからも変わらず。。
いや、これまで以上に更なる想いをもって精進してまいります。

昨今、ご葬儀に対する考え方、捉え方、人生における位置づけが変化しており、葬儀の小規模化、低価格化が進んでいますが、個人的に、現代の効率化やコンビニエンスな利便性が推奨される風潮も相まって、「葬儀」の意味あいが失われてしまわないかと危惧しております。

葬儀は、故人をお見送りするという側面以外に、
遺族にとって「故人との繋がり」を再確認し、故人の存在を心に収める大切な時間となります。
そしてそれは遺族自身のその後の人生で、大きな支えになることも多いかと思います。

よって、より良いご葬儀の施行につながるよう、葬儀社選びは十分に検討していただけたらと考えており、その点において「あさがお葬儀社紹介センター」をご活用いただければ幸いです。

最後になりましたが、令和4年4月1日より理事長に就任いたしました。
吉行信夫と申します。

今後も、ご遺族様へのより良いご支援につながるよう努めてまいります。
よろしくお願い申し上げます。

敬具

特定非営利活動法人マイエリア
あさがお葬儀社紹介センター
理事長 吉行信夫

理事長退任のご挨拶

新聞連載小説『はるか、ブレーメン』(重松清・作、丹下京子・画)を毎朝楽しみにしています。16歳の少女が不思議な旅行会社「ブレーメン・ツアーズ」と出合って、思い出の地を訪ねる大人たちと触れ合いながら、「人生の走馬灯」に描かれるのはどんな場面なのか、人生の走馬灯の意味を知り成長していく物語のようです。

この紹介センターを始めて20年余り、この期間ではどんな走馬灯になりそうか。

事業を始めようとしていた頃、千葉の我孫子に住んでいて都内へ朝早く出かけて行っては夕方まで葬儀社を開拓しようとして何社も営業まわりしていたが、お腹がすいて公園で一番金がかからず腹が膨れそうなメロンパンをよく食べてたな~

初期は全部一人で対応していたので、電車に乗っているときに相談電話がかかってきてよく慌てていたことも思い出されるし、夜中に起こされることはしょっちゅうあったけど、3日連続で起こされるとさすがに懲りたな、これじゃ体がもたないぞ~

軌道に乗ってくると、スタッフや葬儀社さんとよく飲みに出かけていっては、腹がはちきれんばかりに飲み食いしてたな~

自分のやっていることは棚に上げて、スタッフや葬儀社の人など周りの人によくあんなに偉そうに接していたものだな~

相談対応する時間も減り、頭を整理すると称しては荒川沿いを歩いたり、エリア調査と称しては街中どこでも歩き回っていたりしていたが、中でも、桜のいちばんいい時にピンポイントで石神井川沿いなどに見に行ける自由度のありがたさと桜のきれいさは目に焼き付いているな~

こうしたところは絵になりなりやすいが、ご相談者とやりとりして役に立っている感覚とか、ほとんどの時間を費やしてきた、日々の対応や日々のサイトのテコ入れなど、走馬灯の絵になりにくいかな。

ともあれ、振り返ればあっという間でした。

『はるか、ブレーメン』のみならず、最近では、妻に勧められての『リメンバー・ミー』や、今さらながら『千と千尋の神隠し』の異次元世界の物語を面白いと思うようになってきたのは、歳のせいというよりも、考え方がガチガチに固いままでは面白くないぞ、という導きでしょうか。

ただいま54歳。人生100年時代とすれば、まだまだこれからです。

前置きがだいぶ長くなりましたが、今月末を持ちまして私、有賀知道はあさがお葬儀社紹介センターを運営する特定非営利活動法人マイエリアの理事長を退任いたしました。

創業以来20年の永きにわたり温かいご支援、お引き立てを賜りましたこと心より感謝申し上げます。
 
今後は、後任の吉行信夫が社業の発展に尽くしてまいりますが、何卒、これまでと変わらぬお引き立てを賜りますようお願申し上げます。

最期はいつものお顔で・・・。

 コロナ禍の中、最近の御葬儀はお身内の方々を中心に、御対象者と親しい方々でのお見送りが中心となって参りました。

 ご会葬にお見えになられた方々はご喪家のご厚意で、お1人づつ最期のお別れをされ、永年見慣れたお顔にホッとされる姿を、良く拝見いたします。

 ご逝去後、病院で死後の処理の一環として男性の場合はおひげそり、女性は簡単なメイクでお顔を整えますが、長患いでやつれ、痛々しい程の姿の方の場合は、プロのメイクアップアーティストの手に委ねる方もいらっしゃいます。

 御葬儀の担当者から「元気な頃のお母様に会えてよかった」と喜んでもらえたとのご報告に、思わずこちらも大きく頷くことしきりです。

 プロの手により、シリコンを入れふっくらされた特殊メイクが施されると、みるみるうちに生気を取り戻し、今にも目を開けてにっこりされるのではと思わせる程だったとのこと。

 元気な頃とは別人の様になられた方を見慣れたお顔に戻すのは、時にはプロのお力をお借りすることも必要かと思われます。

 たかがメイク、されどメイクとも言われますが、メイク一つでご葬儀全体の印象がガラリと変わる場面も、度々お聞きしております。

 一方、ご高齢の方の御葬儀では綺麗にメイクをし過ぎて、普段見慣れたお顔と違い、御家族から御葬儀の間中落着けなかったとのご指摘もございます。

 プロの方からは、通常のメイクと違い、綺麗に仕上げるだけではなく、如何に生前のその方らしいメイクが施せるかが目的で、元気な頃の写真を拝見したり、御家族の方々からお話をお伺いして、少しでもその方らしいお顔に近づける様に気を付け、それは丁度絵画の修復作業にも似ているとのお話をお伺いしたこともございます。

 永年お世話になり、昨年101歳で亡くなった、綺麗に整った伯母のお別れのお顔が、目に浮かびます。

ご自宅への想いは・・・。

 「病院に入院中の母の病状が最近思わしくないのですが、万が一の際、まずは自宅に送ってもらえるのですか」

 「大丈夫です。ご連絡頂ければセンターの賛同葬儀社さんをご紹介し、葬儀社さんの方で、ご自宅までお送り致します。これからお見積り等もお取りできますが・・・」

 「自宅に送って頂いて、後のことはそれからゆっくり考えます・・・」

 電話口からほっとされたようなお気持ちが伝わってきました。

 かつて、ご自宅での御葬儀が主流を占めておりましたが、昨今の住宅事情等もあり、いつの間にか御葬儀はおろか、ご自宅からのご出発までも、まれなケースになってしまいました。

 長い病院暮らしの果て、そのまま安置所に直行されるケースが主流を占める昨今ですが、御家族にとって、せめて永年住み慣れた家から送り出したいという想いに変わりはありません。

 病院近くのウイークリーマンションで、御主人の長い入院生活を支え続けてきた奥様は御主人の御葬儀に先立ち、ご近所には御葬儀後にご報告される手前、そっと気を使われてのご帰宅となりました。

 御主人にとって1年9ヵ月ぶりの我が家で奥様が最初にされたことは、長い間閉めっぱなしにしていた雨戸を開け、御主人ご自慢のお庭を見せて差し上げることでした。

 また、下町の商店街で永らく魚屋を営んでおられ、お誕生日3日前に病院でご逝去された方は、御家族のたっての願いで、最後の誕生日をご自宅でお迎えになりました。

 お誕生日までの3日間は、商店街のかつてのお仲間が随時お集まりになり、皆さんそれぞれ最期のお別れをされたとの由。

 お誕生日を終えられた後、棺の脇に置かれたケーキをご覧になった葬儀社の担当者は皆様の思い出にと写真に収め、棺の脇にかざられたとのこと。

 永年住み慣れた生活の場からの出発は、見送る方の心の支えにもなっているようです。

慣れるとは・・・。

 深夜お電話を頂きました。

 「今しがた父親が病院で息を引き取ったが、◯万円以下で直葬を執り行ってくれる葬儀社を捜している最中で、現在、◯万円で直葬を執り行ってくれる葬儀社を1社保留しているが、更に安くできるところをあたっている」とのこと。

 あまりの低価格に一瞬絶句してしまいましたが、気を取り直し、「御希望に添えられるのは難しいかもしれませんが、地元の当センターの賛同社に問い合わせ、折り返しご連絡を差し上げる」旨のご返事をさせて頂きました。

 ところが、電話の主からは「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上でしたら、結構です。ご連絡には及びません」とのご返事が返ってきました。

 夫々の御事情があるとはいえ、思わずため息をついて、一抹の寂しさを覚えたのも事実です。

 あれから3年。

 今年は別な意味での、そっけなさを感じてしまいます。

 コロナ禍の中、周りに気遣い、お身内だけでそっと執り行い、古くからの友人も御家族からの事後報告でその事実を知らされる羽目になってしまい、戸惑いも多く見受けられると伺っております。

 しかしながら、コロナ終焉後もいつの間にかに慣れて、御葬儀とはそういうものだと思わせる時代に突入するのではとも危惧されます。

 時代と共にご葬儀も変化するとは言え、8年前に頂いたご報告は懐かしい思い出だけになってしまうのでしょうか。

 看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが当の御父様の願いでした。

 けれども、お母様は当センターとのやり取りの中で、ホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最期のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭から離れなかったとの由。

 皆様からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞ来てください」と言えたことで、一生の悔いを残さず済みましたとの感謝のお言葉を御葬儀後頂きました。

 センタ―とのやり取りから3ヵ月後の御葬儀では親戚の方々が大勢馳せ参じ、「通夜の晩は大広間に雑魚寝され、さながら合宿所の様相を呈し、翌朝は皆様でバケツリレーよろしくお布団を運び、見る見るうちに大広間はお布団の山が出来、それは圧巻でした。通夜の一晩が思い出深いものになりました」との報告も頂いております。

家族の絆

 今週は新政権発足のニュースで、コロナ禍の話題が少し遠のいておりますが、依然感染者数の減少は見られず、これからの季節、さらに危惧されている状況も続いております。

 目まぐるしい状況の中、そんな折でも、どんなに世の中が変わろうとも、一番の基盤は家族だと思わせる記事を見つけました。

 今、私の手元には、お父様の最期の夜を迎え、御家族の心境を淡々と綴っている一篇の投稿記事がございます。

 ご両親にお子様4人の御家族6名が全員そろったのは投稿者の結婚式前日以来、2十数年ぶりとのこと。

 それもお父様の最期の夜でした。

 お子様達の生活基盤は、全国・海外にまで散らばり、全員揃うのは投稿者の結婚式以来初めてです。

 忙しさを理由に、お互い中々帰省できず、ついにお父様の最期の晩を迎えてしまった御兄弟達は、1人未到着の弟さんを待つ間、お父様の好きだった歌を次々と小声で歌い、お母様はお子様達が生まれた時のお一人お1人の様子をお話しされたとの由。

 やがて最後、赴任地からこれ以上ない程走り、飛行機に飛び乗り、病室に駆け込んできた弟さんを迎え、全員で手をつなぎ、口々にお父様にお礼を言って、ついにその時を迎えられご様子が綴られていました。

 時々、目を見開き、涙を流していたお父様にはお子様達のお気持ちが痛い程、伝わっていたことだろうと思われます。

 家族の機微を淡々と綴った記事は、これ以上ないほど状況が目に浮かび、我が家も我が家もと多くの方が頷かれ、家族の絆を再認識されたことでしょう。

 投稿者も悲しすぎる夜だったが、心が温かくなる思い出の夜になったと綴っています。

 家族の絆は永遠です。

 お互いに頑張りましょう。

今年のご葬儀の特徴は・・・。

 本年の師走はとりわけ永く感じられます。

 前日までいつもの様に打ち合わせをしていたスタッフの突然の死という現実に見舞われ、普段のご葬儀のアドバイスも何処かに吹っ飛んでしまいそうな、師走となってしまいました。

 1年の締めくくりに、残されたスタッフ一同、命の大切さを改めて思い知らされました。

 死を無駄にしないよう頑張っていく覚悟ですので、どうぞよろしくお願い致します。

 今年のご葬儀の特徴の一つとしては、直葬がごく一般的に取り扱われた年ではないかと思われます。

 10年程前、TBSラヂオのトーク番組で直葬の是か非をめぐって、論争が繰り広げられたのが、今では懐かしく思い出される程、ご葬儀の選択肢の一つとして、またご自身の生き方の一つとして通常の会話の中にも浸透し、定着してきているようです。

 ラヂオで直葬のお話がなされた途端にご高齢の方からは、「昔から老い支度と言っていざというとき困らないようにご葬儀費用は貯めてきているはずだ」と、すごい剣幕で反論されたのも10年一昔の感がある時代になって参りました。

 ご葬儀の流れも、時代と共に変化し続けています。

 来年はどの様な変化が見られるでしょうか。

 今年も後・数日を残すのみとなってしまいましたが、少しでも多くご相談者のお言葉に耳を傾け、更なる努力をしていきたいと存じます。

 当方の担当も本年最後になりました。

 この1年、拙いブログにお目を通していただき、ありがとうございました。

 来年も引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 少し早めではありますが、

 では、よいお年を!

広告宣伝の意義

当センターの使命は、「適切な葬儀社選びで、葬儀を前にした不安を取り除いてもらう」ということに尽きます。これなくしては存在の価値がありません。ただ、いい紹介をすればすべていいのかというと、これでは発展性がありません。やはり広く知ってもらわなければなりません。

松下幸之助翁は、広告宣伝の意義について次のように語っています。
――― 「今度、こういういい品物ができました。これをお使いいただければ、必ずあなたの生活にプラスになりますよ」ということを人々に知らせる、いわば義務があるといえましょう。そこに広告宣伝というものの意義があるわけです。ですから、広告宣伝の意義は、本来決していわゆる売らんがためのものではないと思います。こんないいものができた、これを何とかして知らせたい、そういうところから出てくる、まことに尊い仕事ではないでしょうか ――――

かつては、宣伝広告と言えば、大量の資金がなければできなかったわけですが、いまではホームページでもって簡単に宣伝できますし、SNSを利用したキーワード広告は小資金でターゲットを絞って効率的に広告ができる時代です。

そのため、誤解を与えるのを承知の上で、より目立つように、誇張した表現を使っていたりするのを見受けたりします。

これは当センターにとっても他人ごとではないところもあるかもしれません。ホームページで長い間、手入れしていない文言もありますので、広告宣伝お本来の意義に照らし合わせて、より適切に、少し見直そうと思っています。

ご自宅での安置は…

ご自宅でのお看取りなどで、ご自宅でご逝去された場合、葬儀の日までそのままご自宅でご安置されることは多いのですが、一般の方にとってはご自宅で数日間のご安置が可能なのかという事は心配ごとの一つのようです。

ご自宅の環境にもよることではありますが、基本的にはご葬儀の日まで毎日担当者がご遺体の様子を見ながらドライアイスなどで調整してくださいますので、数日間であればご自宅でお過ごしいただくことは可能です。

ただ、真夏でクーラーがかけられないお部屋であったり、また、冬でも待機日数が長引くような場合には、途中で安置所へご移動されるケースもたまにあります。

しかし、待ち日数が長引くような場合、ご自宅にご安置されているという環境が、たとえご家族であってもご負担に感じられてしまわれることはあるようです。

そのような際には、無理をせず、残りの何日かを安置所にお預け頂いた方がいい場合もありますので、担当者にご相談されるとよいかもしれません。

お盆とUターン

夏休みの帰省ラッシュが今日、ピークを迎えているようです。鉄道や高速道路は、故郷などに向かう人たちで朝から混み合っています。

私の群馬にある故郷は、いつもはひっそりですが、お盆のときは、Uターンした人によって人口が数倍に膨れ上がり、多少は賑やかしくなります。

お盆のときのみのUターンではなく、都会から自分の地方へUターンした人はどれくらいいるか、市町村単位まで細かくはありませんが、都道府県単位でならわかる資料があります。これが案外面白いです。

国立社会保障・人口問題研究所が出している「人口移動調査」によってです。第8回2016年の結果が出ています。それを見ると、Uターンは、全国平均で20.4%です。出生した県から県外に移動した後、再び出生県に戻った人の割合になります(県だけでなく都道府もありますが、ここでは便宜上、すべて県と表記します)。Uターン以外のものが何かと言うと、県内にずっと居住が44.0%、県外居住が26.2%となります。

群馬県で言えば、Uターンが21.5%のほかは、県内にずっと居住が46.5%、県外居住が21.8%です。Uターンと県外居住を合わせた県外移動経験者で、Uターンした人の割合は、49.6%になります。県外に出てた人の半分がUターンしたということです。

ちなみに、Uターンは宮崎県がトップで30.0%、県外移動経験者のうちUターン者になっ割合は沖縄県がトップで70.9% 。県外居住の割合トップが島根県で66.2% 、逆に、県内にずっと居住の割合のトップが愛知県で59.0%です。

自分の出身都道府県を見て他と比べてみると面白いです。お国自慢のタネを見つけることができるかもしれません。