最期はいつものお顔で・・・。

 コロナ禍の中、最近の御葬儀はお身内の方々を中心に、御対象者と親しい方々でのお見送りが中心となって参りました。

 ご会葬にお見えになられた方々はご喪家のご厚意で、お1人づつ最期のお別れをされ、永年見慣れたお顔にホッとされる姿を、良く拝見いたします。

 ご逝去後、病院で死後の処理の一環として男性の場合はおひげそり、女性は簡単なメイクでお顔を整えますが、長患いでやつれ、痛々しい程の姿の方の場合は、プロのメイクアップアーティストの手に委ねる方もいらっしゃいます。

 御葬儀の担当者から「元気な頃のお母様に会えてよかった」と喜んでもらえたとのご報告に、思わずこちらも大きく頷くことしきりです。

 プロの手により、シリコンを入れふっくらされた特殊メイクが施されると、みるみるうちに生気を取り戻し、今にも目を開けてにっこりされるのではと思わせる程だったとのこと。

 元気な頃とは別人の様になられた方を見慣れたお顔に戻すのは、時にはプロのお力をお借りすることも必要かと思われます。

 たかがメイク、されどメイクとも言われますが、メイク一つでご葬儀全体の印象がガラリと変わる場面も、度々お聞きしております。

 一方、ご高齢の方の御葬儀では綺麗にメイクをし過ぎて、普段見慣れたお顔と違い、御家族から御葬儀の間中落着けなかったとのご指摘もございます。

 プロの方からは、通常のメイクと違い、綺麗に仕上げるだけではなく、如何に生前のその方らしいメイクが施せるかが目的で、元気な頃の写真を拝見したり、御家族の方々からお話をお伺いして、少しでもその方らしいお顔に近づける様に気を付け、それは丁度絵画の修復作業にも似ているとのお話をお伺いしたこともございます。

 永年お世話になり、昨年101歳で亡くなった、綺麗に整った伯母のお別れのお顔が、目に浮かびます。

ご自宅への想いは・・・。

 「病院に入院中の母の病状が最近思わしくないのですが、万が一の際、まずは自宅に送ってもらえるのですか」

 「大丈夫です。ご連絡頂ければセンターの賛同葬儀社さんをご紹介し、葬儀社さんの方で、ご自宅までお送り致します。これからお見積り等もお取りできますが・・・」

 「自宅に送って頂いて、後のことはそれからゆっくり考えます・・・」

 電話口からほっとされたようなお気持ちが伝わってきました。

 かつて、ご自宅での御葬儀が主流を占めておりましたが、昨今の住宅事情等もあり、いつの間にか御葬儀はおろか、ご自宅からのご出発までも、まれなケースになってしまいました。

 長い病院暮らしの果て、そのまま安置所に直行されるケースが主流を占める昨今ですが、御家族にとって、せめて永年住み慣れた家から送り出したいという想いに変わりはありません。

 病院近くのウイークリーマンションで、御主人の長い入院生活を支え続けてきた奥様は御主人の御葬儀に先立ち、ご近所には御葬儀後にご報告される手前、そっと気を使われてのご帰宅となりました。

 御主人にとって1年9ヵ月ぶりの我が家で奥様が最初にされたことは、長い間閉めっぱなしにしていた雨戸を開け、御主人ご自慢のお庭を見せて差し上げることでした。

 また、下町の商店街で永らく魚屋を営んでおられ、お誕生日3日前に病院でご逝去された方は、御家族のたっての願いで、最後の誕生日をご自宅でお迎えになりました。

 お誕生日までの3日間は、商店街のかつてのお仲間が随時お集まりになり、皆さんそれぞれ最期のお別れをされたとの由。

 お誕生日を終えられた後、棺の脇に置かれたケーキをご覧になった葬儀社の担当者は皆様の思い出にと写真に収め、棺の脇にかざられたとのこと。

 永年住み慣れた生活の場からの出発は、見送る方の心の支えにもなっているようです。

慣れるとは・・・。

 深夜お電話を頂きました。

 「今しがた父親が病院で息を引き取ったが、◯万円以下で直葬を執り行ってくれる葬儀社を捜している最中で、現在、◯万円で直葬を執り行ってくれる葬儀社を1社保留しているが、更に安くできるところをあたっている」とのこと。

 あまりの低価格に一瞬絶句してしまいましたが、気を取り直し、「御希望に添えられるのは難しいかもしれませんが、地元の当センターの賛同社に問い合わせ、折り返しご連絡を差し上げる」旨のご返事をさせて頂きました。

 ところが、電話の主からは「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上でしたら、結構です。ご連絡には及びません」とのご返事が返ってきました。

 夫々の御事情があるとはいえ、思わずため息をついて、一抹の寂しさを覚えたのも事実です。

 あれから3年。

 今年は別な意味での、そっけなさを感じてしまいます。

 コロナ禍の中、周りに気遣い、お身内だけでそっと執り行い、古くからの友人も御家族からの事後報告でその事実を知らされる羽目になってしまい、戸惑いも多く見受けられると伺っております。

 しかしながら、コロナ終焉後もいつの間にかに慣れて、御葬儀とはそういうものだと思わせる時代に突入するのではとも危惧されます。

 時代と共にご葬儀も変化するとは言え、8年前に頂いたご報告は懐かしい思い出だけになってしまうのでしょうか。

 看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが当の御父様の願いでした。

 けれども、お母様は当センターとのやり取りの中で、ホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最期のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭から離れなかったとの由。

 皆様からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞ来てください」と言えたことで、一生の悔いを残さず済みましたとの感謝のお言葉を御葬儀後頂きました。

 センタ―とのやり取りから3ヵ月後の御葬儀では親戚の方々が大勢馳せ参じ、「通夜の晩は大広間に雑魚寝され、さながら合宿所の様相を呈し、翌朝は皆様でバケツリレーよろしくお布団を運び、見る見るうちに大広間はお布団の山が出来、それは圧巻でした。通夜の一晩が思い出深いものになりました」との報告も頂いております。

家族の絆

 今週は新政権発足のニュースで、コロナ禍の話題が少し遠のいておりますが、依然感染者数の減少は見られず、これからの季節、さらに危惧されている状況も続いております。

 目まぐるしい状況の中、そんな折でも、どんなに世の中が変わろうとも、一番の基盤は家族だと思わせる記事を見つけました。

 今、私の手元には、お父様の最期の夜を迎え、御家族の心境を淡々と綴っている一篇の投稿記事がございます。

 ご両親にお子様4人の御家族6名が全員そろったのは投稿者の結婚式前日以来、2十数年ぶりとのこと。

 それもお父様の最期の夜でした。

 お子様達の生活基盤は、全国・海外にまで散らばり、全員揃うのは投稿者の結婚式以来初めてです。

 忙しさを理由に、お互い中々帰省できず、ついにお父様の最期の晩を迎えてしまった御兄弟達は、1人未到着の弟さんを待つ間、お父様の好きだった歌を次々と小声で歌い、お母様はお子様達が生まれた時のお一人お1人の様子をお話しされたとの由。

 やがて最後、赴任地からこれ以上ない程走り、飛行機に飛び乗り、病室に駆け込んできた弟さんを迎え、全員で手をつなぎ、口々にお父様にお礼を言って、ついにその時を迎えられご様子が綴られていました。

 時々、目を見開き、涙を流していたお父様にはお子様達のお気持ちが痛い程、伝わっていたことだろうと思われます。

 家族の機微を淡々と綴った記事は、これ以上ないほど状況が目に浮かび、我が家も我が家もと多くの方が頷かれ、家族の絆を再認識されたことでしょう。

 投稿者も悲しすぎる夜だったが、心が温かくなる思い出の夜になったと綴っています。

 家族の絆は永遠です。

 お互いに頑張りましょう。

今年のご葬儀の特徴は・・・。

 本年の師走はとりわけ永く感じられます。

 前日までいつもの様に打ち合わせをしていたスタッフの突然の死という現実に見舞われ、普段のご葬儀のアドバイスも何処かに吹っ飛んでしまいそうな、師走となってしまいました。

 1年の締めくくりに、残されたスタッフ一同、命の大切さを改めて思い知らされました。

 死を無駄にしないよう頑張っていく覚悟ですので、どうぞよろしくお願い致します。

 今年のご葬儀の特徴の一つとしては、直葬がごく一般的に取り扱われた年ではないかと思われます。

 10年程前、TBSラヂオのトーク番組で直葬の是か非をめぐって、論争が繰り広げられたのが、今では懐かしく思い出される程、ご葬儀の選択肢の一つとして、またご自身の生き方の一つとして通常の会話の中にも浸透し、定着してきているようです。

 ラヂオで直葬のお話がなされた途端にご高齢の方からは、「昔から老い支度と言っていざというとき困らないようにご葬儀費用は貯めてきているはずだ」と、すごい剣幕で反論されたのも10年一昔の感がある時代になって参りました。

 ご葬儀の流れも、時代と共に変化し続けています。

 来年はどの様な変化が見られるでしょうか。

 今年も後・数日を残すのみとなってしまいましたが、少しでも多くご相談者のお言葉に耳を傾け、更なる努力をしていきたいと存じます。

 当方の担当も本年最後になりました。

 この1年、拙いブログにお目を通していただき、ありがとうございました。

 来年も引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 少し早めではありますが、

 では、よいお年を!

広告宣伝の意義

当センターの使命は、「適切な葬儀社選びで、葬儀を前にした不安を取り除いてもらう」ということに尽きます。これなくしては存在の価値がありません。ただ、いい紹介をすればすべていいのかというと、これでは発展性がありません。やはり広く知ってもらわなければなりません。

松下幸之助翁は、広告宣伝の意義について次のように語っています。
――― 「今度、こういういい品物ができました。これをお使いいただければ、必ずあなたの生活にプラスになりますよ」ということを人々に知らせる、いわば義務があるといえましょう。そこに広告宣伝というものの意義があるわけです。ですから、広告宣伝の意義は、本来決していわゆる売らんがためのものではないと思います。こんないいものができた、これを何とかして知らせたい、そういうところから出てくる、まことに尊い仕事ではないでしょうか ――――

かつては、宣伝広告と言えば、大量の資金がなければできなかったわけですが、いまではホームページでもって簡単に宣伝できますし、SNSを利用したキーワード広告は小資金でターゲットを絞って効率的に広告ができる時代です。

そのため、誤解を与えるのを承知の上で、より目立つように、誇張した表現を使っていたりするのを見受けたりします。

これは当センターにとっても他人ごとではないところもあるかもしれません。ホームページで長い間、手入れしていない文言もありますので、広告宣伝お本来の意義に照らし合わせて、より適切に、少し見直そうと思っています。

ご自宅での安置は…

ご自宅でのお看取りなどで、ご自宅でご逝去された場合、葬儀の日までそのままご自宅でご安置されることは多いのですが、一般の方にとってはご自宅で数日間のご安置が可能なのかという事は心配ごとの一つのようです。

ご自宅の環境にもよることではありますが、基本的にはご葬儀の日まで毎日担当者がご遺体の様子を見ながらドライアイスなどで調整してくださいますので、数日間であればご自宅でお過ごしいただくことは可能です。

ただ、真夏でクーラーがかけられないお部屋であったり、また、冬でも待機日数が長引くような場合には、途中で安置所へご移動されるケースもたまにあります。

しかし、待ち日数が長引くような場合、ご自宅にご安置されているという環境が、たとえご家族であってもご負担に感じられてしまわれることはあるようです。

そのような際には、無理をせず、残りの何日かを安置所にお預け頂いた方がいい場合もありますので、担当者にご相談されるとよいかもしれません。

お盆とUターン

夏休みの帰省ラッシュが今日、ピークを迎えているようです。鉄道や高速道路は、故郷などに向かう人たちで朝から混み合っています。

私の群馬にある故郷は、いつもはひっそりですが、お盆のときは、Uターンした人によって人口が数倍に膨れ上がり、多少は賑やかしくなります。

お盆のときのみのUターンではなく、都会から自分の地方へUターンした人はどれくらいいるか、市町村単位まで細かくはありませんが、都道府県単位でならわかる資料があります。これが案外面白いです。

国立社会保障・人口問題研究所が出している「人口移動調査」によってです。第8回2016年の結果が出ています。それを見ると、Uターンは、全国平均で20.4%です。出生した県から県外に移動した後、再び出生県に戻った人の割合になります(県だけでなく都道府もありますが、ここでは便宜上、すべて県と表記します)。Uターン以外のものが何かと言うと、県内にずっと居住が44.0%、県外居住が26.2%となります。

群馬県で言えば、Uターンが21.5%のほかは、県内にずっと居住が46.5%、県外居住が21.8%です。Uターンと県外居住を合わせた県外移動経験者で、Uターンした人の割合は、49.6%になります。県外に出てた人の半分がUターンしたということです。

ちなみに、Uターンは宮崎県がトップで30.0%、県外移動経験者のうちUターン者になっ割合は沖縄県がトップで70.9% 。県外居住の割合トップが島根県で66.2% 、逆に、県内にずっと居住の割合のトップが愛知県で59.0%です。

自分の出身都道府県を見て他と比べてみると面白いです。お国自慢のタネを見つけることができるかもしれません。

人間臨終図鑑を一年に一度はめくってみる。

 忘れたころに読む本があります。「人間臨終図鑑」(山田風太郎著)です。

 この本は、古今東西の、作家やら芸術家、哲学者、科学者、芸能人、さらには、英雄やら武将、政治家、はたまた、犯罪者にいたるまで、古今東西の様々な人物の死に様を紹介し、享年別にまとめている異色な「図巻」です。

 自分と同じ年齢の項についつい眼が行きます。「51歳で死んだ人々」ページを開いてみます。
後醍醐天皇にはじまり、平賀源内、バルザック、岩崎弥太郎、岡倉天心、リルケ、マキノ省三などとそうそうたる顔ぶれです。

 たとえば、岩崎弥太郎の場合は次のようなものです。
 岩崎弥太郎は、大酒豪であったが明治17年夏頃から食欲不振となり、秋には何度か昏倒し、しばしば1升、2升の胃液を嘔くようになった。診察の結果、胃ガンと判明した。彼は「おれは男だ。いかなる病名を聞かされても驚きはしない。ただ、治る病気か治らん病気か、それだけ教えてくれ」と頼んだが、医師は最後まで本人に病名を告げなかった。明治18年2月4日、100回も吐瀉し、発声も困難となる。2月7日二人の息子に三菱の将来について毛利元就の故事をひいてからくも遺言を述べ、「腹の中が裂けるようだ。もう何もいわん」と絶命。息が絶えたあと、死んだ口から3,4升の吐物が流れ出した。

 死に様はまさに千差万別、新たなページをめくるごとに、うかうかと生きてられないとかみしめています。

 ちなみに、この本がうまれた背景は、当時、ダンテの「神曲」を自分流にアレンジした「神曲崩壊」という小説を発表していて、その副産物として、「人間臨終図巻」が生まれたということです。

満開の桜とその魅力とは・・・。

 隅田川両岸の桜並木はすでに満開の様相を呈していました。
川面に映るネオンや行き交う屋形船の赤い提灯がアクセントとなり、それはどこか心躍る1枚の絵を見ているようでもありました。

 夕暮れ近く、舞台と観客席に分かれた2艘の船上では、江戸時代に流行った写し絵が150年ぶりに上映され、日本の四季を代表して桜の花が大写しになると、両岸の桜並木と相まって、辺り一面桜色に染まった風景となり、何か特別な物に包まれ、その付近一帯がまるで時が止まったように感じられる程でした。

その様相に、状況こそ違えども、ふと、13年前のことが思い出されました。
それは母の葬儀を終えて、火葬場に向かう車中での出来事でした。
バスの中でご葬儀の疲れと温かい春の日差しにうとうとしていると、急に辺りが明るくなり、ホワァとした空気に包まれ、思わず何事かと眼を見開くと、窓の外は淡いピンク一色の桜のトンネルの中でした。
何かに染まったように明るく、暫し時が止まったような感覚は、満開の桜のみが持つ不思議な魅力なのでしょうか。

ご葬儀でも最近は自然志向の高まりもあり、お墓は不要とご遺骨を細かく砕き、粉末にして、樹木の下に埋葬される方も増えて参りました。
友人の新潟の友はたっての願いで樹木葬を望まれ、大好きだった桜の木の下に埋葬されることをご希望になられたとの由。

喪主になられたお兄様からお話を聞かされた友人は、当初戸惑いもありましたが、満開の桜の下でゆっくりと話し合えそうだと気持ちを切り替え、今では期待も徐々に膨らんできているとのことです。
「今年は新潟まで桜を見に行ってきます」
友人の電話口の声はどことなく弾んでいました。

今年の満開の桜は後何日愛でることが出来ますでしょうか。