理事長退任のご挨拶

新聞連載小説『はるか、ブレーメン』(重松清・作、丹下京子・画)を毎朝楽しみにしています。16歳の少女が不思議な旅行会社「ブレーメン・ツアーズ」と出合って、思い出の地を訪ねる大人たちと触れ合いながら、「人生の走馬灯」に描かれるのはどんな場面なのか、人生の走馬灯の意味を知り成長していく物語のようです。

この紹介センターを始めて20年余り、この期間ではどんな走馬灯になりそうか。

事業を始めようとしていた頃、千葉の我孫子に住んでいて都内へ朝早く出かけて行っては夕方まで葬儀社を開拓しようとして何社も営業まわりしていたが、お腹がすいて公園で一番金がかからず腹が膨れそうなメロンパンをよく食べてたな~

初期は全部一人で対応していたので、電車に乗っているときに相談電話がかかってきてよく慌てていたことも思い出されるし、夜中に起こされることはしょっちゅうあったけど、3日連続で起こされるとさすがに懲りたな、これじゃ体がもたないぞ~

軌道に乗ってくると、スタッフや葬儀社さんとよく飲みに出かけていっては、腹がはちきれんばかりに飲み食いしてたな~

自分のやっていることは棚に上げて、スタッフや葬儀社の人など周りの人によくあんなに偉そうに接していたものだな~

相談対応する時間も減り、頭を整理すると称しては荒川沿いを歩いたり、エリア調査と称しては街中どこでも歩き回っていたりしていたが、中でも、桜のいちばんいい時にピンポイントで石神井川沿いなどに見に行ける自由度のありがたさと桜のきれいさは目に焼き付いているな~

こうしたところは絵になりなりやすいが、ご相談者とやりとりして役に立っている感覚とか、ほとんどの時間を費やしてきた、日々の対応や日々のサイトのテコ入れなど、走馬灯の絵になりにくいかな。

ともあれ、振り返ればあっという間でした。

『はるか、ブレーメン』のみならず、最近では、妻に勧められての『リメンバー・ミー』や、今さらながら『千と千尋の神隠し』の異次元世界の物語を面白いと思うようになってきたのは、歳のせいというよりも、考え方がガチガチに固いままでは面白くないぞ、という導きでしょうか。

ただいま54歳。人生100年時代とすれば、まだまだこれからです。

前置きがだいぶ長くなりましたが、今月末を持ちまして私、有賀知道はあさがお葬儀社紹介センターを運営する特定非営利活動法人マイエリアの理事長を退任いたしました。

創業以来20年の永きにわたり温かいご支援、お引き立てを賜りましたこと心より感謝申し上げます。
 
今後は、後任の吉行信夫が社業の発展に尽くしてまいりますが、何卒、これまでと変わらぬお引き立てを賜りますようお願申し上げます。

広告宣伝の意義

当センターの使命は、「適切な葬儀社選びで、葬儀を前にした不安を取り除いてもらう」ということに尽きます。これなくしては存在の価値がありません。ただ、いい紹介をすればすべていいのかというと、これでは発展性がありません。やはり広く知ってもらわなければなりません。

松下幸之助翁は、広告宣伝の意義について次のように語っています。
――― 「今度、こういういい品物ができました。これをお使いいただければ、必ずあなたの生活にプラスになりますよ」ということを人々に知らせる、いわば義務があるといえましょう。そこに広告宣伝というものの意義があるわけです。ですから、広告宣伝の意義は、本来決していわゆる売らんがためのものではないと思います。こんないいものができた、これを何とかして知らせたい、そういうところから出てくる、まことに尊い仕事ではないでしょうか ――――

かつては、宣伝広告と言えば、大量の資金がなければできなかったわけですが、いまではホームページでもって簡単に宣伝できますし、SNSを利用したキーワード広告は小資金でターゲットを絞って効率的に広告ができる時代です。

そのため、誤解を与えるのを承知の上で、より目立つように、誇張した表現を使っていたりするのを見受けたりします。

これは当センターにとっても他人ごとではないところもあるかもしれません。ホームページで長い間、手入れしていない文言もありますので、広告宣伝お本来の意義に照らし合わせて、より適切に、少し見直そうと思っています。

葬儀社のホームページの見方

ホームーページは情報を提供する有力な手段であることは間違いありません。なので、葬儀社もホームページに力を入れて作っていますが、どのような情報の出し方、表現をしているかをみると、われわれはその社がどういう葬儀社なのか、おおよその見当が付けられます。

公営斎場や一般的な貸し斎場を自分のところだけが使えるというような表現をしていたり、誤解を与えるような値段の出し方をしていたり・・・、ひどいところも中にはあります。
要するに、消費者をばかにしているわけなのです。ホームページは、企業姿勢が現れる一つの例にすぎないので、ほかの部分でも同じようだと推量してもほぼ間違いないでしょう。
ただ、これはある意味非常に単純でわかりやすいです。

次のようなホームページはもう少しやっかいです。ホームページでは理念だのいいことが書いてあるものです。しかし、これで判断してしまうのは危なっかしい限りです。口では何とでも言えるのと同じことですから。

結局のところ、実際の行動や細部のところで判断するしかありません。ホームページは一つの参考材料にしか過ぎないということです。

お盆とUターン

夏休みの帰省ラッシュが今日、ピークを迎えているようです。鉄道や高速道路は、故郷などに向かう人たちで朝から混み合っています。

私の群馬にある故郷は、いつもはひっそりですが、お盆のときは、Uターンした人によって人口が数倍に膨れ上がり、多少は賑やかしくなります。

お盆のときのみのUターンではなく、都会から自分の地方へUターンした人はどれくらいいるか、市町村単位まで細かくはありませんが、都道府県単位でならわかる資料があります。これが案外面白いです。

国立社会保障・人口問題研究所が出している「人口移動調査」によってです。第8回2016年の結果が出ています。それを見ると、Uターンは、全国平均で20.4%です。出生した県から県外に移動した後、再び出生県に戻った人の割合になります(県だけでなく都道府もありますが、ここでは便宜上、すべて県と表記します)。Uターン以外のものが何かと言うと、県内にずっと居住が44.0%、県外居住が26.2%となります。

群馬県で言えば、Uターンが21.5%のほかは、県内にずっと居住が46.5%、県外居住が21.8%です。Uターンと県外居住を合わせた県外移動経験者で、Uターンした人の割合は、49.6%になります。県外に出てた人の半分がUターンしたということです。

ちなみに、Uターンは宮崎県がトップで30.0%、県外移動経験者のうちUターン者になっ割合は沖縄県がトップで70.9% 。県外居住の割合トップが島根県で66.2% 、逆に、県内にずっと居住の割合のトップが愛知県で59.0%です。

自分の出身都道府県を見て他と比べてみると面白いです。お国自慢のタネを見つけることができるかもしれません。

見積書と請求書の違い

サイトの「求む-葬儀口コミ & 後悔した葬儀体験談」コーナーから、後悔した体験談をいただきました。

病院からの遺体引き取り後、葬儀の内容と見積もりについて話し合いお願いしました。葬儀後 請求書を見ると当初の見積りの1.4倍になっていました。内容を聞くと間違った見積もりをしたけれど連絡しなかったとの事で、まるで詐欺にでもかかったようでした。

これはたしかに詐欺のようなものでしょう。こうしたことをやっている社がまだあるのは驚きです。今回のみ間違えたというよりは、常態となっている社と捉えたほうが妥当な感じもします。

たしかに、見積書と請求書が違うことはあります。会葬者数の違いにより接待に使われる額は変動するので、それが違ってはきます。返礼品や飲食の費用です。このことは説明するのが当たり前でしょうし、説明されれば誰でも納得できる話です。

本来説明し納得してもらうことなど、担当者とご家族側とのコミュニケーションがまずくて意思疎通ができず、トラブルになることはあります。とくに、やっつけ仕事をしているようなところでそうなる可能性がでてきます。それでも、「間違った見積もりをしたけれど連絡しなかった」という言い訳を聞いたことがありません。

体験談を寄せてくれた方が、なぜこの社を選んだのか、わからないのですが、地域のかかわりの中で選んだ社であるとすれば、この会社の継続は難しくなるでしょう。なので、通常こういうことはしないと思われます。会社の継続など考えていないネット集客の社であるかもしれません。

葬儀社選びは変わらず難しいことに変わりありません。

ブログ、2度目の引っ越し

これまで、レンタルサーバーのブログサービスを利用していましたが、今回、 https://asagao.or.jp/  の中にブログを引っ越しました。

他社のサービスは、自社サイトのような自由度がやはり、ありませんし、最悪サービスも停止することもありえます。

実際、前回の引っ越しの時には、10年以上利用していたブログサービスが停止されて引っ越しを余儀なくされてしまいました。記事にして1000本以上! 手作業で書き換えました。そのサービスも開設当初は、いいブログサービスと言われていたものだったのですが。作業が面倒なだけでなく、引っ越しに伴い、URLが変わってしまうのもかなわないません。

今回は、手作業でする必要はなく、エクスポート、インポートで記事本体は全部、反映させることができます。

それでも、調整をしないといけないところはけっこうありますので、これから調整していくところです。

一人の担当者が対応するということ

 当センターでは、ご相談者に対して、基本的に一人の担当者が対応しています。ただ、24時間いつでもすぐに対応するというわけにはいきません。仕事以外の時間もあるのはもちろんのこと、葬儀社との打ち合わせ、葬儀の立ち合い、斎場の確認などで事務所にいないときもあります。

 もちろん、担当者がいなくても、相談案件はわかるようになっているので、ほかのスタッフも代わることはできます。でも、お急ぎの時以外は、極力、担当者が対応をすることにしています。

 相談者からすれば、そのほうが安心でしょう。

 そしてさらには、われわれのようなところは、大組織のマニュアルがしっかりしたオペレーション的な対応ではないので、誰がやっても同じにはならず、相談対応にも人柄がでます。

 なので、ご相談者に対して、その場ですぐに対応できる人が機械的に対応するというよりも、一人の担当者がじっくり対応したほうが良いと思っています。

人間臨終図鑑を一年に一度はめくってみる。

 忘れたころに読む本があります。「人間臨終図鑑」(山田風太郎著)です。

 この本は、古今東西の、作家やら芸術家、哲学者、科学者、芸能人、さらには、英雄やら武将、政治家、はたまた、犯罪者にいたるまで、古今東西の様々な人物の死に様を紹介し、享年別にまとめている異色な「図巻」です。

 自分と同じ年齢の項についつい眼が行きます。「51歳で死んだ人々」ページを開いてみます。
後醍醐天皇にはじまり、平賀源内、バルザック、岩崎弥太郎、岡倉天心、リルケ、マキノ省三などとそうそうたる顔ぶれです。

 たとえば、岩崎弥太郎の場合は次のようなものです。
 岩崎弥太郎は、大酒豪であったが明治17年夏頃から食欲不振となり、秋には何度か昏倒し、しばしば1升、2升の胃液を嘔くようになった。診察の結果、胃ガンと判明した。彼は「おれは男だ。いかなる病名を聞かされても驚きはしない。ただ、治る病気か治らん病気か、それだけ教えてくれ」と頼んだが、医師は最後まで本人に病名を告げなかった。明治18年2月4日、100回も吐瀉し、発声も困難となる。2月7日二人の息子に三菱の将来について毛利元就の故事をひいてからくも遺言を述べ、「腹の中が裂けるようだ。もう何もいわん」と絶命。息が絶えたあと、死んだ口から3,4升の吐物が流れ出した。

 死に様はまさに千差万別、新たなページをめくるごとに、うかうかと生きてられないとかみしめています。

 ちなみに、この本がうまれた背景は、当時、ダンテの「神曲」を自分流にアレンジした「神曲崩壊」という小説を発表していて、その副産物として、「人間臨終図巻」が生まれたということです。

A葬儀社はどういうところですか?

 相談の話の流れの中では、「いま検討している葬儀社、さらには、これから検討したいと考える葬儀社はありますでしょうか。理由があればその理由も」と聞くことがあります。

 「近所の方がよく利用しているので」「知人が勧めてくれたので」「ホームページを見て問い合わせしたら、すぐに電話や見積もりを送ってくれたので」「かつて、利用したことがあるところなので」と理由は様々です。

 相談ではないのですが、「A社を検討しているが、これらの社はどうですか?」とか「親がA互助会に入っているようなのですが、ここはどういうところですか?」「違うサイトを通してA社B社C社の3社から見積もりが送られてきたが、どういう社ですか?」「この社から見積もりを取ったのだが、見積もりを見てもらえますか?」と言ったような問い合わせを受けることもあります。

 理由は様々ですが、検討している方にとっては、その社がどのようなポジションにあるのか、知りたいと思うのは当然です。ただ、サイトを見回してみてもわかるものではありません。
 これに、的確にこたえるためには、様々な社を見比べる状況にある人でないと、なかなか難しいといえます。

 もうちょっと、正確に言うと、A社を検討している人にとって、知りたいのはポジションという一般的なこともさることながら、具体的に、自分がしたい葬儀に適している社なのか、だと思います。これはさらに難しく、サイトをいくら見回してみてもわからないでしょう。

 ということで、センターに問い合わせてくるのでしょうが、これに対し、われわれもわかる範囲で、A社はこういう葬儀に適しているところで、こういう場合はあまりメリットがないのでは、とか、B社は、・・・・・と説明しますと、こういうのが知りたかった情報です、と喜んでもらえます。

お布施はどれくらいですか

 菩提寺がない場合でも、葬儀の時はお経をあげてもらいたいと考える方は多く、日本では約8割ほどの葬儀が仏式で行われていると言われています。

 菩提寺がない方の質問というのならわかるのですが、菩提寺がある方から、少なからず「お布施はどれくらいつつめばいいのでしょうか?」という質問を受けます。

 菩提寺さんにも、檀家さん同士でも聞きづらいし、他に聞くところもないので、当センターのようなところに質問されるのかもしれません。しかし、具体的な数字で答えることはできません。お付き合いの度合いもまちまちでしょうし、それぞれの関係により千差万別だからです。

 お布施の金額が「お経を読むお坊さんの格」と「お布施を支払う檀家の格」によって決まると、喝破したのは、梅棹忠夫さんです。「お経の長さや、木魚をポコポコとたたく労働量で決まるわけではなく、えらい坊さんにはたくさん出すのが普通であり、金持ちもたくさん出さないと格好がつかない」という「お布施の理論」を唱えました。

 ともあれ、実際に一番参考になり、あたりさわりがないのは、これまでの付き合いと同じようにする、ということでしょうか。ただ過去のようにはできない事情があれば、そのあたりの事情を説明して理解をもとめるのもよいと思います。