コロナ禍での梅供養とは・・・。

 部屋中にほのかな香りが漂っています。

 コロナに明け暮れている毎日ですが、季節は途切れることもなく、今年も気が付けば梅の季節がやって参りました。

 私事で恐縮ですが、半世紀近く前、生前の母が元気な頃植えた15本程の梅の木も成長し、もはや老木の域に達しております。

 律義にも毎年実を実らせ、母は知り合いの皆様にせっせとお配りしておりましたが、母の死後不肖の娘が後を継ぎ、といっても手入れは実家任せですが、今度は母の供養の為に・・・と称して友人知人にも配り始めました。

 その年に収穫した梅を使って保存食作りをする一連の作業を、特別に「梅仕事」という言葉で表すことも、その当時お配りした友人から教えられました。

 梅干し、梅酒、梅シロップ、梅ジュース、梅みそ、梅ジャムetc.

 梅仕事を通じてこの時とばかり、普段御無沙汰している友人知人からの近況報告が続々届き、お互いに新たな御縁も生まれます。

 ここ数年、不肖の娘は梅仕事の為と称して、時季外れのお墓参りを兼ねた帰省をして参りましたが、昨年来のコロナ禍の中ではお墓参りもままならない状況です。

 梅は実家から送ってもらい、今しばらくのお墓参りは断念しましたが、梅供養は場所を選びません。

 梅仕事をすることで母への供養が始まります。

 今年は梅ジュースに始まり、ジャム作り、完熟を待っての梅干し作りとなる予定です。

 母が元気な頃は、傍観者を決め込んでいた娘の変貌ぶりに、草葉の陰から見守る母は呆れているかもしれません。

 これも私流供養の仕方と張り切っているのですが・・・。

今年も薔薇の季節になりました・・・。

 昨年来のコロナ禍騒動の中、季節は巡り、今年も鮮やか薔薇の花の季節がやってまいりました。

 ひとときの騒動を忘れさせる程鮮やかな薔薇の花は、昔から御葬儀に向かないお花とまでいわれてきましたが、昨今ではお花の種類に関係なく、献花は故人様のお好きだったお花で執り行われ、中でも最近は一本で様になる薔薇が使われる例が多くなってきたようにも思われます。

 穏やかなジャズが流れる中、棺を囲み静かなひとときが過ぎていきます。

 60歳で他界されたご主人の柩の蓋は鮮やかな黄色い薔薇で埋め尽くされていました。

 お歳と同じ60本の薔薇は、毎年奥様の誕生日に、お歳の数だけ薔薇をプレゼントし続けたご主人への、奥様からの最初にして最後の贈り物との事でした。

 又、以前お伺いしたパーティー形式での御葬儀では、ご喪家から「祭壇を造らず、棺の周りを白薔薇で飾り、進行も自分達で執り行いたい」とのご要望を頂きました。

 1日だけのお別れ会としてパーティー形式で執り行い、遺影写真も飾らず、一切のものを残さないとのご希望で、献花も柩へのお花入れも白薔薇で統一された中、最後奥様の手で一本の真紅の薔薇が手向けられました。

 ご出席の方々には、奥様の様々な思いが込められた真紅の薔薇は、ご主人からのメッセージを代弁しているかのようにも思われたとの由。

 その鮮やかさは、時を経た今でも目に浮かびます。

 毎年、薔薇の季節になると、薔薇好きの友人達と横浜イングリッシュガーデンにお目当ての薔薇の花を愛でに伺っておりましたが、緊急事態宣言が発令されたままの昨今では、伺っても気もそぞろになってしまいそうです。

 こちらの薔薇には、高貴な方やスターの名前が付けられていました。

 お目当てのイングリッド・バーグマンに会えるのはいつになるか・・・。

後戻りはありません・・・?

 今日もテレビ画面から医療従事者の切迫した声が聞こえてきました。

 それに反し、一方で若者の他人事のような行動も相変わらず目に付きます。

 時短要請で飲食店から閉め出された若者達は、路上での飲み会を続行し、中にはマスク無しでラッパ飲みをしながら騒ぎ立て、周りの大人達のひんしゅくをかっても、我関せずの様子がテレビで大写しされている昨今ですが、当の若者達が最近はテレビを見ないという皮肉な現象も、世相を反映しているかのようです。

 昨年からのコロナ騒動は、世の中それぞれの分野での改革が余儀なくされつつある中、世の中の動きに大きな様変わりを見せる道具立てになっているようにも思われます。

 それは御葬儀の世界も、例外ではないようです。

 以前、菩提寺では通夜、葬儀、告別式の一連の流れに本義があり、いずれを省くことは理解しがたい、とまで言われ、1日葬や直葬は否定されていましたが、昨年来のコロナ禍をきっかけに、御葬儀も出来るだけシンプルに執り行う方向に舵が取られ、それと共に以前からくすぶっていた若い世代の檀家離れの現象と併せ、お寺サイドも最近では柔軟に1日葬の許可をせざるを得ない状況になってきたと伺いました。

 “お身内だけの少人数で、出来るだけシンプルに・・・”を合言葉に、昨年来の御葬儀も、内輪のごく親しい方々だけでのお見送りが、大半を占める様になってきています。

 この現象はコロナが蔓延している今の内だけで、コロナ終焉後はまた再び元の状態に戻るのではと、永年御葬儀の世界に携わってきたベテラン担当者に問いかけたところ、曰く、“この世界での後戻りはないですよ”とのご返事でした。

 コロナ終焉後、御葬儀はどちらの方向に向かうのだろうか・・・。

バースデイケーキと御葬儀の関係は・・・。

一都三県の緊急事態宣言以来、先輩の卒寿のお祝いも延び延びになっておりましたが、先日久しぶりに内輪でのお祝いをさせて頂きました。

まだ現役でお仕事をされており、御忙しい合間をぬって多彩な趣味に没頭されている姿を見るにつけ、後輩たちはその元気な源を探ろうと躍起になる始末です。

バースデイケーキの上には90本ならぬ、9本の蝋燭が灯され、早くも10本の蝋燭が待ち遠しく思われる程のお元気なご様子を拝見し、日頃の体調不調を嘆いている後輩達にとっていい刺激剤となったようです。

この世に生を受けてから最期まで、人生の様々な場面に登場するバースデイケーキは諸説様々ありますが、中には古代ギリシャの時代から受け継がれている説もあり、願い事を発しながら、息を吹きかけローソクの火を消すのがならわしとの由。

白寿に向けて先輩は何を祈願されたのだろうか。

以前、都内の下町商店街で永らく魚屋さんを営んでおられ、ご自身のお誕生日3日程前に病院でご逝去された方の場合は、ご葬儀まで10日間ほどあり、御家族のたっての願いで最期のお誕生日をご自宅でお迎えになられました。

ご自宅に戻られた柩の脇には早速に大きなバースデイケーキが用意され、お誕生日までの3日間は商店街のかつてのお仲間達が随時お集まりになり、夫々最期のお別れをされたとの由。

御葬儀担当者は少しでも皆様の思い出になるようにとケーキを写真に撮り、棺脇に飾り、本物のケーキは柩の中に収められました。

ご喪家にとって初めての御葬儀で、お気持ちの余裕がない中、担当者のちょっとした気遣いに、ご喪家の方々も大いに感激されたご様子で、御葬儀後のアンケートでも、感謝のお言葉を頂きました。

「その節は色々お世話になりました。担当者の方は最初から最後まで私達遺族の立場に立ち、ちょっとしたことでも親切に対応して下さり、父も幸せでしたし、私達遺族も素敵な御葬儀で父を送れて幸せでした」。

家族葬

 早くも師走の声が近づいて参りましたが、相変わらずのコロナ禍の中、御葬儀だけは静々と執り行われています。

 その御葬儀も感染を恐れ、気が付けばいつの間にか、お身内だけの家族葬が主流を占めている昨今です。

 先日久しぶりに本棚の整理をしていると、8年前のメモ帳が見つかりました。

 そのメモ帳に貼ってあった当時の新聞の投稿欄の切り抜きに、思わず目が止まりました。

 投稿欄にはお義母様の遺言どおり、当時マスコミで話題になっていた家族葬での御葬儀を、お身内だけで執り行ったが、出棺の際、噂を聞きつけたご近所の方や、ご友人の「可哀そうに、こんなご葬儀で・・・」という囁きが耳に残り、そのことが3回忌を迎えたこの2年間、ずっと心に引っかかっていたと記されていました。

 「最期のお別れをしたいのは、家族も友人も同じ・・・」とも言われ、その後弁明に回られたが、同じような事を言われ、親しい方とのお別れの仕方の難しさを実感されたとのこと。

 当時のメモには、地域の共同体意識が薄れてきたとは言え、次世代の子達は、親世代の付き合い方をよく観察していないと、いざと言う時に、自分たちの考えを通すだけでは、反発を招くことになりかねない。 長年の友人知人の想いは複雑で、繋がりは子供達が思っている以上かもしれない、と記していました。

 御葬儀のことを切り出すのは縁起でもないと、タブー視続けた親世代の考えを、少しづつでも軟化させ、最期について様々な角度から、親子で話し合いをされることが必要な時代に入ってきた、とメモっていました。

 10年ひと昔とは言え、気が付けば当たり前の様に、家族葬が主流を占めている昨今です。

 先週は、ここ10年来入退院を繰り返してこられた友人のお父様も、御家族に見守られ、静かに旅立たれました。

合掌。

敬老の日を前に・・・。

 8月のカレンダーをめくり、9月に入っても、猛暑のような暑い日が続いています。

 9月のカレンダーで最初に秋の気配を感じさせた「敬老の日」も、以前は15日と決まっていましたが、平成15年からは9月第3月曜日に代わり、土・日を含ませてより一層一家団欒の様相を呈してきました。

 今年は翌日の秋分の日を含めると、4連休の方もいらっしゃいますが、しかしながら、猛威を振るっている新型コロナウイルス騒動は相変わらずで、終息の気配すら見えてきません。

 お爺さん・お婆さんにとって、お孫さん達との楽しいひとときもままならない状態が続いています。

 さらに最近では、御家族との接触がクラスターを呼ぶ原因の筆頭に挙げられるほど敏感になり、お会いするのさえも難しい状況になりかねません。

 敬老の日と言えば、当方が真っ先に思い浮かべるのは、雲一つない青空に響き渡った太鼓の音と、友人の飛び切りの笑顔です。

 あの日、東京郊外の特養老人ホームの広場では、青空の下、数十名の若者たちが汗だくになってダイナミックに和太鼓を連打していました。

 その広い空間も敬老の日のイベントのハイライトで、立錐の余地もない程の混雑ぶりを呈していました。

 久しぶりの五臓六腑に響き渡るような太鼓の音に欣喜雀躍の友人は、今にも車椅子から飛び出さんばかりの勢いで指揮を執り始めました。

 永年音楽の世界に身を置いていた友人が久しぶりに見せた笑顔には、格別な様子が見られ、弾けたような友人の喜びの動きにつれて、周りの車椅子の方々も負けじと若者たちに声援を送り始めました。

 いつの間にか広場中が和太鼓と一体になったような歓喜に包まれ、青空と笑顔が頂点に達した感をも、もたらしていました。

 広場にお集まりの御家族の方々も、久しぶりに見るお爺さん、お婆さん達のはじけたような笑顔に、安堵された方も大勢いらっしゃったのでは、と当時が懐かしく思い出されます。

 来年の敬老の日には、あの元気な声援が再び聞こえることを祈るばかりです。

猛暑とベルダおばさんの思い出

 今年の夏はコロナ騒動に加え、うだるような暑さが続いています。

 40℃近い暑さに、テレビ・ラジオでは連日熱中症対策を呼び掛け、特に中高年の方々へ注意を促しています。

 40℃の暑さと言えば、数十年前のスペイン・アンダルシアの8月が思い出されます。

 今、古いアルバムを取り出し、数枚のモノクロ写真を眺めています。

 連日43度、44度と耳を疑う様な暑さでしたが、日本の暑さと違い、空気が乾燥しているためか、室内に入ると思いの外涼しく感じられる、グラナダの町で出会ったベルダさんの写真です・・・。

 グラナダ在住の日本人の間では通称「魔法使いのおばあさん」で通っていたベルダさんは、成程ほうきにまたがれば、そのまま空中に飛んでいきそうな不思議な雰囲気の方でした。

 そのベルダさんがかつて人民戦線でスペインを代表する詩人・ロルカと共に銃をもって戦った筋金入りの闘士だったとの噂を聞き、当時のお話しをお伺いしようと試みたが、頑として口をつぐみ、終始静かに微笑むだけでした。

 薄暗いお部屋でゆったりとイスに腰かけているベルダさんの周りには、数匹の猫がのんびりとくつろいでいる他は音もなく、まるでそこだけが幾十年も時間が止まっているような錯覚を覚える程でした。

 しかし、沈黙が全てを語っているような存在感のある姿に圧倒され、写真を撮らせていただいた他は、暫しの間、時間を共有させていただくのが精一杯でした。

 その年の11月独裁政権はフランコの死により、幕を閉じました。

 長年の壁に耳あり、障子に目ありの生活から解放された方々も、さぞかし多かったのでは・・・。

 ベルダさんのお気持ちはどんなだったでしょうか・・・。

 90年間のベルダさんの歴史を知りたかった。

 今でしたら、きっとお話ししていただけたのでは・・・。

 猛暑の思い出が懐かしく思い出されます。

5月の薔薇

 五月晴れの空の下、鎌倉の料理教室に伺う道筋は垣根越しに色とりどりの薔薇のお花が咲き乱れ、暫し足を止めて見入っていたものでした。

 コロナ騒動で外出自粛の中、1年前の光景が、遠い昔のように思われる昨今ですが、薔薇の季節への想いはお花の中でも格別なものがあるように思われます。

 お花が欠かせない御葬儀では薔薇にはトゲがあり、お花は鮮やか過ぎて向かないとまで言われておりましたが、最近ではあえてご利用になられ、時には薔薇でなければ、成り立たなかったのではと思わせる程のインパクトをもたらす場面も度々目にするようになりました。

 無事御葬儀が執り行われましたとご報告頂いた担当者から渡された1枚の写真には、思わず見入ってしまいました。

 そこには棺の蓋が黄色の薔薇の花で埋め尽くされるほどの見事な花束が映し出されていました。

 奥様の誕生日に歳の数だけ毎年薔薇の花をプレゼントし続けてきた御主人へ、奥様からの最初で最後の贈り物とのこと。

 ご逝去された御主人のお歳に合わせた60本の薔薇が奥様の想いを全て語っているようで、思わず胸が熱くなる思いをしたものでした。

 又、以前立会いでお伺いした御葬儀では棺の周りを白い薔薇で飾り、御葬儀の進行も自分達で執り行いたいとの御希望をいただきました。

 1日だけのお別れ会形式で執り行い、写真は撮らず、一切のものを残さないとの御葬儀では、ご喪家の御希望で献花も最後の棺へのお花入れも白い薔薇の花で統一されました。

 白い薔薇の花で埋め尽くされた中、最後に奥様が手向けたのは真っ赤な一輪の薔薇でした。

 もの言わぬ1輪の薔薇に全ての想いが込められているようで、その鮮やかさに暫し見入っていたことが、昨日のことの様に思い出されます。

 そんな想いの中、今年は横浜イングリッシュガーデンの薔薇、友人宅の丹精込めた薔薇等、いずれも伺えませんでした。

 来年こそは5月の薔薇を心ゆくまで堪能したいと思います。

続くコロナ騒動・・・。

一向に減る気配がないコロナの猛威も5月連休の山場を迎え、ここで食い止めなければとの皆様の意識も高まり、諸外国の対応にようやく足並みを揃え、厳戒態勢に入ってきました。

コロナ感染から身を守るにあたり、様々な集まりも中止や延期が余儀なくされ、遊技場等においては警告を無視した業者の名前を公表する地域まで出てきていますが、御葬儀だけは執り行わないという訳には参りません。

その対策として、式場の多くはご列席の方々の接触を出来るだけ避け、人と人との間隔を取り、通夜を省いた1日葬が多数を占め、さらにお式を省き、火葬30分前に直接火葬場にお越しいただく直葬に切り替えるご喪家も多くなってきました。

さらに、コロナに感染された方の中には軽い症状の方も急変される場合が報告され、免疫力の低い方、お年を召した方の死亡率が高いとのご報告がなされています。

伝染病で御逝去された場合は病院から直接火葬場に運ばれ、御家族・御親族の最期のお別れもかなわず、火葬後の御骨拾いも難しい状況です。

戸惑いと焦燥の中でお別れが不可能な場合を鑑みて、一部地域で執り行われている火葬後に御葬儀をされる骨葬も考慮の対象になりつつあるようです。

今後の御葬儀の在り方も、コロナ騒動を機に変化を見せてくるのでしょうか。

コロナウイルスが騒がれている中、先日90歳の卒寿を迎えられた大先輩からお手紙をいただきました。

卒寿を過ぎてもお元気で活躍されている先輩も、コロナ騒動で外出もままならず、自宅待機を余儀なくされ、仕事場や趣味の教室には行かれない代わりに、今までつんどくになっていた読みたい本を片っ端から読破され、友人に手紙を書き、お使いを口実に駅前スーパー、郵便局、銀行と1日5千歩前後歩き、自家製マスクづくりに精を出していらっしゃるとのこと。

若輩の繰り言を受け止め、無言の叱咤激励に感謝しております。

当方もコロナ対策としてまずは自家製マスクづくりから始めてみましょう・・・。

直葬と最期のお別れ

 コロナ対策で人の集まる場所は暫くの間極力避けるか、集まりを延期してくださいとの通達が出されましたが、御葬儀だけは待ってくれません。

 ご喪家側も、御葬儀にどの程度お呼びしてよいものか、難しい状況に直面されていらっしゃることと存じます。

 お呼びする方も、ご出席される方も戸惑われる中、ならばいっそのこと、思い切って御葬儀のお式を省いて御家族のみでお見送りをと直葬のご要望が一気に増えてきつつあると葬儀社の担当者から伺いました。

 ところが、火葬場でのお別れは、すでに別な場所にてお別れが済んでいることが前提ですので、火葬場でのお別れは10分程度と慌ただしく、直葬の場合は最期のお別れもままならないのが今までの現状でした。

 都会では住宅事情等もあり、ご葬儀までの御安置先として、ご自宅以外をご指定されるご喪家が多く、ご自宅以外の御安置先としては葬儀社さんの自社安置所又は葬儀社さんご指定の安置所が挙げられています。

 また、安置先によりそれぞれですが、ご面会の時間等にも制限があり、なかなかご納得のいくお別れができにくいのが現状でしたが、最近では直葬も視野に入れて、最期のお別れを出来るだけご納得のいくような形に持って行く葬儀社さんも増えて参りました。

 火葬当日、ご遺体を自社式場や安置室に御安置され、ご出発30分程前に棺の蓋を開けゆっくりとお別れのお花入れが出来るお別れ式が可能になったり、安置所が住宅地にあり、火葬場ご出発当日ですと黒服が目立つとの配慮で、前日にお越しいただき、1時間以上ゆっくりとお別れができる葬儀社さんや、火葬場ご出発前にお別れ式ができる安置所等も増えつつあり、ご喪家の御要望に合わせた様々な工夫がされて来つつあるようです。

 時代と共に御葬儀の傾向も変わってきました。

 10年前、直葬に対し、認める、認めないで大激論されていたラジオの深夜番組が懐かしく思い出されます。