今後の御葬儀の行方は・・・。

 コロナ禍の中、御葬儀も最近はお身内だけでのお見送りが多くを占めております。

 お呼びするご喪家側、参列する友人知人双方で万が一を考慮し、今しばらくはご列席をご遠慮されて、各人のお気持ちの中でお別れのかたちをとられているようですが、これを機に今後の御葬儀の在り方も大分変化が見られるのではとも思われます。

 先日執り行われた友人の御父様の御葬儀では、家族だけでのお見送りとなり、地方にお住いのご高齢の叔母様からの「最期お兄様とお会いしたい」との申し出もお断りされ、コロナ禍の中とは言え、叔母様のお気持ちを思うと心苦しかったと、胸の内を語ってくれました。

 この様な厳しい状況の中ですが、これを機に御葬儀の在り方自体も大分変化が見られるかと存じます。

 高齢化社会に突入し、団塊世代が定年を迎えた10年余り前から、家族を中心としたご葬儀が増えつつありましたが、まだまだ暗中模索の段階でした。

 当初から、御家族御親族のみのお見送りでしたら、1日で十分ではないかとのご意見もあり、式場サイドの使用料は変わらず、金額的には通夜のお食事代が浮く程度で余り差を感じられませんでしたが、今回のコロナ禍を機に、通夜のお食事の仕方と共に、1日葬のあり方が今後本格的に問われるのではとも思われます・・・。

 家族葬が中心となれば、御家族のご意向がより強く反映され、会葬者主導で進行し、会葬者参加型も1つのキーポイントとなり、それをどの様にまとめるか葬儀担当者の腕の見せどころでもあります。

 ご喪家の気持ちをどれだけ形に表せるか、はたまた故人様との思い出をどれだけご会葬者の心に刻むことが出来るか。

 それぞれの想いは募れども、新しい衣に着替える踏ん切りがつかないのも日常です。

 昔からピンチはチャンスとも言われますが、コロナ禍の中での御葬儀は、今後の御葬儀の在り方を問うチャンスかもしれません。

 今年も後、残り少なくなって参りましたが、今回が今年最後のブログになってしまいました。

 次回お目に掛かるのは、新たな年になります。

 今年1年、拙い文に御目を留めていただき、有難うございました。

 来年は、少しでも心温まる新たなニュースに期待したいですね・・・。

家族葬

 早くも師走の声が近づいて参りましたが、相変わらずのコロナ禍の中、御葬儀だけは静々と執り行われています。

 その御葬儀も感染を恐れ、気が付けばいつの間にか、お身内だけの家族葬が主流を占めている昨今です。

 先日久しぶりに本棚の整理をしていると、8年前のメモ帳が見つかりました。

 そのメモ帳に貼ってあった当時の新聞の投稿欄の切り抜きに、思わず目が止まりました。

 投稿欄にはお義母様の遺言どおり、当時マスコミで話題になっていた家族葬での御葬儀を、お身内だけで執り行ったが、出棺の際、噂を聞きつけたご近所の方や、ご友人の「可哀そうに、こんなご葬儀で・・・」という囁きが耳に残り、そのことが3回忌を迎えたこの2年間、ずっと心に引っかかっていたと記されていました。

 「最期のお別れをしたいのは、家族も友人も同じ・・・」とも言われ、その後弁明に回られたが、同じような事を言われ、親しい方とのお別れの仕方の難しさを実感されたとのこと。

 当時のメモには、地域の共同体意識が薄れてきたとは言え、次世代の子達は、親世代の付き合い方をよく観察していないと、いざと言う時に、自分たちの考えを通すだけでは、反発を招くことになりかねない。 長年の友人知人の想いは複雑で、繋がりは子供達が思っている以上かもしれない、と記していました。

 御葬儀のことを切り出すのは縁起でもないと、タブー視続けた親世代の考えを、少しづつでも軟化させ、最期について様々な角度から、親子で話し合いをされることが必要な時代に入ってきた、とメモっていました。

 10年ひと昔とは言え、気が付けば当たり前の様に、家族葬が主流を占めている昨今です。

 先週は、ここ10年来入退院を繰り返してこられた友人のお父様も、御家族に見守られ、静かに旅立たれました。

合掌。

家族葬でのお知らせの仕方

 家族葬をするのに、どうやってお知らせをしたらいいかというご相談をうけることがあります。

 最近では「家族葬」という言葉もずいぶん浸透してきていますので、ご逝去の連絡をする際、葬儀前の段階でしたら、『葬儀は近親者のみで行う』ということと『一般の方のご参列はご遠慮いただきたい』ということをお知らせをすれば理解して頂けることも多くなったようです。

 葬儀を終えてからご逝去のお知らせをする場合には、例えば、「故人の遺志を尊重し、近親者のみで葬儀を行いました」というかたちの書面を郵送します。お知らせはできるだけ早い段階でお送りするとよいでしょう。

 葬儀前に連絡か、葬儀後に連絡か、どちらが正解ということはありません。実際の状況を見ながら、故人の交友関係の深さと広さを踏まえ、関係者の反応を予想しながら判断するほかありません。

 葬儀前に連絡すれば、家族葬と伝えたとしても、関係が深かった人などは、知ったからには会葬に行かなければ、と思う人が出てくる可能性があります。しかし、葬儀後の報告のように、「なぜ知らせてくれなかった」という非難はなくなるでしょう。

 身内でゆっくりお別れ、混乱させないことを優先し、葬儀後に報告するという選択肢もあります。

 それでも、「なぜ知らせてくれなかった」と非難され、その後の関係がうまくいきづらくなってしまうことが予想されるような、ごく親しい人にだけは、葬儀前に電話などで直接伝えるという方法も有効かもしれません(他の人には葬儀後に伝えると含みを持たせて) 。

 人間関係の基本的な事も忘れないように気を付けることも大切です。

何も分からない状態やネットの情報で混乱している方へ・・。

 ご相談で、よく「家族葬にしたいのですが・・家族葬って・・?」と言われることがあります
 お話を伺うと、「家族だけでシンプルな感じで・・」と。
 更に伺うと、「家族だけで、火葬してもらう葬儀にしたい」とのことです。
 家族葬という葬儀のかたちが浸透し、「家族葬」という名前だけが独り歩きして、初めて葬儀の事を調べ始めた方は「家族だけで行う葬儀」を家族葬と思っていることもあるようです。

 家族葬とは、定義こそないのですが、一般的には家族・親族とごく親しい方で送る通夜・告別式を行う葬儀として扱われています。
 確かに、家族葬と言われれば、家族だけで行う葬儀のことをそう思うのは納得できます。

 このように、ネットなどの情報だけでは分からないことも有ると思いますし、みんなが同じ状況であるわけではありません。

 例えば、家族葬にしたい、とご相談を頂き、詳しく話しを聞くとご対象の方の交友関係が広く、もしかしたらご関係の方々も呼ばなくてはならないかもしれないとなれば、ご家族のご意向を尊重して、家族葬に向いている葬儀社でではあるけれど、葬儀の事が関係者の方に知られた場合に、にも臨機応変に対応できるような葬儀社をご紹介させて頂いています。

 センターでは、ご相談者一人一人の話しを伺いながらご要望に合うような葬儀社の紹介をさせて頂いていますので、何も分からない状態やネットの情報で混乱している方にもわかりやすく整理し、対応させて頂いています。

家族葬の行方は・・・。

「先日、叔母の葬儀を家族とごく内輪の親族だけの家族葬で行い、お香典もご辞退とまで言われたが、今や田舎にまでも家族葬が浸透しているのね」
 久しぶりにお会いした友人が、開口一番発した近況報告でした。

 叔母様も100歳近くのご高齢で、御兄妹はすでに他界され、息子さんにも先立たれ、喪主はお孫さんとのこと。
 30代のお孫さんにとってはごく自然のなりゆきだったようですが、600名近くのご会葬者がお見えになられた、20年前の息子さんのご葬儀に出席された他のご親戚の方々にとっては、少なからず複雑な思いが残ったご葬儀でもあったご様子です。

 ご自宅でのご葬儀も少なくなり、ご安置先もご自宅以外をご希望される方が多くを占めるようになった昨今では、古くからのお知り合いは別として、ご近所には事後のご連絡で済ませる家族葬の認知度も高まり、益々ご葬儀の本道に近づきつつあるようです。
 それに伴い、ご葬儀に直接携わる担当者の裁量如何で、家族葬の良し悪しが大きく左右されてきているようにも思われます。

 ご喪家の気持ちをご葬儀の式の中でどれだけ形に表せるか、ご参列いただいたお一人お1人の心に故人様との思い出をどれだけ刻むことができるか、少なくとも手作りで、ご家族には自分たちの手で見送ったという実感を味わせてあげられることが大事な要素となり、会葬者参加型が一つのキーポイントにもなってきています。

 その一方で、ちょっとした気配りも重要な要素となりますので、気が抜けられませんとは担当者の弁です。
進行役は司会者にお願いし、ご葬儀中はフリーの身になり、いかにご葬儀に集中するかに掛けているとおっしゃる担当者は、ご喪家からのご要望をお伺いし、言われたことを一つひとつ漏らさず実行することが、ご満足いただけることに繋がるとおっしゃいます。

 また、あるベテランの担当者はご住職の読経に始まりご焼香という緊張した儀式から、独自なやり方で一気にアットホームな雰囲気を創り上げていました。
 そのギャップに初めは少々戸惑いを覚えましたが、こういうやり方もあるのだといつの間にか納得させられたものです。

 最期のお別れでは柩に祭壇のお花を入れる準備の為、一旦全員の退場をお願いしますが、こちらのご葬儀の場合はご着席のまま舞台裏をお見せして、そのまま一気にお花入れに入ります。
 葬儀社のスタッフがまだ、祭壇のお花を摘んでいる最中ですが構わず、担当者の「お花を心ゆくまで入れてください」との呼びかけに、ご家族ご親族の皆様はハッと我に返ったように故人様と向き合い、それぞれがお花を抱え、それぞれのお別れをしていらっしゃいました。
 そこではお花入れという儀式ではなく、お1人お1人が純粋に別れを惜しんでいる姿が印象的でした。

 少々乱暴な言い方になりますが、芝居で言うところの第3幕で転調し、一気に最終場面に持って行く感じにも似ているようです。
 勿論、これもベテラン担当者の緩急を心得た、なせる技ですが・・・。
 今後、家族葬もそれぞれのご家庭に合わせて、益々変化し続けて行くことでしょう。

家族葬で気をつけたいこと

 ここ数年、都市部では家族葬というご葬儀のかたちがかなり浸透し、私が対応させていただいたご相談でも、約8割の方が家族葬を望まれています。
 私がお聞きしたご相談では、家族葬を望む理由として、ご対象の方が高齢で、今ではお付き合いをしているひとがいない、ご友人たちもご高齢で会葬に来ていただくことが難しいのでというものが最も多く、次いで、ご会葬の方に気遣うことなく、家族・親族だけでゆっくりと見送りたいから、本人の希望、費用を抑えたいからなどということがあげられています。

 家族葬でのご葬儀は、近しい方、親しい方のみで執り行うため、温かみのあるご葬儀を希望されている方にはとても適したかたちだという反面、気をつけなくてはいけないこともあります。

 故人様が親しくお付き合いをしていた方以外にも、その場所に長くお住まいになっていた場合、また、ご家族が引き続きそこにお住まいになるような場合には、ご近隣の方への報告に迷われることがあると思います。
 最近では、家族葬という意味合いも浸透してきていることから、「近親者のみで執り行います(執り行いました)」などの報告で理解していただけることも多くなりましたが、ご葬儀後のまだ落ち着かれない時期に、弔問の対応に追われてしまうということにもなりかねません。
 ご近隣の方とのお付き合いについての気遣いが必要です。

 また、ご本人の希望でという場合には、「家族に大変な思いをしてほしくない」というご家族を思いやるお気持ちなども含まれているものだと思うのですが、そのことをご親族などにも納得をしていただく必要があります。

 費用面については、家族葬だから安くできると思われがちですが、場合によっては一般葬と同じくらいの費用がかかることもないことではありません。
 利用する式場や、おもてなし、また、選ぶ祭壇などによっても費用に差が出てきますが、利用する葬儀社によっても、同じ条件で費用が大きく違ってくることもありますので、可能であれば複数の葬儀社から見積をもらって比較してみることをお勧めします。
 
 故人様を想う気持ちに専念し、暖かいご葬儀を執り行っていただくためにも、家族葬をお考えの方は、周囲のことを少し見回してみてください。

家族葬と御近所づきあい

 先日、ご年配の女性がドアを開けて家に入って行く姿を見かけました。それが特に何ということはなく、普通に見過ごしてしまうような光景だったのですが、その家の前を通りかかった時に、中から「○○さーん、いるー?」という声が聞こえてきました。一緒に歩いていた娘が、「えええええ、今の人、この家の人じゃないの?!」とかなりの勢いでびっくりしています。
 たしかに、娘は生まれた時からマンション暮らしで、共働きの我が家では、娘が小さなころから、戸締りに関してはそれはそれはうるさく教え込んでいたので、他人の家に呼び鈴も鳴らさず勝手に入るという行動に、「この家の人は、なんて不用心なんだろう」と感じたそうです。

 ママが子供のころには、家で留守番をしていると、近所のおばちゃんが勝手に入ってきて「枝豆たくさんゆでたから、おやつに食べな」と、テーブルに置いていってくれたりしてたんだけどね、と話すと、これもまた、「えええええ!信じられない。なんで一人の時に鍵をかけないの?私はママにうるさいほど言われたのに!」と。……確かに。時代や環境がちがいますけど。
 ご近所さんでも、立ち話もすることなく、挨拶だけというご家庭も多いと思います。

 
 以前、「できれば家族だけで見送りたいと思っているのですが、今住んでいるところは、何十年も住んでいるので、隣近所には連絡したほうがいいのでしょうか」というご相談を受けました。
 詳しくお話しをうかがったところ、「昔は近所の方が家に入って一緒にお茶を飲むなどをしていたのですが、最近では、道で会ったときに少し立ち話しをするくらいで、家に上がりこむほどのお付き合いはしていない」とのことでした。お知らせすれば、何人かは来てくださいそうなのですが、できれば、通夜は家族だけ、告別式は一番近しい親族だけにきてもらうようにしたいというご要望でした。

 今は家族葬というかたちの葬儀もかなり浸透しており、理解されている方も増えているでしょうから、ご葬儀を終えてから、道で立ち話でもされたときにお知らせする方法もあるかもしれませんねとお伝えしました。
 その後、ご葬儀の立会いに伺った際にご相談者であるご長女様にお話しをうかがったところ、「家族のみでできて本当によかったです」とおっしゃっていました。

 また、以前伺った斎場でお聞きした話しでは、家族葬20名くらいの予定で準備を進めていたところ、ご遺族のどなたかがうっかり御近所に話してしまったことから、100名以上の規模のご葬儀になってしまったということがあったそうです。半館使用の予定で準備をしていた式場を急遽全館使用に変更し、お料理やお返し物は追加の対応で無事ご葬儀は終えられたそうです。
 しかし、もし、そのうっかりがなかったら、かなりの人数の方がご自宅にお線香をお供えにきてしまい、対応に追われることになってしまったかもしれません。

 家族葬でとお考えの方は、故人がご近所さんとどのようにお付き合いをしていたのかを知っておくのも大切なことのようです。

見送り方、見送られ方

 昨今では、人の見送り方も様々に多様化されてきているようですが、その代表としてよく取り上げられるご葬儀のひとつに家族葬があります。
 文字通り、ご家族ご親族のみでお見送りするご葬儀を定義づけたものですが、これが時として思わぬ波紋を呼ぶことがあります。

 先日の新聞の投書欄にお義母様の遺言どおりの「家族葬」にしたが、出棺の時噂を聞きつけた近所の方や友人の「可愛そうに、こんな葬儀で・・・」という声が耳に入って、そのことが3回忌を迎えたこの2年間ずっと心に引っ掛かっているとのこと。

 「最期の別れをしたいのは家族も友人も同じ」とも言われ、その後説明に回られたが同じようなことを言われ、親しい方とのお別れの仕方の難しさを実感されたご様子が書かれていました。

 地域の共同体意識が薄れたとは言え、次世代の子供達は親の世代の付き合い方をよく観察していないと、いざという時自分達の考えを通すだけでは反発を招くことにもなりかねません。
 長年の友人知人のそれぞれの思いは複雑で、繋がりは子供達が思っている以上かもしれません。

 ご葬儀のことを切り出すのは縁起でもないとタブー視し続けた親世代を少しずつでも軟化させ、最期について様々な角度から親子で十二分に話し合いをされることが必要になってきたようです。
  
 次世代は親と話し合うことで自身の最期も意識せざるを得なくなり、自分はどう生きたいのかが問われ、各人のこれからの生き方にも影響されてくることでしょう。
 流行っているから私もではなく、私の最期はこうしたいという思いが周りを説得させ、周りもそれ以前をどうすべきかお互いの関係がはっきりしてくることと思います。

 今は過渡期で本番はこれから始まります。

 先日、久しぶりに集まった女子会のおばさん達の会話も、話題はいつの間にか最期はどうしたいかどうされたいかになっていました。
 それにしても皆さんとうとうとご自身の意見を述べておられました。
 皆さんエンディングノートにもはっきりと書いていらっしゃるとのこと。
 これが必要とされるまでにはまだ少し時間があるようですが、頼もしい限りです。
 必要となる頃までにはどんな変化が待ち受けているでしょうか。

家族葬の担当者にはおせっかい焼きのおばさんが最適・・・?

 生まれたばかりの赤ちゃんを亡くされ、半年後に若いご夫婦から頂いたアンケートの「よく分らないことばかりだったので、葬儀社の担当者さんがよく相談にのってくれました。ややおせっかいくらいに親身になってくれました」と書かれた文面を見て、思わず頬が緩んできました。
 電話口で報告を聞き苦笑している担当者には思わず「この調子でやってください。お願いしまーす」と連呼してしまいました。

 ご葬儀の規模にもよりますが、昨今の家族葬のようなごく親しい方やお身内だけのご葬儀には特にこのおせっかい(?)が威力を発揮するように感じます。
 儀式として格調高く静々と事を運ぶやり方には少々不向きかもしれませんが、暖かくお見送りしたい向きにはこのおば様パワーというか生活者の目が大きな役割を持ってくるように思われます。
 ご葬儀の当事者は平常心では無い上に、初めて経験されることへの不安を抱え、それでも懸命にご喪家のお努めを果たそうとされています。
 普段でしたら気がつくことでも、うっかりしてしまうことも多々でてきます。

 先の赤ちゃんのご葬儀の時も、担当者は常に若いご夫婦から見える所にいてあげたとのこと。心細いご夫婦にとってはなによりも強い味方の出現です。
 読経の間、柩から赤ちゃんを出して抱いていたいというお母さんのご要望もお身内だけだからとそっとOKをだして見守っていらしたようです。

 以前のご葬儀で読経中のご住職の奥様が危篤状態との連絡が入りました。
 担当者は出棺間際に喪主にそっと耳打ちして了解をとりました。
 「生きている方が優先ですので、釜前の読経は省いてご住職を奥様のそばに行かせてあげてください」

 細やかな心遣いでは「遺影写真とともに故人が書き残した直筆のメッセージをお渡ししたところ、会葬礼状の最後に印刷して頂き、原本は額に入れて安置所にかざってくれました。故人を大切に考えてくださっているお気持ちが伝わり、思わずまた涙を流しました」

 「スタッフが心を一つにして行き届いた対応をしてくださったこともすばらしく、女性らしい温かみやきめ細やかな工夫が随所に感じられました。」

 いずれの担当者も家庭の生活者として長年の経験を積んだ女性ばかりです。
 儀式とはいえ家庭生活の延長上にあるご葬儀にはおせっかい焼きのおば様パワーが意外な力を発揮しているようです。 
 

ご家族ご親族だけでのお見送りは本葬だけで十分・・・?。

 (4/12) 高齢化社会に突入し、最近では定年を迎えた団塊世代が親の死を看取ることが多くなってきました。
 子供達でさえ会社や組織を離れる時期、その親御さん達にとっては付き合いも殆ど限られ、お知り合いもすでに姿を消してしまっています。
 勢いご家族、ご親族、後はほんの少数の友人達のみで見送るケースが都会を中心に伸びています。
 それと同時に、1日だけのご葬儀、本葬だけをされるケースも急激に伸びているとのことです。
 以前、そのことで菩提寺の方からクレームが寄せられ、結局一般的なご葬儀に落着くようですと葬儀社の担当者から聞いていたことが思い出されます。
 しかし、今や世の中の情勢と相まって勢いはさらに加速されているようです。
 菩提寺からの苦情の主たる原因だった通夜の読経も、家族が参加する枕教で済ませ、
 後はお身内だけでゆっくりと最後の夜を過ごしたいと。
 ご遺族も見送り方にこだわりを持ってきているようです。

 家族葬での1日葬と通夜・葬儀・告別式を2日間かけてやるのとでは通夜の料理代が浮く位で金額的な差はあまり感じなかったのですが、ある葬儀社の担当者は式場費が半額近くになる斎場を確保しているとの由。
 その分、ご家族だけで供花が出ない場合など、お別れ花にまわすこともでき、色々融通を利かせることが出来ます。
 粘り強く式場との交渉の結果、賛同してくれる式場もかなりな数に上ってきた模様。
 斎場側も表向き、なかなか2日間の使用料を変えることは難しい。
 これは信頼を得た、選ばれた葬儀社に与えられた特典なのか。
 注目されてきた分、ご葬儀も臨機応変な対応が求められてきているようにも感じられます。