昨今では、人の見送り方も様々に多様化されてきているようですが、その代表としてよく取り上げられるご葬儀のひとつに家族葬があります。
文字通り、ご家族ご親族のみでお見送りするご葬儀を定義づけたものですが、これが時として思わぬ波紋を呼ぶことがあります。
先日の新聞の投書欄にお義母様の遺言どおりの「家族葬」にしたが、出棺の時噂を聞きつけた近所の方や友人の「可愛そうに、こんな葬儀で・・・」という声が耳に入って、そのことが3回忌を迎えたこの2年間ずっと心に引っ掛かっているとのこと。
「最期の別れをしたいのは家族も友人も同じ」とも言われ、その後説明に回られたが同じようなことを言われ、親しい方とのお別れの仕方の難しさを実感されたご様子が書かれていました。
地域の共同体意識が薄れたとは言え、次世代の子供達は親の世代の付き合い方をよく観察していないと、いざという時自分達の考えを通すだけでは反発を招くことにもなりかねません。
長年の友人知人のそれぞれの思いは複雑で、繋がりは子供達が思っている以上かもしれません。
ご葬儀のことを切り出すのは縁起でもないとタブー視し続けた親世代を少しずつでも軟化させ、最期について様々な角度から親子で十二分に話し合いをされることが必要になってきたようです。
次世代は親と話し合うことで自身の最期も意識せざるを得なくなり、自分はどう生きたいのかが問われ、各人のこれからの生き方にも影響されてくることでしょう。
流行っているから私もではなく、私の最期はこうしたいという思いが周りを説得させ、周りもそれ以前をどうすべきかお互いの関係がはっきりしてくることと思います。
今は過渡期で本番はこれから始まります。
先日、久しぶりに集まった女子会のおばさん達の会話も、話題はいつの間にか最期はどうしたいかどうされたいかになっていました。
それにしても皆さんとうとうとご自身の意見を述べておられました。
皆さんエンディングノートにもはっきりと書いていらっしゃるとのこと。
これが必要とされるまでにはまだ少し時間があるようですが、頼もしい限りです。
必要となる頃までにはどんな変化が待ち受けているでしょうか。