遺族と親戚の要望

 葬儀の事を決めるにあたり、ご家族の意向だけで決めることが難しく、調整が必要になることがあります。

 以前、ご本人は「自分の葬儀は火葬だけしてくれればいい」と、残される家族に伝え、ご家族もその心づもりでいたところ、ご本人の兄弟から「宗教者に来てもらって、きちんと行ったほうがいい」という意見を押され、ご遺族が混乱してしまい、どうしたらいいかわからなくなってしまって・・というご相談をいただきました。

 このご相談では、残されたご家族がまだ若い息子さんだったため葬儀のことについてもよくわからず、また、できるだけ費用を抑えたいというご要望がありました。

結果、ご親戚のきちんとした葬儀との間をとって、葬儀社が両者と話をして、神道での一日葬というかたちを提案し、ご親戚もご納得されたうえで、無事に葬儀を執り行い、実際のご葬儀ではご親戚の方にもほめて頂けたとのことでした。

 この時ご紹介した葬儀社の担当者は、「話をとてもよく聞いてくださり、とても細かなことでもきちんと説明してくれた。」など、実際にご利用になったご依頼者からご協力いただいたアンケートでも評価が高く、この時も、ご遺族とご親戚の間に入って調整されたとのことです。

 ご遺族とご親戚との間に入り、両者の話しを汲み取って調整するためには、担当者が「よく話を聞いてくれる」ということが大切なのだと思います。

打ち合わせに同席して・・

 「前に親戚が亡くなったときに、葬儀の打ち合わせに同席したことがあったのですが、そのときの打ち合わせのやり取りに違和感があって・・」と、何を信用したらいいかわからず、不安になってしまったというご相談をいただきました。

 お話では、高い物を次々に勧められ、見積りが出来上がった時点ではびっくりするような金額になったのですが、会員ということでその金額からバサッと半額に。それに違和感を感じられたそうです。
 ご自身のお父様も高齢で心配な状況にあったため、事前に調べておこうとインターネットでいろいろ検索したり、人に聞いたりしてみたけれど、「どれを、なにを信用していいのか分からなくなってしまって・・」とおっしゃっていました。

 また、他のご相談でも、ご友人のご主人が亡くなり、打ち合わせに同席したところ、担当者が強引に色々勧めてきて断ることもできなかったそうですが、他家の事なので口出しができず、ご自身のお身内の方が心配になったら必ず事前に色々調べておくことが必要だと思ったそうです。

 何が普通なのか、ということは各ご家族によって異なる感覚なので基準はありません。
 全てを一気に調べるのはご負担かもしれませんので、少しずつでも事前に調べているといざという時に役立つことがあるように思います。

近頃のご葬儀事情

今、5年程前のご相談メールとそのご相談者から頂いた手紙のコピーを取り出し、眺めています。

先日、夜遅く「今しがた、父親が病院で息を引き取ったが、○万円以下の直葬を執り行ってくれるところを探している」とのお電話をいただきました。
「今、○万円で執り行ってくれる葬儀社を1社保留にしており、更に安い所をさがしている」とのこと。
あまりの低価格に、ご要望にそえるのは難しいと思うが、地元のセンターの賛同社に問い合わせて、折り返しご連絡を差し上げる旨申し上げたところ、「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上だったらご連絡に及ばない」との由。

夫々のご事情もあり、夫々のお気持でお見送りされるとは言え、一抹の寂しさは拭い切れませんでした。

5年前のご相談メールには、病院にて闘病中のお父様のご容態は今すぐどうという程ではないが、お父様の為にもできるだけ慌てないで対処したい、との思いでご連絡された旨記されておりました。

看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが、お父様の願いでした。
万が一に備えてご相談される一方で、病院に日参されているご自身の行動に罪悪感を覚えたこともあったが、センターとのやり取りで、あらかじめ知っておくことが、ひいてはきちんと送ってあげることに繋がるのだと思うようになってきたご様子です。

センターのホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最後のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭の片隅にこびりついて離れず、親戚からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れもできないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞお願いします。来てくださいと言えたことで、一生の悔いを残さずに済みました」と感謝のご報告をいただきました。

3ヶ月後のご葬儀では、遠方からご親戚の方々が掛け参じ、久しぶりにお会いされた通夜の晩は、皆で大広間に雑魚寝され、「さながら合宿所のような様相を呈し、翌朝はバケツリレーで、大広間に次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした。1晩が思い出深く、心に刻み込まれた気がします」と、お気持が綴られておりました。

この数年で、ご葬儀の捉え方も大分様変わりしてきたようです。

お盆の入りを迎えて・・・。

「ご葬儀は終わった後々ことを考える必要が出てきます。ご親族様とのお付き合いで、ご理解いただけなければ、後々何やかやと言われますので、そこまで考えてコーディネイトして差し上げる必要があるのは・・・」。

先日、当センターの「葬儀の口コミ」欄への投稿を拝読し、以前、ベテラン担当者からお伺いしたことが思い出されました。

「葬儀の口コミ」欄では、当センター以外でご葬儀をされた方々にまつわる、様々なご意見をお伺いしておりますが、今回ご投稿いただいた方の場合は、ご葬儀の担当者がかつてお身内の方だったという複雑な事情もからみ、菩提寺のご住職も取り込んでの騒動に、当事者であるお父様の3回忌を前にして、今だにご納得がいかない胸の内をお話されていらっしゃいました。

当センターでは事前・事後のご相談をお受けし、地元の賛同葬儀社さんからお見積りをお取りし、ご検討いただいた上で、できましたらご葬儀の担当者との面談をお願いし、疑問点やご葬儀に関するすべてのご相談をされ、安心してご葬儀に臨めるようお話申し上げておりますが、当の担当者がかつては妹様のご主人というお身内の方という特別なケースと伺っております。

しかもその担当者から納骨先の菩提寺のご住職に対して、口裏を合わせてほしいとのご要望には、投稿者も未だにご納得がいかないご様子とのこと。

菩提寺には他で火葬されたとのご報告で、ご住職からは特におとがめは無かったとのことですが、埋葬許可書をご覧になれば、何処の火葬場で何時ご利用されたかは判明しますので、ご住職は見て見ぬふりをされた可能性もございます。

夫々のご事情があるとは存じますが、お父様も草葉の陰でご住職に少々気兼ねをされていらっしゃるのでは・・・。

明日は7月のお盆の入りです。
何はともあれ、久しぶりに御両親をお迎えし、ご意見をお伺いされては如何でしょうか。

誕生と死

 いきなり私事で恐縮ですが、先日実家の弟から姪が無事男の子を出産したとの電話がありました。

 待ちに待った初孫の誕生に、当人夫婦以上の興奮ぶりが電話口からこちらにまで伝染し、早くもとびきりかわいいベビー服を贈ろうか、いや誕生間際からの写真を撮りまくろうかとお祝いの品定めに頭を悩ませている最中です。

 折りしも、誕生日となった9月1日は防災の日でもあり、全国各地で防災訓練が東日本大震災の切実感を持って執り行われた様子が報じられていました。
 大震災では多くの方が犠牲になり、尊い命が亡くなった一方で、新たな命が誕生するシーンを思い出し、改めて「いのち」の不思議さを実感させられた1日となりました。

 また、仕事柄、いのちの強さ、はかなさが浮彫りにされるご様子を耳にする機会もたびたびで、そのつど、一喜一憂させられるご家族のお気持ちを察すると本当に切ないものです。
 
 最近でも事前相談を受けた時点では、まだ少し先の話ですがとのことでしたが、センターの賛同社に見積りを依頼した直後に急変されたという方がたて続けに出ました。
 一方で昨年5月に最初のご相談を受け、そのままになっていましたが、今年に入って、「心配しておりましたが元気を取り戻していますのでしばらくはペンディングとさせてください」というお便りを頂き、この8月永眠された方もいらっしゃいました。

 仕事では常に死という言葉と向かい合っている中で、今年は姪の男の子誕生を機に「いのち」について改めて考えさせられた夏でした。

親戚の葬儀

 昨年末に親族として葬儀に参列しました。
 母の叔母ということで、私にとって血縁的にはそんなに近くはないのですが、親戚の中で一番近所に住んでいたため、「近くのおばあちゃん」として、よく遊びに行っては可愛がってくれた人でした。
 大人になってからは、近くを通ってもなかなか顔を出すタイミングがなく、しかも、この10年くらいはまったく会っていなかったのですが、具合が悪いなどとは聞いていなかったので突然の訃報に驚きました。
 末期がんで全身に転移していたとのことなのですが、幸いにも痛みはあまりなかったようで、「私は何の病気なんだろうね…?」と、最期まで自分が何の病気だったのかわからないまま旅立ったそうです。
 葬儀は葬儀社のホールで執り行われました。会葬人数は30名ほどで、大きな式場をパーテーションで分割してあり、式中はパーテーションの向こう側でお清めの準備をしていました。
 読経中、食器がぶつかる音やお料理を置く音が響いてしまっていたのが少し気になっていたのですが、短時間で準備をしなくてはいけない状況なので仕方ないことなのだと思っていたところ、他の親戚も気になっていたらしいということを後から聞いて少し残念に思いました。
 その後通夜は滞りなく閉式し、お清めでは久しぶりに会った親戚と「近所のおばあちゃん」の話やみんなの近況の話で笑いあり、涙あり。
 その間に、私は翌日の告別式に参列できないので、棺のふたを少しずらしてもらって「近所のおばあちゃん」に最期のお別れをしました。
 じっくりお別れができてよかったと思っていたのですが、その後時間が経つにつれて大きくなってきたのが「もっと会いにいけばよかった」という後悔です。
 葬儀において後悔のないようにとお話させていただいていますが、そのもっと前の段階、元気なうちにしっかり孝行しないとこんなに後悔するんだなとつくづく感じています。

親戚同士の絆

 ご葬儀では時として、ご家族よりもご親族の意向が優先されるような場合も出てきます。
 普段のお付き合いが薄くても、ご葬儀となると親戚同士の絆が急に復活されたように浮上してくるケースも度々耳にします。

 先日も「家族は無宗教葬を希望なのだが、親戚の手前、ごく一般的な仏式にして、読経は形式だけで良いので、できるだけ経費を抑えたい」との御相談を受け、お坊さんの派遣センターへの選択をアドバイスして、ご葬儀を無事終える事ができました。

 それだけに、もてなしをされ、ご会葬の皆様からの「良いご葬儀でした」の一言に胸を詰らせ、アンケートでご報告される方もしばしばいらっしゃいました。

一方で、ご家族だけでお見送りされるつもりでいらっしゃった方が直前になり、「病院へのお見舞いもお断りしていたから、ご親戚や友人の方々には最期のお別れをしてもらおう」とご会葬をお願いされたケースがありました。
 通夜の晩、遠方から駆けつけた御親族の方々10数人が、斎場の広間に貸布団を敷きつめてお休みになられました。
 「なかなかこうした機会もないので、かえって合宿所のような1晩が思い出深く心に刻みこまれた気がします。父が皆をより一層仲良くさせてくれた時間に思えます。翌朝、バケツリレーのように次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした」とご報告いただきました。

 良くも悪くもご親戚を意識されるのは、ご葬儀を置いて他には無いのではと思わせる程でした。

ご葬儀はご親族の近況報告の場でもあるのです。

 東京から少し離れた地域の方からのご葬儀のご報告には、時として都会の人達が忘れがちになっている地縁血縁の絆が感じられます。

 先日茨城からいただいたお便りもその1つでした。
 故人様は茨城出身ですが東京在住の方でしたので、ご葬儀は都内の斎場で神道にのっとり、古式ゆかしく厳粛に執り行われました。

 ところがお便りをいただいたご喪家の方は、仏式のご焼香に当たる玉串奉奠の時、司会者の方がご親戚のお名前を仰らなかったので、茨城からご会葬にお見えになった方々が拍子抜けされたのではと心配されていらっしゃいました。
 ご当地ではごく普通に言われているので当然のこととして、打ち合わせの時に特に気を使うこともなかったのが悔やまれたご様子。
 ご親戚の方々のお名前をわざわざご家族ごとに「○○様御家族ご一同様」とお呼びするのは普段顔を合わせる機会が少ない方のためでもあるのです。
 血縁者が一同にお集まりになり、お名前を呼ぶことで「どこの誰か」かがよく分り、ある意味、各ご家庭の近況報告の場にもなっているようです。

 ご葬儀は悲しみの極みではありますが、ご親族の方々は普段気付きにくい自身の存在を再確認でき、新たなエネルギーを貰う場でもあるようです。
 ともすると、最近の傾向としてできるだけシンプルにシンプルにと流れがちですが、時折立ち止まり、以前からの風習にも耳を傾け、周りを見渡しつながりを大事することも必要かと思われます。

ご葬儀の形式は変われども、血のつながりは別格です・・・。

 当センターでは依頼者からメールや電話で事前のご相談を受け、やりとりをさせていただいた後、ご希望の方法でセンターの賛同社をご紹介しておりますが、時としてやりとりの途中で依頼者から突然お詫びの連絡を頂くこともあります。

 それは、身近な方が途方に暮れている姿を見るに見兼ねて、周りの方がご相談を持ちかけてきた時などにみられるようです。
 依頼者の方から実の兄弟同然の付き合いをしてきた妹さんのご主人が危ない状態なので、疲労困憊の妹さんに代わってご相談したいとのご連絡を頂きました。
 しかし、メールでのやり取りの途中でご主人のご兄弟、ご親戚筋から異論が出てきたようです。
 間に入った妹さんが動揺してしまっているのでこのご相談はしばらく中断させてほしいとの申し出を受けましたが、後日丁重なお詫びのご連絡を頂きました。
 よかれと思ってしたことが、周りを混乱させてしまい、血のつながりの無い者が勝手にことを進めて・・・ということになってしまったようです。

 ベテランの葬儀社の担当者が以前話していたことを思い出しました。
 「なにしろ、お嫁さんは嫁ぎ先のことには口を挟まないのが鉄則よ」
 ご主人のことでも奥様の一存だけでは難しいようですね。
 まして、どんなに親しいとはいえ門外漢においておやです。
 ご葬儀の形式は家族葬だ、直葬だと変わってきても、中を流れる血のつながりは別格のようです。

ご葬儀におけるご親戚との関係は・・・?

 最近のご相談の中で、ご親族にご高齢の方が多く、できれば通夜と告別式に2度足を運ばせるよりは1日葬で済ませたい。
 しかし、通夜もやらず夜通しお線香の火を絶やさないこともしないとなるとご親戚の方達を説得する自信が無い。
 また、長患いで半年以上留守になっている家には帰したくないが、親戚からなぜ自宅に帰せないかと問い詰められそうで心配だ、とご親族との間が気がかりなご報告を受けました。
 ご親戚の心配は身内なだけにかえって面倒で、なかなか一筋縄ではいかないようです。
 
 ここ2~3年、都会を中心にご家族・ご親族を中心とした家族葬という言葉が当たり前のように使われてきていますが、最近はより厳選され、ご家族のみでお見送りしたいとご希望されるケースも多くなってきています。
 遠方の普段余り交流の無いご親戚にはご葬儀後お知らせすることでご了承願おうという傾向のようです。

 1年ほど前に頂いたお手紙が思い出されます。
 その方も、始め故人の意思を尊重され、ご家族のみのご葬儀を希望されていましたが、当センターのホームページの「おまいりしたい人の気持ちも酌んであげることも大切のくだりがずっと頭の片隅にこびり付いて、結果、『お見舞いも拒否され(体調不安定のため)、最期のお別れもできないなんて、つらすぎる』との親戚の言葉に『どうぞ、お願いします。来てください』と言えたのが一生の悔いを残さずにすみました」。

「血縁のあるなしにかかわらず、父にお別れをしたい人だけが集まってくれ、私たちに気を使わせることなく、数々の至らなさにも目をつぶって、励まし、慰めてくれました。また、通夜の晩は遠方からの会葬者も多く、大広間に貸布団を敷きつめ、合宿所のような一晩は父が皆をより一層仲良くさせてくれた時間に思えます。翌朝バケツリレーのように次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした。涙も笑いもあるご葬儀でした」とのご報告をいただき、おもわず、我がことのようにうれしく感じたものでした。