今、5年程前のご相談メールとそのご相談者から頂いた手紙のコピーを取り出し、眺めています。
先日、夜遅く「今しがた、父親が病院で息を引き取ったが、○万円以下の直葬を執り行ってくれるところを探している」とのお電話をいただきました。
「今、○万円で執り行ってくれる葬儀社を1社保留にしており、更に安い所をさがしている」とのこと。
あまりの低価格に、ご要望にそえるのは難しいと思うが、地元のセンターの賛同社に問い合わせて、折り返しご連絡を差し上げる旨申し上げたところ、「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上だったらご連絡に及ばない」との由。
夫々のご事情もあり、夫々のお気持でお見送りされるとは言え、一抹の寂しさは拭い切れませんでした。
5年前のご相談メールには、病院にて闘病中のお父様のご容態は今すぐどうという程ではないが、お父様の為にもできるだけ慌てないで対処したい、との思いでご連絡された旨記されておりました。
看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが、お父様の願いでした。
万が一に備えてご相談される一方で、病院に日参されているご自身の行動に罪悪感を覚えたこともあったが、センターとのやり取りで、あらかじめ知っておくことが、ひいてはきちんと送ってあげることに繋がるのだと思うようになってきたご様子です。
センターのホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最後のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭の片隅にこびりついて離れず、親戚からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れもできないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞお願いします。来てくださいと言えたことで、一生の悔いを残さずに済みました」と感謝のご報告をいただきました。
3ヶ月後のご葬儀では、遠方からご親戚の方々が掛け参じ、久しぶりにお会いされた通夜の晩は、皆で大広間に雑魚寝され、「さながら合宿所のような様相を呈し、翌朝はバケツリレーで、大広間に次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした。1晩が思い出深く、心に刻み込まれた気がします」と、お気持が綴られておりました。
この数年で、ご葬儀の捉え方も大分様変わりしてきたようです。