「え、自殺」受話器を持ったまま、次の言葉が出てきません。
電話口で亡くなられた方の友人と一緒におろおろするばかりでした。
私が電話のご相談に関わって2〜3ヶ月目の頃ですので、だいぶ前の話になります。
それまで第3者的に漠然と捉えていたことと違って、電話口の声は生々しく、まるで身内の惨事のように聞こえ、しばらくは言葉だけが耳元でリフレインしている有様が昨日の様に思い出されます。
最近では大津の中学生の自殺をめぐる報道を始め、若い人達の死に急ぐ様子がさらにマスコミを賑わしています。
先月、立て続けにいただいたお電話の故人様も死因は「自殺」とのこと。
まだ小さなお子様を置いての旅立ちに、残されたご主人の混乱振りも大きく、ご親族の方がお見えになるまで葬儀社さんとの打ち合わせもストップ状態に。
おかけする言葉もなかなか見つかりません。
そんな折、夏休み間近の親子を対象にした「親子で楽しむバレエフェスティバル」では楽しい作品やロマンチックな作品の中にそこだけが無色になったような異彩を放った「瀕死の白鳥」が上演されました。
一羽の傷つき死を目前にした白鳥が最後まで必死に生きようと羽ばたき、ついに力尽きてしまうまでを踊っている小作品ですが、先ほどまで乗りに乗って手拍子を打っていた子達が静まり返り、目を皿のようにして見入っていました。
子供たちの心に生きる力がどのように映ったのでしょうか。
実は92歳で旅立ち、先日3回忌を迎えた友人の大好きな作品でもありました。
その友人の口癖は「死んで花実が咲くものか、生きてるうちが花なのよ!」でした。