言葉は生き物

 今日、車検が終わり車を引き取りに行ってきました。担当の人が整備記録シートなど資料を見せながら一通り説明をして、その資料をファイル(ダッシュボードに入れてあるもの)に入れようとしたとき、

 「このファイルの中に一緒に入れても大丈夫ですか?」

 と聞いてきました。早速キターーー
 いつもなら気にも留めないやり取りですが、今日は違いました。いつもざっくり見出ししか見ない新聞ですが、今朝の新聞の企画記事『乱発される「大丈夫」の研究』を熟読したからです。

 それによると、【大丈夫】は本来「危なげがない」「間違いない」状態を指す言葉だが、最近は、婉曲的な断りや、相手の意向を確認するために使われる「配慮言葉」のような形で多用されていると捉えていました。

 「コーヒーはいかがですか」 ⇒ 「大丈夫です」
 コーヒーを入れるという手間が想定できるときにお気遣いいただかなくてもいいですよ、という配慮。

 先の「このファイルの中に一緒に入れても大丈夫ですか?」
 「・・・よろしいでしょうか?」「・・・いいですか?」とするべきところだが、「よろしいでしょうか?」は形式的すぎるし古臭い、「いいですか?」では率直過ぎて少し強いので、少し和らげようという配慮。

 いいか悪いかはともかく、微妙なニュアンスを汲み取るような形で、面白い表現が生み出されてくるものです。

 この記事を読んでまた、上記の使い方がちっぽけに見えるぐらい、ものすごい「大丈夫」の使い方をしていた、ある社長を思い出しました。
 失敗したり、意に添わないやり方をしている社員に対し、
「頭、大丈夫か」
 と連発していました。本来的な意味での使われ方でしょうが、配慮が大丈夫じゃなかった例です。

 それはともかくとして、当センターへのご相談者は慣れない中での相談でしょう。ナーバスでさえあると思います。われわれが微妙なニュアンスを汲み取とったり、それを踏まえて配慮する、その大事さを再確認しました。