「供花はどうしても必要なものですか?」

 「供花はどうしてもあげなくてはいけないものなのですか」
 葬儀社から取り寄せた概算見積書をお送りした後、依頼者の方との電話口でのやりとりです。
「あくまで故人様に対するお気持ちですので、強制ではありません」唐突な質問に言葉を詰まらせ、そんなお答えをした覚えがあります。
 仕事で半ば慣例化されたようになってしまった事柄も、一つ一つ問い詰めていくと、現在では必要のないものも出てくるかもしれません。
それぞれのご家庭により、またその方によりご葬儀の基準も多種多様になって来つつあります。
 でも、お気持ちだけはできるだけ残したいものです。合理的にどんどん削っていけば、お花なんて必要ないかもしれません。
 葬儀社の担当者に伺うと、「ある本にこんな一文がありましたよ」と知らせてくれました。

 「慈愛、忍辱(にんにく)の徳を表わし花を捧げることにより、清らかなやさしい気持ちで仏様を拝み、自身が慈悲の心を持ち続けたいと願うもの・・・」
 
 仏教の修行で個人だけでなく、他人をも悟らせる教えの六波羅蜜に「忍辱行」というのがあり、「忍辱」とは耐え忍びこらえる事だが、耐えることでポジティブに自分を育てることになるとのことです。
 お花を捧げることで自身もその心を持ち続けたいということであれば、どんな形であれ、あげる、あげないの問題ではないように思われますが・・・。