映画「おくりびと」を観て思ったこと、その1

 伊丹監督の「お葬式」以来かな。お葬式に関することを正面から取り上げたのは。
 先日、お葬式の立会いに行った帰り、新装オープンしたばかりの新宿ピカデリーに立ち寄り、今話題の「おくりびと」の映画を観てきました。
 ウイークディの午後1番の上映ということで、周りは殆ど中高年のしかも女性の方々でした。
 主役のモックンこと本木雅弘ファンばかりではないと思いますが、話題のものに素早く反応するのは矢張りおば様パワーが一番かなと思わせる光景でした。

 オーケストラの解散で生まれ故郷の山形に帰ったチェロ奏者がひょんなことから納棺師のアシスタントになり、成長していく物語ですが、納棺の儀式の厳粛さ美しさもさることながら、この映画が成功したのはキャスティングの妙にあるのではと思われました。
 出演者一人ひとりのキャラクターがくっきりと浮き上がってくるように感じられます。
 主人公を取り巻く人たち、山崎努扮する社長の納棺師・佐々木、笹野高史扮する銭湯の常連客・平田、実は火葬場の火夫の2人が特に物語を立たせ、引き締めているように感じられました。
 特に銭湯の常連客の平田はゆったりと一見たわいない言葉を発しながら実は後半火葬場の火夫となって制服制帽姿で現れるや否や、今までの言葉が一気に生きてくる感じになります。
 銭湯のおばちゃんの死、火葬場の炉前で火夫として現れる平田は毅然として「死は門だ」そこを潜り抜けて、次に向う門なんだと話す。そして「私はその門番なのだ」と言って火葬炉のスイッチを押す。その瞬間、轟音とともに点火されます。
 朝立ち会った享年53歳の方は無事門を通り抜けられたのだろうか・・・・。
 
 次回はお話を主人公の「おくりびと」に戻します。