「昭和の初め、お寺は町のサロンだった」と九州出身の大先輩の友人はよく話していました。
当時のお寺は子供達を集めて色々な催しや踊りの会が頻繁に行なわれ、町内の社交場の拠点でもあり、自然な形で町に溶け込んでいたようです。
ご住職はお寺を守るだけでなく、子供達に踊りを教える舞踊家でもあったのです。
お父様の教えを守ってきた娘さんもすでに80歳になろうとしています。
その80年の人生を振り返った近況報告におもわず拍手。
娘さんは親への反発も手伝い、お寺に生まれながらにしてお気持ちは無宗教で、懐かしさもあり線香の匂いに心が落ち着くが、葬式無用の信念は変わらず、形式的儀式は不要で、大切な方々との惜別の情は深く心に残っているが、自分の胸中に故人が生きていることが最高の供養ではないかと報告されていらっしゃいました。
宗教的信仰ではなく「土から生まれて、土に還る」と言う言葉があるように、死とはいのちが生まれた根元の場へ還って行くことだとすれば「逝く」のではなく「還る」ことで、大いなる母胎回帰だとのことです。
また、ダンスは自然体でなければ、身体に不要な力が入っていると踊れない。力を抜いて自然体になった時、本当の動きがでてきますと。
身体も心も自然体であれ。自然に生きて、自然に死す。これが80歳の心境だとのことです。
私の今後の課題でもあります。