長患いの奥様を亡くされ、覚悟していたとはいえ、現実になったショックはいかばかりか。
アンケートにお答え頂いた中に「葬儀終了までの時間、無我夢中の中でやりまして、今冷静に振り返ってみても、その感想は如何に・・・と聞かれてもそれは解りません」とありました。
読みながら、思わず「うん、うん」と頷いてしまいました。正直な気持ちでしょう・・。これが、万人本当の気持ちかもしれません。
しかし、いつまでも悲嘆ばかりにくれていては、日常生活に支障を来たしてしまいます。
とは言っても、悲しみを癒すマニュアルがあるわけではありません。
寄り添い、気持ちをおもんばかってやる心の交流が必要です。
かっては、日本の大家族の中で、また村落の人とのつながりの中で癒し癒されながらお互いの気持ちを孤立させないような仕組みが出来ていました。
都会に出てきた人は知らない内にそれを切捨て切捨てて、核家族化だけが進行し、いざとなった時に周りを見渡せば皆知らんぷりを決め込んでしまっている状態です。
しかし、人間1人では生きられない。
そう気づかされた時、新たな第3者の寄り添う力の必要性が芽生え、それが最近になってあちこちで息づき始めてきています。
それは悲しみにくれる人たちに寄り添うグリーフケアだけでなく、日常からコンテンポラリー・アートの世界にまで応用され浸透しつつあるようです。
1人で完結するのではなく、人とつながり、受け止めてもらうエネルギーの交流こそが、全ての原点であるかのように。