「お子さんを亡くされた場合、お子さんを散骨できますか・・・?」

 先日、TBSラジオ番組「アクセス」で討論された「散骨は国が法規制するべきか」の中で、散骨の有無について聴取者のおっしゃった言葉が引っ掛かっています。

 すべきとおっしゃった方の中で、「もし若いお父さんが子供さんを亡くされた場合、子供さんを散骨できますか」と問われた方がいらっしゃいました。
 確かに散骨を希望される方はご自分が生きるだけ生きた、又は皆さんが大往生だと認めた場合が殆どでしょう。
 順序が逆の場合は難しいというよりはちょっと考え難い。
 
 宗教学者、島田裕巳氏も「子供さんというよりも若くして亡くなられた葬儀に行くと葬式では解決できないどうしようもない問題ってあると思う。ご高齢で亡くなられた方の弔い方と若くして亡くなられた方の弔い方、葬り方というのはどうしても気持の内で違ってきてしまう。散骨などする場合でも後の問題なんか、すごくある。亡くなった人をその後どうするかという問題がどうしても出てきてしまう。」と、コメントされています。
 
 これに対して、すべきでないという方は「生と死は常に表裏一体であり、生と死は回っているものだし、生まれた時から死に向かっているのだから3日で亡くなった子であろうと、100歳まで生きた人であろうと違いはない。死というのは平等なんです」と明快に答えていらっしゃいました。
 また、「近くに散骨場は嫌だ」というのは死を認めたくないという強い願望で、その裏返しだともおっしゃっていました。
 皆さんは如何でしょうか。