喧々諤々「散骨は国が法規制するべきか」聴取者の判断は・・・?

 前日の疲れからかうつらうつらしていると、いきなり「さんこつ」という言葉が耳に飛び込んできました。
 慌てて周りを見渡すと、掛けっ放しのラジオからでした。
TBSラジオ・夜10時からの番組「アクセス」では「散骨は国が法規制するべきか否か」のお題で聴取者を交えての討論が始まるところでした。
 タブー視されていたご葬儀もここ2~3年の傾向として日常的な話題に乗せられるようになってきたようです。
 その1例として司会者は直葬をあげていました。
 2年前にはそういうものがあるという話題から、昨年には増えているという段階になり、今ではすでに選択肢として定着されてきているというように。
 時代の変化に呼応するかのような動きが見られる一方で「待った」をかける意見も活発です。ここは大いに議論されることを期待したいものです。

 今回まな板に乗ったのは「散骨」の是か否でした。
 まだまだ一般的に散骨と言われても漠然としたイメージを持つ方が大方のようです。
 規制すべきという方は、蒔かれる方の立場はどうなるのか、狭い日本の中では風向きによって何処に飛んで行くか分らないのでは。近くの住民にとっては大きなプレッシャーになり、散骨は日本人には合わないのでは・・・。但し、規制はモラルの範囲内でと。
 また、別な方は宗教心が無さ過ぎる。亡くなった後の問題をどうするのか。手を合わせる対象物が欲しい。墓がある方は墓と散骨場をどうするのかと。

 一方、規制すべきでないとおっしゃる方は散骨も埋葬許可書、火葬許可書のように地域で散骨したい場所があれば許可書を発行してはどうか・・・。散骨主義の宗教団体ができた場合は宗教の自由の観点から難しいのでは・・・。
 また別な方は生と死は表裏一体のもので、ちゃんとお葬式をして送り出した後、散骨にするには何の問題もありませんと・・・。

 それぞれの立場で宗教観を交えながらお話されていましたが、ご主人を観音崎沖合いに散骨されたご婦人からは体験談をお話になり、ご自分の場合も娘さんがそうしてくれるはずですと凛としたお声でおっしゃっていたのが印象的でした。
 お骨は粉砕し水に溶ける紙に包み、お花は蕚のところからちぎり、娘さんと甥ごさんが代表して大好きだったお酒も持参し海上から落とし、娘さんはその場で般若心経をあげてお父様のご冥福をお祈りされた由。
「やり方で、粉が周りに飛び散るということはございません。それだけは申し上げておきたかった」とおっしゃっていました。

 当日のコメンテーター・宗教学者の島田裕巳氏は「こういう習俗がものすごい勢いで変化していく中で、それを判断するある種の宗教観みたいなものを我々がどう確立していくかというようなところが、今最も求められているのでは・・・」と。
 聴取者からのアンケートでは、するべき・52パーセント、そうは思わない・33パーセント、どちらでもない・15パーセントとの報告がありました。