私事で恐縮ですが、ずっと長い間引っ掛かっていた出来事がありました。
それを解消していただいたのが朝日新聞に掲載された作家・村山由佳さんの食べること「犠牲の上のいのちを忘れない」の一文でした。
村山さんはこれまでで最も印象に残っている食事はときかれたら、モンゴルの大草原での「ヤギ肉のシチュー」とのこと。
その夜出されたシチューの肉は遊牧民が生きたヤギを村山さんの面前で肉にしていったものであったが、その一部始終を見て気持悪いとも残酷だとも感じなく、むしろ神聖な宗教的儀式を見ているようで感動に打たれていたとお書きになっていました。
今から、30年以上前、私も似たような体験をしました。
スペイン南部、アンダルシア地方のシェラ・ネバダ(山脈)の村、ピートレスの分教場に居候した時のことです。
着いたその日村の広場をうろついていると、村の青年が1匹のヤギを木に吊るし、今まさに解体を始めるところでした。
あまりのことに足が釘付けになってしまいましたが、青年は黙々と至極当然のようにことを進めています。
気がつけば、こちらも夢中でカメラのシャッターを押していました。
全てが終了した時、心が穏やかでしかも何か清々しい気持にまでになっていることに気付かされました。あれはなんだったのだろう。
野菜も肉もいのちがあります。私たちはそのいのちを頂き生きており、それゆえに自分のいのちは他のいのちの犠牲の上にあることを忘れないようにということは幾度となく聞かされておりましたが、同じような実体験をされた方の文章を読み、やっと実感できました。
あのヤギ肉の煮込みの美味しかったことを、昨日のように思い出しました。