電話口で「○○さんのご葬儀は何時からですか」といきなり聞かれることが度々あります。
えぇ・・何かの間違いでは・・・? 気を取り直して事情を伺うと、弔電を打ちたいのでお式の時間が知りたいとのこと。慣れないことで戸惑われていらっしゃるようです。
そういえば、最近では日常生活に電報を打つ機会なんてめったにお目にかかりません。
ましてご葬儀のように特殊な状況下ではどんな文面にしたらよいのか、迷ったあげく、差し出された例文をそのまま引用されるケースが多く見受けられるようです。
というのも、今まで多くのご葬儀に立会いましたが、ご葬儀には弔電は付き物とばかりに用意された儀礼的な文面ばかりが目立ち、あまり思いやりが感じられませんでした。
いつの間にか弔電は葬儀・告別式が終ってほっとした会場の空気の中で、おもむろに司会者が読み上げる、一つの儀式という認識位しかもてなくなっていました。
公的な社葬や合同葬ならいざ知らず、家族葬のような内々のご葬儀まで同じで、その部分だけを妙によそよそしく感じていました。
そんな折、立ち会ったご葬儀で菩提寺のご住職の読経が通常より10分ほど長引くことが分り、急遽ご喪家の了解のもと、弔電を全てカットすることになりました。
葬儀・告別式が無事終り、安堵の空気が流れるも、いつもの弔電は読まれません。
最後のお花入れの儀とあわただしく移行していきます。
故人やご喪家の方々への哀悼の辞を表する間がなく、お別れの儀をしていても、何か忘れ物をしたような錯覚を覚え、少々慌てました。
思いがけないところで弔電の役目を見つけ、弔電のよさも少し見直しました。