敬老の日に考える。

 昨年の敬老の日、青空のもと、勇壮活発な和太鼓の音に合わせて元気に車椅子から身を乗り出して踊っていた友人の姿を、今年は見ることができない。
 半年前、余りに呆気なくあちらに渡ってしまわれた。
 9月20日は敬老の日、しかし身近にお年寄りがいないとうっかり見過ごしてしまいそうです。
 世の中の商戦合戦も老人では購買層が限られるのか、母の日・父の日のに比べるとあまりにもひっそりとしています。

 その上、今年は久しぶりに老人が脚光を浴びたと思えば、敬老とは真反対の事柄ばかりです。

 ご葬儀の相談の中でも、少し影を宿しているようです。
 ご高齢の方のご葬儀で病院から直接火葬場に直行を希望される御家族の方が増えてきつつあるようです。
 ご事情は様々ですが、電話でご相談のお話をしていても、時に家族の絆の薄さを感じる場面に出くわすということも出てきています。

 ご本人の意思でご希望されるのはその方の生き方として尊重できますが、「火葬のみの場合は死後24時間経ればいつでも」とお答えしながら、思わずどぎまぎしてしまいます。
 自分の身に置き換えるとあまり心安らかではありません。

 深夜、同居されていたおじい様が亡くなられご葬儀のご相談をと、お孫さんからお電話をいただいたことがありました。
 お話を伺い葬儀社をご紹介すると、まもなく到着する別居されているお父様とご相談してから最終的に決めますとのことでした。
 ところがお父様の結論としてご葬儀はせずに直接火葬場へ・・・。
 1時間後電話口に出たお孫さんの声は涙ぐんでいました。「本当はおじいちゃんの葬儀をしてあげたかったのに・・・・」。