お布施の理論とボージョレー・ヌーヴォー

 お布施の金額は、「お経の長さや、木魚をポコポコとたたく労働量で決まるわけではなく、えらい坊さんにはたくさん出すのが普通であり、金持ちもたくさん出さないと格好がつかない」というのが、今年7月に他界された梅棹忠夫さんの「お布施の理論」です。

 もっともこれは、お布施を象徴的な例として述べているのではあります。何の象徴かというと情報財です。原価不明で、その量を測定することも難しいし、需要や供給の量もわからない、情報財というものについてです。

 お布施の金額が「お経を読むお坊さんの格」と「お布施を支払う檀家の格」によって決まるように、情報財の価値もこれとほぼ同じ仕組みで決まるということを解き明かしています。

 お経のように形もなく目に見えないものだけが情報財ではありません。情報化社会においては、消費財においてさえ、情報的な側面が、それ以外の側面よりも商品の価値を大きく左右したりします。情報的な側面とは、たとえば、広告によって付加される商品のイメージやブランドのイメージ、商品のデザインなど様々です。

 今朝、テレビのワイドショーを見ていて、重要文化財の釈迦如来像を借金の担保にした京都の寺院が取り上げられていたのと、今日解禁になったボージョレー・ヌーヴォーの騒ぎをみて、なぜか、お布施の理論を思い起こしました。