風にあおられ、急に勢いを増したり、消えそうになったりと、送り火のリレーはその都度大騒ぎでした。
5年前の母の新盆では送り火を運ぶため、にわか徒競走が始まりました。
「しっかり持って頂戴」と送られる当の母に叱咤激励されながらも、2度3度と順番が回ってくるに従い、風向きを配慮する余裕も出て、門口までたどり着いた時は、息を弾ませながら一汗かく始末でした。 円陣を組んで送り火を囲み、残り火が消えるまで、炎を見つめ、語らい、そのゆったりとした時間の流れと、母との新たな連帯感ができたような安堵感は、今でも思い出の中にしっかり刻み込まれています。 そんな新盆への思いを持つ者にとって、今年の降って湧いたような送り火騒動には戸惑うばかりです。 津波でなぎ倒された陸前高田の松で作った薪に被災者がメッセージを書き、京都の大文字送り火で燃やす計画が二転三転し、挙げ句中止されてしまいました。 当の被災者は置いてきぼりにされ、周りが空騒ぎした挙げ句、風評まで撒き散らしかねない有様です。 静かな祈りを捧げている地元の被災された方々のお気持をもう1度各人考えてみようではありませんか。