通過儀礼としての葬儀

 先日、久方ぶりにお会いした都内の葬儀社さんと情報交換をしたときのことです。おおむね次のようなことをお話されていました。

――――― 最近、都心での葬儀事情は異常なものがあります。直葬が増え、2〜3年前は3〜4割が直葬と言われていました。しかし今年のこと、ある業者は7割が直葬と言っています。それにともなって、通常の葬儀は少なくなっています。
 直葬は「直葬専門業者」が台頭。相当数をこなしています。ただし、一人で一日数件の直葬を掛け持ちしていますので、施行が荒くなったり、一つの火葬場に集中させたりして、中には問題もあるところもあるという声を聴きます。なんだか業界の質も低下してゆくような懸念をもっています。
 直葬が流行る背景には「宗教離れ」「道徳心崩壊」というものがあるように思います。この前、千葉の僧侶から連絡があり、講演の依頼がありました。趣旨は、直葬の急増に仏教界も危機感を覚えたこと、そして、「直葬では問題があり、後悔している人の話し等を聞かせて下さい・・・僧侶を集めて聞かせます」ということでした。危機感はどんどん広がっています。 ――――――

 誰にとって危機なのか? いま通常の葬儀がメインのところは危機感を持たざるを得ないでしょう。お寺さんにとっても活動の場が狭まるので危機。当センターにとっても直葬の相談はあまりないので今のままでは危機。反面、直葬専門業者にとっては追い風です。個人にとって直葬(の増加)は危機か? (問い自体にあまり意味がない??)
 
 社会にとってはどうでしょう。
 人間社会の長い営みの中から生まれてきた、いわば歴史の知恵と言ってもよい通過儀礼という視点からしますと、危機と言えなくもありません。