イベントとしての葬儀について

 「葬儀」のカテゴリーで前回取り上げたアンケートの回答のほとんどは、葬儀のイベント化に対する批判とも言えます。葬儀をすべて葬儀社に任せた結果がイベントになってしまうと言い換えてもいいでしょう。そして、葬儀が日常生活とはかけ離れた斎場で行われることが多くなることにより、非日常としてのイベント化をよりいっそう推進しています。

 依頼する側としても、日常の延長線上にないイベントのため、そういうものだと無批判に思い込んでしまったり、一般的な相場感覚を持ちにくいことや、冷静な判断を行いにくい精神状態のもとで契約しなければならないという状況があるとともに、世間並みに恥ずかしくないものにしたいという見栄がからんでくる場合さえあります。こうして葬儀社主導のイベントが強力に形作られていきます。

 ただ、ここでいくら それを強調しても意味はありません。では、どうすればいいのかということです。自分にひきつけてとらえれば、こう言い換えてもいいでしょう。よっぽど気をつけていないと、イベント化の流れに知らず知らずうちにのってしまうということです。つまり、このことを意識しているだけでも、たとえば見積書をみる眼も、葬儀社の担当者の話を聞く姿勢も大分違ってきます。

 ただし、あわてて付け加えて言わなければならないことは、イベントは悪い意味ばかりではないということです。アンケートにおいて「形式的」とか「不必要」と批判されていることでも、それは現代人の合理的とする見方からのことであって、歴史を経て伝わってきていることには、それ相応の意味があると考えたほうがよいということです。同じことをやっても形式的と捉えるかどうかは意味を理解しているかどうかの違いも大きいのです。とすれば、こうした、意味とか価値とかの話をしてくれる葬儀担当者の話は聞くに値すると思います。