ご自宅でのご葬儀が年々難しくなってきている昨今ですが、ご自宅以外でもお集まりいただいた皆様と旅立つ前の最後の晩餐会をこころゆくまでご一緒させてあげられたら。
そんな思いにさせられることがあります。
仕事柄、度々斎場でのご葬儀に立ち会いますが、ひとつの形式に則り静々と進行していくご葬儀を拝見していると、時としてなんとなく距離感を感じる場合が出てきます。
式場を知り尽くしている担当者が通夜に駆けつけた大勢の方々を見事に誘導されている、その手綱さばきには感心しながらも、場合によってはもっと雑然とした状況の中でのお別れの方が故人にとってお似合いなのでは、と勝手に想像する場面に出くわすことがあります。
お別れにお見えになられた方々はご焼香が終わると式場控室に場を移し、こちらで故人を偲びながらのお清めとなりますが、当の本人は式場の柩の中にぽつんと一人置いてきぼりにされたようで、傍から見ていても一抹のさびしさが感じられます。
かつて観た韓国の土俗的なお葬式の映画ではご会葬の方々が柩を囲み飲んで食べて歌い踊り、故人との一体感が感じられ、ハレの場として強烈な印象を残していましたが、日本でも地方によってはご自宅でのご葬儀でこれに似たような振舞いが行われていたように伺っています。
次第に形骸化されてくるご葬儀ですが、時にはご希望により昔ご自宅でされたような最後の晩餐を心置きなくしてあげる。
時にはそんなご葬儀があってもよいのでは・・・。
最近では式場での飲食を容認する斎場も少しではありますが増えてきているようです。
以前伺ったお食事会を兼ねたご葬儀では柩を除けば親しい友人が主催したパーティ会場という雰囲気でした。
柩の友にシャンパングラスを片手に語りかけ、友の好物に舌鼓を打ち、時には歌い、昔の思い出を語り合う。
50名余りの皆様はお互いに思いのたけを語り合い、長年の友をお見送りしました。