記憶に残る葬儀にするには…。

 つい先日、友人たちと数人で「5時間ランチ」をしました。みんな同年代で、子供の年齢も近く、話しは尽きることなく・・・・・で、5時間です。

 最近子供が生意気でしょうがない!どうしたらいいか、や、子供に怒っている時にかんでしまい、それがすごく悔しい!などの「母ならではのあるある」な話しや、自慢のカンタン(←この「カンタン」が大事です)おやつレシピなどの話しが続く中、仕事の話題から葬儀の話しへ…。皆、同年代ということは、その親もほぼ同年代なので、葬儀の事はやはり気になっているようです。
 そして、聞ける人がいるということからでしょうか、私がいると葬儀の話しになることが多いような気がします。

 この日に会った友人は皆、一度は葬儀を出した経験がありますが、もちろんその状況は様々です。

 このうちの一人、Aさんは、私が葬儀関係の仕事に携わっていることを知っていたので、私は義理のお母様の余命が宣告された時点から事前の相談を受けていました。葬儀について、一つ一つ説明し、自分達に必要なことは全て理解してもらったうえで葬儀に臨んだので、葬儀では義母様を見送ることに専念することができ、数年経った今でも病院でお義母様が亡くなった時点から、無事葬儀が終わるまでを今でも鮮明に覚えているそうです。

 もうひとりのBさんは、私と知り合う前にお父様を亡くされ、どこの葬儀社に依頼したらいいかもわからない状態だったので、入院していた病院に入っていた葬儀社さんにそのままお願いしたそうです。お父様が病院からどのように搬送されたのかも今では思い出せず、葬儀の打ち合わせでも、何をどのように決めたのか全く覚えていないとのこと。覚えているのは「遺影写真をどれにしようか、写真・・写真・・・・・」と、遺影写真ばかりに気を取られていたことくらいだとか。
 そして、葬儀が終わった後、お母様が、「祭壇が打ち合わせの時に話していたのと違っていた。」と言いだし、その後の葬儀社の対応にも不満が出てしまい、今でも後悔しているとのことでした。

 この話しを聞いて、やはり事前相談はした方がいいと、あらためて実感しました。
 そうでなくても大切な人が亡くなるということは遺された遺族にとっての悲しみは深く、気丈に振舞っていても動揺はあります。大事な話しでもつい、うわの空になってしまうことも少なくないと思います。
 個人の性格にもよることではありますが、「自分で理解している」と「いわれるがままに」では、葬儀で見送りに専念できるかどうか、また、後々の記憶の残り方にも大きな違いがでてくるようです。

 私を含め、彼女たちも、将来、また葬儀を出すことになります。その時に後悔しないように、私から吸収できることは全て吸い取ってもらい、きちんと見送ったと記憶に残してもらえればと思います。