「今日仕事で噂のiPadみましたが、あれは凄いです。書籍や新聞、雑誌の世界が変革せざるを得ないという衝撃を受けました。そのうち必需品になりそうです。iPhoneやツイッターの異常な広がり方といい、時代のうねりを感じますね。」
と、あるリサーチ会社の知人からメールをもらいました。
私はiPhoneもツイッターも使ってはいないのですが、時代のうねりの話は面白く、いくらでも聞きたい類のものです。
先日も、iPhoneユーザーの(二)さんに、iPhone向けのカーナビを見せてもらったのですが、現在主流のカーナビはどうなってしまうのだろう、と思わせるぐらいのインパクトがありました。リアルタイムで渋滞情報までわかるので、高価なカーナビは必要なくなるのでは?? (まだ、CDナビの車に乗っている私からすると、はるか上空の話ではありますが・・・)
いずれしても、変化のスピードがどんどん速くなっていく感じです。ただ、このスピードは時代のうねりの渦中に完全に巻き込まれていると、なかなか気づきにくいかもしれません。
「インターネット市場とEC事業」をテーマにしたセミナーに昨日出ていて、このことを改めて思いました。ここ10年ぐらいのインターネット市場とEC事業を概観する話もあって、大きく時代が変わってきていることは一目瞭然でした。
その時その時で小さな変化のように見えても、ある程度の時間的スパンでみると、ものすごい変化を成し遂げているという感じです。そして今後も加速していくだろうと思うと、面白くもあり、不安定でもあり、難しくもありです。
とはいえ、変化は多数の人が受け入れるからこそ起こり、変化するのはツールや道具、手段、方法なので、普遍的な考え方ができる人ほど、恐るるに足らず、となる気もします。
これは、デジタル分野の話題だけに特有のことではなく、変化のスピードの違いこそあれ、葬儀にも当てはまることだと思います。