団塊の世代が葬儀を変える・・・・。

 戦後の新しい世代として60年代のアイビー族を代表する団塊世代が定年を迎えるにあたり、世
間では第2の人生の活用法をあれこれ取り沙汰し、皆さんもまだまだやる気いっぱいのようですが、一転して家庭に目を向けると親の介護問題が重くのしかかっているのも現実です。
 厳しい介護にあけくれして、その果てに控える問題についてまでは思いが至らず、その場に直面し初めて事の次第を知ることになるようです。
 故郷を離れ、身近に昔からのしきたりを教えてくれる方も見当らず、親も高齢化で友人知人も少なくなり、どのように見送ってあげられるか戸惑っている方が多いのも実情です。
 しかし、その団塊世代の戸惑いが従来通りのやり方に疑問を投げかけ、暗中模索の中にも自分流を断固実行される方も出てきています。
 直接故人とは関係ない方々にはご遠慮願い、親しい方あるいは家族親族のみで静かに見送りた
いと希望される方がここ1~2年目立って増えているようです。
 中には、葬儀・告別式を行わずご家族だけで火葬に立会い、後日お別れ会を希望される方もいらっしゃいます。
 ご遺族が密葬、家族葬と希望されても当日予定の何倍かの会葬者になってしまう現実もありますが、それでも徐々に家族葬への認識がマスコミやインターネットを通じて広がっています。
 先輩たちがずっと引き継ぎ、世間とのずれに目をつぶってきた画一的な葬儀の世界にも団塊世代の方々が納得でき、自分達に見合ったやり方を実行できる環境が近
年の情報化とあいまって急速に整いつつあるように思われます。

 
  
 

思い出コーナー

 ご喪家のご要望で生前故人が愛用したものや趣味の作品、家族との思い出の写真を式場のコーナーに飾り、葬儀に出席していただいた友人知人に見ていただくことがよくございます。
 通夜や葬儀の始まる前、悲しみの中にもそのコーナーの周りはおしゃべりと時には笑い声さえ聞えます。
 生前、なかなかお会いできなかった故人との思い出が、1枚の写真を巡ってよみがえって来るようです。
 1枚1枚の写真はごく普通の家族のスナップ写真であっても、その時代に関わった友人にとって貴重な最後の1枚になります。
 
 昨年、ご喪家からいただいた礼状の中で思い出コーナーに触れたものも幾つかございました。
 なかでも、コーナーの作成を葬儀社のほうで全てやる場合と、ご家族の皆様に手伝ってもらい、少しでも自分達の葬儀である実感を味わっていただくやり方があります。
 頂いた礼状は後者の方でした。通夜の当日午後2時くらいから準備に入りました。
 
「母や妹夫婦と思い出コーナーなどをあれこれ準備しておりますと、親族の結束も深まるようで、また、展示した若き日の父母や、幼い私どもの写真を間に会葬者との話も弾み、親父がおれも話にいれてくれと話しかけてくるような心温まる葬儀になりました。」とのことでした。 

ご夫婦で事前相談

 年が明けてまもなく、「自分達夫婦のお葬式のことで」というご相談を電話で頂きました。
 今は2人とも健康ですが、高齢ですので、子供達のためにも準備をしておきたいとのことでした。
 以前、お母様を見送った時、駅から斎場までが遠くてお断りした経緯があるので、交通の便利な小田急線沿線の駅近くの式場がご希望とのこと。
 20年前に霊園墓地を購入済みなので本当は無宗教でも良い位。お墓もありがとうの文字で本名でやりたい位なんですとおっしゃっていました。
 他のことは質素に、ただ葬儀に来ていただいた方には、お料理だけは十分堪能してもらいたい。お返しも会葬者は身内だけですので、礼状とお清めのお塩で十分ですとのご要望でした。

 早速、家族葬を得意とする地元の賛同社に連絡して、見積りをお願いしてみました。
 ところがこの地域にはあいにく駅近くに民営の小規模貸斎場が見当りません。その旨で依頼者とのやり取りの後、結局火葬場併設の大和斎場での見積りをお出ししました。
 大和斎場は小田急線南林間駅からタクシーで10分余り。以前立会いで伺った時は1000円前後でした。
 依頼者の奥様から、早速ご主人の車で斎場を見に行きますとの連絡が入りました。
 その後、葬儀社の担当者と連絡をとり、先日大和斎場の下見に行かれたそうです。
 式場を見学され、見積りでは小ホールでしたが、「実際の時は2万円の差だから空いている式場何処でもいいわね」ということになったようです。
 式場が綺麗なのが気に入られ、骨壷も好みの青磁のものに変更され、大食漢のお孫さんのためにお食事をワンセット追加されました。
 ご自分達の目で確かめ、より具体的なことを一つ一つ決められ、これで安心しましたとお2人共とても晴れ晴れとした表情でしたと担当者は話していました。
 「こんなことがお話しになれるのも、お元気な証拠ですね」と思わず担当者が問いかけると「何しろ前に亡くなった母は100歳まで生きましたから」とお2人の笑顔が返ってきましたとの由。