エンディングノートの出番です。

「もう、勘弁してよ!今年88歳になるお袋が、月1〜2回の割合で、猛然と家の中の整理をすると言い出して、せっかく仕舞ってあったものまで取り出し、ビニール袋に詰め込み、家中足の踏み場もない状態で、困った。この間も家に帰ったら、ビニール袋の間に挟まって逆立ち状態でいたんですよ!」
 電話の向こうの知人の困惑状態が手に取るようです。

 「でも、お母様は一生懸命整理整頓されているおつもりなんだから・・・」あまり良い答弁ではなかったなと思いながらも、似たようなご家庭が、増えているのでは・・・と、思わず親ごさんと同居されている独身の友人、知人を思い浮かべてしまいました。

 お電話はまだお元気なこのお母様の万が一を考え、いざという時には良心的な葬儀社さんをご紹介してもらえるかとのお問い合わせです。

 「勿論、任せておいてください。事後、病院からご自宅に戻っても時間は十分ありますので、見積りのチェックをされてから、葬儀社さんをお決めになっても大丈夫です」

 ちなみに17年前に亡くなられたお父様のご葬儀代を伺うと、都心でセンターが取り扱っている同じ地区での平均の2倍以上の金額に、こちらもビックリです。
 急にお亡くなりなられたこともあり、町内会の方からお近くの葬儀社さんを紹介していただき、見積書もいただいていないので、言われるままにお支払いし、その金額が平均だと思っていらっしゃったとの由。

 矢張り、当時はこの世界がかなりどんぶり勘定だったことが改めて思い知らされました。

 お話はお母様のことから、ご自身のことに移り、アメリカ在住のお兄様は当てにならないから、後見人制度の利用も考えていらっしゃるとのことでしたが、それはもう少し先のこととして、まずはエンディングノートを書くことをお勧めしてみました。

 5〜6年程前から、エンディングノートの存在がクローズアップされてきましたが、存在は知っていても実際に書かれていらっしゃる方は意外に少ないようで、当方の周りも又然りです。

 1ヶ月程前に対応したご相談者の場合も、ご葬儀はどのようにされたいのかをお母様にお聞きになりたかったが、すでに病状が悪化し、お尋ねできない状態とのことで、1人っ子のご相談者はお母様のお気持ちを推測するしか手立てがなく、それでも担当者とご相談しながら決めて行かれたが、はたしてこれでよかったのか、ご不安が残ったとのことです。

 ご自分の最期はどのようにされたいか、思いやご希望をお伝えしておくだけでも、残された方は安心してお見送りができます。

 思い立ったが吉日ではありませんが、まずは書きたいところからでも始めてみましょう。

キリスト教葬

  今、写真集のページをめくっています。
 永年撮りためたモノクロームの世界が、鮮やかな色彩を感じさせ、力強く迫ってきます。
 この写真集は、昨日・3月3日のご葬儀の返礼品の一つです。

 お亡くなりになる数日前、最終チェックをされ、4月出版予定だった写真集は、急遽皆様にお渡しすることになり、ご当人もびっくりされているのではと、にわかに先輩の死が信じられないまま、告別式に参列させていただきました。

 3月は別れの季節とも言われていますが、女の子の節句が奇しくも、お別れの日となってしまいました。

 葬儀ミサでのパイプオルガンの重厚な調べと聖歌隊によるミサ曲が流れる中、頭上高いステンドグラスを見つめていると、ふと門外漢の当方も、先輩の死が少しずつ受け入れられるような気持ちになってくるのが不思議です。

 教会のステンドグラスは日の光により色が変化して、時刻を知らせる役割もあったとも言われ、外は今にも雨が降りそうな曇天にも拘わらず、鮮やかな色彩に彩られステンドグラスは、光輝いて見え、何かを包み込むようなやさしさが感じられました。

 花に囲まれたひつぎのお顔は、笑みがこぼれていると錯覚を起こす程穏やかで、教会の信者の方々も多数ご参列され、こちらの教会で洗礼を受けた先輩は、大勢のお仲間に囲まれての旅立ちとなりました。

 仕事柄、これまでご葬儀の立会いには、数多くお伺いしておりますが、参列者の立場に立ちますと、実体験として別な側面が垣間見られ、特に今回はカトリック教会でのお式でしたので、教会主導のもと執り行われ、葬儀社の担当者の方々は完全に後方支援にまわっているご様子も、よく観察させていただきました。

 また、1ヶ月程前になりますが、プロテスタントのお父様のご葬儀を、教会にこだわって執り行いたいと、深夜急なご要望をいただき、キリスト教会に詳しい葬儀社の担当者さんの計らいで、担当者さんの知り合いの牧師さんにお願いし、役員会に掛け、無事教会でのお見送りを致しました。
 後日、ご相談者からご丁寧な感謝のお言葉をいただきましたが、参列してみて、教会にこだわったご相談者のお気持ちがよく分かりました。

 先輩、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
 安らかに、御休みください。

ラストメイク

  先日、入院中のお母様の万が一を考慮して、ご家族ご親族を中心に、お世話になった町内会の方々と、ご自宅でのこぢんまりとしたご葬儀のお見積を、ご希望の方がいらっしゃいました。

 早速に賛同葬儀社の担当者からは見積りと見積りの補足説明書が届き、その補足説明の最後の1文「同じ女性として提案させていただきます」の言葉に思わず見入ってしまいました。
  
  「見積書には記載されておりませんが、メイクまたは湯灌を是非おすすめいたします。闘病後のお顔のやつれなども、安らかなお顔になりますし、矢張り女性ですので、最後の皆様とのお別れの前に、お風呂に入れて差し上げるのがよろしいのではないか」と、書かれた説明文を見て、急に8年前の母の最期の顔が浮かんできました。

 私事で恐縮ですが、臨終に間に合わず、駆け付けた時にはすでに母は実家のお布団の上でした。
 怖々そっと白い布をあげると、綺麗に薄化粧をほどこし血色も良く、今にもパッチリ目を開けて、にっこりしそうないつもの母の顔があり、思わずほっと安堵したことが思い出されます。

 親戚の者からも、一斉に最期の顔がよかったとお褒めの言葉をいただき、何気ないことが後々までも、事あるごとに語り草になるほどの、ラストメイクのインパクトの強さに、改めて驚かされたものでした。

 昨年、100歳の方のご葬儀では、担当者の気配りのある臨機応変な対応に、大変ご満足されたお礼状を、ご葬儀直後のお忙しい中頂きましたが、最後の1文に少し言いにくそうに「綺麗にラストメイクをしていただきましたが、少し綺麗になりすぎたようで、いつもの母とちょっと違ってしまいました」と書かれていました。
 プロのメイクアップアーティストにお願いしましたが、お歳を召しているからと言って、少々張り切りすぎてよそ行きのお顔になってしまったようです。

 普段のお顔で、それをいかにきれいに見せるか、プロの腕の見せ所ですが、一方でそれをすべて、ご家族の皆様の手で実現させるよう、提案している担当者もいらっしゃいました。

 ご喪家の方々にもご一緒に参加していただき、マッサージをほどこし、下地を綺麗にしてさしあげ、指導していくうちに、お孫さん達も亡くなられた方に対する意識の変化が見られ、ご遺体に対し、接し方も変わってくるとおっしゃいます。

 ラストメイクと言っても、門外漢には、たかがメイクとお映りかもしれませんが、ご家族や親しかった方にとってはされどメイクです。
 
 同じ女性として、私も提案させていただきます。

ご葬儀での形式とは・・・。

先日、ご葬儀の前にお伺いする場合、ご喪家にどのようにご挨拶すればよろしいでしょうかとのお問い合わせをいただきました。
 妹さんの御主人のお父様がお亡くなりになられ、明日ご自宅に手土産持参で弔問に伺いますが、喪主に当たられる妹さんの義母様には、どのようなお言葉を掛ければよろしいかとのご質問でした。
 故人様とは特に生前親しい間柄ではなく、むしろ面識もあまりなかった方ですが、納棺まで立ち会われるとのお話です。

 通常、納棺はご遺族やごく親しい近親者のみで執り行われることが多いと伺っておりますが、地方により、またそれぞれのご家庭のご事情もございますので、一律に面識が薄い方の納棺にまで立ち会う必要性を問いただす訳にもいかず、まずはごく一般的なお悔やみのお言葉をお話申し上げました。
 しかし、ご相談者はその後の具体的なお言葉が知りたいとのこと。

 一通りのお悔やみのお言葉の後は、その場の状況に立たないと難しく、親しい間柄でしたら、これから執り行われる通夜・ご葬儀でのお手伝い事を、お尋ねになられることもできますが、ご相談者の立場では、取り方によっては取って付けた様な言い回しになりかねないので、間に入っていらっしゃる妹様に後はお任せし、必要以上のお話を避け、ご喪家も大変な折ですので、長居はしないように気をつけることを申し上げました。

 ご葬儀のしきたりは色々ありますが、ご喪家側の受け取り方は様々だと思います。
 ご葬儀が円滑に進み、ご喪家に失礼の無いようにすることは大切ですが、ともすると、慣れないあまりに形式に捕らわれすぎてしまいがちではないでしょうか。

 ご葬儀ではご喪家のご挨拶に始まり、ご会葬御礼のお言葉まで、また弔問・ご会葬の方々のご挨拶等、様々なお言葉がございますが、心に残るお言葉は、必ずしも形式に則ったものとは限りません。
 以前立会いにお伺いして、今でも心に焼き付いている喪主のご挨拶もその一つです。

 ご出棺に先立つご挨拶の代わりに、長患いの末ご逝去されたご主人の病状を克明にお話された奥様の、これを話さずしてご葬儀は終わらないとばかりの迫力ぶりは、100名余りのご会葬の方々をその場に釘づけし、しばしの時間延長も忘れさせる程でした。

 お帰りになられる皆様の表情からは、一様に晴々とご納得されたご様子が伺え、端でご一緒にお話をお伺いした当方も、思わず大きな深呼吸をした思い出がございます。

担当者の裁量

  昨年末のご相談でしたが、お父様の病状が思わしくなく、万が一に備え、そろそろ準備を考えなくてはいけないが、初めてのことで、どうしたらよいかとのお電話をいただきました。

 お問い合わせに対し、まずは地域内にある当センターの賛同葬儀社さんより概算のお見積りをお取りして、それをご検討いただき、お時間がございましたら、是非お見積りをお取りした社の担当者と直にお会いされるよう、ご提案いたしました。
 
 そこで、詳しい説明や具体的な祭壇写真を見せていただきながら、同時に担当者の人となりにもふれられますので、安心してご葬儀に臨まれることをご説明したところ、その方法でとのご承諾を得て、お見積りをお取りするための必要な事項をお伺いし、翌日センターの説明書と共に、ご相談者のご要望で、郵送にてお送りする手筈になりました。

 ところが翌日、丁度投函直前に、ご相談者からお父様が今朝方急変され、先程お亡くなりになられたとの緊急のご連絡が入り、緊迫した空気に包まれながらも、お見積りをお取りした2社のご説明をして、結果よりご要望に近いと思われる1社のご指名をいただきました。

 何分にも急なことゆえ、即対応可能か確認をした後、担当者の方からご相談者にご連絡をしていただき、早速に病院にお迎えに上がり、搬送、ご安置、本見積りの打ち合わせとなりましたが、見積りをお送りする直前のご逝去で、ご相談者はまだ見積りを見ていらっしゃらない状況でした。
 担当者は作成した見積りをもとに説明をし、それに対してどのようにされたいかをじっくりご希望をお伺いしながら一つひとつ、懇切丁寧に、2日間かけてご相談者がご納得のいく形でお話を進められたとのこと。

 事前のご相談にしても、突然の変更や様々なご事情からマニュアルがあってもマニュアル通りにいかないのがご葬儀です。
 いかに臨機応変な対応ができるか、誠意がどこまで伝わるか、担当者の裁量に掛かってくるようです。

 ご葬儀後に頂くアンケートでも、誠意ある対応ぶりを、数多くご報告いただいております。
 ご事情でご指定の金額以上は難しいとおっしゃっていた方は「突然のことで途方にくれていたが、家族以上に誠意を感じ、笑顔でご相談ができました。あの式以上のものは金額を積んでもできなかったと思います。悔いの残らないご葬儀ができ、父も大満足してくれていると思います」。

 また、お父様が撮った短編映画を上映された方からは、担当者が毎日ご自宅まで足を運び、何でも相談ができコミュニケーションがとれ「曹洞宗に則りつつも、同時に和やかに故人を偲ぶ場にしたいという、意を正確に酌んでくださいまして、当日は完璧と言ってよい位にイメージ通りの葬儀を執り行うことができました」等々、枚挙に暇がありません。

無宗教葬の10年

最近はご葬儀の形態も徐々にではありますが、様変わりの様相を呈してきています。
 
 無宗教葬という言葉もごく一般的に使われるようになり、先日も事前のご相談で、お父様の万が一の時のご葬儀では、お母様のご要望で、柩を沢山のお花で囲み、お父様のお好きなクラシック音楽のCDを掛けていただく、無宗教葬をとのご希望がありました。
 但し、ご相談者がご心配なのは、ご葬儀の後でお母様から戒名は?お位牌が無い・・・などと言われないかとのこと。
 このことに関し、後ほどご相談者にご紹介した、葬儀社の担当者に伺うと、実際にそのような例はあるようです。
 無宗教葬でご葬儀をされた後、ご親戚から問われ、戒名が必要になり、担当者のお知り合いのご住職に事情を説明してお願いされ、お位牌も用意されたとのこと。
 但し、どこでもしていただける訳ではありませんので、そのあたりは事前にじっくりご相談されるようお話申し上げておきました。

 10年程前になりますが、無宗教葬という言葉が、都会生活の中で普段信仰心を持たず、ご葬儀の際に問われて、戸惑われた方々に注目され、センターにもお問い合わせを度々いただき、賛同社の担当者にお伺いしたことがありました。

 「お寺を呼ばないのが無宗教葬、何もやらないのが無宗教葬と勘違いされている向きがありますので、まずは無宗教に対してどのようなイメージを持っていらっしゃるのか」をお伺いして、アドバイスされるとのこと。
 但し、当時は、お話をお伺いしていくうちに、普通のご葬儀に変更される方がほとんどだったようです。
 お経代が高いとか、自分は宗教に関係ないとか、自身のことが先行されてしまっているが、ご親戚の手前を考え、後の人達のことを考えると、ご葬儀では戒名を付けないでお経のみにして、金銭的にあまり負担を掛けない方法があることをお話して、「雑誌やTVに感化されて自分の時はああやりたいと希望は確かにありますが、ご親戚とのお付き合いもあり、ご親戚のご理解がなければ、後々まで言われてしまいますよ。色んな事を考
えてお決めください」とアドバイスされるとのお話でした。

 丁度その頃でした。
 永年、都内でジャズ喫茶をやっていらっしゃった方のご葬儀に立会ったのは・・・。
 無宗教葬の音楽葬でという故人のたっての願いで、喪主の奥様は昔からのジャズ仲間を中心に、御兄弟・御親族の方々にお集まりいただきました。
 ジャズが流れる中、献花をしてゆっくり故人様とお話をされていた仲間の方々が、やがて感極まり、飛び入りで持参のトランペットを吹き、熱い思いは尽きないようでした。
 一方のご親族は式の始まるまで無宗教葬に難色を示し、特に故人のお兄様は大反対でした。
 しかしながらそのお兄様も、仲間の友情を目の当たりにして、ついに通夜の最後のご挨拶では涙ながらに、「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」と感激していらっしゃったそうです。
 翌日の告別式はご家族・ご親族のみのお見送りになりました。
 ジャズが静かに流れる中、お身内のおしゃべりが弾みます。
 30分遅れの献花に始まり、柩を囲んでの最後のご対面となりましたが、お式の間中しばしゆったりとした時間が流れ、後方で立会いに伺った当方も気持ちがなごみ、ご葬儀を忘れる程でした。
 火葬を待つ間のお食事会では奥様に向かって、お兄様のご挨拶から始まりました。
 「これからも、どうぞよろしくお願いいたします」
 その姿が印象的だったのが、昨日のように思い出されます。

新年の誓い

あけましておめでとうございます。
 昨年中は色々とお世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 今年は当センターも設立11年目に突入致します。

 「え!葬儀社さんのご紹介・・・」突然のお話をいただき、咄嗟に思い浮かべたご葬儀は父の葬儀、叔父の葬儀、従妹の葬儀、仕事関係の方の葬儀と片手で数える程で、当初直接関係者との接点はありませんでした。
 慌てて、ご葬儀に関する書物を読み、調べ、いきなり賛同葬儀社さんへ取材を試み、ご葬儀の現場に立会い、同時に斎場を取材し、関係者の皆様にイロハから教えていただいたのが丁度10年程前でした。

 十年一昔とは言え、当時の取材ノートをひもとくと、こちらの拙い質問に対し、担当者の熱血感溢れる回答ぶりから、仕事に対する真摯な様子が直に伝わり、昨日のことのように思い出されます。

 皆さん、異口同音に「我々は究極のサービス業であり、ご葬儀はご喪家との信頼関係の上に成り立つもので、ご葬儀の良し悪しは、始まる前の打ち合わせ段階で、あらかた決まってしまう程です」とまで言い切っていらっしゃいました。

 ご相談者が、この担当者だったら大丈夫との安心感を、ガチっと掴んでいただければ、よほどのことがあっても大丈夫とおっしゃる方。
 
 我々はアドバイザーであり、ご喪家が困った時振り向けば、いつでもそこにいてあげられる。サービスが行き届かなければ、なんにもならないとおっしゃる方。

 人の死という現実に慣れない当方は、熱い言葉に大いに勇気づけられました。

 ご葬儀の立会いにお伺いした折、それを実証するかのように、突然のアクシデントや、予想外のご会葬の方々にも慌てず騒がず、何事もなかったように無事お見送りされ、ご喪家の方々からの感謝のお言葉を受けている担当者に、内心拍手したものでした。

 10年経って、お身内やごく親しい方々のみのお見送りが多くなり、ご葬儀の形態に変化はあっても、担当者の心意気は変わらないばかりか、更にパワーアップしているようです。

 当方も負けずに、ご相談されたことで、皆様がご安心してご葬儀に臨めるように、アドバイザーとしてのより一層の飛躍を試み、学んで参りたいと、新年の誓いを新たにしたものです。

ベテラン担当者の出番です。

「お手紙に心に残る葬儀だったと書いて下さり、これで良かったのかなと悩んでいた私の気持が少し軽くなったような気がします。1人っ子の私でしたので、無事父を見送ることが出来、皆様のおかげだと感謝しています。ありがとうございました」
 担当された葬儀社の方からご葬儀の後にお手紙をいただいた、ご相談者からの報告です。

 また、お父様が以前撮られた短編映画を、ご会葬の方々にお見せしたご相談者からは「晩年の寝たきりに近い親父ではなく、若くて元気だった頃のイメージを持って偲んでもらうのが1番の狙いでした」と、意を正確に汲んでくれた担当者への、感謝の報告もいただいております。
 ご報告では「担当の方は自宅に毎日足を運んでくださり、コミュニケーションがよく取れて、何でもご相談ができ、当日は完ぺきと言っていいくらいにイメージ通りのご葬儀を執り行うことができました」とご満足されたご様子が語られていました。

 双方とも同じ方が担当され、その気配りのある対応に、ご紹介した当方も、思わず我がことのように嬉しく、ほっとさせられたものでした。

 ご葬儀はどんなに前もって準備をされても、いざその場に直面された時の心の準備まで推し量るのには、難しいものがあります。

 ご相談者のお気持ちを察し、どの様にされたいのかを汲み取り、さりげなくアドバイスをされたり、また、どんなことにも気軽にご相談に応じ、ご相談者の意とすることを正確にキャッチし、汲んでいただけるベテラン担当者の采配ぶりには、当方も日々感謝しつつ、大いに学ばせていただいております。

 年々、お身内やごく親しい方々のみでのご葬儀が増える中、今後益々この「ベテランの気配り」こそが、ご葬儀の良し悪しを決める大切なキーポイントの一つとなっていくことと思われます。
 ベテラン担当者の誠意ある対応ぶりを見ていたご親族の方が、「俺の時もここに頼もうかな」と、思わずつぶやいていらっしゃったとの報告もあるくらいですから・・・。

 今年も残すところ、後わずかになってしまい、私の担当も本年最後になりました。
 この1年、拙いブログにお目を通していただき、ありがとうございました。
 来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 少し早めになりますが、
 よいお年を!

幸せな思い出とは・・・。

「パーフェクトです。順調ですよ・・・」張りのあるお医者さんの言葉に、思わず笑みがこぼれます。
 私事で恐縮ですが、先日、目の手術をした後、翌日まで何となく違和感が残り、一抹の不安を感じながら診察を待っていましたが、お医者さんの一言で、急に霧が晴れたように気持ちも落ち着き、安堵いたしました。

 状況は異なりますが、普段ご葬儀のご相談を承り、ご不安を抱えたお問い合わせにお応えし、少しでもご安心していただけるよう対応している身にとりましては、ご相談者の不安と安心のお気持ちを、改めて認識させられた日でもありました。

 ご葬儀のご相談では、ご喪家としての経験をされたことのない方が大半を占め、どこから進めてよいのか見当も付かない、という方も多くいらっしゃいます。
 漠然としたお気持ちの中から、ご要望をお尋ねして、まずはポイントを少し整理させていただき、ご要望に適した賛同葬儀社さんを選び、お見積りをお取りして、ご紹介をした後は葬儀社さんの担当者さんに委ねる場合が多いのですが、担当者さんとのコミュニケーションもスムースに運び、安心してご葬儀に臨むことができましたと安堵のご報告も数多く頂いております。

 ご報告の中では、担当者さんの親切丁寧な対応は言うまでもなく、ご葬儀前のご不安な状況を察して、電話や手紙で励ましてくださったり、また、ご相談者と同じ目線で一緒になって考えてくださったり、時に心のよりどころとなってアドバイスをしていただけたりと、感謝の言葉が綴られています。

 中でも、当センターとご紹介した賛同葬儀社さんにご葬儀をお任せしたおかげで、その後は安心した気持ちのまま、お父様を最期まで看取ることができ、また担当者さんのきめ細やかな働きにより、温かい雰囲気の中で、お見送りすることができたとのこと。
 また、ご葬儀が終わって振り返ると、不思議なことにその間が「幸せな思い出」となっていることに気づかされ、今では、お父様の死に関わってくださった皆様へ感謝の気持ちでいっぱいです、とお忙しい中、早速にお礼のお手紙をいただいたことは、安心の言葉と共に、印象深く残っております。

皆様、おいでください。

  5年程前のご相談メールとその時頂いたアンケートのコピーを、時々手に取っては読み返しています。

 病院にて闘病中のお父様のご容態は、今すぐどうということではないが、お父様の為にもできるだけ慌てないで対処したいと思い、ご連絡をいたしましたとの文面から始まっております。
 
 お見舞いに日参しているお母様の身体を気遣い、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが、お父様の願いです。

 当初、万が一に備えてのご相談をされる一方で、病院に日参されているご自身の行動に、冷たい人間だ・・・という罪悪感を覚え、どこかでお父様を裏切ってしまったのではという思いまでされたとのことです。

 しかしながら、当センターとメールでのやり取りをして、ホームページを読み込んでいくうちに、やがてあらかじめ知っておくことが、ひいてはきちんと送ってあげることに繋がるのだと思うようになってきたと、心の経過報告をされていらっしゃいましたが、それでも一つだけずっと心に引っかかったままの状態があるとのことでした。

 センターのホームページの中で「ご家族だけでお見送りすることも大事だが、永年のお付き合いの中で、最後のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」とのくだりが頭の片隅にこびりついて離れずにいると述懐されていました。

 それでも幾つかの山場を越え、揺れる思いも、ご葬儀直前には「父には申し訳ありませんが、結局は私たちがどれだけその人たちの気持ちを受け止められるか、というような気がする」とのお気持ちに定まり、「お見舞いも拒否され、最期のお別れもできないなんて辛すぎる」とのご親戚からのお言葉に、「どうぞお願いします。来てください」と言えました、とのご報告をいただきました。

 ご親族の皆様が久しぶりに一同に会された通夜の晩、皆様で大広間に雑魚寝をされ、さながら合宿所のような様相を呈し、一晩が思い出深く心
に刻み込まれた気がして、お父様が皆様をより一層仲良くさせてくれた時間に思えたとのことです。

 「翌朝、バケツリレーのように、大広間に次々とお布団の山が築かれたのは、圧巻でした。全てが過ぎ去る前に気づけたお陰で、ご列席の皆様にも、家族にも一生の悔いが残らずにすみました。涙も笑いもあるご葬儀でした。ありがとうございます」との文面が最後に記されておりました。