ネットの情報だけを鵜呑みにせず、担当者とのコミュニケーションを大切に・・・。

 コロナ禍での非常事態宣言が延長される中、高齢者を対象にしたワクチン接種がやっと始まり、連日接種会場の様子がテレビに大写しされていますが、この状況がいつ迄続くのか、数字の上の統計だけでは難しいのでは・・・?

 そんな危惧をいだかせる昨今ですが、どんな状況下になっても人の寿命には限りがあり、時として死は待ってくれません。

 しかしながら、いつしか世間の風潮も災いし、御葬儀についてはアレルギー反応が示されたごとく静まり返り、昨今は通常の通夜を含めた一般葬を大っぴらに御相談するのも憚られるような空気までも蔓延しているとのこと。

 勢い、ご喪家本来のご要望があっても、ネットを通じて当たり障りない既製品で間に合わせるように決め、後悔先に立たずではないが、御葬儀後心に残るものが今一つ実感できないもどかしさを感じている方もいらっしゃると伺います。

 乗じて、中にはネットで見つけた低料金の葬儀社さんに決め、打ち合わせに入ったところが様々なオプションが加わり、総費用はかなりの高額になってしまい、慌てて当センターに救いを求めてきた方もいらっしゃいます。

 以前からやり直しがきかない御葬儀の良し悪しは、ご喪家・御葬儀担当者双方のコミュニケーションの取り方や、担当者がご喪家の事情を酌み、依頼者の立場に立ってアドバイスし、ご喪家のこだわりにどれだけ向き合えるかにかかってくるとまで言われてきました。

 又、ベテランの担当者の中には「葬儀社は究極のサービス業」とまで断言する方もいらっしゃいます。

 こんな状況下でこそ、御葬儀だけはネットの情報だけに頼らず、長年の経験をもとに臨機応変な対応ができる担当者の目配り・気配り・心配りのあるアドバイスに注目を・・・。

 

コロナ禍での梅供養とは・・・。

 部屋中にほのかな香りが漂っています。

 コロナに明け暮れている毎日ですが、季節は途切れることもなく、今年も気が付けば梅の季節がやって参りました。

 私事で恐縮ですが、半世紀近く前、生前の母が元気な頃植えた15本程の梅の木も成長し、もはや老木の域に達しております。

 律義にも毎年実を実らせ、母は知り合いの皆様にせっせとお配りしておりましたが、母の死後不肖の娘が後を継ぎ、といっても手入れは実家任せですが、今度は母の供養の為に・・・と称して友人知人にも配り始めました。

 その年に収穫した梅を使って保存食作りをする一連の作業を、特別に「梅仕事」という言葉で表すことも、その当時お配りした友人から教えられました。

 梅干し、梅酒、梅シロップ、梅ジュース、梅みそ、梅ジャムetc.

 梅仕事を通じてこの時とばかり、普段御無沙汰している友人知人からの近況報告が続々届き、お互いに新たな御縁も生まれます。

 ここ数年、不肖の娘は梅仕事の為と称して、時季外れのお墓参りを兼ねた帰省をして参りましたが、昨年来のコロナ禍の中ではお墓参りもままならない状況です。

 梅は実家から送ってもらい、今しばらくのお墓参りは断念しましたが、梅供養は場所を選びません。

 梅仕事をすることで母への供養が始まります。

 今年は梅ジュースに始まり、ジャム作り、完熟を待っての梅干し作りとなる予定です。

 母が元気な頃は、傍観者を決め込んでいた娘の変貌ぶりに、草葉の陰から見守る母は呆れているかもしれません。

 これも私流供養の仕方と張り切っているのですが・・・。

最期のお別れ

 五月の連休後、各地に緊急事態宣言が発令され、コロナ騒動も混沌とした状態が続き、人の心も疑心暗鬼の様相を呈している昨今です。

 御葬儀の世界も、コロナ以前の1年半前とは大分趣が変わってきました。

 しかしながら、御葬儀の形式・形体は変われども、お一人お1人最期のお別れの気持ちは同じです。

 以前御葬儀の立会いに、お伺いしたことが思い出されます。

 無宗教葬の式場では、ご会葬者が自由に時間を過ごしながらも、銘々が故人様ときっちり向かい合い、お別れしている空気が強く感じられました。

 葬儀社の担当者が喪主の方との打ち合わせで、第1に言われたことは「何もしないでほしい。無宗教葬ですので、献花する時間だけを取ってもらえれば、それだけでよい」とのこと。

 終始オペラのアリアが流れる中、お集まりの方々は一見三々五々おしゃべりに興じているようにも感じられ、喪主の方が時々お話の輪に入って、リラックスした雰囲気のままに30分が経過しました。

 30分後、お1人ずつの献花が終り、最期のお別れの儀ではゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。

 何もしないでひたすら故人様との最期の対話の時間を作ってあげるだけ。

 こんなひとときがあっても良いのでは・・・と思わされた御葬儀でした。

 御葬儀と言えば、1時間の中身が儀式で占められ、ご出席の方々もひたすらそれに従っているように見受けられた目には、新鮮に映ったものでした。

 先日、地方からのお電話で、東京近郊の施設に入居中のお身内の方が危篤状態ですが、万が一の際の御葬儀は直葬の形で結構ですので、葬儀社さんの方で執り行って頂き、御骨だけをご実家の方へお送りいただきたいとの御相談を頂きました。

 ご家庭のご事情は様々ですが、最期のお別れだけでも・・・。

 一抹の寂しさを感じた次第です。

今年も薔薇の季節になりました・・・。

 昨年来のコロナ禍騒動の中、季節は巡り、今年も鮮やか薔薇の花の季節がやってまいりました。

 ひとときの騒動を忘れさせる程鮮やかな薔薇の花は、昔から御葬儀に向かないお花とまでいわれてきましたが、昨今ではお花の種類に関係なく、献花は故人様のお好きだったお花で執り行われ、中でも最近は一本で様になる薔薇が使われる例が多くなってきたようにも思われます。

 穏やかなジャズが流れる中、棺を囲み静かなひとときが過ぎていきます。

 60歳で他界されたご主人の柩の蓋は鮮やかな黄色い薔薇で埋め尽くされていました。

 お歳と同じ60本の薔薇は、毎年奥様の誕生日に、お歳の数だけ薔薇をプレゼントし続けたご主人への、奥様からの最初にして最後の贈り物との事でした。

 又、以前お伺いしたパーティー形式での御葬儀では、ご喪家から「祭壇を造らず、棺の周りを白薔薇で飾り、進行も自分達で執り行いたい」とのご要望を頂きました。

 1日だけのお別れ会としてパーティー形式で執り行い、遺影写真も飾らず、一切のものを残さないとのご希望で、献花も柩へのお花入れも白薔薇で統一された中、最後奥様の手で一本の真紅の薔薇が手向けられました。

 ご出席の方々には、奥様の様々な思いが込められた真紅の薔薇は、ご主人からのメッセージを代弁しているかのようにも思われたとの由。

 その鮮やかさは、時を経た今でも目に浮かびます。

 毎年、薔薇の季節になると、薔薇好きの友人達と横浜イングリッシュガーデンにお目当ての薔薇の花を愛でに伺っておりましたが、緊急事態宣言が発令されたままの昨今では、伺っても気もそぞろになってしまいそうです。

 こちらの薔薇には、高貴な方やスターの名前が付けられていました。

 お目当てのイングリッド・バーグマンに会えるのはいつになるか・・・。

担当者はご喪家と同じ目線で、目配り・気配り・心配りを・・・。

 月日が経つのは早いもので、昨年来のコロナに気を取られているうちに、今年も早4分の1が過ぎてしまいました。

 ゴールデンウイークを控え、コロナ禍の中、様々な催しの中止、又は延期が取り沙汰されていますが、御葬儀だけは待ってくれません。

 お見送りは3密(密閉・密集・密接)を避け、出来るだけシンプルに、お身内だけで執り行う方向にシフトしていますが、しかしながら、御葬儀は各ご家庭で日常的に執り行うものではありませんので、専門の業者さんにゆだねる形になり、担当者の采配ぶりで、良し悪しの落差が出てしまうことも度々です。

 ある意味、担当者の目配り、気配り、心配り次第で、ご満足いただけるか否かが決定すると言っても過言ではありません。

 先日もすでに他社での御葬儀を決め、施行の準備に入っておりましたが、担当者の対応にご不満をもたれたお身内の方から御相談を頂き、改めて当センターがご紹介した賛同社にお願いする羽目になってしまいました。

 また、当初病院付きの葬儀社さんにご自宅への搬送をお願いされたが、ご逝去されたお父様への配慮が足りない雑な扱いに、お母様が心を痛めているご様子を、見るに見かねたご長男の方から、改めて葬儀社探しをされたいとのご連絡を頂いたこともございます。

 一方で、御葬儀後「特殊な状況下のもと、ご喪家の気持ちを理解していただき、同じ目線で一緒になって考えて頂けた」とのアンケ―トも頂いております。

 また、不安を抱え、ご喪家のお気持ちもなかなか定まらない中、1度に説明されてもご理解いただくのが難しい場合もあり、ご喪家にスケジュール表をお渡して、「必要なものを一つひとつ、いつまでに揃えるのか、また決める必要があるのか」等をその都度説明され、担当者の目配り・気配り・心配りで初めての御葬儀の難局を乗り越え、ホッとされたお気持ちが垣間見えるアンケ―トも頂いております。

 どんな時代になろうとも、お見送りする気持ちに変わりはありません。

後戻りはありません・・・?

 今日もテレビ画面から医療従事者の切迫した声が聞こえてきました。

 それに反し、一方で若者の他人事のような行動も相変わらず目に付きます。

 時短要請で飲食店から閉め出された若者達は、路上での飲み会を続行し、中にはマスク無しでラッパ飲みをしながら騒ぎ立て、周りの大人達のひんしゅくをかっても、我関せずの様子がテレビで大写しされている昨今ですが、当の若者達が最近はテレビを見ないという皮肉な現象も、世相を反映しているかのようです。

 昨年からのコロナ騒動は、世の中それぞれの分野での改革が余儀なくされつつある中、世の中の動きに大きな様変わりを見せる道具立てになっているようにも思われます。

 それは御葬儀の世界も、例外ではないようです。

 以前、菩提寺では通夜、葬儀、告別式の一連の流れに本義があり、いずれを省くことは理解しがたい、とまで言われ、1日葬や直葬は否定されていましたが、昨年来のコロナ禍をきっかけに、御葬儀も出来るだけシンプルに執り行う方向に舵が取られ、それと共に以前からくすぶっていた若い世代の檀家離れの現象と併せ、お寺サイドも最近では柔軟に1日葬の許可をせざるを得ない状況になってきたと伺いました。

 “お身内だけの少人数で、出来るだけシンプルに・・・”を合言葉に、昨年来の御葬儀も、内輪のごく親しい方々だけでのお見送りが、大半を占める様になってきています。

 この現象はコロナが蔓延している今の内だけで、コロナ終焉後はまた再び元の状態に戻るのではと、永年御葬儀の世界に携わってきたベテラン担当者に問いかけたところ、曰く、“この世界での後戻りはないですよ”とのご返事でした。

 コロナ終焉後、御葬儀はどちらの方向に向かうのだろうか・・・。

コロナ禍の中、担当者からの助言

 最近はコロナ禍のせいにして、あなた任せの御葬儀で済ませてはいませんか?

 コロナ終焉後、こんなはずではなかった。

 本当はこんなお見送り方をしたかったと悔やんでも、やり直しはききません。

 昔から「後悔先に立たず」とはよく言われていますが、今こそ、この言葉が当てはまるのは・・・。

 ネットで検索された御葬儀情報を鵜呑みにして、言われるまま葬儀社さんのレールに乗り、終了後の請求書をご覧になりビックリと言うケース等も以前から伺ってはおりましたが、昨年来のコロナ禍の中、更に御相談もままならない状況下では、ご要望も遠慮してほどほどにと忖度され、気が付いたら御葬儀は終わっていたというケースを最近よく耳にします。

 コロナ禍で状況によりやり方や方法は変われども、御葬儀の本質に変わりはありません。

 現在の情況下で、出されたご要望が難しければ、別な方法を提案し、条件に合った対応を可能にするのは、永年あらゆる局面を乗り越えて御葬儀に携わってきた、ベテラン担当者の心意気ではないでしょうか。

 現状が無理なら、別なこのような方法もある旨提案し、可能な限りご要望に近づける・・・。

 今こそ経験豊富なベテラン担当者の出番では・・・。

 以前、ご葬儀に立会いでお伺いした折にも、担当者に全幅の信頼を寄せていらっしゃるご相談者をお見かけしていると、双方のコミュニケーションの取り方がつぶさに感じられ、ご喪家のご要望に見合ったご葬儀になったのではと実感させられたものでした。

 また、御葬儀後のアンケ―トでも初めてのご葬儀をご不安の中、無事終えられ、ほっとされたお気持ちが感謝のお言葉として綴られております。

 「ボーっとしていたら(葬儀社に)いいようにされてしまった」とのお話はよく聞きますが、「ボーっとしていたら(依頼者である私共の)いいようにしてくださった」

「追加オプションを勝手に付けられた」とはよく聞きますが、担当者は「これは不要ですね」と削ってくださいました。

との文面に、ご紹介した者として、ベテラン担当者の心意気を感じたものでした。

 直葬で出来るだけ費用を抑えたい方からは「的確な助言、提案を頂き、オプションが用意されているものでも、自分達で準備ができれば費用も抑えられる等、葬儀社にとっては不利益であろう提案もしてくださり、有難かったです」と・・・。

御葬儀に間に合わない・・・。

 先日、特別養護老人ホームの成年後見人をされている方から、御相談を頂きました。

 担当されている方の中で、看取りの段階の方がお1人いらっしゃいますが、万が一の際、唯一ご連絡できるお身内の方は海外在住で、日本にいらっしゃらないとの由。

 情況は刻一刻と切迫してきていますが、コロナ禍の中、海外でのお仕事を中断するわけには行かず、また知らせを受けてすぐに、帰国できるかどうか微妙な段階とのことでした。

 後見人の方も初めての経験で、どの様な対応をしなければいけないのか、はたまた帰国できない場合は、後見人であるご相談者が御葬儀の対応をしなければならない状況になるが、その場合、どの様に対処すべきか。

 ご遺体の安置や、万が一の際の火葬の日取等の融通性などをお知りになりたいとの由。

 早速に小規模ですが、市内に安置所を所有し、臨機応変な対応が可能かと思われる担当者をご紹介させていただきました。

 御紹介した担当者からセンターにご逝去の報が届けられたのは、それから9日後でした。

 矢張り、お身内が他にいらっしゃらない一人息子様は、帰国の途につくことがかなわず、後見人の方が立会いでお見送りになられるとのことです。

 万が一、帰国可能でも羽田、成田からの公共交通機関の利用ができず、お出迎え頂けるお知り合いもいらっしゃらないとの由。

 コロナ禍の中では、帰国後2週間の移動も制限されており、唯一お身内である母様との最期のお別れもままならないのでは・・・。

お気持ちお察し、申しあげます。

 昨年来のコロナ禍の中、感染の有無だけで終わらず、気が付いたら、御葬儀の在り方や社会の仕組みそのものも変えて行ってしまうのでは、そんな危惧さえする昨今です。

コロナ禍の中、担当者の心遣いは・・・。

 「御紹介頂いた葬儀社様にお世話いただき、万事滞りなく、不安もなく、母を見送ることができました」。

 コロナ禍の中、事前の御相談を頂いた方から御葬儀後早速にお礼状を頂きました。

 「担当された社長様には親族の葬儀に参列したことのない私が困らないように、ご遺体の搬送から、斎場準備、葬儀の取り仕切り迄、色々ご配慮いただき、また、お心遣いいただきました。中でもうれしかったのは、遠方の菩提寺の御住職から読経を頂けたことです」。

 センターに御相談頂いた当初は、ご高齢で体力的にも大変な御父様のご意向を汲んで、直葬も考慮されていらっしゃるとのことでしたが、せめて読経で供養したいとのお考えに変わり、遠方にある菩提寺御住職にご連絡されて、ご相談者のご自宅(横浜)近くで1日葬の読経をお願いできるお寺の御紹介をお願いされたところ、菩提寺の御住職自らお越しいただけるとのご返事をいただきました。

 しかしながら、御家族だけの1日葬の為に、わざわざ遠方からお越し頂くのは心苦しくもあり、どうしたものか、早速にセンターが御紹介した担当者にご相談したところ「ここまで考えてくださっているなら、菩提寺の御住職にお願いしても良いのでは・・・」と勧められ、担当者のこの言葉で一気にお気持ちが楽になったとの由。

 「菩提寺からご導師様をお願いすることが出来、見送る側の家族として、とても心落ち着いたお式になりました」。

 永年特養ホームに入居されているお母様の状況が厳しくなり、万が一を想定した見積りをお取りになりたいとの御相談を頂いた17日後の御葬儀でした。

 御葬儀を執り行うのは初めての経験とのことで、御相談頂いた当初はどこからどの様に手を付けてよいものかもご不明で、ご不安との事でした。

 まずはご不安のご様子をお伺いし、早速にご要望を整理するところから始まり、土台になるお見積りを地元の賛同社からお取りし、ご説明いたしますと、お母様のお見送りの仕方がより鮮明になり、具体的なご要望もはっきりされてきたご様子で、再度御希望のお見積もりをお取りすることができました。

 御相談を頂いてから10日後、特養ホームからの御帰宅がかなわなかった、永年住み慣れたご自宅の近くをお通りし、安置先へと向かわれました。

「通夜ぶるまい」に癒された御葬儀は何処へ・・・?

 シャンパングラスを片手にお話が弾み、一見同窓会と見間違えそうな雰囲気と喪服姿が違和感なく共存していました。

 彫刻家だった故人様の大好きだったカザルスの演奏曲が流れる中、御葬儀は立食のパーティー形式で執り行われ、式場入口で頂いた白い薔薇を柩に献花した後、グラス片手にお料理を召しあがりながら柩の周りにお集まりになり、久しぶりの旧交を温めて、お話も弾んでおりました。

 喪主の息子さんの「長いこと、ご苦労様でした」の御挨拶に続き、ご会葬の皆様ご一緒に乾杯のご唱和でしめくくられました。

 又、ご高齢者が多いご葬儀では、通夜の読経とご焼香が終わった後、式場はそのままテーブルセッティングされ、祭壇と柩の前にテーブルがTの字に並べられ、お食事の用意が整い、棺に向かっての乾杯に始まり、故人も交えてのお食事会のような雰囲気が伝わってきました。

 お招きする側も、精神的・肉体的にも疲れ果てている時出会ったお料理に気持ちが癒され、立派に喪主を務める勇気が湧いてきたとおっしゃる喪主の方もいらっしゃいました。

 一方で、お式は出来るだけ質素に、その代わり、わざわざお越し頂いた方々には美味しいお料理で十分なおもてなしをされたい、とのご遺族の意向を汲み、意気に感じて、今までに60軒以上の仕出し屋さんを当たり、一軒一軒お味を吟味しながら、数年かけてやっと満足するお食事に出会えましたとおっしゃる担当者もいらっしゃいました。

 「通夜ぶるまいは沢山食べて頂くのが供養になりますので、ご焼香を終えられたご会葬者お1人お1人にお声を掛けて召し上がっていただきます」とは御葬儀担当者の弁。

 生死がはっきりしている魚や動物の肉料理に対し、野菜中心の精進料理が主だった通夜のお料理も、時代と共にいつの間にか故人様やご喪家のお好みのお料理に取って代わり、大皿に盛ったオードブルや寿司、てんぷら、煮物等が中心となり、御葬儀の関心を一身に集めて参りましたが、昨年来のコロナ禍のなか、感染防止の為と称し、通夜のお料理の大皿が消え、お一人様用のお料理に、また精進落としもお持ち帰り用の仕出し弁当に取って代わってしまいました。

 おもてなしの姿が消えたこれからの御葬儀、「通夜ぶるまい」のこだわりは何処へ・・・。