卒寿のお言葉

 11月11日テレビをつけると、作家で天台宗の尼僧・瀬戸内寂聴さんの訃報が飛び込んできました。

 享年99歳との由。

 謹んでお悔やみ申し上げます。

 最近はご高齢ながら、90代の方の活躍が目につきます。

 お料理教室の先輩も今年の春、卒寿のお祝いをしたところです。

 その先輩から先日卒寿に関するメールを頂きました。

 「とうとう90年を生きてしまったお祝いに、関係筋から卒寿の小冊子を頂きましたが、果たしてめでたいのか」

 と、申しますのも、最近は先輩・同級生と顔を合わせるのが稀になり、小学校・高等女学校・大学のクラス会は5年前が最後となってしまったが、それでも残り少ない大学時代の同級生とは3ヵ月に1回ランチをしていることを句会で披露したところ、2人では囲むにならないと揶揄されてしまわれたとのこと。

 かつての友人達も高齢者施設入居、車椅子,介添え人付きとなると次第にお会いするのもおっくうになり、コロナ禍の昨今では手紙とはがきを送りまくり、それでも用事を済ませた後、毎日のお使いは欠かさずに、1日平均5000歩~6000歩は確保しているとの由。

 お誘い頂くのは後輩ばかりとなりましたが、お誘いいただけることの幸せを昨今は身に染みていらっしゃるとのお言葉です。

 戦後初の女性管理職を歴任されて、80代後半までは海外出張も何のその、たくましい人生の先輩です。

 その先輩も昨今の風潮に対して、日本に住むからには噴火・地震・津波・台風は覚悟の上。

 コロナ禍は人災半分で、後手後手に回った政府、孤独に耐えられない若者・子供にとって目先の楽しいことばかりがあり過ぎた時代が長すぎた結果では・・・と。

 戦後の厳しい時代を体験され、喜怒哀楽・栄枯盛衰を噂ではなく、現場で見てきた先輩のお言葉です。

 まだまだ、現役で後輩を叱咤激励されている姿に安堵しました。

 また、ご連絡させていただきますので、こちらこそよろしくお願いいたします。  

ジャズとコロナと御葬儀と・・・。

 今年も残り早2ヵ月を切る季節となって参りましたが、季節感が薄れ、相変わらずコロナ一色の中で右往左往する毎日が続いています。

 街路樹も色づき、街中をジャズの音楽が流れ、各地でフェスティバルが開催される季節ですが、自粛ムードが定着し、生活の中からいつの間にか、音楽が遠のいてしまった感は否めません。

 御葬儀とジャズ、一見関わりが無いような組み合わせですが、以前お伺いした無宗教葬でのジャズメン達の熱い演奏ぶりがこの季節になると鮮烈に蘇ります。

 都内でジャズ喫茶を経営し、お仲間達とジャズの演奏をされていたご主人のたっての願いで、喪主の奥様は御主人のご兄弟の大反対を押し切って、無宗教葬での音楽葬を執り行いました。

 通夜の間中、ジャズの音楽が流れ、往年のジャズ仲間が多数お集まりになり、懐かしい写真や作品に触れ、思い出話に花を咲かせておりましたが、お仲間のお1人が感極まって持参されたトランペットを吹き始めると、他のお仲間達も我先にご自分の楽器を手にされ、ご一緒にスイングされて、気が付けば式場はいつの間にか演奏会場に早変わりし、皆さんご自慢の楽器を手に思いのたけを奏でて、お見送りされているご様子でした。

 大反対をされていたお兄様も、気が付けば、弟さんの御自慢だった楽器を手に、ご一緒にスイングされていらっしゃるご様子です。

 翌日の告別式ではあれだけ反対されていたお兄様が「こんな素晴らしいご葬儀は初めてだ」と号泣され、これからも末永くお付き合いを・・・と告白され、ご出席のお仲間達も、思い出深いご葬儀にご納得されたご様子でした。

 コロナに翻弄される昨今ですが、秋の深まりと共に、ジャズの音色が思い出される季節はいつになるのでしょうか・・・。

笑顔の力

 昨年来のコロナ禍の中、1年遅れのオリンピック、パラリンピックも無事執り行われ、気が付けば9月も半ばに差し掛かり、世の中の状況も以前とは大分趣が異なって参りました。

 次々と繰り出される新たなコロナに振り回され、対策も後手後手に回り、世の中の空気も一変し、毎日発表される患者数や重症者数に一喜一憂する日が続いています。

 そんな中でも季節は廻り、来週は敬老の日と彼岸の入りが重なって、早くも秋の気配が漂って参りました。

 10年ほど前の敬老の日、東京郊外の特養老人ホームでの光景は今でも思い出す度、熱いものがこみ上げてきます。

 青空の下、ホームの広場で数十人の若者たちが勇壮活発に和太鼓と格闘しながら飛び跳ね連打している姿に、周りを囲んでいる車椅子の方々は半世紀以上前のかつての自分と照らし合わせ、なんとかして一緒に参加は望めないか。しかしながら、現在のご自身の身体をおもんぱかると・・・。

 そんな想いが広場中に広がり、次第にじりじりした空気が張り詰め、前に進めないもどかしさが手に取るように伝わってきました。

 と、その空気を察したのか、戦前から音楽の世界に身を置き、当時ホームにお世話になっていた友人が、連打する太鼓に我慢しきれず、車椅子から身を乗り出して、タクトを振り始めました。

 いつの間にか、気が付けば周りの車椅子の方々も、友人の姿に呼応するかのように身を乗り出して、今にも車椅子からはみ出さんばかりに各々欣喜雀躍の様相を見せています。

 和太鼓の若者と車椅子の老人たちのコラボはやがて一体となり、どこまでも続く青い空に吸い込まれていくような空気が辺りに漂ってきました。

 やがて、久しぶりに思いっきり体を動かした老人の方々の笑顔は晴々とし、どのお顔も生きる力がみなぎっているように思われました。

 コロナ禍の中、何時になったらあの笑顔に又お目にかかれるのでしょうか・・・。

意識の垣根

 コロナ禍の中、開会直前まで危ぶまれていた東京オリンピックが無事終了し、8月24日からは身障者の方々によるパラリンピックが開催され、日本勢は早くも水泳部門で14歳の少女がメタルを獲得するさい先の良いスタートが切られました。

 選手の方々が自己のハンディをものともせず挑戦する姿勢が新鮮で、テレビ画面に思わず見入ってしまうほどの迫力が、直に伝わってきます。

 日本人は昔から特に自分が健常者であることを意識した途端に、ハンディのある方達に対して、ついどこか後ろめたさを勝手に感じ、何々をして差し上げるんだと意識の垣根を作ってしまいがちですが、目の前で展開される競技を観戦しているうちに、いつの間にかわだかまりも消え、共に応援し共存する自然な姿が垣間見られる様になってまいりました。

 大分昔のお話しになりますが、ドイツの小都市ワイマールでの小さな出来事が思い出されます。

 マーケットで買い物をしていると、突然車椅子のオジサンにあれを取ってくれと呼び止められました。

 その指図の仕方が余りに自然で、気が付くといつの間にかオジサンの脇で一緒に買い物をしていました

 日本ですと、障害を持った方にはお手伝いをして差し上げなくては、との意識が先に立ってしまいがちですが、オジサンのあまりに堂に入った自然な振る舞いに巻き込まれ、我ながらびっくりしたものでした。

 同時にちょっぴりうらやましくもありました。

 日本にもいつかこんな社会が来るのだろうか。

 あれから数十年、パラリンピックを拝見しながら、今こそそのチャンスでは・・・と。

 今年こそ日本人の意識改革の時では・・・。

 日本人は昔から無から有を生ずるのは苦手と言われますが、コロナ禍の中という制約された中での意識改革は、ある意味日本人の得意とする分野でもあるのだから・・・。 

パラリンピックとバレエ「瀕死の白鳥」

 東京オリンピック閉幕後もコロナ禍は衰えることなく、更なる拡大を続ける中、来週からはパラリンピックが開催され、12日間の幕が切って落とされます。

 一時は小中学生の観客動員も考慮され、賛否が問われていましたが、拡大の一途をたどるコロナ禍の中、ワクチン未接種の子供達を守る為と父兄からの猛反発が起こり、結局先に執り行われたオリンピック同様に無観客での運びとなりました。

 本来でしたら、無言で子供たち一人一人に訴えかける最上の情操教育の一環となるはずでしたが・・・。

 夏休みは通常ですと子供たちにとってお稽古ごとの発表会やフェスティバルが目白押しの時期でもあります。

 しかしながら昨年来のコロナ禍の中、生で見る舞台は中止の一途をたどり、残念の一言です。

 映像と違い、目の前で繰り広げられる生身の人間の活躍ぶりは、色々な意味で幼心にも強烈な印象となって残る筈でしたが・・・。

 数年前、夏休みの「バレエフェスティバル」で見た光景は今でも脳裏に焼き付いています。

 久しぶりの生身の公演に興奮を覚えたのか、当初手拍子足拍子を交え、通常のバレエ公演と思えない程乗りに乗っていた子供たちが、先程とは打って変わって静まり返り、いつの間にか目を皿の様にして見入っていました。

 傷つき死を目前にした1羽の白鳥が、最後まで必死に生きようともがき苦しみ、力尽きるまでを描いただけの小品「瀕死の白鳥」は子供たちの柔らかな心にどの様に映ったのでしょうか。

 ある意味、生きることの意味が本能的に伝わり、最後舞台に突っ伏した白鳥に惜しみない拍手を送る子供たちの横顔が、パラリンピックでも見られるのではと期待したのですが・・・。

コロナ禍の中、残暑お見舞い申し上げます・・・。

 8月に入り、異常なまでの炎天下が続いたかと思えば、一転して局地的な集中豪雨と目まぐるしい天候異変の中、コロナ禍は更に拡大され、お盆の帰省も自粛が要請される昨今ですが、テレビに映し出される帰省客は弁解をしながらも、どこかいそいそとしていらっしゃるご様子が否めません。

 今年の帰省はご遠慮下さいとのお達しも、なかなか浸透するまでにはいかないようです。

 せめて久しぶりの故郷でのご親戚一同、クラス会一同等の集まりだけは避けてほしいものです。

 今、私の手元には1枚の絵はがきがございます。

 「遠い夏の日」とタイトルがつけられた絵葉書には、10年程前、先に御相談されたお兄様の御紹介で、ご自身の万が一の際は当時まだ珍しかった直葬を御希望になり、お見積りをお取りした方の若き日の自画像が描かれています。

 お手紙のやり取りの中、当初漠然とされていたご自身のお気持ちも次第に定まり、「その時はすでに1生が終っており、私自身何一つ携わることが出来ないはずなのに、客観的に冷静に考えて妙にすっきりしました。その時期がいつになるか分かりませんが、いつか必ずお世話にあずかりますこと・・・」と絵葉書には記されています。

 絵葉書の少女の御希望は「万が一の際は火葬場に直行し、無宗教で家族に見守られて見送ってもらえれば・・・。お墓は20年前主人が亡くなった際、川口湖近くの霊園に購入済み・・・」との由。

 あれから幾年かの歳月が過ぎましたが、今年も後を託された息子さんからのご連絡が無いことを祈りながら、ひとり絵葉書に見入っております。

 絵葉書は真夏の太陽の下、背丈以上もある赤と黄色のカンナの花咲く中を白い服の少女がスケッチブックを片手に毅然と前を見据えて佇んでいます。

コロナ禍での梅供養とは・・・。

 部屋中にほのかな香りが漂っています。

 コロナに明け暮れている毎日ですが、季節は途切れることもなく、今年も気が付けば梅の季節がやって参りました。

 私事で恐縮ですが、半世紀近く前、生前の母が元気な頃植えた15本程の梅の木も成長し、もはや老木の域に達しております。

 律義にも毎年実を実らせ、母は知り合いの皆様にせっせとお配りしておりましたが、母の死後不肖の娘が後を継ぎ、といっても手入れは実家任せですが、今度は母の供養の為に・・・と称して友人知人にも配り始めました。

 その年に収穫した梅を使って保存食作りをする一連の作業を、特別に「梅仕事」という言葉で表すことも、その当時お配りした友人から教えられました。

 梅干し、梅酒、梅シロップ、梅ジュース、梅みそ、梅ジャムetc.

 梅仕事を通じてこの時とばかり、普段御無沙汰している友人知人からの近況報告が続々届き、お互いに新たな御縁も生まれます。

 ここ数年、不肖の娘は梅仕事の為と称して、時季外れのお墓参りを兼ねた帰省をして参りましたが、昨年来のコロナ禍の中ではお墓参りもままならない状況です。

 梅は実家から送ってもらい、今しばらくのお墓参りは断念しましたが、梅供養は場所を選びません。

 梅仕事をすることで母への供養が始まります。

 今年は梅ジュースに始まり、ジャム作り、完熟を待っての梅干し作りとなる予定です。

 母が元気な頃は、傍観者を決め込んでいた娘の変貌ぶりに、草葉の陰から見守る母は呆れているかもしれません。

 これも私流供養の仕方と張り切っているのですが・・・。

今年も薔薇の季節になりました・・・。

 昨年来のコロナ禍騒動の中、季節は巡り、今年も鮮やか薔薇の花の季節がやってまいりました。

 ひとときの騒動を忘れさせる程鮮やかな薔薇の花は、昔から御葬儀に向かないお花とまでいわれてきましたが、昨今ではお花の種類に関係なく、献花は故人様のお好きだったお花で執り行われ、中でも最近は一本で様になる薔薇が使われる例が多くなってきたようにも思われます。

 穏やかなジャズが流れる中、棺を囲み静かなひとときが過ぎていきます。

 60歳で他界されたご主人の柩の蓋は鮮やかな黄色い薔薇で埋め尽くされていました。

 お歳と同じ60本の薔薇は、毎年奥様の誕生日に、お歳の数だけ薔薇をプレゼントし続けたご主人への、奥様からの最初にして最後の贈り物との事でした。

 又、以前お伺いしたパーティー形式での御葬儀では、ご喪家から「祭壇を造らず、棺の周りを白薔薇で飾り、進行も自分達で執り行いたい」とのご要望を頂きました。

 1日だけのお別れ会としてパーティー形式で執り行い、遺影写真も飾らず、一切のものを残さないとのご希望で、献花も柩へのお花入れも白薔薇で統一された中、最後奥様の手で一本の真紅の薔薇が手向けられました。

 ご出席の方々には、奥様の様々な思いが込められた真紅の薔薇は、ご主人からのメッセージを代弁しているかのようにも思われたとの由。

 その鮮やかさは、時を経た今でも目に浮かびます。

 毎年、薔薇の季節になると、薔薇好きの友人達と横浜イングリッシュガーデンにお目当ての薔薇の花を愛でに伺っておりましたが、緊急事態宣言が発令されたままの昨今では、伺っても気もそぞろになってしまいそうです。

 こちらの薔薇には、高貴な方やスターの名前が付けられていました。

 お目当てのイングリッド・バーグマンに会えるのはいつになるか・・・。

後戻りはありません・・・?

 今日もテレビ画面から医療従事者の切迫した声が聞こえてきました。

 それに反し、一方で若者の他人事のような行動も相変わらず目に付きます。

 時短要請で飲食店から閉め出された若者達は、路上での飲み会を続行し、中にはマスク無しでラッパ飲みをしながら騒ぎ立て、周りの大人達のひんしゅくをかっても、我関せずの様子がテレビで大写しされている昨今ですが、当の若者達が最近はテレビを見ないという皮肉な現象も、世相を反映しているかのようです。

 昨年からのコロナ騒動は、世の中それぞれの分野での改革が余儀なくされつつある中、世の中の動きに大きな様変わりを見せる道具立てになっているようにも思われます。

 それは御葬儀の世界も、例外ではないようです。

 以前、菩提寺では通夜、葬儀、告別式の一連の流れに本義があり、いずれを省くことは理解しがたい、とまで言われ、1日葬や直葬は否定されていましたが、昨年来のコロナ禍をきっかけに、御葬儀も出来るだけシンプルに執り行う方向に舵が取られ、それと共に以前からくすぶっていた若い世代の檀家離れの現象と併せ、お寺サイドも最近では柔軟に1日葬の許可をせざるを得ない状況になってきたと伺いました。

 “お身内だけの少人数で、出来るだけシンプルに・・・”を合言葉に、昨年来の御葬儀も、内輪のごく親しい方々だけでのお見送りが、大半を占める様になってきています。

 この現象はコロナが蔓延している今の内だけで、コロナ終焉後はまた再び元の状態に戻るのではと、永年御葬儀の世界に携わってきたベテラン担当者に問いかけたところ、曰く、“この世界での後戻りはないですよ”とのご返事でした。

 コロナ終焉後、御葬儀はどちらの方向に向かうのだろうか・・・。

バースデイケーキと御葬儀の関係は・・・。

一都三県の緊急事態宣言以来、先輩の卒寿のお祝いも延び延びになっておりましたが、先日久しぶりに内輪でのお祝いをさせて頂きました。

まだ現役でお仕事をされており、御忙しい合間をぬって多彩な趣味に没頭されている姿を見るにつけ、後輩たちはその元気な源を探ろうと躍起になる始末です。

バースデイケーキの上には90本ならぬ、9本の蝋燭が灯され、早くも10本の蝋燭が待ち遠しく思われる程のお元気なご様子を拝見し、日頃の体調不調を嘆いている後輩達にとっていい刺激剤となったようです。

この世に生を受けてから最期まで、人生の様々な場面に登場するバースデイケーキは諸説様々ありますが、中には古代ギリシャの時代から受け継がれている説もあり、願い事を発しながら、息を吹きかけローソクの火を消すのがならわしとの由。

白寿に向けて先輩は何を祈願されたのだろうか。

以前、都内の下町商店街で永らく魚屋さんを営んでおられ、ご自身のお誕生日3日程前に病院でご逝去された方の場合は、ご葬儀まで10日間ほどあり、御家族のたっての願いで最期のお誕生日をご自宅でお迎えになられました。

ご自宅に戻られた柩の脇には早速に大きなバースデイケーキが用意され、お誕生日までの3日間は商店街のかつてのお仲間達が随時お集まりになり、夫々最期のお別れをされたとの由。

御葬儀担当者は少しでも皆様の思い出になるようにとケーキを写真に撮り、棺脇に飾り、本物のケーキは柩の中に収められました。

ご喪家にとって初めての御葬儀で、お気持ちの余裕がない中、担当者のちょっとした気遣いに、ご喪家の方々も大いに感激されたご様子で、御葬儀後のアンケートでも、感謝のお言葉を頂きました。

「その節は色々お世話になりました。担当者の方は最初から最後まで私達遺族の立場に立ち、ちょっとしたことでも親切に対応して下さり、父も幸せでしたし、私達遺族も素敵な御葬儀で父を送れて幸せでした」。