最期

 「見積りはファックスか、郵送どちらにしましょうか」
 「お母さん、どうしよう。ファックスの方が早いわよね。じゃあ、ファックスでお願いします」

 事前相談とはいえ、電話口の方の受け答えにはまだ、余裕さえ感じられました。
 数時間後、その見積りが必要になるとは御家族どなたも想像さえできなかったのでは・・・。

 ご葬儀の相談をしていると、このようなことが度重なって起こることがあります。

 中には御本人様の体調が安定してきたので今日退院され、ご自宅に戻られたのでご相談の続きをされたいと、半年ぶりに依頼者のお嬢さんからメールを頂いたその晩、急変され旅立たれた方もいらっしゃいました。

 「私も本当にびっくりいたしましたが、あさがおさんとは何か見えない糸で繋がれている様な不思議なご縁を感じました」
 後日、お嬢さんからご葬儀のご報告と丁重な御挨拶をいただいたのは、言うまでも有りません。

 また、ご自身の最期を感じ取り、側から見ればお元気そうなのに、ご自身のご葬儀の相談をされ、1ヶ月後、後を任されたお兄様からご連絡をいただき、にわかに信じられない思いにさせられたこともありました。

 当方とはメールでのやりとりでしたが、あまりに落着いたしっかりした文面に、時としてどなたのご相談でしたっけ・・・と、思わず読み返してしまうほどでした。
 
 葬儀社の担当者は1週間前にお会いして綿密なご相談をされたばかりとのことで、笑顔が思い出され、同年代として思わず込み上げてくるものありますとしみじみおっしゃっていました。

 人間、一人ひとり、最期っていつ来るのでしょうか。

 東日本大震災から間もなく半年が過ぎようとしています。
 今年の夏は「寿命」のことが走馬灯のように、いろいろと思い巡らされました。

もっと知りたかった、母の歴史を!父の歴史を!

 「父の知らない一面を知ることが出来ました。有難うございます」
 青春を共に過ごした旧友達から、一斉に思い出話を聞かされて、家庭の父とは別の顔を持つ父が存在していたことに、喪主の息子さんは初めて気付かされたようです。
 
 ご葬儀の御挨拶ではこんな場面を幾度となくお見受けします。
 気が付けば、親とは改めて向かい合って、話し合ったという記憶がない方が多いのでは・・・。
 まして、どのように生き、どう死にたいのか、最期をどう迎えたいのか生前にご両親とじっくり話し合われた方は少ないのではと思われます。

 後になって聞きたかったこと、知りたかったことが山ほど出てきます。
 お元気なうちに意識して機会を作り、じっくり話し合っておきましょう。

 先日観たメキシコ映画「グッド・ハーブ」では、それまで母とはお互いに距離を置いて生活していた娘が、若年性アルツハイマーと診断された母との人生を振り返り、残された時間を共に過ごして行くことになりました。
 濃密な時間の流れの中で、やがて植物学者である母の望む生き方に気付き、母の最期を迎えることになります。

 映画のキャッチコピー「もっと知りたかったあなたのことを!母の歴史を・・・」をそのまま皆様にお裾分けしたい気持です。

 てもとの新聞を広げると、商品のインタビュー記事が目に付きました。
 「ビデオカメラを買ったら、お子様よりもお父さんお母さんを撮ってください。かけがえのない贈り物になりますから」と・・・。

明るく包み込むような安心感。

 以前セミナーで「出会った第1印象は相手の脳裏に1年も残るので、その影響は大きく、しかも出会って3秒~5秒が勝負になります。電話でも感じが良いなと脳裏に残るのは最初の2~3秒で決まります。まずは隣の席の方と10秒間、自己紹介してみてください」と突然言われ、面食らったことがありました。

 また、「人は見た目が9割」というベストセラー本も話題になり、益々相手にどう受け止められているか不安材料が増す世相になってきているようです。
 
 究極のサービス業とも言われている葬儀社の担当者の印象もご喪家の満足度の高さに大きな影響を与えています。
 そんな中、担当者の中でも特にアンケートや人づてで評判の良い方は最初にお会いした印象が驚くほど似ていることに気が付きました。
 皆さん、年齢・姿は違えども依頼者やご喪家との最初の出会いで、明るく包み込むような安心感を抱かせていらっしゃるようです。

 心が不安定な中で、一番頼りにする担当者の第1印象は強烈です。
 その極意をあるベテランの担当者は短い時間でいかに懐き懐かれるかに掛かっていると話された。

 カルチャースクールの講師をしている知人が最初の授業でびっくりしたことは、中高年の生徒さん全員が口をへの字に曲げて御挨拶もされない姿だったとのこと。
 思わず我が身を振り返り、以後必ず鏡の前で口角を上げ、にっこりしてから家を出るようにしているとのこと。
 
 ベテラン担当者の域に到達するのは難しいが、私も鏡に向って口角を出来るだけ上げ、スマイル動作からなら始められそうです。

最期のお花はなににしましょう…

 垣根越しに咲き乱れているお花が一年で一番綺麗な季節になりました。
 先日も知人宅のお庭で丹精込めて作られた薔薇の香に包まれながら、お茶をいただき、至福のひとときを過ごしました。

 お花は人の心にいつしか安らぎを与えてくれているようです。
 人は誕生から最期まで何時でもお花と寄り添って来ています。
 最期の最後までご縁が切れません。

 ご葬儀の立会いに伺った折にも、柩いっぱいの花びらに囲まれるとお顔は一段と明るく見え、今にもパッチリ目を開かれるのではと、ドキッとさせられることもしばしばでした。
 最近ではご葬儀で故人様のお好みのお花を指定される方も増えてきました。
 色を指定される方、お花の種類を指定される方それぞれですが、仏式だから薔薇はダメとかの基準も、最近ではお好みのお花が優先されるようになってきたようです。

 母の日近くには真っ赤なカーネーションを出来るだけ沢山、また大好きな胡蝶蘭を、忘れな草を、カスミソウをアレンジしてとご指定が入ります。

 中でも無宗教葬の方のご葬儀は印象的でした。
 祭壇を作らず柩を白薔薇で飾り、献花もお花入れも全て白薔薇で統一し、最後に奥様だけが真紅の薔薇一輪を手向けました。
 その鮮やかさが今でも目に浮かびます。

 また、石楠花寺として異名のあるお寺の会館では朝採りの石楠花を惜しげもなく、柩に手向けているとのこと。
 チベットのブータンから持ってきた石楠花は仏の花として思いがけないプレゼントにご遺族も大喜びだそうです。

 今度、エンディングノートに書き留めておこう。
 最期のお花は何にしようかと。
 しかし、花好きにとって、まだまだあれこれと目移りしています。

第1印象は3秒で決まり…

 対人関係の仕事をされている方にとって相手に与える印象は、大いに気になるものです。
 ご葬儀の担当者にとっても、それはご葬儀全体の良し悪しまで左右しかねない程のインパクトを持って、迫ってくるようです。

 ご葬儀後のアンケートで忌憚のないご意見を伺っておりますが、傾向としては一つの好印象が全ての事にまでプラスに働く一方で、発端は小さなことでもお気に召さないことが気になり、傍から見ていても落ち度は感じられない場合でも、ご評価頂けないことがあります。

 先月頂いた方のアンケートでは以前契約された葬儀社の担当者の対応ぶりが胡散臭く、どんぶり勘定だったという印象が強く、そのことが強烈に残っていらしたようで、今回お願いした方には文句がつけようにないほど完璧で素晴らしかった、と絶賛されていらっしゃいました。
 特に会計の透明性、リーズナブルなお値段、センスのよさ、アドバイスの的確さどれをとっても満点をあげていただき、ご紹介した賛同社共々大いに恐縮してしまったことがありました。

 その一方で、最近頂いた中に一定のご評価をされながらも、担当された方への少々手厳しいご意見を出された方もいらっしゃいました。
 担当者の立ち振る舞いを気にされたようです。
 黒子であるべき担当者が一生懸命すぎて目立ったことが主たる原因のようです。
 改めてご葬儀の主役はご喪家であることを肝に銘ずる一件でもありました。

 第1印象は3秒で決まり、1年以上もその人の脳裏に残るとも言われています。
 人に与える印象は影響力が大きく、事程左様に人の印象一つで全てがどんでん返しされることにもなりかねません。
事前のご相談でお時間が許せるならば、お見積りを取られた後、担当者と面談されることを推薦いたします。
担当者の印象や気が合うかどうかもご判断でき、人となりもご理解いただけるのではと期待いたしますが・・・。

臨機応変に対応できるのは地域密着型。

 最近は葬儀社さんのホームページをあれこれと検索し、数社をピックアップしてみたものの、何を基準に比較検討してよいのか益々混乱状態に陥りご相談される方も増えています。

 一方、ネットで見る葬儀社さんもエリアを広げ、中には社から遠く離れ関東一円を網羅しているところも見受けられます。
 勿論、どこでもネットで出している以上、対応はできますが、矢張りきめ細やかさ、臨機応変さにおいて地元密着型に1歩譲るところが出てくるようです。

 当センターでのご紹介はこの地域密着型で、地域の斎場に精通している賛同社のみになります。
 事前に相談され見積りを取っておいても、万が一の時にご希望の斎場をご希望の日に確保できるかどうかは難しく、特に火葬場併設の斎場は1週間近く待たされることがあります。
 ご喪家によっては時間が待てない方も出てきますので、急遽他を当ることになると、地元に詳しい葬儀社さんが有利になります。

 斎場によっては、斎場独自の取り決めを、前もってご喪家に知らせておく必要があったが、地元以外の葬儀社はそこまで把握しておらず、ご喪家は当日知らされ慌てたということもあったようです。
 その一方で、賛同社の担当者の中には第4、第5の隠し球的存在の地元の方しかご存じない式場までチェックし、「困った時の○○だのみ」とまで言って常に準備万端整えている方々もいらっしゃいます

ご遺体とその後の法要は…

 3月11日から早6週間が過ぎようとしています。
 依然として行方不明の方が多い中、少しの手がかりを求めて臨時の安置所になっている体育館や研修所へお身内の方を捜し回る御家族の姿をTVカメラが追いかけています。
 身元確認が急がれますが、益々困難になっていくのが現状のようです。
 それでも各方面からの支援も活発になり、少しでもお亡くなりになった時の状態でご家族に引き合わせたいと、関西からは大量のドライアイスが運ばれたというニュースを目にしました。

 その一方で、ドライアイス以上に活躍できると思われるエンバーミングの情報があまり浮上してこないのですが・・・。
 ご遺体の損傷を修復し、細菌の感染を防ぐ意味からも出来るだけ多くの方にエンバーミングが施されることを期待したいのですが、ご遺体が身元不明者でご家族の同意が出来ない場合は難しいのでしょうか。
 しかし、神戸の震災の時、エンバーミングを施したことにより修復され、身元が判明したという記事を目にしたことがありましたが・・・。

 先日は福島の原発近くで津波の被害に遭われ、お亡くなりになったお父様の法要のことで、お身内の方からお問い合わせがありました。

 ご遺体は地元で荼毘に付されましたが、ご遺骨は木箱に入れられ、菩提寺もお墓も全て流されてしまい、ご住職も東京に避難されている身が現状とのこと。
 ご遺骨を骨壷に移し、百か日忌には法要をしたいので、法要とお食事が出来るところのご紹介をと希望されていらっしゃいました。
 しかし、避難されていらっしゃるとは言え、菩提寺のご住職がいらっしゃいますので、まずはご住職のご指示を仰いだ上のご相談になる旨申しあげました。

 「何年掛かるか分らないが、必ず菩提寺のお墓に納骨しますので、しばらくの辛抱です」と電話口のお声が少しホッとされたように感じられました。

家に帰してあげたい・・・。

 被災地の映像は辺り一帯がモノクロームの世界のような瓦礫の山を映し出していました。
 瓦礫の山が続く中、谷間の一角に咲く花のように色とりどりのお花が空き瓶に生けてある空間がありました。

 「ここは我が家の玄関口なんです。未だ行方が分らない女房のために玄関の空間だけは綺麗にしておかないと・・・」
 何としても、奥様を我が家に連れて帰りたいとご主人の願いが込められていました。

 話し代わって、昨今のご葬儀では病院でお亡くなりになられた場合、都会を中心に搬送先がご自宅以外の安置所をご希望される方が大半をしめるようになりました。
 ご事情は様々ですが、集合住宅への配慮やスペースの問題を抱えながらも、一方では長患いの末ご自宅にお帰りになりたがっていた故人様のお気持を汲んで、旅立つ前にご自宅にお迎えしたいお気持は、多くの方にまだまだ残っているようです。

 以前、万が一の後ご自宅に搬送できないため、病院から安置所に行く途中自宅前を通ってほしいことをご希望として出され、葬儀社さんの方に伝えておいた事前相談がありました。
 お亡くなりになられたのはそれからしばらく経ってからでした。
 いざ、その日を迎えられたご家族は空白状態で、そのことに思いが寄らなかったようです。

 しかし、葬儀社の方ではしっかり思い出してくれました。
 ご自宅の前で暫し停車して、お祈りをしてくれたとのこと。
 「元気で帰って来れなくて・・・。悲しく、無念でしたが一瞬でも立ち寄って頂けたことで、心が救われたきがします。このタイミングをおいて、他になかったですから・・・」
 故人様のお気持ちはどんなだったのでしょうか。

電話がつながりにくい状況ですが、慌てる必要はありません。

 あさがお葬儀社紹介センターから、最初に皆様へご連絡いたします。
 
 携帯電話の発信規制や計画停電などにより、電話がつながりにくい場合もあります。
 そのような場合は、あわてずに 下記メールフォームより送信ください。
 ●葬儀の相談

 メールが到着し次第すぐに把握できますので、折り返し、すぐに連絡させていただきます。
 あわてずに、落ち着いて電話やメールにてお知らせいただければと思います。

 言葉で言い表せないような災害から早、4日経ちました。

 瓦礫の下にはまだ沢山の人が救出を待っています。
 災害発生後72時間が生存率の勝負とはいえ、望みは捨てられません。
 昨日は瓦礫の山の中から少女が助け出され、その生命力の強さには大いに勇気付けられ、安堵の笑顔の輝きが忘れられません。

 一方で、本来ならば若者のエネルギーの発散場所であるはずの体育館が、一転してご遺体の安置所になり、次々と柩が運び込まれています。
 ところがこのご遺体を確認するはずの御家族の生存さえ今だ不明のため、お引取りできた方はまだ少数とのこと。
 また、御家族・ご親族の安否を尋ね、あちこちの避難場所を捜しまわった末に、もしやと体育館にお見えになられても直接の面会は難攻を極めているようです。
 途方にくれるご家族に掛ける言葉も見つかりません。

 そんな中、生命とは不思議なものです。
 泥沼の中に蓮の花は咲くように、大災害の渦中にも生命の誕生がありました。

 家族を避難させて、一人産院で頑張った若いお母さんは「この子が大きくなったら、この日のことを話してあげようと思う」とけなげに赤ちゃんを覗き込むように話されていました。
 この世に産声を上げたばかりの赤ちゃんは何を思ったのか「にこっ」と微笑んだ。
 悲惨な画面にぼぅとしていた私も、思わずつられて笑いかけていました。
 一筋の明かりが灯ったように小さないのちに勇気をもらいました。

海洋散骨体験ツアーに参加して・・・。

 波間に浮かぶ花びらは、永遠に漂っているかのような存在感を見せています。
 あたり一面鉛色の中、そこだけが色鮮やかに光を放っているかのようでした。
 
 先日、あいにくの雨模様の中、散骨の体験ツアーに参加してきました。

 雨脚が強くなるばかりの当日は、普段あまり天候を気に掛けることもない私も、朝からテレビの天気予報に釘付けでした。
 風は・・・、はたまた船の揺れは大丈夫なのか。
 そんな心配をしながらの乗船でしたが、目的地に着くまでの間に行われる献花のセレモニーや心地よい音楽におしゃべりが加わりいつしか気持はピクニック気分へ。

 波をよけるため、通常よりも手前になってしまったが、大きな揺れもなく散骨の目的地に到着。

 参加者は散骨用のお骨に見立てたお塩を風に舞わないように水面近くから船べりにむけて播いていく。
 ビニール袋ごとの方。手にとって播く方。袋から少しずつ出す方。

 一方一緒に撒く花びらは頭上高く風に揺られながら落ちてゆく。
 お花の他には自然に還るものでしたらお酒やお料理、お菓子なんでも大丈夫とのこと。

 期せずして当日は友人の一周忌に当たります。私もお花を投げ入れながらお別れを言うことができました。

 最後に花束にした献花を臨時の喪主役が投げ入れると、鐘の音が辺りに響き渡ります。
 やがて船は大きく舵を取り、漂うお花の周りを3回程左回りに回って静かに離れていきました。

 散骨した場所は海の住所として経緯度が記され、再び訪れることが可能です。