葬儀屋さんとのアポ

 今日は葬儀社さん周りをしていました。3社面談しました。せっかくなので、もう何社か回りたかったところですが、事前の調整で担当者との都合が合わず3社になりました。当日のキャンセルがなかったのはありがたかったです。

 といいますのも、担当者との面談の日時を予定していても、その通りに面談できないことは少なからずあります。当日のキャンセルも起こります。担当者がいつ対応する状況になるかわからないからです。「申し訳ありません、先ほど、入電があって対応しないといけないので、今回は無理みたいです」となります。

 そうなので、日程を調整してアポが確定しても、葬儀社さんの担当者からは「やむを得ず葬儀等が入ってしまった場合にはこちらよりご連絡いたします。」ですし、こちらからは、「ご葬儀などが入られた場合には、再度日程の調整をいたしましょう。その場合は遠慮なくご連絡いただければと思います。」というようなやり取りで締めくくることになります。
 
 葬祭業は、人と会う約束や予定が入れにくい業種の一つであるかもしれません。「○○を予定していたが、・・・」「その日に、△△するはずだったが、・・・」というような話も、葬儀社の人と話せばいくらでも出てくることでしょう。
(もっとも、約束を違えても、仕方がないと許される業種であるとも言えなくもないので、それを逆手にとって、乱用する葬儀社の人もときたまみかけますが)

葬儀社の広告に追いかけられる

 検索窓に、たとえば、「あさがおそ」と入力していくと、窓の下に、「あさがお葬儀社紹介センター」など、自動的に関連する言葉を表してくれます。だいたい全部の文字を打ち込む前に、予測されてしまう感じです。たいへん便利です。予測表示機能と呼ばれるものです。
 とくに、ありがたいのは、携帯・スマホでの検索です。文字を入力するのは骨が折れますから。

 この予測表示機能、困った問題を引き起こしていることを数日前の新聞記事で知りました。ある日本人男性の場合、グーグルでその男性の実名を検索しようとすると、犯罪を連想させる単語が自動表示される事態になっていたというのです。裁判で争われた結果、東京地裁の判決は、「(男性に関する)違法な投稿記事を容易に閲覧しやすい状況をつくり出した」とし、プライバシー侵害と名誉毀損を認定し、「権利侵害が拡大する恐れがある」として表示差し止めをグーグルに命じました。

 玉石混交のありあまる情報の中、欲しい情報に効率よくたどり着けるように、あの手この手でサポートしてくれるのはありがたいですが、たしかに、自分の情報を自分でコントロールできない不気味さを感じさせます。

 と同時に、たどり着かされてしまうよう感じになってきているのも不気味です。こんなことはないでしょうか?
 見る人の多い、ソーシャルサイトや口コミサイト、価格比較サイト、料理サイト、ブログ、ニュースサイト・・・、どのサイトを見ても同じ広告が載っている。しかも、以前に関心があって見ていた商品やサービスの広告です。広告文も自分に向けたかのようになっています。

 一昔前のネット広告は、サイトの内容と合うような広告がメインだったのですが、今は、見る人の関心に基づいての広告配信も可能になってきています。まさに広告に追いかけられる状況になっています。
(葬儀社さんのサイトをしょっちゅうチェックしていると、どのサイトを見ていても葬儀社さんの広告に追いかけられるなんてこともあります)

 不気味さもさることながら、個人的には、目的だけ達して即PCを閉じたいのに、いつのまにか広告にのせられて、そのサイトに入ってしまい時間が費やされてしまうは本当かなわないと思っています。

女性パワーの葬儀社とは・・・。

 近年同世代の女子だけで集まり、思い切り良く飲んだり食べたりおしゃべりしたりとストレスを見事に発散させている男子禁制の女子会が話題を呼んでいます。

 女子だけのおしゃべり会は以前からあり、結婚してもお姑さんの特別許可をもらってはせ参じていた友人を交え、それぞれの思いのたけをしゃべりあい、なんとなく結論なしに分かれていく会は男性陣には理解しがたいこともあるかも知れませんが、楽しいひと時でした。
 
 昨今の女子会は空気感に多少の違いはあるようですが、飲んで食べておしゃべりをする基本は昔も今もかわりません。
 しかし、今はパワフルです。
 あらゆる分野に出没し、最近はその女子会に焦点を合わせた企画物や商品までが至る所に並べられ、一種の社会現象を起こしているようにも見受けられます。

 マスコミもここぞとばかりに取り上げていますが、記者の多くが男性陣のためか、少し腰が引けて揶揄的に取り上げているのが、かえって問題を浮彫りにさせてもいるようです。
 毎週金曜日のデモに参加して写メールに撮っている若いママ達も、又、私が月1回通っている鎌倉の駅前を季節とあまり関係なく、埋め尽くしている元気な女性陣の集まりも、昨今の女子会の延長線上にあるように思われます。

 2〜3年前、葬儀社の関係者から女性だけの葬儀社を考えていることを間接的に伺い、当時立会いで見聞きしている分で判断するには、まだ時期尚早の感が否めなかったことを思い出しました。

 しかし、最近は昨今の女子会パワーを結集すれば、女子だけの画期的な葬儀社も夢ではないように思い直しています。

 女子の生真面目さを武器に、常に家族の1員の目線で臨機応変に対応できるのは長年家庭を切り盛りしてきた主婦感覚の結集であり、これこそがご葬儀で見事に発揮されるのではと密かに期待しています。

 特に昨今の家族葬を中心とするこぢんまりしたご葬儀が増えている中では、ご家族の希望に沿った提案がなされていることが最大の重要ポイントとなります。

 生活者の目線で物事を考え行動されるので、ご葬儀を特別な儀式としての意識が薄れ、家庭の延長線上でお見送りできる方向に持っていけるのはこの女子会のパワーをおいては他に見当たらないのではと、最近は女性のみの葬儀社に期待を膨らましておりますが・・・。

24時間対応とお酒

 ノンアルコールビールは、20年以上前から売られていたと思いますが、酒屋さんやスーパー、コンビニの棚を広く占拠できるほどの勢いはまったくありませんでした。ところが、ここ最近、いやでも目につくほど場を占領しているではありませんか。

 新手のアサヒゼロドライの販促の力への入れようは目を見張るものがあります。
 
 ビールメーカーも、多大なエネルギーを注いで、酒税が低くて済むような発泡酒を開発して売りだして、その苦労が実って売れ出すと、税率を上げられてしまう! 売れ行きが鈍ったり利益が少なくならざるを得なくなったのでたまりません。そしてまた、酒税が低くて済むような「第三のビール」を開発する・・・。
 この点、ノンアルコールビールは、酒税は関係ないので安心して開発できます。(ただ、税金は取りやすいところから取るで、へんてこりんな名目でビールテイスト飲料にも課税とならない保証はありませんが)

 それはさておき、昔のノンアルコールビールしか知らない人は、一回だけ味わって終わりという人も多いと思いますが、今のは、そうとうな研究がされているようで、かなりイケます。
 アサヒスーパードライを氷点下まで冷やして飲む「エクストラコールド」になぞらえて、前出のアサヒゼロドライを試したところ、うかつにも、飲んでる気分になってしまいました。

 というような、今のノンアルコールビールはうまくなってきたという話を先日も葬儀社の人と話したところです。
 その人は1年ほど前に独立したが、24時間いつ何があるかわからないので、普段はお酒を飲むことがなくなった、と語っていました。そのかわり、飲む時は朝までとことんいってしまうんだ、とも。
 葬儀屋さんとお酒の付き合い方は、なかなか難しいものがあります。

見積もりだけではわからないことがあります

 ご葬儀に立会い、葬儀社の担当者の采配ぶりを拝見していると、思わず「さすが」と感心させられることしばしばです。
約1時間の葬儀・告別式の進行そのものは特別な事がない限り目立った違いはないはずですが、同じ演目の芝居やオーケストラが演出家や指揮者によって違ったものになるように、担当者によってご葬儀の中身や雰囲気がガラッと変わってきてしまいます。
 黒子に徹し、常に一歩下がってサポートする方、また二人三脚でご一緒に考えましょうと言う方、半歩前から色々アドバイスされる方、それぞれの担当者の持ち味を活かしたやり方でご喪家と接しているようです。
 細やかな気配り、和やかな雰囲気づくり、臨機応変な対応ときますとベテランの方に一日の長となりますが、若手の担当者にはフットワークがよく、依頼者の意図をうまく汲み取ってくれ、コミュニケーションも取りやすかったというアンケートも頂いております。
 また、思いもかけなかった突然の出来事に遺族だけでは思慮しきれない部分の助言や導きがあり、大変助かりましたというお言葉も頂いております。
 よりご満足のいくご葬儀を希望されるならば、見積りの高い安いだけでは分らないソフトの面も合わせてご確認いただきたいと思います。
 その為にも、出来ましたら担当者に会って具体的なお話を伺ってみることも大切です。担当者の人となりを知る上でも・・・。

気配り

最近のご葬儀後のアンケートやご報告いただいたお手紙の中では、「気配り」に関する事柄が多く取り上げられ、目立ってきているようです。

 悲しみで他の事が考えられないような状態の中、担当者を始めとしたスタッフのちょっとした心遣いに勇気付けられ、ふと我に返って気を持ち直された経験をお持ちの方も多いのでは。

 しかし、時としてこの気配りが意外な方向に行ってしまうこともあるようです。

 その1例として、柩へのお花入れの際、葬儀社のスタッフが腰を落ち着けてゆっくりと最期のお別れができるよう、柩脇にイスのご用意をしたのが、ご喪家にとっては徒になってしまったようなケースもありました。

 「ご老人や足の不自由な方がいらっしゃる場合を除き、遺族は悲しみに没頭したいと思いますので、ご配慮はありがたかったのですが、とても気が散りました」とのご報告いただき、その場の配慮が足りなかったことを大いに反省させられました。

 しかしながら、ご会葬者お一人おひとりのお気持に沿いながら、常に配慮を怠らないように気を配るのには、矢張りベテラン担当者に1日の長があるようです。

 長年この仕事に携わってきた担当者は常に気配を感じ、ご会葬のどの方がどのような状態でいらっしゃるのかを常にチェックしながら、さりげなくイス一脚を勧めるタイミングまで心得ていらっしゃるとのこと。

 ご葬儀立会いで伺った時の手際のよさには、側から見ていてもさすがと思わせるものがありました。
 後方片隅でお立ちになっていた白髪の老紳士の一瞬の笑顔がご会葬の方々を代表しているようにも感じられたほどです。

一声掛ける気配りで…。

 『昨晩はお忙しいところお越し頂き、有難うございました』
 エレベーターを降り、受付に向った老夫婦はお声を掛けられ思わずほっとされ、安心したような和やかな表情を見せていました。
 
 声の主は葬儀の担当者でした。
 緊張のあまり日頃の気配りが出来にくい喪主やご喪家に代わり、担当者は常に俯瞰の目で周囲に気を配り、いち早く対応できる雰囲気を創っておくことが大事なようです。

 特に葬儀・告別式前の緊張した空気の中でお客様をお迎えする一言は、その後の出来不出来にまで大きく左右し兼ねません。
 葬儀に流れを創り、その流れに乗って一気呵成に出棺まで持っていくのは矢張りベテラン担当者に一日の長があるようです。

 同じような1時間のご葬儀でも担当者により、全然違うものになってしまいます。
 ベテラン担当者はいつの間にか、そのリズムを会得されているのでしょう。

これからのご葬儀の関心ごとは・・・・。

 早いもので今年も残り1ヶ月を切ってしまいました。
 今年は例年になく各人が今までのご自身を振り返り、これからの生き方を見つめ直すチャンスを与えられた年でもあったように思われます。

 マスコミも「最期をどのように迎えるか、また迎えたいか」の特集を組み、団塊の世代を中心に色々な角度で訴えていました。
 持続的に報道されたおかげ(?)で先送りしていた皆さんの関心も、徐々に高まり浸透しつつあるようです。
 親世代を見送り、子供達にまかせた親世代と違い、自身のことは自分で決めておきたい、またおかざるを得ない方が増えてきています。

 それと同時に、現実問題として各人のご家庭の事情からご葬儀後の問題が出ても、核家族で周りに相談をされる方が見当たらず、途方に暮れるケースも増えてきているようです。

 当センターでも墓石のトラブルをチェックする第3者機関を教えて欲しい、改葬したいが埋葬証明書が取れない等お墓に関する電話を頂くことが度々ありました。
 また、葬儀社をご紹介する中で、ご葬儀後の相談にどれだけ乗って頂けるか等の質問が目立ったのも、今年の傾向かと思います。

 今までご葬儀だけを担当されていた葬儀社さんも、ご葬儀後のフォローに力を入れる社が増えて、専属のアドバイザーを置くところもでてきています。
 葬儀担当者はかつての村の長の役目も担って益々「究極のサービス」を提供し、来年以降、人々の関心もそちら方向により拍車が掛かるように見受けられます。

ご喪家のご忠告から学ぶことは・・・。

 ご葬儀の後、お気持が少し落着かれた頃、当センターではご依頼者にアンケートをお願いしております。
 思ったことをそのままお書きくださるようにお願いしていますが、皆様お気持を一気に吐き出されるようにお書きいただき、担当者としてうれしい悲鳴を上げています。
 メールや郵送で送られてくる回答を、まるでテストの答案用紙を返された時のように、どぎまぎしながら読ませていただいております。
 
 お褒めの文面にホッとしながらも、それ以上に注目しているのがご不満やご忠告です。
 全体としては満足いただいても、一つひとつまな板に載せていくと、ご不満な箇所も出てきます。
 どんなことでもすくい上げていただくことで我々の反省材料となり、次に進む貴重な資料となります。
 10点満点8点だけれど、ここをこうしてくれたたらもっと良かったなどと忠告されると思わず「よし」と姿勢を正してしまいます。

 気軽に何でも相談できて教えて貰えたが、式の打ち合わせにゆとりをもってしたかった。
 慣れているので全て任せられましたが、反面慣れすぎているようにも感じられました。
 お清めの席で久しぶりに会った父の同僚同士話し込んでいるうちに、式場の時間の都合で料理が片付けられ、お皿をまとめられて、気を使わせてしまい、居心地が良くなかった。
 ご葬儀直前会場を出て駐車場に行く途中、喫煙所を通りかかった時、社員3~4人が喫煙・談笑されていて、目前を通り過ぎても笑顔が消えなかった。
 以上は最近いただいた忠告です。

ほんの少し気配りが足りないことでも取り返しがつきません。
ご葬儀はやり直しができませんから。

支持を得る葬儀社の担当者に共通するもの

 「御社が出しているオーバーチュア広告を見て電話をしているのですが、SEO対策を含めて、さらに費用対効果のある方法を提案したい」というような営業電話がほとんど毎日かかってきます。

 ヤフーの検索画面に出てくるオーバーチュア広告や、グーグルの検索画面に出てくるアドワーズ広告など、検索した時に出てくる検索連動型広告と呼ばれるものは、費用対効果の面でもわれわれの活動を知ってもらうためには必要不可欠なものです。

 ネット上に広告を出しているので、ネットの取り組みにも積極的だろうと思われて、先の営業電話がよくかかってくる次第です。

 しかしながら、相談者からかかってくる大事な電話が回線使用中でつながらないとか、相談中の電話の妨げになっても困るので、すぐに「必要ありません」と言って切ろうとします。(素気ない対応でゴメンナサイ、この場を借りてお詫びします。)

 しかしそれでも、断られたときから営業の始まりだとばかりに、「広告の管理はどのようにされているのですか?」とか、「広告費はどれくらいかけていますか?」、「検索結果の順位をあげたいと思いませんか」「○○というキーワードはどうですか」「何か困っていることはありませんか?」・・・・・、話を引き出しながら糸口を見つけるべく手を替え品をかえ、質問しようとします。

 しかしながら、最初からその気もないので、質問の途中で、「すみません、けっこうです」と言って電話を切ってしまいます。(素気ない対応でゴメンナサイ、再度、この場を借りてお詫びします。)

 あまりにこのパターンの繰り返しなので、逆の立場で考えてみました。そもそも、私みたいに最初から気のない人を相手に会話していくことは可能なものなのか?

 「SEOを手掛ける会社です。御社が出しているオーバーチュア広告を見てクリックしてしまったので、1クリックの御社の損失分、○○○円持って伺いたいのですが・・・」

 半分冗談ですが、こうに言われたら、こちらの気持ちが分かっているじゃないか、と興味をもって話を聞いてしまうかもしれないと思いました。
 こちらがまず気にするのは無駄な広告費を使いたくないということだからです。広告費がいくらでも使える大企業ならいざ知らず、限られた少しの広告費の中では、われわれのサービスを求めている人にだけクリックしてもらいたいというのが本当のところです(本当、虫のいい話ですが)。

 葬儀の業界でも同じです。葬儀社の担当者でご依頼者から最高の支持を得ている人は、相手の気持ちを察することができる人だと思うのです。