リピートには、時として思わぬハプニングも・・・。

 5年程前、お父様のご葬儀の際、センターの賛同社を御紹介した方から、この度、お母様の御相談を頂きました。

 コロナ禍の中、お父様の際とはお住いも変わり、当時とは大分離れておりましたので、新たに地元の賛同社を御紹介させていただきました。

 リピートをお受けするにあたり、前回同様、更にそれ以上にご満足いただける様、御紹介するスタッフも思わず力が入る瞬間でもあります。

 まずはご相談者からお話をお伺いし、御相談内容に適していると思われる地元の賛同葬儀社さんを複数ご紹介して、見積りをお取りし、ご説明申し上げておりますが、当センターではお時間がございましたら、出来るだけ直接担当者の方とお会いになり、お話し合いを持たれることをお勧めしております。

 と申しますのは、特に少人数の場合の御葬儀の良し悪しは、ご葬儀内容もさることながら、担当者と合う、合わない等の問題も重要になって参りますので。

 また、以前リピートに関しまして、こんなハプニングもございました。

 お父様のご葬儀から数えて7年間で6回目のご依頼を頂きました。

 実は5回目のご依頼を頂いた直前、前4回を担当された賛同社さんが突然の事情で葬儀社を廃業されるというハプニングに見舞われ、事情を説明して急遽新たな賛同社さんを御紹介させていただきました。

 新たな賛同社さんをご紹介するにあたり、ご相談者からは「父の葬儀から今まで4回もお世話になり、我が儘になりがちな要望もきちんと受け止め、対応して頂きましたので、新たに御紹介頂く担当者さんも私共の気持ちを受け止め、より良いお見送りの仕方をご一緒に考えていただける方を・・・」との切なる願いをお伺いし、前の担当者に匹敵する方、又はそれ以上の方を・・・と意気込んで、御紹介致しました。

 無事御葬儀が済み、翌年6回目のご依頼の際は、前回新たに御紹介させて頂いた賛同社さんをご指名頂き、前4回に匹敵する賛同社であることが証明され、御紹介した当方もホッといた次第です。

 御葬儀後のアンケートでもお褒めの言葉を頂き、6回目の新たなご依頼で、また新たな一歩を踏み出せた気も致しました。 

最近の葬儀・告別式事情

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀のご様子も大分様変わりの様相を呈してきました。

 3密(密閉・密集・密接)を避けるためにも、お身内だけでのお見送りが大半を占める様になり、状況が状況ですので、お伺いする側も本来でしたら、永年のお付き合いでの最期のお別れに、何をおいても馳せ参じるところですが、ご喪家のことをおもんばかって、通夜をご遠慮されたり、お伺いしても、通夜の後のお食事は御辞退されるケースが大半を占める状況とのこと。

 御葬儀の担当者に伺うと、最近はご喪家の8割方、「通夜ぶるまい」のお食事を省く傾向にあるとの由。

 弔問にお越し頂いた方々にお礼の意味も込め、また故人様を供養する為にも、大いに召し上がって頂くよう、大皿にもられたお料理もすっかり姿を消してしまいました。

 更に、通夜を省いた葬儀・告別式の1日葬も多くを占める様になり、出来るだけご出席の方々との接触を避けるためにも、独自の演出はご遠慮され、ご出棺も通り一遍の儀式として取り扱われているご様子との事。

 howツウ式のお別れだけが目につく昨今です。

 数年前、立会いでお伺いした御葬儀のことが思い浮かばれます。

 告別式も無事に済み、最期のお別れの時がやって参りました。

 柩を囲んだ数十人の叔父様達は、一気に半世紀前の学生時代にタイムスリップしたかのようです。

 上着を脱ぎ、スクラムを組んで、面倒見がよかった先輩の柩を取り囲み、溢れる涙を拭おうともせず、蛮声を張り上げ、応援歌をいつまでもリフレインしていました。

 周りを囲んだ参列者も思わず目頭を押さえ、暫しの間その場が告別式であることを忘れさせる程、穏やかな空気に包まれていました。

 御葬儀の慌ただしさを忘れ、当方も見とれていると、後からお声がかかりました。

 「良いご葬儀だったね・・・」

 聞き覚えのある声にハッと我に返り、思わず頷きながら振り向くと、ベテラン担当者が立っていました。

 コロナ終焉後を期待しています。

ネットの情報だけを鵜呑みにせず、担当者とのコミュニケーションを大切に・・・。

 コロナ禍での非常事態宣言が延長される中、高齢者を対象にしたワクチン接種がやっと始まり、連日接種会場の様子がテレビに大写しされていますが、この状況がいつ迄続くのか、数字の上の統計だけでは難しいのでは・・・?

 そんな危惧をいだかせる昨今ですが、どんな状況下になっても人の寿命には限りがあり、時として死は待ってくれません。

 しかしながら、いつしか世間の風潮も災いし、御葬儀についてはアレルギー反応が示されたごとく静まり返り、昨今は通常の通夜を含めた一般葬を大っぴらに御相談するのも憚られるような空気までも蔓延しているとのこと。

 勢い、ご喪家本来のご要望があっても、ネットを通じて当たり障りない既製品で間に合わせるように決め、後悔先に立たずではないが、御葬儀後心に残るものが今一つ実感できないもどかしさを感じている方もいらっしゃると伺います。

 乗じて、中にはネットで見つけた低料金の葬儀社さんに決め、打ち合わせに入ったところが様々なオプションが加わり、総費用はかなりの高額になってしまい、慌てて当センターに救いを求めてきた方もいらっしゃいます。

 以前からやり直しがきかない御葬儀の良し悪しは、ご喪家・御葬儀担当者双方のコミュニケーションの取り方や、担当者がご喪家の事情を酌み、依頼者の立場に立ってアドバイスし、ご喪家のこだわりにどれだけ向き合えるかにかかってくるとまで言われてきました。

 又、ベテランの担当者の中には「葬儀社は究極のサービス業」とまで断言する方もいらっしゃいます。

 こんな状況下でこそ、御葬儀だけはネットの情報だけに頼らず、長年の経験をもとに臨機応変な対応ができる担当者の目配り・気配り・心配りのあるアドバイスに注目を・・・。

 

コロナ禍での梅供養とは・・・。

 部屋中にほのかな香りが漂っています。

 コロナに明け暮れている毎日ですが、季節は途切れることもなく、今年も気が付けば梅の季節がやって参りました。

 私事で恐縮ですが、半世紀近く前、生前の母が元気な頃植えた15本程の梅の木も成長し、もはや老木の域に達しております。

 律義にも毎年実を実らせ、母は知り合いの皆様にせっせとお配りしておりましたが、母の死後不肖の娘が後を継ぎ、といっても手入れは実家任せですが、今度は母の供養の為に・・・と称して友人知人にも配り始めました。

 その年に収穫した梅を使って保存食作りをする一連の作業を、特別に「梅仕事」という言葉で表すことも、その当時お配りした友人から教えられました。

 梅干し、梅酒、梅シロップ、梅ジュース、梅みそ、梅ジャムetc.

 梅仕事を通じてこの時とばかり、普段御無沙汰している友人知人からの近況報告が続々届き、お互いに新たな御縁も生まれます。

 ここ数年、不肖の娘は梅仕事の為と称して、時季外れのお墓参りを兼ねた帰省をして参りましたが、昨年来のコロナ禍の中ではお墓参りもままならない状況です。

 梅は実家から送ってもらい、今しばらくのお墓参りは断念しましたが、梅供養は場所を選びません。

 梅仕事をすることで母への供養が始まります。

 今年は梅ジュースに始まり、ジャム作り、完熟を待っての梅干し作りとなる予定です。

 母が元気な頃は、傍観者を決め込んでいた娘の変貌ぶりに、草葉の陰から見守る母は呆れているかもしれません。

 これも私流供養の仕方と張り切っているのですが・・・。

最期のお別れ

 五月の連休後、各地に緊急事態宣言が発令され、コロナ騒動も混沌とした状態が続き、人の心も疑心暗鬼の様相を呈している昨今です。

 御葬儀の世界も、コロナ以前の1年半前とは大分趣が変わってきました。

 しかしながら、御葬儀の形式・形体は変われども、お一人お1人最期のお別れの気持ちは同じです。

 以前御葬儀の立会いに、お伺いしたことが思い出されます。

 無宗教葬の式場では、ご会葬者が自由に時間を過ごしながらも、銘々が故人様ときっちり向かい合い、お別れしている空気が強く感じられました。

 葬儀社の担当者が喪主の方との打ち合わせで、第1に言われたことは「何もしないでほしい。無宗教葬ですので、献花する時間だけを取ってもらえれば、それだけでよい」とのこと。

 終始オペラのアリアが流れる中、お集まりの方々は一見三々五々おしゃべりに興じているようにも感じられ、喪主の方が時々お話の輪に入って、リラックスした雰囲気のままに30分が経過しました。

 30分後、お1人ずつの献花が終り、最期のお別れの儀ではゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。

 何もしないでひたすら故人様との最期の対話の時間を作ってあげるだけ。

 こんなひとときがあっても良いのでは・・・と思わされた御葬儀でした。

 御葬儀と言えば、1時間の中身が儀式で占められ、ご出席の方々もひたすらそれに従っているように見受けられた目には、新鮮に映ったものでした。

 先日、地方からのお電話で、東京近郊の施設に入居中のお身内の方が危篤状態ですが、万が一の際の御葬儀は直葬の形で結構ですので、葬儀社さんの方で執り行って頂き、御骨だけをご実家の方へお送りいただきたいとの御相談を頂きました。

 ご家庭のご事情は様々ですが、最期のお別れだけでも・・・。

 一抹の寂しさを感じた次第です。

今年も薔薇の季節になりました・・・。

 昨年来のコロナ禍騒動の中、季節は巡り、今年も鮮やか薔薇の花の季節がやってまいりました。

 ひとときの騒動を忘れさせる程鮮やかな薔薇の花は、昔から御葬儀に向かないお花とまでいわれてきましたが、昨今ではお花の種類に関係なく、献花は故人様のお好きだったお花で執り行われ、中でも最近は一本で様になる薔薇が使われる例が多くなってきたようにも思われます。

 穏やかなジャズが流れる中、棺を囲み静かなひとときが過ぎていきます。

 60歳で他界されたご主人の柩の蓋は鮮やかな黄色い薔薇で埋め尽くされていました。

 お歳と同じ60本の薔薇は、毎年奥様の誕生日に、お歳の数だけ薔薇をプレゼントし続けたご主人への、奥様からの最初にして最後の贈り物との事でした。

 又、以前お伺いしたパーティー形式での御葬儀では、ご喪家から「祭壇を造らず、棺の周りを白薔薇で飾り、進行も自分達で執り行いたい」とのご要望を頂きました。

 1日だけのお別れ会としてパーティー形式で執り行い、遺影写真も飾らず、一切のものを残さないとのご希望で、献花も柩へのお花入れも白薔薇で統一された中、最後奥様の手で一本の真紅の薔薇が手向けられました。

 ご出席の方々には、奥様の様々な思いが込められた真紅の薔薇は、ご主人からのメッセージを代弁しているかのようにも思われたとの由。

 その鮮やかさは、時を経た今でも目に浮かびます。

 毎年、薔薇の季節になると、薔薇好きの友人達と横浜イングリッシュガーデンにお目当ての薔薇の花を愛でに伺っておりましたが、緊急事態宣言が発令されたままの昨今では、伺っても気もそぞろになってしまいそうです。

 こちらの薔薇には、高貴な方やスターの名前が付けられていました。

 お目当てのイングリッド・バーグマンに会えるのはいつになるか・・・。

担当者はご喪家と同じ目線で、目配り・気配り・心配りを・・・。

 月日が経つのは早いもので、昨年来のコロナに気を取られているうちに、今年も早4分の1が過ぎてしまいました。

 ゴールデンウイークを控え、コロナ禍の中、様々な催しの中止、又は延期が取り沙汰されていますが、御葬儀だけは待ってくれません。

 お見送りは3密(密閉・密集・密接)を避け、出来るだけシンプルに、お身内だけで執り行う方向にシフトしていますが、しかしながら、御葬儀は各ご家庭で日常的に執り行うものではありませんので、専門の業者さんにゆだねる形になり、担当者の采配ぶりで、良し悪しの落差が出てしまうことも度々です。

 ある意味、担当者の目配り、気配り、心配り次第で、ご満足いただけるか否かが決定すると言っても過言ではありません。

 先日もすでに他社での御葬儀を決め、施行の準備に入っておりましたが、担当者の対応にご不満をもたれたお身内の方から御相談を頂き、改めて当センターがご紹介した賛同社にお願いする羽目になってしまいました。

 また、当初病院付きの葬儀社さんにご自宅への搬送をお願いされたが、ご逝去されたお父様への配慮が足りない雑な扱いに、お母様が心を痛めているご様子を、見るに見かねたご長男の方から、改めて葬儀社探しをされたいとのご連絡を頂いたこともございます。

 一方で、御葬儀後「特殊な状況下のもと、ご喪家の気持ちを理解していただき、同じ目線で一緒になって考えて頂けた」とのアンケ―トも頂いております。

 また、不安を抱え、ご喪家のお気持ちもなかなか定まらない中、1度に説明されてもご理解いただくのが難しい場合もあり、ご喪家にスケジュール表をお渡して、「必要なものを一つひとつ、いつまでに揃えるのか、また決める必要があるのか」等をその都度説明され、担当者の目配り・気配り・心配りで初めての御葬儀の難局を乗り越え、ホッとされたお気持ちが垣間見えるアンケ―トも頂いております。

 どんな時代になろうとも、お見送りする気持ちに変わりはありません。

後戻りはありません・・・?

 今日もテレビ画面から医療従事者の切迫した声が聞こえてきました。

 それに反し、一方で若者の他人事のような行動も相変わらず目に付きます。

 時短要請で飲食店から閉め出された若者達は、路上での飲み会を続行し、中にはマスク無しでラッパ飲みをしながら騒ぎ立て、周りの大人達のひんしゅくをかっても、我関せずの様子がテレビで大写しされている昨今ですが、当の若者達が最近はテレビを見ないという皮肉な現象も、世相を反映しているかのようです。

 昨年からのコロナ騒動は、世の中それぞれの分野での改革が余儀なくされつつある中、世の中の動きに大きな様変わりを見せる道具立てになっているようにも思われます。

 それは御葬儀の世界も、例外ではないようです。

 以前、菩提寺では通夜、葬儀、告別式の一連の流れに本義があり、いずれを省くことは理解しがたい、とまで言われ、1日葬や直葬は否定されていましたが、昨年来のコロナ禍をきっかけに、御葬儀も出来るだけシンプルに執り行う方向に舵が取られ、それと共に以前からくすぶっていた若い世代の檀家離れの現象と併せ、お寺サイドも最近では柔軟に1日葬の許可をせざるを得ない状況になってきたと伺いました。

 “お身内だけの少人数で、出来るだけシンプルに・・・”を合言葉に、昨年来の御葬儀も、内輪のごく親しい方々だけでのお見送りが、大半を占める様になってきています。

 この現象はコロナが蔓延している今の内だけで、コロナ終焉後はまた再び元の状態に戻るのではと、永年御葬儀の世界に携わってきたベテラン担当者に問いかけたところ、曰く、“この世界での後戻りはないですよ”とのご返事でした。

 コロナ終焉後、御葬儀はどちらの方向に向かうのだろうか・・・。

コロナ禍の中、担当者からの助言

 最近はコロナ禍のせいにして、あなた任せの御葬儀で済ませてはいませんか?

 コロナ終焉後、こんなはずではなかった。

 本当はこんなお見送り方をしたかったと悔やんでも、やり直しはききません。

 昔から「後悔先に立たず」とはよく言われていますが、今こそ、この言葉が当てはまるのは・・・。

 ネットで検索された御葬儀情報を鵜呑みにして、言われるまま葬儀社さんのレールに乗り、終了後の請求書をご覧になりビックリと言うケース等も以前から伺ってはおりましたが、昨年来のコロナ禍の中、更に御相談もままならない状況下では、ご要望も遠慮してほどほどにと忖度され、気が付いたら御葬儀は終わっていたというケースを最近よく耳にします。

 コロナ禍で状況によりやり方や方法は変われども、御葬儀の本質に変わりはありません。

 現在の情況下で、出されたご要望が難しければ、別な方法を提案し、条件に合った対応を可能にするのは、永年あらゆる局面を乗り越えて御葬儀に携わってきた、ベテラン担当者の心意気ではないでしょうか。

 現状が無理なら、別なこのような方法もある旨提案し、可能な限りご要望に近づける・・・。

 今こそ経験豊富なベテラン担当者の出番では・・・。

 以前、ご葬儀に立会いでお伺いした折にも、担当者に全幅の信頼を寄せていらっしゃるご相談者をお見かけしていると、双方のコミュニケーションの取り方がつぶさに感じられ、ご喪家のご要望に見合ったご葬儀になったのではと実感させられたものでした。

 また、御葬儀後のアンケ―トでも初めてのご葬儀をご不安の中、無事終えられ、ほっとされたお気持ちが感謝のお言葉として綴られております。

 「ボーっとしていたら(葬儀社に)いいようにされてしまった」とのお話はよく聞きますが、「ボーっとしていたら(依頼者である私共の)いいようにしてくださった」

「追加オプションを勝手に付けられた」とはよく聞きますが、担当者は「これは不要ですね」と削ってくださいました。

との文面に、ご紹介した者として、ベテラン担当者の心意気を感じたものでした。

 直葬で出来るだけ費用を抑えたい方からは「的確な助言、提案を頂き、オプションが用意されているものでも、自分達で準備ができれば費用も抑えられる等、葬儀社にとっては不利益であろう提案もしてくださり、有難かったです」と・・・。

御葬儀に間に合わない・・・。

 先日、特別養護老人ホームの成年後見人をされている方から、御相談を頂きました。

 担当されている方の中で、看取りの段階の方がお1人いらっしゃいますが、万が一の際、唯一ご連絡できるお身内の方は海外在住で、日本にいらっしゃらないとの由。

 情況は刻一刻と切迫してきていますが、コロナ禍の中、海外でのお仕事を中断するわけには行かず、また知らせを受けてすぐに、帰国できるかどうか微妙な段階とのことでした。

 後見人の方も初めての経験で、どの様な対応をしなければいけないのか、はたまた帰国できない場合は、後見人であるご相談者が御葬儀の対応をしなければならない状況になるが、その場合、どの様に対処すべきか。

 ご遺体の安置や、万が一の際の火葬の日取等の融通性などをお知りになりたいとの由。

 早速に小規模ですが、市内に安置所を所有し、臨機応変な対応が可能かと思われる担当者をご紹介させていただきました。

 御紹介した担当者からセンターにご逝去の報が届けられたのは、それから9日後でした。

 矢張り、お身内が他にいらっしゃらない一人息子様は、帰国の途につくことがかなわず、後見人の方が立会いでお見送りになられるとのことです。

 万が一、帰国可能でも羽田、成田からの公共交通機関の利用ができず、お出迎え頂けるお知り合いもいらっしゃらないとの由。

 コロナ禍の中では、帰国後2週間の移動も制限されており、唯一お身内である母様との最期のお別れもままならないのでは・・・。

お気持ちお察し、申しあげます。

 昨年来のコロナ禍の中、感染の有無だけで終わらず、気が付いたら、御葬儀の在り方や社会の仕組みそのものも変えて行ってしまうのでは、そんな危惧さえする昨今です。