パラリンピックとバレエ「瀕死の白鳥」

 東京オリンピック閉幕後もコロナ禍は衰えることなく、更なる拡大を続ける中、来週からはパラリンピックが開催され、12日間の幕が切って落とされます。

 一時は小中学生の観客動員も考慮され、賛否が問われていましたが、拡大の一途をたどるコロナ禍の中、ワクチン未接種の子供達を守る為と父兄からの猛反発が起こり、結局先に執り行われたオリンピック同様に無観客での運びとなりました。

 本来でしたら、無言で子供たち一人一人に訴えかける最上の情操教育の一環となるはずでしたが・・・。

 夏休みは通常ですと子供たちにとってお稽古ごとの発表会やフェスティバルが目白押しの時期でもあります。

 しかしながら昨年来のコロナ禍の中、生で見る舞台は中止の一途をたどり、残念の一言です。

 映像と違い、目の前で繰り広げられる生身の人間の活躍ぶりは、色々な意味で幼心にも強烈な印象となって残る筈でしたが・・・。

 数年前、夏休みの「バレエフェスティバル」で見た光景は今でも脳裏に焼き付いています。

 久しぶりの生身の公演に興奮を覚えたのか、当初手拍子足拍子を交え、通常のバレエ公演と思えない程乗りに乗っていた子供たちが、先程とは打って変わって静まり返り、いつの間にか目を皿の様にして見入っていました。

 傷つき死を目前にした1羽の白鳥が、最後まで必死に生きようともがき苦しみ、力尽きるまでを描いただけの小品「瀕死の白鳥」は子供たちの柔らかな心にどの様に映ったのでしょうか。

 ある意味、生きることの意味が本能的に伝わり、最後舞台に突っ伏した白鳥に惜しみない拍手を送る子供たちの横顔が、パラリンピックでも見られるのではと期待したのですが・・・。

コロナ禍の中、残暑お見舞い申し上げます・・・。

 8月に入り、異常なまでの炎天下が続いたかと思えば、一転して局地的な集中豪雨と目まぐるしい天候異変の中、コロナ禍は更に拡大され、お盆の帰省も自粛が要請される昨今ですが、テレビに映し出される帰省客は弁解をしながらも、どこかいそいそとしていらっしゃるご様子が否めません。

 今年の帰省はご遠慮下さいとのお達しも、なかなか浸透するまでにはいかないようです。

 せめて久しぶりの故郷でのご親戚一同、クラス会一同等の集まりだけは避けてほしいものです。

 今、私の手元には1枚の絵はがきがございます。

 「遠い夏の日」とタイトルがつけられた絵葉書には、10年程前、先に御相談されたお兄様の御紹介で、ご自身の万が一の際は当時まだ珍しかった直葬を御希望になり、お見積りをお取りした方の若き日の自画像が描かれています。

 お手紙のやり取りの中、当初漠然とされていたご自身のお気持ちも次第に定まり、「その時はすでに1生が終っており、私自身何一つ携わることが出来ないはずなのに、客観的に冷静に考えて妙にすっきりしました。その時期がいつになるか分かりませんが、いつか必ずお世話にあずかりますこと・・・」と絵葉書には記されています。

 絵葉書の少女の御希望は「万が一の際は火葬場に直行し、無宗教で家族に見守られて見送ってもらえれば・・・。お墓は20年前主人が亡くなった際、川口湖近くの霊園に購入済み・・・」との由。

 あれから幾年かの歳月が過ぎましたが、今年も後を託された息子さんからのご連絡が無いことを祈りながら、ひとり絵葉書に見入っております。

 絵葉書は真夏の太陽の下、背丈以上もある赤と黄色のカンナの花咲く中を白い服の少女がスケッチブックを片手に毅然と前を見据えて佇んでいます。

今は特別な情況下・・・?

 コロナ禍の中、オリンピックも終盤に入ってきましたが、ここにきて連日のコロナ感染者数が異常な数値を示し始め、毎日のニュース番組から目が離せない状態が続いています。

 更に追い打ちを掛ける様に、コロナ感染者も重症者以外は自宅待機を余儀なくされる状況が発表されるや、非難の的となり、慌てて修正したりと今年の夏は暑さと共に異常ずくめの毎日が続いています。

 御葬儀の世界も3密(密閉、密集、密接)を避け、通夜を省いた1日葬が主流を占め、本来の御葬儀が難しい状況の中、招く方も招かれる方も、どこか疑心暗鬼の状態が否めません。

 永年のお付き合いで、本来でしたら最期のお別れをされたいところですが、お身内だけのお見送りを希望されるご喪家サイドとのお気持ちのズレが徐々に出始めているようです。

 更に、菩提寺サイドも当初2日間の御葬儀に夫々の意味があるとのことで、中々首を縦に振らなかったご様子でしたが、最近は特別な情況下として許可をされているところも出てきています。

 しかしながら御葬儀の世界では、一旦一つの方向に流れが変わると、なかなか後戻りしないジンクスもあり、コロナ禍終焉後の御葬儀の在り方も大分様変わりして来るのではとも・・・。

 かつて団塊世代がご喪家代表を務めていらっしゃいましたが、気が付けば見送られる側に回り、次世代の御葬儀の在り方はよりhowツウ式の形式的な方向へ向かっていくのではとも予測されます。

 最期のお別れは人それぞれですが、流れに従ったまま荼毘に付され、後々あとに残された者が後悔することのないように・・・。

 その為にも、自分らしくご自身の最期はこのように・・・と、各自エンディングノートにご要望を書き込んで、残された方に託しておくことも、これから益々必要になるのではと存じます。

 数年前、会社の健康診断で末期癌を告知されたモーレツサラリーマンの半年を、映画監督である娘さんが冷静にかつ微妙な距離感をもって克明に描いていたドキュメンタリー映画「エンディングノート」が上映されました。

 サラリーマン時代、段取りが命と豪語されていたお父様は最後の仕事としてご自身を選ばれました。

 ご実家は代々仏式でしたがキリスト教葬を選び、ご会葬いただきたい方のリストをコピーし、奥様とご一緒に式場の下見をされ、準備万端整えた後、94歳になるお母様に携帯電話で最後のお別れをされ、洗礼を受けられました。

 映画が終り、エンドマークが出ても、暫し立ち上がれなかったことが思い出されます。

心のコントロールは如何に・・・。

 センターで御葬儀の御相談をお受けしていると、時に当のご本人様からの御相談をお受けすることもございます。

 本日もご高齢だがまだ元気とのことですが、万が一の際の御相談をとのお電話を頂き、コロナ禍での御葬儀の現状をお話し申し上げました。

 御家族の方からの事前相談と違い、お受けする方も思わず力が入り、特にお若い方の場合は、後戻りできない空気に背中をどんと押されたような緊張感が走ります。

 以前、当センターの賛同社のTさんから「先週面談した○○様がご逝去されたとお兄様から電話を頂き、これから病院へお迎えに伺います」とのお電話を頂いた時には、一瞬何かの間違いではと思い、慌てて資料に目を通すと、矢張り3週間程前までメールのやりとりをしていた方のご逝去でした。

 御希望されていた見積りをお取りし、お渡しすると早速に丁寧な御返事が届き、暫くして見積りを書かれた担当者Tさんから詳しいお話をお伺いしたい旨、ご連絡を頂きました。

 Tさんがご本人様と面談されたのは、ほんの1週間ほど前のことでした。

 最初の事前相談ではメールでのやり取りの中で、ご依頼者との関係欄に本人と記され、現在は入院していないが、体調が悪化したら再入院予定と書かれていました。

 お見積りをお取りしたが、お入用になるのは大分先の話と勝手に思い込んでいた矢先のご逝去。

 ご本人様と面談されたばかりのTさんもショックを隠し切れない様子です。

 「入院した後はホスピスに行く予定」と明るく語りながら、綿密な打ち合わせをされ、「費用は全て兄に渡しておきます」とテキパキと指示されていたお元気なご様子からは、想像もできなかったと伺いました。

 しかしながら、ご本人様の心の葛藤は如何ばかりか。

 「覚悟」と言葉は言えるけれども、これから長い人生を謳歌できるお歳なのに・・・。心のコントロールは如何にされたのか・・・。

 胸が詰まってお聞きできないだろうが、お聞きしたかった・・・。

 改めて、お悔やみ申し上げます。 

事前相談

 父が入居中のホームより、夕刻突然父が息を引き取ったとの連絡を受け、高齢でしたので心の準備は出来ていたつもりでしたが、その晩父と面会した後、ホームから「霊安室がないので直ぐに引き取ってください」と言われました時、つくづく葬儀社を事前に決めておいてよかったと思いました。お蔭様でパニックにならず、冷静に対応できました。

 御葬儀後、お礼とご報告のメールを頂きました。

 センターでは事後の御相談も数多く承っておりますが、事前に御相談頂き、御相談のやり取りの中でご要望に合うと思われるセンターの賛同社・複数社をご紹介し、御紹介した賛同社より見積りをお取りし、ご検討頂き、更に出来ましたら御紹介した賛同社の担当者と直にお会いになり、より具体的な御相談をお願いしております。

 お身内の方が事前に御相談されるお気持ちやお立場はそれぞれですが、やり直しが効かない未知のことへの不安や、看病しながら必死に戦っていらっしゃる方を目の当たりにして、大方の方は時に自己嫌悪に陥りながらも、無事やり遂げなければとお気持ちを奮い立たせての御相談かと存じます。

 それでも、ご相談者のお気持ちをお察ししながらの担当者による気配り・心配りのアドバイスに、いつしかご相談者もあらかじめ知っておくことが、ひいてはきちんと送ってあげることに繫がっていくのではとの思いに駆られ、お気持ちも次第に落ち着きを取り戻し、残り少ない時間を看病に専念し、悔いを残さずお見送りができたとのご報告も数多く頂いております。

 当惑しながらも担当者とご面談をされ、メールや電話でのやり取りをされていくうちに、不安や疑問も少しづつ取り除かれ、安心して看病に集中されていくご様子が伺われます。

 御葬儀だけはやり直しがききません。

 御相談後は精一杯の看病をして差し上げて下さい。

今こそ担当者とのコミュニケーションが大事です・・・。

 昨年来世界中を巻き込んでいるコロナ禍対策は、自国の思惑も絡んで様々な様相を呈してきていますが、日本での感染は来週から開催されるオリンピックをはさんで、増加の一途をたどる傾向にあるとマスコミは警告を発しています。

 昨今、御葬儀の世界も不特定多数の方々がお集まりになる一般葬が敬遠され、このようなご時世ですからと、お身内だけでお見送りされ、通夜を省いた1日葬が大方を占める様になってきました。

 本来でしたら、我が家はこのようなお見送りされたいとのご要望をお持ちだった方も、コロナ禍だからと半ば諦め、規格品の当たり障りのない御葬儀が執り行われておりますが、後々本当はこうしてあげたかった、このようにしてお見送りしたかったとのご不満が出てくるのは必須です。

 しかしながら、御葬儀だけはやり直しが出来ません。

 そのご不満を解消し、ご納得のいくお見送りをするためには、ご喪家のお気持ちをストレートにお話しされ、それを受け止めてくれる担当者との出会いが重要になってきます。

 特に少人数での御葬儀の場合、担当者とのコミュニケーションがどれだけ取れるかにかかっている、と言っても過言ではありません。

 そこで様々な状況を乗り越え、御葬儀を熟知しているベテラン担当者の出番です。

 アンケートでも「葬儀社だけでなく、担当者の方が重要で、常に私共の主旨を素早くご理解頂き、私共と同じ目線で一緒に考えてくださり、コミュニケーションが良く取れ、イメージ通りの葬儀を行うことができました」とのご報告も頂いております。

 また、生活者の目線を常に大事にされていた女性担当者は、その場その場の判断力が大事で、永年常にご喪家の方々のお顔を見ながらやってきたので、接していると何が必要か分かりますとのこと。

 以前立会いにお伺いした際も、何気なく拝見していると、ご出席の皆様があれこれと叔母さんパワーを頼りにしていらっしゃったのが印象的でした。

 ある時、御葬儀の最中に、読経中の御住職の奥様が危篤状態との緊急電話が入りました。

 御住職は火葬場までお付き合いされる様子ですが、担当者は喪主にそっと進言されたとのこと。

 「初七日の法要も終わったことですから、御住職にお帰り願ったらどうですか。ご存命のうちにお会いされた方がよろしいのではと御住職に申し上げては・・・」

 喪主も思わずご納得されたと伺いました。

我が家からのご出発

 かつて御葬儀は自宅で執り行われ、ご近所の方々からのお見送りを受け、永年住み慣れたご自宅からの出発が主流を占めていましたが、都会を中心に住宅事情と相まって、いつの間にか病院からの搬送先もご自宅から安置所に代わり、安置所から葬儀式場へと運ばれ、式場での御葬儀の後、荼毘に付されるケースがほとんどとなってしまいました。

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀自体も3密(密閉・密集・密接)を避け、お身内を中心に出来るだけシンプルな形へと舵が取られ、現状はある意味、よりドライな方向へと拍車がかかってきているようです。

 更に、ご逝去後は病院から安置所、安置所から御葬儀をせずに火葬場へと直行される直葬のケースもごく一般的になって参りました。

 御葬儀の形はご喪家のご事情により夫々ですが、御葬儀形式の変化と共に、故人様が長年育んできたアイデンティティの一環としての我が家の存在は、いつの間にか素通りされてしまった感がありました。

 そんな中、ご近所とのお付き合いも希薄になってきた昨今ならではの見送り方として、通常の逆手を取り、安置所ではなく、以前の様にご自宅からのご出発を希望される方も出てきています。

 病院近くのウイークリーマンションで、長年ご主人の入院生活を支え続けてきた奥様のことが思い出されます。

 ご近所には御葬儀後ご報告される手前、そっとお気を使われてのご帰宅になりましたが、御主人にとって1年9ヵ月ぶりの我が家で奥様が最初にされたのは、長い間閉めっぱなしにされていた雨戸を開け、御主人ご自慢のお庭を見せて差し上げることでした。

 入院という非日常生活から、かつての生活の場であった自宅に一旦お戻りになることで、双方がより日常に近づくことが出来、それがお見送りする方の支えにもなられたとの由。

 また、先日弟様から御相談頂いた方も、病院から御自宅に搬送され、荼毘に付すまでの間、御兄弟だけでご一緒にお過ごしになられ、読経もご自宅で済まされました。

 御葬儀のお式はせずに直葬にてのお別れでしたが、故人様も永年御一緒に住まわれていた御兄弟との生活の場からのご出発で、ご安心されて旅立たれたのでは・・・。

 お誕生日3日前にご逝去された、都内下町商店街の魚屋さんは、御家族のたっての願いで、最後のお誕生日をご自宅でお迎えになられ、お誕生日までの3日間は商店街のお仲間達が随時お集まりになり、最期のお別れをされ、ご自宅からのご出発となられました。

 様々な分野で混乱を招いているコロナ禍ですが、御葬儀の世界も、今一度各人が御葬儀の在り方を問うきっかけになれるかもしれません・・・?

ご喪家の目線に立ったアドバイスに期待を・・・。

 昨年来のコロナ禍の中、2ヵ月ぶりに9都道府県の緊急事態宣言が解除されましたが、患者数は一向に減る気配のない状態が続いております。

  御葬儀の世界も、このご時世では・・・を合言葉に、当たり障りのない、howツウ式のお別れの仕方が一見大手を振っている様に見られますが、ご喪家にとっての本心は・・・と矢張り複雑な思いがあるようです。

 しかしながら、様々な行事が中止され、延期に追い込まれる中、御葬儀だけは中止、延期とも選ぶことはできません。

 規模は縮小されても、3密に注意しながらも最期のお別れだけは各ご喪家のご納得のいくやり方で、後々、思い残すことのない御葬儀にしたいものです。

 コロナ禍での御葬儀も、昨年当初はとりあえず差しさわりのない、howツウ式の御葬儀で我慢を強いられてきましたが、御葬儀の見送り方は各ご家庭によりご要望も様々あり、長期戦に突入して矢張りご不満も出てきます。

 頼みの綱はご喪家のご要望を汲み取り、臨機応変にその場の状況に応じた対応ができる担当者です。

 昔から、担当者の決め手は「聞き上手」とも言われています。

 ここは長年ご喪家のご要望をいち早く察知し、どのようにしたら少しでもご要望に近づけるかと、格闘されてきたベテラン担当者の出番です。

 以前、初めての御葬儀を出されたご相談者からのアンケートで、「ボーとしていたら(葬儀社に)いいようにされてしまった」とはよく聞くが、「ボーとしていたら私共のいいようにしてくださった」。また「追加オプションを勝手に付けられた」とはよく聞くが、「これは不要ですね」と削ってくださった。

 更に、御葬儀後もお世話になり、手厚く助けていただき、どんな小さな疑問にも、丁寧にお答え頂だいたとご回答いただき、御紹介した当方も、我がことの様にホッとしたものでした。

 又、あるベテラン担当者は常にご喪家の目線に立ったアドバイスをこころがけ、ご相談をお受けする際にはお送りする方向が一緒になれるよう気を付けているとの由。

コロナ禍で見えてくるものは・・・。

 東京オリンピックを間近に控え、コロナ禍での右往左往の状況が伝えられる昨今ですが、終息の気配は一向に見えてこないようです。

 3密(密閉、密集、密接)を避け、外出を避け、集会を避け、手洗い実行と出来る限りの準備態勢を取っていますが、更に新たな感染も予測され、様々な分野でのストップ状態が続いていますが、御葬儀だけは待ってくれません。  

 コロナ禍以前は、生前お世話になった方々や、長年親交のあった方々が最期のお別れをと、葬儀式場に掛け参じておりましたが、最近ではご喪家に気を使い、ご喪家サイドもお越し頂く方々を気遣い、御家族のみでのお見送りされるご喪家もみられるようになって参りました。

 以前はご逝去された病院から、葬儀社さんの方で手配された安置所に搬送・ご安置され、御葬儀当日をお待ちするスタイルが多くを占めておりましたが、御家族のみでのお見送りではご葬儀・告別式を省き、その代わり荼毘に付される当日まで、永年住み慣れたご実家で御家族とご一緒にお過ごしになられるケースも増えてきている様です。

 昭和の時代、ご自宅での御葬儀が主流をしめていた御葬儀も、平成・令和といつしか式場での御葬儀に変貌し、葬儀=葬儀式場が当たり前になり、時として華美な状態も取り沙汰されてきましたが、昨今の状況を機に立ち止まって御葬儀の在り方を一考される方も多いのでは・・・。

 長年、家を中心にしてきた御葬儀も、故人様との個人的なお別れをどのようにされるかが問われる時代に突入していくのでしょうか。

 更に、お別れの仕方はご家庭によりご要望も千差万別の時代に入っていくのでは・・・。

 先日も病院でご逝去されたお母様をご自宅にお連れし、荼毘に付すまでの2日間、姉妹3人で見守り、御住職に読経だけをお願いされた後、火葬場へと向かわれました。

 最期のお別れまでの間、お母様とごゆっくりお過ごしになられたご様子と伺いました。

終わり良ければ全て良し・・・?

 「晩年、父は病の連続で苦しい人生になり、医者にも恵まれず、大変な思いをしてきましたが、最後に良い葬儀社さんに恵まれたのも、真面目一筋の父の人徳だったのかな・・・と思っております」

以前、ご相談者から御葬儀後に頂いたお礼の文面の一部です。

 内輪だけでのご葬儀が多い昨今ですが、以前からやり直しがきかない御葬儀の良し悪しは、担当者の采配如何で決まるとまで言われてきました。

 コロナ禍の中、ご葬儀を初めて体験される方も多く、緊急事態宣言下の折、どの様な御葬儀をどの様に始めたら良いのか、中々見当が付かず、ご不安だけが先立ちますが、少しでもご満足のいくご葬儀にするためには、御葬儀までの短期間の間、ご喪家と担当者とのコミュニケーションが、どれだけ取れるかにかかっている、と言っても過言ではありません。

 当センターでは以前から一貫して一人の担当者が最初から最後まで面倒を見る方針を貫いており、特に昨今の様に世の中の状況が目まぐるしく変化していく中、ご喪家の方々にとっても安心材料の一つになっているようです。

 と言っても、葬儀社さんの方で一方的に指図するのではなく、一歩引いた立場での裏方に徹する仕事ぶりに好感を持たれる担当者もいらっしゃいます。

 また、ご依頼者からご要望をお伺いし、「普通」 を押し付けず、ご喪家に見合った御葬儀を提案される担当者と様々です。

 相変わらず、ハウツー式のマニュアル通りの御葬儀が多い中、ここは緩急を心得たベテラン担当者の出番でもあります。

 コロナ禍で様々な制限が加わる場合でも、状況に応じて対応出来るベテラン担当者の臨機応変な采配ぶりが、少しでもご満足のいく御葬儀へと繋がって行きます。

 本当はこうして見送りたかったと悔やんでも、ご葬儀だけはやり直しが出来ません。

 「終わり良ければ、全て良し」ではありませんが、どんな状況下になろうとも、センター共々ご納得のいく手助けの一環になればと存じます。