本物を見る目

 先日、1年半がかりで自宅のソファを買い替えたという、私より少しだけ年上の友人と話しをしました。
 なんでも、自分が納得のいくソファを探し続けて一年半目にしてやっと出会えたそうです。それは、ブランド物でもなく、高級品でもなく、ただただ自分が納得し、自分の好みにぴったりあったというものでした。大きさ、硬さ、高さ等、全てにおいて妥協することなく探し続けて、やっと良いものに巡り合えたと言っていました。
 探し始めたころは、ただなんとなく「違うな〜」くらいの感じだったのが、沢山のソファを見ていくうちに「これは違う!」とすぐ判断できるようになったとか。
 そんな彼女は、基本的に本物志向です。手帳のカバーひとつをとっても、ノーブランドのものですが、質がいいものを15年以上使い続けて、”いい味”をかもしだしています。
 「こだわるところはとことんこだわる」そして、「良いもの、本物を沢山見ることによって、良くないもの、ニセモノがすぐわかるようになる」が彼女の持論です。

 確かにそうだ!と共感しました。
 それは、物だけでなく、人間関係だったり、環境だったり、仕事だったり…。

 それは、ご葬儀においても同じだと思いました。
 ご葬儀の「こだわり」の部分は、それぞれの環境の中で色々と違ってくると思います。ご自身やご遺族にとって、こだわりたい部分は様々です。
 ご葬儀は、時間的な問題や地域的な問題などがあり、全ての「こだわり」に対応できるわけではありませんが、できる限り、その「こだわり」に近づけていければと思っています。

 そのために、良いものを沢山見て、目と感覚を養おうと思います。

海が好きでも。

 つい先日、グアムで散骨のセレモニーをしてきたという散骨の業者さんとお話しをする機会がありました。
ご遺族は、海軍の軍人だった故人様の遺言を尊重してグアム散骨を希望されたそうです。散骨用の船には、ご遺族・ご親族の皆様が乗船し、それはそれは感動したセレモニーだったと言ってました。

 日本の真冬の海は極寒で、荒れることもよくあるので、今の時期はよほどのことが無い限り散骨はしないそうですが、3月以降はけっこう予約が入っているとか。

 近年、有名人などの散骨がニュースなどで報道されたりすることも影響しているのかもしれませんが、自身の遺骨を散骨してもらいたいと希望する人が増えてきたそうす。とはいえ、遺志を遺したとしても実際に自分亡き後、散骨をしてもらえるのでしょうか。

 散骨や分骨に関しては、賛否両論で、さまざまな意見があると思います。自身の思いだけではなく、家族、親族など、周りの人の理解や宗教的なことも関係してきます。
 ただ、お墓を持たない、また、身寄りが無く、お墓を守る人がいないなどの事情がある人にとってはとても良い方法なのかもしれません。

 我が家でも、散骨は時々話題に出ることがあります。我が家は夫が次男のため、代々のお墓には入りません。となると…選択肢として散骨もありなのでは?
 夫も私も自分自身は散骨もいいなと思っているのですが、我が家にも反対者がいました。娘が猛反対しています。

 自分自身だけでなく、遺族の捉え方も大きく関係してくることだけに、散骨を希望する人は周りの人にきちんと理解してもらうことが重要なんだと、実感しています。

写真

 数年前のことですが、一人暮らしで亡くなった義父の遺品整理の現場に立ち会ったことがあります。

 部屋にあった大きな仏壇の処分に困ったことが業者さんに頼むきっかけでした。
 仏壇屋さんに相談したところ、中の御位牌をきちんとしたかたちで移動しているのなら、空の仏壇はただの箱。解体して普通にゴミにだしても大丈夫。と言われたのですが、気持ちの上で整理がつかず、専門の業者さんにお願いして、きちんとお焚きあげで供養してもらおうということになったのでした。

 業者さんが来る前に、一通り必要なものを持ち帰り、後は全て処分してもらうことになっていたので、作業の途中は少し席をはずしていたのですが、引越し屋さんのように手際よく中の荷物をトラックに積み込み、大きな仏壇は丁寧に扱ってくれました。

 最後に業者さんが処分していいかどうか迷ったものが部屋の片隅においてありました。カメラと袋に入った写真の束でした。

 とても古い、年代物のカメラと、写っているのが誰なのかわからない写真。
 他の荷物と一緒に処分してもらってもよかったのかもしれませんが、私はなんとなく手放せず、そのまま持ち帰りました。
 
 義父の交友関係は息子たちにもわからなかったようです。
 今、その写真とカメラは兄の家にある仏壇の近くに保管されています。

斎場の情報

 ご葬儀の立会いに伺う際には、まず最初に交通の手段を調べます。
 それは、ご会葬に行かれる方も同じではないでしょうか。

 地元のよく知る斎場や、行ったことのある斎場、有名な斎場などの場合はとくに気にならないことですが、初めて行く場所の場合は詳細に調べないと、ご葬儀の場合は時間が決まっているので、安心ができません。

 最寄りの駅から徒歩圏内にある斎場でも、駅からの出口を間違えてしまえば迷ってしまったり、駅からバスに乗るなどのさらなる交通手段を必要とする場合は、バスの時刻表を調べたりしなくてはなりません。
 また、バスターミナルがあるような大きな駅などの場合は、どの乗り場に行けばいいのか、行ってみないとわからなかったり、また、逆にバスの本数が一時間に一本しかないなどの場合もあります。

 自分自身が困ったことは、もしかすると他の誰かも困ることなのかもしれません。
 当センターの斎場案内は、実際に行って調べた情報や、感じたことが書かれています。

 私も、ご葬儀の立会いや、斎場の見学に行った際には、アンテナを張り巡らせて、役に立つ情報を配信していこうと思います。

肩こり

 ここ数日の寒さはかなりなものです。
 暖房を入れていても、体のどこかが冷えている状態で。

 今、一番つらいのは「肩こり」。
 肩こりというより、背中全体がこっています。

 ずっとパソコンに向かっていることと、趣味の針仕事のせいだとは思うのですが、やはり寒さも影響しているかと。
 寒いと、意外なところに力が入っているようで、しかもたくさん着込むと重い上着がさらに肩こりを悪化させるのでしょう。

 ゆっくり湯船につかってリラックスしていると一時的にこりがほぐれるというか、楽になります。

 少なくともあと一カ月はこの寒さが続くでしょうから、すでに遅すぎるるとは思いますが、何か対策をねらなければ。

 節電・省エネ…を考えると、やはり体の中から温めるのが一番です。
 しばらく、「生姜紅茶」が夜のお供になりそうです。

積雪

 昨晩、天気予報で夜は雪になることを承知の上で出かけたところ、予報で知らせていた時間より少し遅れた頃から雪が降り始めました。
 そんなに積もらないだろうと、気を抜いていたのですが、気がつくとみるみるうちに積もっていく…。
 電車に影響が出ないうちに帰らないと…と、あわてて帰って来ました。
 駅から自宅まで10分ほど歩いたのですが、すぐに傘が雪で重くなり、何度も雪を払いながら、「明日の朝はアイスバーンになってるんだろうな…」と思い、サクサクと新雪の上を歩きました。

 案の定、朝には家の周りの雪はカチカチのアイスバーンになっていました。小学生は家の前を楽しそうに歩いているのですが、交通に障害がでて、困った人も大勢いたことでしょう。

 夕方近く、「スカイツリーから30cmの雪の塊が地上100mから落下」というニュースを見ました。
 30cmの雪の塊といっても、サクサクの雪ではなく、氷に近いのでは?!それが地上100mのところから落ちてきたとしたら…。想像しただけでも恐ろしい。
 以前、道を歩いていたときに、木の上から頭上に雪が落ちてきたことがありました。多分4〜5mくらいの木だったと思うのですが、それでもけっこうな衝撃があったのですから。

 足元が悪く、道の様子を見ながら下を向いて歩き、頭上も注意しなくてはならず、雪が積もった翌日は本当に大変です。

 東京に雪が積もるのは年に数回あるかないか…。慣れるというのも難しい話です。たった一年前の経験もなかなか思い出せないくらいですから。

 この冬に、また雪が積もることがあるかもしれません。皆様、上も下も、十分にお気を付けください。

インフルエンザ

 我が家の家族が一人、風邪で寝込んでいます。
 基本的な手洗い・うがいはちゃんとやっていても、やはり疲れていたりすると抵抗力が弱まるのでしょう。
 インフルエンザの流行もそろそろでしょうか。
 私はなぜかインフルエンザにかかりやすいタイプのようで、2年に一度はタミフルのお世話になっています。
 予防注射を摂取しているにも関わらず違う型のインフルエンザにかかったこともありました。
 去年はかからなかったので、今年はキケンかもしれない。しかも、今年は受験生が家にいるのでなるべく、外には出ずに過ごそうと思っています。
 しばらくの間、外出の時のマスクは必需品になりそうです。
 
 皆様も、くれぐれもお気をつけください。

親戚の葬儀

 昨年末に親族として葬儀に参列しました。
 母の叔母ということで、私にとって血縁的にはそんなに近くはないのですが、親戚の中で一番近所に住んでいたため、「近くのおばあちゃん」として、よく遊びに行っては可愛がってくれた人でした。
 大人になってからは、近くを通ってもなかなか顔を出すタイミングがなく、しかも、この10年くらいはまったく会っていなかったのですが、具合が悪いなどとは聞いていなかったので突然の訃報に驚きました。
 末期がんで全身に転移していたとのことなのですが、幸いにも痛みはあまりなかったようで、「私は何の病気なんだろうね…?」と、最期まで自分が何の病気だったのかわからないまま旅立ったそうです。
 葬儀は葬儀社のホールで執り行われました。会葬人数は30名ほどで、大きな式場をパーテーションで分割してあり、式中はパーテーションの向こう側でお清めの準備をしていました。
 読経中、食器がぶつかる音やお料理を置く音が響いてしまっていたのが少し気になっていたのですが、短時間で準備をしなくてはいけない状況なので仕方ないことなのだと思っていたところ、他の親戚も気になっていたらしいということを後から聞いて少し残念に思いました。
 その後通夜は滞りなく閉式し、お清めでは久しぶりに会った親戚と「近所のおばあちゃん」の話やみんなの近況の話で笑いあり、涙あり。
 その間に、私は翌日の告別式に参列できないので、棺のふたを少しずらしてもらって「近所のおばあちゃん」に最期のお別れをしました。
 じっくりお別れができてよかったと思っていたのですが、その後時間が経つにつれて大きくなってきたのが「もっと会いにいけばよかった」という後悔です。
 葬儀において後悔のないようにとお話させていただいていますが、そのもっと前の段階、元気なうちにしっかり孝行しないとこんなに後悔するんだなとつくづく感じています。

寒中見舞い

 今日は「寒の入り」です。冬の寒さが一番厳しい時期となります。
 喪中の方は今日から節分までの間(寒の内)に寒中見舞いでご挨拶をします。
 年賀状は松の内に出すとのことですが、毎年ぎりぎりこの時期に届いた年賀状の返事をどうするか迷います。
 もうお正月気分ではない時期ですし、届くころには松の内は過ぎてしまう。やっぱり寒中見舞いでお返事するべきでしょうか…。

 ここ数年、我が家に届く年賀状は元旦に届いた数よりも、数日遅れた日に届く数の方が多くなっています。やはり年末はみんな忙しいからでしょうか。私も人のことは言えず、私が出した年賀状も恐らく3日あたりに届いたのではないかと思われます。
 
 年賀状は必要なのか?と考えた時期もありましたが、やはり新年のご挨拶。無くなってしまうと物足りないのだと思います。

 今では25年以上、年賀状だけのお付き合いの遠方の友人もいますが、毎年きちんと元気な報告をしてくれるので、いつかその友人の住む地へ行くことがあったら是非再会するために、連絡先はしっかり保管しておきます。

 これから2枚、寒中見舞いのはがきを書いて、明日ポストに投函します。

ありがとうございました。

 2011年最後の日になりました。

 歳を追うごとに一年の時間が短くなっているような気がするのは私だけでしょうか。

 今年は私にとって大きく変化した年だったせいか、今まで以上に本当にたくさんの方々に助けていただきました。
 親身になって相談にのってもうらうことのありがたさを実感し、助けてもらったことにとても感謝しています。

「ありがたかった」という気持ちは連鎖するんだと思います。私が与えてもらったその気持ちを活かし、少しでも誰かの力になれたらなと思わさせられる、ありがたい1年になりました。
 まだまだ微力ではありますが、私にできることが誰かのお役にたてるよう、がんばりたいと思います。

 新年を迎えるにあたり、大切な人を失ってしまった方、また、お身内に心配な方がいる方など、さまざまな事情があるかたもたくさんいると思います。
 どんな方も、良い年が迎えられますよう、心からお祈りいたします。

今年のブログは最後になりました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。