晩秋とジャズとご葬儀と・・・。

 11月も半ば、お天気も回復しつつ、秋も一段と深まって参りました。

 我が町、東京・阿佐ヶ谷も例年のごとく10月末にはジャズフェスティバルが開かれ、以来街のあちこちでジャズの音色が流れ、晩秋の風物詩としての彩を添えているようにも思われます。

 時に楽しく、時に物悲しく心に響くジャズの音色に魅せられて、ご葬儀でも度々演奏され、ジャズが流れる印象的なシーンもしばしば耳にしております。

 以前、永年都内でジャズ喫茶を経営された方の告別式に立ち会った際、前夜の通夜の御様子を伺い、思わず聞き入ったことが昨日のことの様に思い出されます。

 当初、音楽葬を御希望とのことで、式場選びに難航しましたが、臨海斎場では当日お隣の式場が空いており、多少の音も目をつぶることが出来た御様子です。

 喪主の奥様は「無宗教での音楽葬を」との故人様の遺志を尊重し、通夜は昔からのジャズ仲間を中心に、御兄弟・ご親族の方々にお集まりいただきました。

 ご葬儀の担当者もご喪家の意気に感じ、献花台を正面に置かず、わざわざ右側に置き、献花をされてから正面の柩の故人様とゆっくりご対面し、お話をして頂き、左側には思い出コーナーを創り、ご対面後故人様との思い出の写真や品物をゆっくりご覧頂く流れを創りました。

 通夜の晩、ご葬儀の途中で感極まったお仲間の1人がトランペットを吹くと、他のジャズ仲間もご葬儀中であることを忘れたかのように、そっと楽器を手にして演奏を始め、皆の熱い思いは尽きなかったご様子です。

 一方、地方からお越しいただいたご親族様は、当初通夜が始まるまで無宗教の音楽葬に難色を示し、特に故人のお兄様は大反対とのお話でした。

 しかしながら、仲間達の深い友情を目の当たりにして、通夜の御挨拶では涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」と感激されたとの由。

 お伺いした告別式は御家族ご親族のみのお見送りになりましたが、ゆったりとしたジャズの音楽が流れる中、お身内同士のお話が進み、30分後の献花に始まり、柩を囲んでの最後のご対面となりました。

 火葬を待つ間のお食事会で奥様はお兄様から改めて御挨拶を頂きました。

 「これからもどうぞよろしくお願い致します」と・・・。

ご葬儀でのお言葉とは・・・。

 先日、ご葬儀の前にお伺いする場合、ご喪家の方々にどの様な御挨拶すればよろしいのでしょうかとのお問い合わせをいただきました。

 妹様のご主人のお父様がご逝去され、これからご自宅にお伺いし、お父様の納棺の儀に立ち会うご予定との事。

 通常ですと、納棺の儀は故人様を柩に移す儀式ですので、ご出席の方々も故人様と関係が深い故人様の御兄弟、ご家族、ご親族、親しいご近所の方等に委ねられる形になりますが、地域により、またそれぞれのご家庭のご事情もございますので、遠縁の方が納棺に立ち会う必要性を問いただす訳にもいかず、ごく一般的なお悔やみのお言葉を申し上げました。

 しかし、ご相談者はお悔やみのお言葉の後をどのようにすればよろしいのかとのこと。

 お悔やみのお言葉に添えて、「何かお役に立てることがございましたら、ご遠慮なくご用をお申し付けください」等の一言を付け加え、ご喪家のお手伝いを申し出たいところですが、普段ご喪家とのお付き合いもないご相談者の立場では、受け取り方により取って付けたような言い回しになりかねないので、率直なお気持をお伝えした後は間に入っていらっしゃる妹様にお任せされ、ご喪家もお忙しく大変な折ですが、お気持は伝わると思いますので、長居をしないようにお気を付けることを申し伝えておきました。

 一連のお式が円滑に進み、ご喪家に失礼の無いようにすることも大切ですが、ともすると慣れないあまりに、ご葬儀はこうあるべきとのハウツウ形式にとらわれ、最近は双方とも通り一遍のお見送りになってしまった感が見られると思うのは勘繰りすぎでしょうか。

 ご葬儀ではご喪家の御挨拶に始まりご会葬御礼のお言葉まで、また弔問・ご会葬の方々の御挨拶等様々なお言葉がございますが、心に残る御言葉は必ずしも形式に則ったものとは限りません。

 以前、立会いでお伺いした際の喪主の御挨拶は今でも心に焼き付いています。

 ご出棺に先立つ御挨拶の代わりに、長患いの末ご逝去されたご主人の病状を克明にお話された奥様の、これを話さずしてご葬儀を終わらせないとばかりの迫力ぶりは、100名程のご会葬の方々をその場に釘付けし、暫しご出棺の時間を忘れさせる程でした。

 ご会葬の皆様の拍手でのご出棺後、お帰りになられる方の表情が一様に晴々として、ご納得された御様子が見て取れ、傍でご一緒にお話をお伺いした当方も、思わず大きく頷いて、深呼吸をさせていただいたのが、昨日の様に思い出されます。

気配りはより淡泊な傾向へ・・・。

 「ご会葬の皆様には晩年の寝たきりに近い親父ではなく、元気に活躍していた当時を偲んでもらうのが一番でした」

 ご葬儀当日、お父様が撮られた短編映画の上映をされたご相談者から、ご葬儀後感謝のお手紙を頂きました。

 ご紹介した賛同社の担当者はご相談者のたっての願いを受け入れ、ご自宅に毎日足を運びつつ、ご相談者とのコミュニケーションを図り、ご葬儀当日はご相談者曰く、完璧と言っていいくらいにイメージ通りのご葬儀を執り行うことが出来、感謝の一言に尽きるとのこと。

 また、別のご相談者からは「ご葬儀後、心に残るご葬儀だったとお手紙を頂き、ご葬儀は済ませたものの、これでよかったのだろうかと悩んでいた私の気持ちも軽くなりました。1人っ子の私ですが、無事父を見送ることが出来たのも担当者を初め、皆様のおかげと感謝しています。有難うございました」

 ご葬儀後のアンケートではご喪家のご事情を酌んで「これで十分、これは特に必要ないとまで言ってくれました」。

 依頼者の立場に立ってアドバイスをし、故人様を知る方々からも「○○さんらしい葬儀だった」とお褒めの言葉を頂き、「私の時もお願いしようかな」とお母様にお話されていらっしゃったとの由

 上記3例とも同じ方が担当され、その気配りの有る対応ぶりにご紹介した当方も我がことのように嬉しく、暖かい気持ちにさせられたものでした。

 ご相談者のお気持を察し、さりげなくアドバイスされ、ご喪家の意を汲んで対応するベテラン担当者の采配ぶりには日々大いに学ばせていただきました。

 お一人お1人の人生の締めくくりともなる、ご葬儀の良し悪しを決めるキーポイントの一つは、ベテラン担当者の気配りに有りと言っても過言ではありませんでした。

 最近、久しぶりに知り合いのご葬儀にお伺いし、現場の御様子を拝見させて頂く機会がございました。

 ご葬儀の対応ぶりは事細かく親切丁寧で申し分ありませんが、ご喪家のお気持ちを察し、一歩踏み込み、先を読むまでには至らないように感じられたのは考え過ぎでしょうか。

通夜の夜は皆で過ごしたい・・・。

 先日、ご高齢のお父様の体調が思わしくなく、万が一を考慮されてのご相談を頂きました。

 ご相談者の一番のご要望は、最後の一晩を出来るだけ多くのご親族の方々とご一緒されたいとの由。

 最近では消防法で線香等が21時までと決められ、お泊りも制限されている市営斎場等も多く、それに伴い民営の斎場もご要望にマッチするところが難しい状況になってまいりました。

 ご葬儀の担当者も頭の痛いところとは存じますが、ご相談者の少しでもご納得のいくご葬儀の方向をお話し合いしていただければと存じます。

 以前,御祖母様のご葬儀の際、一晩ご親族の方々とご一緒にお過ごしになりたいとのご要望を頂いた担当者は、何とか皆様のご要望に沿いたいと、つてを頼りに公には公開されていないお寺のご住職と直談判をされました。

 本堂とお清め用の大広間のご使用の承諾を得、お清め後の大広間をそのままご利用になり、ご親族の皆様が御祖母様を囲んで最後の夜をお過ごしになられ、ご葬儀後大変ご満足いただいたとのお礼状を頂いた事がございました。

 また、通夜の晩、遠方から駆け付けたご親族や友人十数人が式場にご安置されている故人様を交代で見守り、お隣の大広間にお布団を敷き詰めて、皆様で一晩雑魚寝をされ、冷え性の方もお布団が温かく感じられる程ご満足されたとのご報告も頂いております。

 ご親族の方々もこうした機会は初めてとのことで、喪主のご相談者も「合宿のような一晩が思い出深く心に刻み込まれた気がします。父が皆様をより一層仲良くさせてくれた時間に思えました。翌朝、バケツリレーのようにして皆様の手で次々とお布団の山が出来たのは圧巻でした」との嬉しいご報告を頂いたのが昨日の様に思い出されます。

直葬でのお別れ時間の取り方は・・・。

 「独り身だけれど、今まで大勢の方に世話になりました。昔の人は老い支度と言って、いざという時困らないように貯めていましたよ。葬式には出来るだけ沢山の人に立ち会ってもらいたい。誰かがちゃんとやってくれるでしょう。それが人の世というものだ」

  10年程前、語気を強めた声がラジオから流れていました。

 直葬という言葉が、マスコミを中心に取り上げられ、話題になるにつれ、賛否両論に分かれ、あちこちでバトルトーク合戦が繰り広げられていたのが、つい昨日の様に懐かしく思い出されます。

 都会を中心に、いつの間にか浸透し、最近ではご喪家の事情に合わせて様々なバリエーションの直葬も目につくようになってきました。

 御家族と御兄弟の方のみでのお見送りをご希望され、ご葬儀のお式を省いた直葬をご希望の方が増えておりますが、お式が無い分、お別れの時間が取れない慌ただしさがございます。

 センターへのご相談でも、最期のお別れだけはゆっくり時間を取りたいとのご要望も多く、最近では葬儀社の方々にもそれぞれに、臨機応変な対応が求められて来ているようです。

 ご自宅でのお別れの場合は、葬儀社さんの方で納棺のお手伝いとご焼香のご用意、ドライアイスの交換だけをしていただき、お別れのお時間を十分お取りできますが、ご出棺当日までご自宅以外にご安置の場合は、葬儀社さんにより様々です。

 葬儀社さんの中には自社式場の和室に「付き添い安置」という形を取られ、ご自宅でされるようにお線香をあげ、ご喪家の方の1晩中付き添い、翌日ご出棺が可能なケースもございます。

 また、自社式場を所有している葬儀社さんの場合、ご出棺当日の朝、安置所から空いている式場に移動し、こちらでゆっくり柩へのお花入れとお別れが可能な社もございます。

 中には、ご出棺前日に自社安置所にお集まりいただき、お別れ室にてゆっくり1時間程のお別れが可能な社もございます。

 直葬のご要望が増える中、少しでもご要望に沿った様々なバリエーションのお別れができるよう、更なる期待をしたいと存じます。

担当者の気遣い

 病院の一室で84歳のお誕生日を目前に、お父様は静かに息を引き取られました。

 ご自宅にお戻りになり、御家族皆様の思い出になるようにと、御家族の手で最後のお誕生日をお迎えになりました。

 3日後、お誕生日を終えられ、斎場に向かわれる際、柩の脇に置かれた大きなケーキを見つけたご葬儀の担当者は、少しでも皆様の思い出になるようにと写真に撮ってから、その見事なケーキを柩のお父様の脇に置かれたとの由。

 お誕生祝いのケーキは御家族の皆様にとりましても特別なものとなり、思い出深いご葬儀になった旨、ご報告を頂きました。

 お父様を亡くされたご高齢のお母様にとって、2日間の斎場への往復は体力的にきついとのお話をお伺いしたご葬儀の担当者は、斎場2階のバス付の遺族控室を提案し、浴衣もご用意できますが、のりが付いたごわついた感触がきつく感じられるのではと、普段、着慣れていらっしゃるパジャマ持参を推薦されたとの由。

 お蔭様でお母様はゆっくりお休み頂け、2日間を無事乗り切ることができましたとお母様のことが気掛かりだった喪主の息子様から早速のご報告がございました。

 永年、町の商店街で魚屋さんを営んできたお父様の故郷は千葉の港町でした。

 お父様のご葬儀が進行する中、大切に保管されていた大漁旗が斎場に届けられたのは、最後に執り行う柩へのお花入れ直前でした。

 お時間が無い中、担当者のとっさの判断で大漁旗が広げられ、柩全体を包み込むように覆うと、鮮やかな大漁旗はたちまちお父様の旅立ちにふさわしい装いとなり、商店街のお仲間達も万来の拍手でのお見送りとなりました。

 初めてのご葬儀で、お気持ちの余裕がない中、担当者のちょっとした気遣いが大きな力を発揮しています。

ご葬儀は無宗教葬で・・・。

 お寺さんとの付き合いも無いので、10年前に他界されたお父様同様に、お母様も万が一の際は無宗教での1日葬でお見送りをされたいとのご要望を頂いたのは、ご逝去の2ヶ月程前でした。

 お式の間特別なこともなく、お母様のお好きだった音楽を流し、献花でのお別れとなりましたが、ご列席の方々はお母様を良く知るお身内の方でしたので、ゆったりした時間が流れる中、夫々の方がお母様と向かい合って最期のお別れをされているご様子が強く感じられたとのことです。

 以前、立会いでお伺いした無宗教葬でのご葬儀が思い出されます。

 担当者と打ち合わせをされた際、ご喪家側からは「献花をする時間だけを取ってもらえれば、後は何もしないでほしい」とのご要望をいただいたとの事。

 オペラのアリアが流れる中、お集まりいただいた方々は三々五々おしゃべりに興じ、時折喪主の方が話しの輪に入り、リラックスされた御様子のまま30分が経過しました。

 30分後、お1人づつの献花が終り、最期のお別れの儀では各人がゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。

 何もされないで、ひたすら故人との対話の時間を作ってあげるだけ。

 こんなひとときがあってもよいのではと思わされ、ご葬儀と言えば1時間の中身のほとんどを儀式で占められ、ご出席の方々もひたすらそれに従っているように見受けられるご葬儀に慣れてしまった目には新鮮に感じられ、印象に残るお式でした。

 大好きな胡蝶蘭に囲まれた遺影の主は、ご出席いただいた皆さんとのおしゃべりを最後まで堪能され、ご満足された御様子でのご出棺となりました。

 但し、担当者からは親しい方以外の方がお越しになる場合、特に地方からお見えになられたご親戚の方がいらっしゃる場合等は、事の次第をご説明する必要が出てきますので、通夜の席で初めに喪主の方から無宗教になった経緯をご説明され、ご納得頂くことも大切ですとのお話を頂きました。

ご相談出来て、心強かったです・・・。

 病院から余命1週間から1ヶ月程と言われ、万が一に備えてのご相談を・・・とのご連絡を頂いてから2ヶ月後でした。

 ご家族とごく内輪のご親族のみに見送られ、お母様のお好きだった音楽が流れる中、10年前にご逝去されたお父様同様に無宗教での1日葬が執り行われました。

 A4サイズの遺影もご喪家でご用意し、会葬礼状も手作りされたとお伺い致しました。

 最初に相談を頂いた折、ご要望等とその理由をお伺いして、それに見合うと思われる地元の複数の賛同社から見積りをお取りし, 見積説明書と共にお送りさせていただきました。

 お送りすると同時に、お時間がございましたら是非に見積りをお出しした担当者とお会いになり、祭壇やお食事等の写真をご覧になりながら、直接具体的なご要望等をお話されることをお勧めいたしました。

 と申しますのも、ご葬儀の内容もさることながら、実際のご葬儀では担当者とのコミュニケーションのあり方が重要な要素を占め、特に少人数でのご葬儀では担当者との意思の疎通の良し悪しがご葬儀を決定するとまで言われ、ご葬儀後センターに送られてくるアンケートでも、多くの方から実感されたとのお言葉が届いております。

 ご相談者からは早速に各担当者とお会いになり、各人甲乙つけがたいが、担当者のきめ細かな対応ぶりに加え、見積りの組み合わせの自由度が高い社をお選びになられた旨ご報告頂きました。

 最初のご相談から1ヶ月後、お母様はお医者さんの見立てをはるかに超えて、よく頑張ってくれておりますとのご報告が入り、ご相談をお受けした当方もホッとすると同時に、出来るだけお母様のお傍にいて看護に専念して頂けるよう改めて申し上げた次第です。

 それから1ヶ月後、お母様は帰らぬ人となりましたが、ご紹介した担当者の対応にご満足され、センターにご相談出来て心強かったですとのご報告を頂きました。

人生最後のお花は・・・。

 「母の希望もあり、経済的な事情で直葬を希望しますが、お別れのお花だけは十分に用意したいです」事前のご相談を頂いた最中、容態が急変され、間もなくお母様は80年の生涯を終えられました。

 ご葬儀後、担当者から送られてきた写真には棺の他にピンクと白の鮮やかなお花が段ボールの箱いっぱいに映し出されておりました。

 お花でお見送り頂いたお母様もさぞかしホッとされた事と存じます。

 改めてご冥福をお祈申し上げます。

 かつてご葬儀用のお花は限定されていたようですが、昨今はお好みの色や種類をご指定される方も多く、母の日近くには真っ赤なカーネーションで祭壇を埋め尽くす方、また柩の上いっぱいに薔薇の花束をささげる方とご要望も様々で、お花には夫々の思いが連なっているようです。

 特に薔薇の花の場合はトゲがあり、お花も鮮やか過ぎて、ご葬儀には向かないと言われてきましたが、棺の蓋の上に置かれたこぼれんばかりの薔薇の花束は鮮烈な印象でした。

 他界されたご主人のお歳と同じ60本の見事な大倫の薔薇は、毎年奥様の誕生日にお歳の数だけプレゼントし続けたご主人への、奥様からの最初で最後の贈り物とのことです。

 一方、1日だけのお別れ会としてパーティ形式でのご葬儀では、柩周りを初め、献花もお棺へのお花入れも全て白薔薇で埋め尽くされた中、最後に奥様が一輪の真紅の薔薇を手向けられ、ご主人へのメッセージとも受け取れた鮮やかな印象は今でも脳裏に焼き付いています。

 写真は一切撮らないで下さいと言うのが、奥様のからのご要望でした。

 また、生前臨死体験をされた際に見られたお花畑をイメージした祭壇をとの故人様のご要望では、花屋さんもご家族から詳しくお話をお伺いし、春にお花見をされたお花畑を見事に再現されていました。

 お花畑の道をたどっていくと故人様にご対面できる造りの祭壇の脇ではピアノ、チェロ、バイオリンのトリオによる演奏が静かに奏でられ、ご会葬の方々は棺の周りにお集まりになり、故人様とご対面をされたり、お花畑を写真に収めたりとそれぞれの想いで故人様とのお別れをされていらっしゃいました。

 お花畑と、演奏されていた「人生って不思議なものですね・・・」の音色とが相まって、忘れがたいご葬儀だったことが思い出されます。

敬老の日とは・・・。

千葉県下に多大な被害をもたらした台風が去り、その爪痕に四苦八苦している昨今ですが、皆様は今年の敬老の日をどの様にお過ごしになりますでしょうか。

和太鼓の音が真っ青な空に突き刺すように響き渡る中、勇壮活発な音に合わせ、車椅子から身を乗り出すように踊っていた友人の飛び切りの笑顔が、懐かしく思い出されます。

東京郊外の特養老人ホームの広場では敬老の日・イベントのハイライトで、青空の下、若者たちが汗だくになってダイナミックに和太鼓を連打していました。

広い広場も車椅子の方とそのご家族の方々で溢れ、立すいの余地もない程に混み合っている中、永年音楽の世界に身を置いていた友人が久しぶりに見せた笑顔は格別なものがあり、友人の動きにつれて、周りの方々も負けじと若者たちに声援を送り、いつの間にか広場中が和太鼓との一体感で溢れ、大いに盛り上がりを見せていました。

その友人も半年後には帰らぬ人となり、早くも9年の年月が流れてしまいました。

かつて敬老の日と呼ばれていた9月15日の祝日は、ハッピーマンデー制度により、9月の第3月曜日に変更され、日曜日と併せての連休となりましたが、最近は行事としての話題性が今一つ欠けているようにも思われます。

人生100年時代と言われ、当方の周りもご高齢の方が増え、80歳を過ぎてもかくしゃくとして仕事をされている方も多く、老人の定義づけも難しくなっている昨今ですが、年齢にこだわらず、かつて戦後・昭和の時代をけん引したパワーを、再度お見せできるチャンスとして捉える方法もあろうかと存じますが、いかがでしょうか。

令和の時代に期待しています。