後悔しないお見送りを・・・。

 昨年のコロナ騒動以来、早くも2年近くが経とうとしています。

 私達の日常生活も、大分様変わりを見せてきておりますが、人の死だけはやり直しが効かず、変えることが出来ません。

 死を悼む気持ちは以前と変わりありませんが、それでも昨今は御葬儀の仕方に大分様変わりを見せているようです。

 以前のように通夜に呼ばれた方々が、通夜ぶるまいで故人様を偲ぶこともめっきり減り、お身内の御家族・御親族だけでひっそりと執り行われるケースが多くを占める昨今です。

 周囲の方々も不慣れな状況の中で、勢い、ご喪家の方々はネットに頼り、取り急ぎハウツウ式の御葬儀を執り行ったが、これで良かったのか否か、中には、こんな見送り方で…と、御葬儀後不安を覚える方々も多いと伺っております。

 ここはどんな状況下でも長年の経験から、目配り・気配り・心配りができるベテランの担当者の出番です。

 その時の状況下で、自在に対応可能な担当者の存在は重要です。

 メンタルな面も含めて、ネットでお調べしただけでは分からなかった新たな提案もして頂けますし、担当者からも「サービスが行き届かなかったら何にもなりません。金銭面だけでなく、御葬儀ではご喪家との信頼関係が何よりも大事です」と伺っております。

 これからもどんな状況下に置かれても、後悔しないお見送りだけは心掛けたいものです。

 本年も後数日を残すのみとなりましたが、来年は少しでも多くのご相談者のお言葉に耳を傾けられるよう、更なる努力をして参るつもりでおります。

 当方の担当も本年最後になりました。

 この1年拙いブログにお目を通していただき、有難うございました。

 来年も引き続き、よろしくお願い申し上げます。

 少し早めではありますが、よいお年を!

担当者からの適切なアドバイスを・・・。

 コロナ禍の中、沈静化の方向に向かったと思えば、又別なウイルスが頭をもたげ、世間は相変わらずモグラ叩きのような状態が続いていますが、月日は何事もなかったように進み、早くも師走の様相を呈しています。

 御葬儀の世界も、3密(密閉・密集・密接)を避け、出来るだけシンプルにと、通夜を省いた1日葬が主流となり、お身内のみでひっそりと執り行われるケースが、大半を占める様になって参りました。

 取り急ぎ、御葬儀を済ませることが第1目標となり、勢い、ネットを通じてハウツウ型の御葬儀で執り行ったが、少人数であるだけ様々な問題も露呈し、こんなはずではとの声も聞こえてきます。しかしながら、御葬儀だけはやり直しが効きません。

 ネットの情報は一見詳しく説明され、使いかってもよく、ご要望に沿っているようですが、ご喪家のご事情やご要望も嚙合わせると思わぬことから向き不向きも出てくるようです。

 それを補っていただけるのは、地元の御葬儀に精通した御葬儀の担当者ではないでしょうか。

 実際にお会いされてご喪家のご要望をお伺いし、整理していく内に、必要なもの、必要でないものが区別され、ご喪家からも担当者のアドバイスで助かりましたとの報告も、数多く頂いております。

 「ボーとしていたら、いいようにされてしまった」という話はよく聞くが、「ボーとしていたら私共のいいようにしてくださった」と感じました。

 「追加オプションを勝手に付けられた」とは聞くが、「これは不要ですね」と削ってくださった。

 葬儀当日だけでなく、後日もお世話になり、申し訳なくなる程手厚く助けて下さった。どんな小さな疑問にも、相談にも丁寧に答えて下さりお願いして良かったです」

 以前頂いたアンケートの一部ですが、ご相談者とのコミュニケーションがどれだけ取れるかが大きな鍵となり、それがご相談者の安心に繋がっているのでは・・・。

大皿に盛られた通夜ぶるまいの席は何処へ

 普段の生活で、ご葬儀に出席される機会は度々ございますが、一方でご自身が喪主になり、ご喪家代表としてご会葬の方々をお迎えする立場になるのは初めて、とおっしゃる方が大多数かと存じます。

 更に追い打ちをかけるように、昨年来コロナの存在が急浮上し、まるでもぐらたたきのように一つが休息に向かうと、さらなる新種が現れ、いたちごっこの様相を呈し、気が付くと、御葬儀の世界もコロナ禍以前の2年前とはだいぶ趣も異なって参りました。

 ご喪家にとりましては、未経験の御葬儀を無事終わらせることが急務のような状態が続き、取りあえずハウツウ式の御葬儀で間に合わせようと最近はネットに依存される方も多く、御葬儀終了後、これで良かったのか否か、どこか釈然としないとおっしゃる方の声も多く耳にします。

 勢い、当初のご要望とはかけ離れても、ともかくも御葬儀を終わらせるという意識だけが先行されているご様子が目につく昨今です。

 通夜の後、お越し頂いた弔問客に大皿に盛ったお料理やお酒が振舞われ、故人を偲んだ通夜ぶるまいの席も、最近のコロナ禍以降は縮小されて、お身内だけの通夜ぶるまいに限定され、長年の友でもある弔問客にはお持ち帰り用のお弁当がご用意され、故人様を偲ぶ余裕もなくなってしまった感があるようです。

 通夜ぶるまいを召し上がって頂くことが故人様の供養になると言われ、その昔は夜通し故人様を偲びながら席を設け、もてなすことで生前の感謝の気持ちをお伝えしたとまで言われています。

 1日も早い、コロナの終焉を祈るばかりです。

御葬儀とお食事の関係は・・・。

 12月に入り、年の瀬を迎え、また新たなコロナウイルスの情報が飛びかっています。

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀の世界でも最近は通夜を省いた1日葬と、通夜も省いた直葬が主流を占めつつあるとのこと。

 更に通夜を含めた御葬儀でも、お食事はごく内輪の方々に限定され、一般弔問客の方々にはお持ち帰りのお弁当がご用意されるという方向に舵が取られ、昨今は長年のご友人の方々が通夜の後、故人様を偲びながら、思い出に浸ることもままならない状況が続いています。

 現状をお伺いしていると、数年前の通夜での状況が懐かしく思い出されます。

 立会いでお伺いした無宗教葬の御葬儀では、中央の柩が無ければパーティー会場と見間違うほどの賑わいを見せていました。

 60名程のご会葬の方々は、柩を囲った白薔薇と同じ薔薇の花を手に献花を済ませた後、シャンパングラスを片手に一堂に会し、お互いに久しぶりの旧近を温め合い、故人様を偲びながら、古き良き時代の思い出に浸っているご様子でした。

 皆様のお話は尽きず、故人様との最期の晩さんはお時間をだいぶオーバーしてしまいました。

 喪主のご長男様から「父の遺言通りの御葬儀ができました。沢山の友人に囲まれて、幸せな人生だったと思います。お父さん長い間ご苦労様でした。旅立ちにあたり乾杯をさせて頂きますので、皆様今一度グラスを・・・」とのご挨拶を頂きました。

 「父の旅立ちに先立ちましてカンパーイ」

 ご出席の方々の心に深く刻まれたことと存じます。

 今は1日も早く、自由に選択できる御葬儀が執り行われることを祈るばかりです。

お参りしたい人のお気持ちも考えて・・・。

 先日、お父様がご自宅で突然死され、警察での検視も終わり、御家族だけでのお見送りのお支度にとりかかっていましたが、お父様の友達に知れるところとなり、皆様のご要望で急遽お別れの場を設けることになりました。

 突然のこと故、御家族のお気持ちも動転されている中、昨今のコロナ禍での御葬儀同様に、お身内だけでのお別れをあえて1日葬に変更され、お友達とのお別れの機会を設けられたとの由。

 以前、アンケートを頂いた方のお言葉が蘇ってきました。

 「涙も笑いもある御葬儀でした。看病の流れのまま御葬儀に突入しながらも、残された家族がどれだけ気持ちに余裕をもっていられるかで、参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まり、すべてが過ぎ去る前に気付かされたお蔭で、皆様にも私たち家族にも一生の悔いが残らずに済みました」とのお言葉がリフレインしています。

 当初、ご本人様からは御家族4名様での火葬のみを希望され、病院に日参されている奥様のお体を気遣い「参ってくれる人が一人増えれば増える程、あんたが疲れるのだから・・・」と言い続けていらっしゃったと伺っておりました。

 しかしながらご相談者は当センタ―のホームページに記載されていた「お参りしたい人の気持ちを汲んであげることも大切・・」のくだりが頭の隅にこびりついて離れなかったご様子との由。

 当センターとのやり取りの中「近親者の率直なお気持ちをお伺いしていくうちに、父には申し訳ないが、御葬儀は私たちがどれだけその人達のお気持ちを受け止められるかにかかっている」と確信され、3ヵ月後の御葬儀には御親族の方々に大勢お見えいただき、通夜の晩、皆さんで斎場の大広間に雑魚寝をされ、久しぶりにお会いされた方々にとって合宿所のような1晩が思い出深く心に刻まれたご様子で、翌朝バケツリレーのようにして大広間に運ばれたお布団の山は圧巻でしたとご報告頂きました。

 お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎるとのご親戚の方々やお友達のお言葉に「どうぞ、お願いします。お見えになってくださいと言え、一生の悔いを残さずに済みました」とは奥様のお言葉。

 コロナ禍での規制の中、従来の御葬儀では難しい状況もあり、お別れもままならない中ですが、いつの世でもお別れのお気持ちに変わりはありません。

これからの御葬儀の在り方は・・・?

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀も出来るだけ質素にお身内だけでお別れを…とのご要望が多く寄せられていますが、一方でこんなご時世だからこそ、ご納得のいく形で最期のお別れをされたいとのお声も、故人様と古くからのお知り合いの方々から頂きます。

 社交辞令でお伺いするのではなく、ご自身の人生の中で深くかかわった方に最期のお別れをされ、けじめをつけたいとのご要望もお伺いしています。

 数年前、体育会系の先輩の御葬儀に立会いでお伺いした際でした。

 後輩の方々が多数ご出席された御葬儀も、いよいよ最後のご出棺の時間が迫って参りました。

 と、突然後輩達が柩を囲み、スクラムを組んで、面倒見が良かった先輩へ「最期に届け」とばかりに学生時代に戻り、蛮声を張り上げての応援歌が披露されました。

 一気に40数年前にタイムスリップしたおじさん達は溢れる涙を拭おうともせず、応援歌は終わることが無いように、リフレインされていました。

 周りを囲んだ他の参列者も思わず目頭を押さえ、式場は穏やかな空気に包まれ、不思議なことに、お別れの場である式場全体が幸せな空気に包まれたようにも感じられました。

 コロナ禍の中、御葬儀のお式をせずにお身内の方のみでお見送りする方、通夜を省いて1日葬のみでお別れされる方と様々ですが、人と人との距離感や式場での決まり事も含め、コロナ以前とは大分趣が異なって参りました。

 関わりのある方がご納得のいくお見送りの仕方を摸索し、これからの御葬儀の在り方も含めて、コロナ以降を問われる時代に入っているのかもしれません。

卒寿のお言葉

 11月11日テレビをつけると、作家で天台宗の尼僧・瀬戸内寂聴さんの訃報が飛び込んできました。

 享年99歳との由。

 謹んでお悔やみ申し上げます。

 最近はご高齢ながら、90代の方の活躍が目につきます。

 お料理教室の先輩も今年の春、卒寿のお祝いをしたところです。

 その先輩から先日卒寿に関するメールを頂きました。

 「とうとう90年を生きてしまったお祝いに、関係筋から卒寿の小冊子を頂きましたが、果たしてめでたいのか」

 と、申しますのも、最近は先輩・同級生と顔を合わせるのが稀になり、小学校・高等女学校・大学のクラス会は5年前が最後となってしまったが、それでも残り少ない大学時代の同級生とは3ヵ月に1回ランチをしていることを句会で披露したところ、2人では囲むにならないと揶揄されてしまわれたとのこと。

 かつての友人達も高齢者施設入居、車椅子,介添え人付きとなると次第にお会いするのもおっくうになり、コロナ禍の昨今では手紙とはがきを送りまくり、それでも用事を済ませた後、毎日のお使いは欠かさずに、1日平均5000歩~6000歩は確保しているとの由。

 お誘い頂くのは後輩ばかりとなりましたが、お誘いいただけることの幸せを昨今は身に染みていらっしゃるとのお言葉です。

 戦後初の女性管理職を歴任されて、80代後半までは海外出張も何のその、たくましい人生の先輩です。

 その先輩も昨今の風潮に対して、日本に住むからには噴火・地震・津波・台風は覚悟の上。

 コロナ禍は人災半分で、後手後手に回った政府、孤独に耐えられない若者・子供にとって目先の楽しいことばかりがあり過ぎた時代が長すぎた結果では・・・と。

 戦後の厳しい時代を体験され、喜怒哀楽・栄枯盛衰を噂ではなく、現場で見てきた先輩のお言葉です。

 まだまだ、現役で後輩を叱咤激励されている姿に安堵しました。

 また、ご連絡させていただきますので、こちらこそよろしくお願いいたします。  

ジャズとコロナと御葬儀と・・・。

 今年も残り早2ヵ月を切る季節となって参りましたが、季節感が薄れ、相変わらずコロナ一色の中で右往左往する毎日が続いています。

 街路樹も色づき、街中をジャズの音楽が流れ、各地でフェスティバルが開催される季節ですが、自粛ムードが定着し、生活の中からいつの間にか、音楽が遠のいてしまった感は否めません。

 御葬儀とジャズ、一見関わりが無いような組み合わせですが、以前お伺いした無宗教葬でのジャズメン達の熱い演奏ぶりがこの季節になると鮮烈に蘇ります。

 都内でジャズ喫茶を経営し、お仲間達とジャズの演奏をされていたご主人のたっての願いで、喪主の奥様は御主人のご兄弟の大反対を押し切って、無宗教葬での音楽葬を執り行いました。

 通夜の間中、ジャズの音楽が流れ、往年のジャズ仲間が多数お集まりになり、懐かしい写真や作品に触れ、思い出話に花を咲かせておりましたが、お仲間のお1人が感極まって持参されたトランペットを吹き始めると、他のお仲間達も我先にご自分の楽器を手にされ、ご一緒にスイングされて、気が付けば式場はいつの間にか演奏会場に早変わりし、皆さんご自慢の楽器を手に思いのたけを奏でて、お見送りされているご様子でした。

 大反対をされていたお兄様も、気が付けば、弟さんの御自慢だった楽器を手に、ご一緒にスイングされていらっしゃるご様子です。

 翌日の告別式ではあれだけ反対されていたお兄様が「こんな素晴らしいご葬儀は初めてだ」と号泣され、これからも末永くお付き合いを・・・と告白され、ご出席のお仲間達も、思い出深いご葬儀にご納得されたご様子でした。

 コロナに翻弄される昨今ですが、秋の深まりと共に、ジャズの音色が思い出される季節はいつになるのでしょうか・・・。

担当者とのコミュニケーションは・・・。

 昔から御葬儀の良し悪しの鍵は、依頼者と葬儀担当者の信頼関係にあるとまで言われています。

 「当初より規模が小さな御葬儀になりましたが、葬儀担当者からは依頼者の立場に立った親切なアドバイスをしていただけ、生前を良く知っている方からも故人らしい葬儀だったとお褒めの言葉を頂きました。また、細かな疑問や質問にも迅速にお答えくださり、私共遺族の想いにマッチした葬儀社をご紹介頂き感謝しております」。

 直葬希望で出来るだけ費用を抑えたい方からは「的確な助言、提案を頂き、オプションが用意されているものでも、自分達で準備ができれば費用も抑えられる等、葬儀社にとっては不利益であろうと思われる提案もしてくださり、有難かったです」

以上は御葬儀後に頂いたアンケートの一文です。

 御葬儀では実際に葬儀を取り仕切る担当者とのコミュニケーションのあり方が、満足度に深く関係致しますので、当センターでは基本的にご喪家の想いをしっかりと受け止めるためにも、最初から最後まで一貫して一人の担当者に面倒を見て頂くように、賛同葬儀社さんにお願いしております。

 担当者もご喪家側で何をお望みなのか、出来る限りお伺いし、ご喪家の想いを確かめ、くたくたになるまでやり通すことで信頼を得、そこで初めてご相談者の安心感をつかむことができるとまで申しています。

 また、ベテランの担当者からは、いかに早く打ち解けていただけるか、また短期間に信頼を得て、この人なら大丈夫と思っていただけるかが鍵になる。その為には相談しやすい状況を作って差し上げ、葬儀社のご葬儀ではないのだから、決してご喪家の前には出ず、一緒に歩きましょうと、常に二人三脚で行くように気を配っているとのお話も伺っております。

 コロナ禍だからと諦めず、やり直しが効かない御葬儀だからこそ、思いの丈を担当者に御相談され、後悔しないお見送りにしたいものです。

担当者の心意気

 昨年1月、豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号内で端を発したコロナ騒動も、各国とも国を挙げての対策に取り組み、早1年10ヵ月。

 日本では秋口からの減少方向に、各界とも期待を寄せておりますが、各々の方向性が定まらないのが現状で、まだまだ暗中模索の状態が続いています。

 そんな中、御葬儀の世界も、今はコロナ禍の状況だからとご喪家のご要望もトーンダウンし、取りあえずネットで検索しただけでお決めになり、ハウツウ式の御葬儀のズレに我慢されていらっしゃる方も多いかと存じます。

 しかしながら他の行事等とは異なり、御葬儀だけはやり直しが効きません。

 ご要望との差が大きく、お気持ちのズレが生じても修正は難しく、「こんなはずではなかった」。

 後悔先に立たずではありませんが、ここは様々な状況を乗り越えてきた、ベテラン担当者の出番ではないでしょうか。

 ご喪家の目線に合わせ、どんな緊急な折でも、限られた範囲の中でご要望にアドバイスができるのは、矢張りベテラン担当者のなせる業では・・・。

 長年御葬儀に携わってきた担当者曰く「御葬儀は一律こうすべきというものではなく、ご喪家からご要望を伺い、適切なアドバイスは勿論の事、それに伴うメリット・デメリットも含めて相談に乗り、ご相談者のよき伴走者として、臨機応変な対応を心がけ、常に最善の方法を模索している」との由。

 また、少人数の御葬儀では担当者との関係が重要になり、実際にお会いして、合う・合わないということも出てきますので、コロナ禍の中ですが、出来るだけお会いして頂くようお願いもしております。

 御葬儀後にご相談者から頂いたアンケートからもベテラン担当者の心意気が感じられます。

「ボーっとしていたら(葬儀社に)いいようにされてしまった」とのお話はよく聞きますが、「ボーッとしていたら(依頼者である私共の)いいようにしてくださった。又、「追加オプションを勝手に付けられた」とはよく聞きますが、担当者は「これは不要ですね」と削ってくださった、との由。