コロナ禍以後の御葬儀の在り方は・・・。

 昨年来のコロナ禍の中、今年の幕開けは1月8日に発令された東京都を筆頭に一都三県に渡る緊急事態宣言から始まったと言っても過言ではありません。

 昼夜を問わず、人の流れを止めることがコロナ感染から身を守る第1条件とのこと。

 不要不急の外出は控える様に、様々な機関を通じて報じられていますが、御葬儀だけは待ってくれません。

 昨年からの御葬儀では、通夜を省いた1日葬が多くを占めるようになり、お呼びする方もご列席される側の方も双方で躊躇され、こんな状況ですのでとの注釈をいれて、お身内だけでお見送りされるケースが主だっております。

 御葬儀担当者の中には、流れを観察していると、コロナ禍終焉後、再び従来の一般葬の形態に戻ることは、社会のテンポから言っても難しいのでは、との予測をされる方もいらっしゃいます。

 今までも、その時代の出来事をきっかけに、一気に変化することも多く、従来の義理でご出席されていた通夜・葬儀告別式の形態に戻るのは難しいのではとも・・・。

 10年程前、団塊の世代が親の介護を始めた頃と比べ、これからの御葬儀は義理で参列される世界が取り払われ、お世話になった方、お世話をされた方共に深く関わりのある方のみで、お見送りされる方向に向かうのでは・・・。

 一方で、ここ数年、ハウツウ式のノウハウだけで対応されていた御葬儀も目立ちましたが、故人様との関わりが深い方のみの御葬儀となりますと、本当の意味でのお別れの場としての重要度がより増してきます。

 ご列席の方々の心に残る御葬儀を求め、たとえ1日葬でも、密度の濃い、ご喪家のご要望に合わせた御葬儀が望まれます。

 担当者にはこれまで以上に気配り、目配り、心配りが要求され、ご喪家のお気持ちに沿った采配ぶりがより重要な鍵となるように思われます。

 その鍵を握るのはいつの世もご会葬者の「良いお式でした」の一言ではないでしょうか。

今年の年賀状

新年明けましておめでとうございます。

昨年中は色々とお世話になりました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 今年は昨年来のコロナ禍の中、三密(密閉・密集・密接)を避けた初めてのお正月を迎え、様々な行事の中止や縮小に戸惑いの色が隠せない年初めになってしまいました。

 友人知人からの年賀はがきには、お互い気軽にお会いできない分、昨年からの生活ぶりが克明に記され、ある種、近況報告の場と化しております。

 鎌倉にて月1回の割で開かれるお料理教室も、昨年は三分の一程しか出席がかなわず、卒寿を迎えた先輩の近況も心配しておりましたが、相変わらずのお元気ぶりに、気が付けば若輩の我々の方が、いつの間にか叱咤激励される始末です。

 お仕事に、趣味にと多忙な毎日を送っている合間を見ては、コロナ対策用としてお手製のマスクづくりに励み、針に糸をまだまだ通せますとのこと。

 若輩の健康を心配され、皆さんの好みを想像されながらのマスクづくりとのことで、次回お会いするのを今から楽しみにしております。

 未来永劫、御葬儀とは無縁の世界にいらっしゃるのではと思わせるような先輩の健康法は好奇心と歩くこと。

 若者が闊歩する原宿の陶芸教室に鎌倉から毎週通い、作品作りに切磋琢磨され、常に前向きに、好奇心旺盛な先輩の今年の年賀状には、「セイメイ」と題した自作の御花活けの作品が、躍動感いっぱい映し出されていました。

今後の御葬儀の行方は・・・。

 コロナ禍の中、御葬儀も最近はお身内だけでのお見送りが多くを占めております。

 お呼びするご喪家側、参列する友人知人双方で万が一を考慮し、今しばらくはご列席をご遠慮されて、各人のお気持ちの中でお別れのかたちをとられているようですが、これを機に今後の御葬儀の在り方も大分変化が見られるのではとも思われます。

 先日執り行われた友人の御父様の御葬儀では、家族だけでのお見送りとなり、地方にお住いのご高齢の叔母様からの「最期お兄様とお会いしたい」との申し出もお断りされ、コロナ禍の中とは言え、叔母様のお気持ちを思うと心苦しかったと、胸の内を語ってくれました。

 この様な厳しい状況の中ですが、これを機に御葬儀の在り方自体も大分変化が見られるかと存じます。

 高齢化社会に突入し、団塊世代が定年を迎えた10年余り前から、家族を中心としたご葬儀が増えつつありましたが、まだまだ暗中模索の段階でした。

 当初から、御家族御親族のみのお見送りでしたら、1日で十分ではないかとのご意見もあり、式場サイドの使用料は変わらず、金額的には通夜のお食事代が浮く程度で余り差を感じられませんでしたが、今回のコロナ禍を機に、通夜のお食事の仕方と共に、1日葬のあり方が今後本格的に問われるのではとも思われます・・・。

 家族葬が中心となれば、御家族のご意向がより強く反映され、会葬者主導で進行し、会葬者参加型も1つのキーポイントとなり、それをどの様にまとめるか葬儀担当者の腕の見せどころでもあります。

 ご喪家の気持ちをどれだけ形に表せるか、はたまた故人様との思い出をどれだけご会葬者の心に刻むことが出来るか。

 それぞれの想いは募れども、新しい衣に着替える踏ん切りがつかないのも日常です。

 昔からピンチはチャンスとも言われますが、コロナ禍の中での御葬儀は、今後の御葬儀の在り方を問うチャンスかもしれません。

 今年も後、残り少なくなって参りましたが、今回が今年最後のブログになってしまいました。

 次回お目に掛かるのは、新たな年になります。

 今年1年、拙い文に御目を留めていただき、有難うございました。

 来年は、少しでも心温まる新たなニュースに期待したいですね・・・。

ご自身の御葬儀について・・・。

 先日、お身内の方がお1人しかいらっしゃらないので、ご自身の万が一を考慮されて、必要な事柄等をメモに残しておきたいとの御相談を頂きました。

 ご高齢ではいらっしゃいますが、現在まだお元気そうなお声が、電話口から伝わってきました。

 お見送りの方がお1人だけなので、直葬を御希望されていらっしゃいますが、今一番のご心配は死後の処置とのこと。

 病院でご逝去された場合、死後の処置は病院でして頂けますが、ご自宅での万が一の場合がご心配との事。特に女性の身にとっては一大事です。

 ご相談者の地域の賛同葬儀社さんに伺ったところ、搬送担当のスタッフの手により、搬送前に簡単な処置もされるとのこと。

 また、直葬の場合の葬儀費用もご心配とのことで、賛同社から伺った費用等もお伝えし、ご相談者も取りあえずホッとされたご様子です。

 複数の賛同葬儀社さんより、お見積りもお取りできる旨申しあげましたが、ご自身の御希望等をもう一度考え、「再度ご連絡をさせて頂きます。見積りはその折に」との由。

 最近では、数年前からマスコミでも頻繁に取り上げられ、残された方々も慌てなくて済むようにと、ご本人様の御希望や伝えるべきことを書き留めておく、「エンディングノート」の存在がクローズアップされておりますが、 次回ご連絡頂いた折にはこの「エンディングノート」の存在をお話し申し上げ、ぜひともお勧めしたいと存じます。 

 エンディングノートの前書きには「お気持ちが変わったら、前に書き込んだものを赤ペンの線で消して、新たに書き加えてください。変更したところの横には書き加えた日付を忘れずに」と記載されておりますので・・・。

空気を読む・・・。

 祭壇両脇に並んだ供花は、故人様を供養する意味合いが込められていると言われます。

 コロナ禍の中、御葬儀もお身内の方を中心に、ごく親しかった友人数名を含めた家族葬が多くみられる昨今ですが、喪主、子供一同、孫一同と掛かれた供花の札を見ていると、故人様とのかかわり合いが垣間見られ、改めて感慨深い想いにさせられます。

 しかし、この供花1つが時に物議をかもす原因になってしまう場合もあるようです。

 お花を出せばそれで終わりと思われがちですが、時としてこれがしこりとなって後々まで尾を引く場面も見られるとの事。

 以前でしたら、ご親戚の中でご年配の方がお花はどうするかと周りにお尋ねし、テキパキと処理され、事なきを得ておりましたが、核家族化された昨今では、夫々の家庭の事情もあり、長老も切り出しにくいと伺います。

 ご親戚の分はお名前だけをお借りして、ご喪家側で一括される方もいらっしゃいますが、 どうかするとお名前を出されたご親戚側も素直に従いにくく、時には押しつけがましさを感じる方もいらっしゃるとのこと。

 ちょっとしたボタンの掛け違いで、事が大きくなり、後々それがしこりになっては大変です。

 そこでベテラン担当者のお出ましです。

 お身内の方々が集まる最初の打ち合わせの際、ご喪家の空気を察知しながら、お花はどうなされますかと透かさずお尋ねされるとのこと。

 いつどのように切り出すかは一言で説明しにくいが、タイミングは長年の勘だともおっしゃいます。

 ご喪家と周りの空気を読み取り、常に俯瞰の目をもって対応することが担当者として大切で、時として御葬儀のノウハウだけでは身動きが取れない状況も出てきます。

 そこが腕の見せ所でもあります。

 昨今はレールに敷かれたハウツー式の御葬儀が数多く見受けられる様になりましたが、一方で通り一遍の式次第ではご満足いただけないのも事実です。

 お一人お1人の最期をどのように締めくくって差し上げるか、100人100様の対処の仕方があり、ロ―マならぬ、葬儀担当者も1日にしてならず・・・ですか。

ご喪家のご要望に見合った御葬儀を・・・。

 コロナ禍の中、御葬儀も出来るだけご会葬者の人数制限をされ、お身内だけでのお見送りが大半を占める昨今ですが、現場は大分落ち着きを取り戻してきましたとのご報告を、担当者から伺いました。

 半年前はコロナに関して様々な情報が飛び交う中、対応にどこまで踏み込んでよいのか、苦慮されていた担当者の方々も、最近は平常心に戻られたとのこと。

 昨今はネットを通してのハウツウ式の御葬儀が増えており、コロナ禍の中、状況の見極めが難しいとのことで、この当たりさわりのない通り一遍の御葬儀も、さらに拍車がかかっているように思われます。

 しかしながら、お見送りするご喪家の想いは夫々ですので、ひとくくりにするのは如何なものでしょうか。

 ご出席の方々も、ご喪家の想いも夫々です。

 そんな中でも、一方で少人数でのご要望に見合った御葬儀をお望みの方も増えております。

 それぞれのご要望に合ったお別れの仕方の見極め方は、地元に詳しく、臨機応変に対応可能なベテラン担当者のなせる業でもあり、出番でもあります。

 御葬儀後に寄せられるアンケートでも、その対応ぶりが際立ち、ハウツウ式の御葬儀では見落としてしまいがちなご要望もくみ取り、その場の空気を読み込んで、ベテラン担当者の心意気を見せてくれたとの感謝のお言葉を度々頂いております。

 永年連れ添ったお母様の悲しみが強く、お疲れのご様子を見て取った担当者は、ご会葬の方々に「お身内だけですのでゆっくりやります」と申し上げ、棺にお花を入れた後、お母様の為にお父様との無言の対話の時間を取り、火葬場の告別ホールでも皆様のご焼香が終わった後も、その場を離れることが出来ないお母様に別れの時間を取り、全てお母様のペースに合わせて進行されたとの由。

 又、別な担当者は開式前に「火葬場が混んでおり、連絡を待つため時間のズレがありますが、逆にお別れがゆっくりできるとお考え頂ければ」と読経の順序を分かりやすく説明し、最期のお別れの儀では「何度でもお別れして、お言葉を掛けてください」と励まされ、ご会葬の方々からは皆様それぞれ思い思いのお別れが出来たと感謝の報告を頂いたとの由。

 御葬儀の仕方はひとくくりにできません。

 ご喪家のご要望をいかに取り込めるか、担当者の腕の見せ所でもあるようです。

家族葬

 早くも師走の声が近づいて参りましたが、相変わらずのコロナ禍の中、御葬儀だけは静々と執り行われています。

 その御葬儀も感染を恐れ、気が付けばいつの間にか、お身内だけの家族葬が主流を占めている昨今です。

 先日久しぶりに本棚の整理をしていると、8年前のメモ帳が見つかりました。

 そのメモ帳に貼ってあった当時の新聞の投稿欄の切り抜きに、思わず目が止まりました。

 投稿欄にはお義母様の遺言どおり、当時マスコミで話題になっていた家族葬での御葬儀を、お身内だけで執り行ったが、出棺の際、噂を聞きつけたご近所の方や、ご友人の「可哀そうに、こんなご葬儀で・・・」という囁きが耳に残り、そのことが3回忌を迎えたこの2年間、ずっと心に引っかかっていたと記されていました。

 「最期のお別れをしたいのは、家族も友人も同じ・・・」とも言われ、その後弁明に回られたが、同じような事を言われ、親しい方とのお別れの仕方の難しさを実感されたとのこと。

 当時のメモには、地域の共同体意識が薄れてきたとは言え、次世代の子達は、親世代の付き合い方をよく観察していないと、いざと言う時に、自分たちの考えを通すだけでは、反発を招くことになりかねない。 長年の友人知人の想いは複雑で、繋がりは子供達が思っている以上かもしれない、と記していました。

 御葬儀のことを切り出すのは縁起でもないと、タブー視続けた親世代の考えを、少しづつでも軟化させ、最期について様々な角度から、親子で話し合いをされることが必要な時代に入ってきた、とメモっていました。

 10年ひと昔とは言え、気が付けば当たり前の様に、家族葬が主流を占めている昨今です。

 先週は、ここ10年来入退院を繰り返してこられた友人のお父様も、御家族に見守られ、静かに旅立たれました。

合掌。

最期はいつものお顔で・・・。

 コロナ禍の中、最近の御葬儀はお身内の方々を中心に、御対象者と親しい方々でのお見送りが中心となって参りました。

 ご会葬にお見えになられた方々はご喪家のご厚意で、お1人づつ最期のお別れをされ、永年見慣れたお顔にホッとされる姿を、良く拝見いたします。

 ご逝去後、病院で死後の処理の一環として男性の場合はおひげそり、女性は簡単なメイクでお顔を整えますが、長患いでやつれ、痛々しい程の姿の方の場合は、プロのメイクアップアーティストの手に委ねる方もいらっしゃいます。

 御葬儀の担当者から「元気な頃のお母様に会えてよかった」と喜んでもらえたとのご報告に、思わずこちらも大きく頷くことしきりです。

 プロの手により、シリコンを入れふっくらされた特殊メイクが施されると、みるみるうちに生気を取り戻し、今にも目を開けてにっこりされるのではと思わせる程だったとのこと。

 元気な頃とは別人の様になられた方を見慣れたお顔に戻すのは、時にはプロのお力をお借りすることも必要かと思われます。

 たかがメイク、されどメイクとも言われますが、メイク一つでご葬儀全体の印象がガラリと変わる場面も、度々お聞きしております。

 一方、ご高齢の方の御葬儀では綺麗にメイクをし過ぎて、普段見慣れたお顔と違い、御家族から御葬儀の間中落着けなかったとのご指摘もございます。

 プロの方からは、通常のメイクと違い、綺麗に仕上げるだけではなく、如何に生前のその方らしいメイクが施せるかが目的で、元気な頃の写真を拝見したり、御家族の方々からお話をお伺いして、少しでもその方らしいお顔に近づける様に気を付け、それは丁度絵画の修復作業にも似ているとのお話をお伺いしたこともございます。

 永年お世話になり、昨年101歳で亡くなった、綺麗に整った伯母のお別れのお顔が、目に浮かびます。

ベテラン担当者の心意気

 秋も深まり、朝晩の寒さを感じる季節になってきましたが、今年はコロナ禍の中、緊張の毎日が続いています。

 しかしながら、様々な催しがキャンセルされる中、御葬儀だけは止めるわけにはいきません。

 さらに他の催し物と違い、一生の内で最後に執り行う御葬儀はご会葬の方々にご納得いただき、皆様の心に残るものでなければなりません。その御葬儀も執り行う担当者の力量で決まってしまうとまで言われております。

 御葬儀の順番はあれども、時間内でどのような対応をされるかは、ひとえに担当者の力量に掛かっていると言っても過言ではありません。と言っても特別な事をするわけではありません。

 ベテラン担当者に伺うと、長年の経験から気配りの行き届いた御葬儀を心がけるよう、常に自身へ問いかけているとのこと。

 ご喪家の身になって考え、悲しみを癒すお手伝いをする立場であることを常に認識しているとおっしゃるベテラン担当者は、御葬儀を究極のサービス業と捉え、お料理も祭壇も大切だが、より重要なのは御相談を受ける担当者自身の気持ちだともおっしゃいます。

 ご相談者のお気持ちをガチッと掴むことが出来れば、よほどのことがあっても大丈夫との由。

 当初、お父様の搬送先をご自宅以外にとのご要望を伺い、自社の安置所にお連れしたところ、深夜でしたがお母様から矢張りご自宅に一度お連れしたいとのご要望が出され、急遽ご自宅に向かう羽目になりましたが、お母様のお気持ちを察し、自社までの搬送代はサービスされたとのこと。

 また、ご高齢で長患いだったお母様を見送る際のお気持ちの整理はすでに出来ているとおっしゃる喪主様からは、御葬儀後、こちらの気持ちを汲み取り、時には明るい笑顔で対応して頂き、心静かに見送ることが出来ましたとのお言葉もいただいております。

 ご要望に真正面から向き合う姿勢に、いつの間にかご喪家の方々からも絶大な信頼を得、無事御葬儀を済ませた暁には、ご相談者から御葬儀のご報告と共に「担当者に大変お世話になり、くれぐれもよろしくお伝え下さい」と熱いメッセージが寄せられました。

 コロナ禍の中、ハウツウ式の規格品の御葬儀が目立つ昨今ですが、ベテラン担当者のご意見も再考していただければと存じます。

ご自宅への想いは・・・。

 「病院に入院中の母の病状が最近思わしくないのですが、万が一の際、まずは自宅に送ってもらえるのですか」

 「大丈夫です。ご連絡頂ければセンターの賛同葬儀社さんをご紹介し、葬儀社さんの方で、ご自宅までお送り致します。これからお見積り等もお取りできますが・・・」

 「自宅に送って頂いて、後のことはそれからゆっくり考えます・・・」

 電話口からほっとされたようなお気持ちが伝わってきました。

 かつて、ご自宅での御葬儀が主流を占めておりましたが、昨今の住宅事情等もあり、いつの間にか御葬儀はおろか、ご自宅からのご出発までも、まれなケースになってしまいました。

 長い病院暮らしの果て、そのまま安置所に直行されるケースが主流を占める昨今ですが、御家族にとって、せめて永年住み慣れた家から送り出したいという想いに変わりはありません。

 病院近くのウイークリーマンションで、御主人の長い入院生活を支え続けてきた奥様は御主人の御葬儀に先立ち、ご近所には御葬儀後にご報告される手前、そっと気を使われてのご帰宅となりました。

 御主人にとって1年9ヵ月ぶりの我が家で奥様が最初にされたことは、長い間閉めっぱなしにしていた雨戸を開け、御主人ご自慢のお庭を見せて差し上げることでした。

 また、下町の商店街で永らく魚屋を営んでおられ、お誕生日3日前に病院でご逝去された方は、御家族のたっての願いで、最後の誕生日をご自宅でお迎えになりました。

 お誕生日までの3日間は、商店街のかつてのお仲間が随時お集まりになり、皆さんそれぞれ最期のお別れをされたとの由。

 お誕生日を終えられた後、棺の脇に置かれたケーキをご覧になった葬儀社の担当者は皆様の思い出にと写真に収め、棺の脇にかざられたとのこと。

 永年住み慣れた生活の場からの出発は、見送る方の心の支えにもなっているようです。