夏休みと「瀕死の白鳥」

 夏休みは昔から子供たちにとっての特別なもので、大人になっても懐かしい思い出となっていますが、今年はコロナ感染予防対策での出席日数の関係から夏休みの日数も削られ、3密(密閉、密集、密接)を防ぐ意味合いもあり、遠出の旅行も、田舎の祖父母へのご挨拶もお預けとなってしまわれたようですが、どの様な夏休みをすごされたのでしょうか。

 例年ですと、お稽古事の発表会を始め、舞台の公演も夏休みに向けて一斉に開催され、目白押しの状態でしたが、今年は席をあけて3密を意識した大人向けの公演がちらほら見受けられるのみで、寂しい限りです。

 以前、知人の紹介で「親子で楽しむバレエフェスティバル」を拝見させていただいた折、通常のバレエ公演とは思えないほど、子供たちは手拍子・足拍子で乗りに乗っておりましたが、最後の作品が始まると、打って変わった様に静まり返り、目を皿の様にして舞台に見入っていたのが忘れられない思い出になっています。

 舞台上はそこだけが白黒映画を見ているような異彩を放っていました。

 傷つき死を目前にした一羽の白鳥が、最後まで必死に生きようともがき、羽ばたきついに力尽きるまでを踊る小品で、動きだけの表現ですが、子供達もそれぞれに意味をつかみ、最後、舞台に突っ伏した白鳥に惜しみない拍手を送っていたのが、昨日のことの様に思い出されます。

 この「瀕死の白鳥」を観た子供達の心に、生きる力がどのように映ったのでしょうか。

 バレエを通して、生きる大切さを肌で感じていただけたでしょうか。

 夏休みの大切な思い出になったでしょうか。

 来年の夏休み子供フェスティバルでは無事「瀕死の白鳥」が上演されることを期待したいですね。

猛暑とベルダおばさんの思い出

 今年の夏はコロナ騒動に加え、うだるような暑さが続いています。

 40℃近い暑さに、テレビ・ラジオでは連日熱中症対策を呼び掛け、特に中高年の方々へ注意を促しています。

 40℃の暑さと言えば、数十年前のスペイン・アンダルシアの8月が思い出されます。

 今、古いアルバムを取り出し、数枚のモノクロ写真を眺めています。

 連日43度、44度と耳を疑う様な暑さでしたが、日本の暑さと違い、空気が乾燥しているためか、室内に入ると思いの外涼しく感じられる、グラナダの町で出会ったベルダさんの写真です・・・。

 グラナダ在住の日本人の間では通称「魔法使いのおばあさん」で通っていたベルダさんは、成程ほうきにまたがれば、そのまま空中に飛んでいきそうな不思議な雰囲気の方でした。

 そのベルダさんがかつて人民戦線でスペインを代表する詩人・ロルカと共に銃をもって戦った筋金入りの闘士だったとの噂を聞き、当時のお話しをお伺いしようと試みたが、頑として口をつぐみ、終始静かに微笑むだけでした。

 薄暗いお部屋でゆったりとイスに腰かけているベルダさんの周りには、数匹の猫がのんびりとくつろいでいる他は音もなく、まるでそこだけが幾十年も時間が止まっているような錯覚を覚える程でした。

 しかし、沈黙が全てを語っているような存在感のある姿に圧倒され、写真を撮らせていただいた他は、暫しの間、時間を共有させていただくのが精一杯でした。

 その年の11月独裁政権はフランコの死により、幕を閉じました。

 長年の壁に耳あり、障子に目ありの生活から解放された方々も、さぞかし多かったのでは・・・。

 ベルダさんのお気持ちはどんなだったでしょうか・・・。

 90年間のベルダさんの歴史を知りたかった。

 今でしたら、きっとお話ししていただけたのでは・・・。

 猛暑の思い出が懐かしく思い出されます。

御葬儀の方向は・・・。

残暑お見舞い申し上げます。

 連日のコロナ騒動に気を取られているうちに、早くも残暑の季節を迎えてしまいましたが、お身体の方は大丈夫でしょうか。

 御葬儀も感染予防を第1に、最近はお身内の方のみのお見送りが主流となり、今年は葬儀・告別式を省いて、火葬のみの直葬を御希望されるご喪家が一段と増えて参りました。

 この傾向が拍車をかけ、さらに持続していくのか、はたまた1時的なことなのか、コロナ以降が気になる昨今でもあります。

 「直葬」という言葉がマスコミに登場し、世間を賑わし始めたのは10年余り前でした。

 当初は通夜/葬儀・告別式を省くことに抵抗し、ラジオの討論会で喧々諤々の論争が繰り広げられ、中には「独り身だけど、今まで沢山の人に世話になって参りました。御葬儀は出来るだけ多くの方に立ち会ってもらいたい。昔の人は老い支度と言って、いざと言う時の為に貯めていましたよ。いざと言う時には、誰かがちゃんとやってくれるでしょう。それが人の世というものだ」と、息巻く方の言葉が、今や懐かしく思い出されます。

 一方で、今までの因習にとらわれず、自身の最期は自身の考えのもとで執り行いたい、とおっしゃる方も増えて参りました。

丁度その頃でした。

 お手紙に添えて、1枚の絵ハガキが送られてきました。

 直送を御希望されていたお兄様の御相談に賛同された妹様からのものでした。

 絵葉書は赤いカンナの花咲く中を真っ直ぐ前を見据えた、白い服の少女の後ろ姿がパステル画で描かれていました。

 かつてのご自身を描いたその後ろ姿に、強い意志が感じられ、お兄様同様にお送りしたお見積もりをご覧になり、「その時はすでに1生が終って、何一つ携わることがございませんが、客観的に冷静に考えられ、妙にすっきり致しました」との文面に、少女の想いが伝わってきます。

 最近では直葬と一口にくくれない程、様々な工夫もなされてきています。

 コロナ騒動以後の御葬儀の方向は如何に・・・。

厳しい現実・・・。

 夏になれば終息に向かうのでは、との期待も空しい、昨今のコロナ事情ですが、万が一を考慮し、御葬儀の現場はより緊張を強いられた状況が続いております。

 特にコロナ感染者の御葬儀に関しましては、センターが対応しております関東の一部エリア(都内、都下、神奈川県、千葉県、埼玉県)だけでも対応は夫々で、混乱も垣間見られるようです。

 地域により病院指定の葬儀社さんが、万が一の後の対応を病院から委託されるケースがほとんどでしたが、最近は葬儀社さん側の事情により、拒否される場合も出てきているとお伺いしております。

 小規模な葬儀社さんの場合、御葬儀を引き受けた後、防御服の使い捨て、寝台車の完全消毒から、万が一を考慮し、担当された方は1週間から10日間程、次の御葬儀の対応が出来ない状況になり、仕事に支障をきたす羽目にもなってしまうという、悪循環も出てきているようです。

 万が一の後、ご遺体は不透明な納体袋に包まれ、密閉・消毒された棺に納められ、密封状態のまま、火葬当日までお待ちし、そのまま指定された火葬場に直行され、荼毘に付される形が取られ、その間は御家族の方も立会うことができず、お会いできるのは御骨になってからという状況に置かれ、お身内の方々にとりましては、厳しい現実もお待ちしているようです。

 また、追い打ちを掛ける様に、火葬をお待ちする間も、お身内の方は火葬控え室やロビーでのお待合いが出来ず、お越しになられたお車ないしは外での待機を余儀なくされているご様子もお聞きしております。

 荼毘に付されるのも通常の火葬時間外に執り行われる、この異例ずくめの御葬儀が一刻も早く終息されることをお祈り致します。

ベテラン担当者の出番です・・・。

 今年は例年になくぐずついた天気が続き、7月も残り少なくなって参りましたが、関東地方は未だ梅雨明け宣言の声が聞かれません。

 一方で、コロナ騒動も更なる緊張感を増し、御葬儀の世界も3密(密閉、密接、密集)を防ぎながら、出来るだけシンプルな方向を模索している状態です。

 しかしながら、シンプルを意識するゆえに、あたりさわりがない、ハウツウ式で形式的な御葬儀が増え、御葬儀が終った時点で、お別れの物足りなさを実感されるご喪家の声も聞かれる昨今でもあります。

 そんな中でもご喪家のお気持ちを汲み取り、その場の状況を把握し、臨機応変な対応が期待されるのは、やはり緩急の心得があるベテランの担当者の方々です。

長年連れ添ったお母様の悲しみが強く、かなりお疲れのご様子でしたので、通夜、葬儀・告別式とも通常の時間割ではなく、全てお母様のペースに合わせて進行されるとのこと。

 以前お伺いした家族葬では、担当者から開口1番「お身内だけですので、ゆっくりやります」とのお話しをいただきました。

 担当者は御葬儀のお式以上に最後のお別れを重視され、棺にお花を入れる「お花入れ」の後も、お父様との無言の対話のお時間を取り、お母様はご用意した車椅子にて火葬場に向かわれました。

 火葬場の告別ホールではご焼香がなされた後も、お母様はその場を中々離れることができませんでしたが、急がせることもなく、周りの方々もゆっくり見守り、全てお母様中心に事を運ぶことができました。

 また、永年御葬儀に携わってきた担当者からは「我々はアドバイザーであり、影のサービスの部分でお手伝いをして、困った時に振り向けば、何時でも居ります。サービスが行き届かなったら何にもなりません。金額だけでなく、お客様との信頼関係で如何に喜んでもらえるかに掛かっています」とのアドバイスを伺っております。

 お身内に合わせた御葬儀はコロナ以前もコロナ以後も、変わりありませんので、ご安心ください。

アフターコロナ時代も地元担当者の目線を忘れずに・・・。

 今年に入り、半年近くのコロナ騒動も留まるどころか、都内を中心に新たな感染者が続出し、各人が3密(密閉空間、密集場所、密接場面)状態に気を付けるしか、目下のところ術がない状況は、御葬儀の世界も例外ではありません。

 大方はコロナとは無縁の御葬儀ですが、最近は病状の急激な悪化に伴い、慌てて御家族・御親族の方々が手分けしてネットで検索され、ネット上での判断のみで、御葬儀をお決めになるケースも増えて参りました。

 ご要望に沿っていると思われる斎場をリストアップされ、この中からお決めになりたいとのご意見等も多く寄せられますが、ネット上でお調べされるのと、実際に式場をご利用されて御葬儀を執り行い、現場を熟知されている葬儀社の担当者の目線とは、時として少しズレがあるようにも思われます。

 ネットで検索されると、大きさ・広さ・使い勝手の良さが一段とアピールされ、一見ご要望に沿ってよさそうに見えますが、ご喪家の夫々の御事情や要望が加わりますと、思わぬことから向き不向きが出ることが多々ございます。

 検索された斎場も、現場を熟知されている担当者から見ると、実際にはご要望からかけ離れ、御葬儀規模からすると大きすぎたり、ご予算に見合わなかったり、菩提寺の御住職のご都合と折り合わなかったりと様々な問題が露呈されてくるようです。

 特に普段積極的に探すことが少ないご葬儀に関しては、ネットの情報だけを鵜呑みにせず、臨機応変に対応できる地元に精通した担当者の目線がより重要になってきます。

 どの様な御葬儀を御希望なのか、胸の内をお話しされて、様々な角度から検討していただき、アドバイスを受けるのも必要かと存じます。

 地元に精通した担当者にとっては、腕の見せどころでもありますから・・・。

無宗教葬とコロナ騒動の関係は・・・?

 コロナ騒動に土砂災害と、追い打ちを掛けるような昨今ですが、どんな状況に置かれても御葬儀だけは待ってくれません。

 コロナ対策の自粛ムードの中、御葬儀もお身内だけで、特に菩提寺がない方は無宗教葬を選ばれる方も多くなりました。

 年明け早々に、90歳の卒寿のお祝いをさせていただいた先輩も、万が一の際は無宗教葬にて出来るだけシンプルな形で、親しい友人とご親族だけのお見送りを御希望との由。

 宗教儀式と切り離せないものと思われていた御葬儀でしたが、14,5年前、菩提寺を持たないご喪家を中心とした、無宗教葬がマスコミの話題を呼び、センセーショナルに取り上げられ、以来都会を中心に執り行われてきました。

 以前、一抹の不安をもって無宗教葬の立会いに何度かお伺いさせて頂きましたが、お集まりいただいたご会葬者はお一人お1人が故人様と向き合い、ご出棺のお時間までゆったりと思い出に浸る時間も取れ、最期のお別れをされて、ご自身のお気持ちに踏ん切りをつけていらっしゃるご様子がうかがえ、妙に納得させられて、ご一緒にご出棺のお見送りをさせていただきました。

 一方で少人数での御葬儀では、お式の時間の配分が難しく、時間が余って戸惑われる方もおいでになるのではとの心配の声も多々あり、次第に一時期の話題も下火になり、大分落ち着きを取り戻し、昨今では斬新な方法は姿を消し、再びオーソドックスな以前の御葬儀に戻りつつありました。

 そんな矢先です。

 コロナ騒動での3密を避けるためにも、お身内とごく親しい方のみのご列席を余儀なくされ、お時間いっぱいに最期のお別れだけをされ、精進落としのお食事等もお持ち帰りのお弁当等へと御葬儀の仕方も大きく舵がとられ、昨今は大分変化を迫られてきているようです。

 先日、コロナ騒動で4か月ぶりに料理教室でお会いした卒寿の先輩は、自宅待機を余儀なくされていた時間を有効にと、自家製マスク製作に乗り出し、友人知人のイメージにあわせたマスク作りに精を出し、早速お配りになり、若輩の我々はひたすら恐縮しております。

 まだまだお元気なご様子に、ひと安心です。

現場から見えてくることは・・・。

 コロナ騒動で右往左往している昨今ですが、情報だけがあれこれと独り歩きしているような状態の中、ようやくテレビを通じて、実際の医療現場に立たれていらっしゃるお医者さん達の、生の声を聞く機会も増えて参りました。

 最近は我々が普段耳にすることがない医療現場の生の声との温度差も、次第に浮き彫りにされて来ているようですが、これからを予想される第2波を食い止めるためにも、情報に右往左往することなく、現場の声をしっかり踏まえ、生かしていかなければなりません。

 具体的な生の声を聞くことで、一人ひとりこれからの予防対策を見直す必要も迫られるかもしれません。

 現場で実際の指揮を取っていらっしゃるお医者さんの生の声をお伺いしていると、一言一言がずしりと響き、以前ラヂオ番組のインタビューにお答えされていた ホスピス病棟のお医者さんの言葉が思い出されました。

 ホスピス病棟の患者さんの場合、死を避けてきた方の方が悲しい死が多く、死を前向きに捉え受け止めた方の方が、最期まで自分らしく生き切っているように思われるとのお話しをされていらっしゃいました。

 お医者さんが担当されている病棟では、患者さんの身体の痛みを取るだけでなく、心の痛みやご自身がいなくなるという精神的な痛みも一緒になって寄り添い考えていくことで、次第に患者さんは生き生きされてきて、病棟内は常に明るい笑いに包まれている状態との由。

 死を目前にしてもほとんどの患者さんがリハビリに参加され、今日よりも明日の方が良くなることがうれしく、リハビリを通して生きる力が湧いてきて、結果として御家族との交流も多くなり、家族で温泉にでも行こうということもあり得るようになるとのこと。

 どんな状況になっても、その人にはその人らしく生きる方法があるのではと、特にリハビリの重要性をお話しされていらっしゃった事が、昨日のことのように思い出されます。

 現場は全てを語りますので、目が離せません・・・。

こんなご時世ですので・・・。

 久しぶりお会いすると、皆さん一様に「こんなご時世ですので・・・」と前置きの言葉が返ってくる昨今ですが、こんなご時世だからこそ、新たな出会いもあろうかと存じます。

 ご葬儀の世界もその一つかもしれません。

 親戚・縁者に気兼ねせず、お気持ちを素直に表した御葬儀が出来る時代になるのでは・・・?

 そんな予感さえもしてきます。

 担当者に伺うと、一般葬が激変し、通夜を省いて御家族だけでお見送りをされる1日葬、ないしは、お式を省いて、火葬のみの直葬を希望される方が大半を占め、昨今は式場の空きが目立つ状況とのこと。

 半年前の公営斎場での予約状況が信じられないほどの激変ぶりは、いつまで続くのだろうか。

 否、時代の変化と併せて、半年前の状況に戻るのは難しいかもしれません。

 親戚縁者はもとより、お世話になった方々を中心に広くお集まりいただいた、従来型の御葬儀はこうあらねばという時代はすでに過去のものになり、コロナ騒動をきっかけに、御葬儀の在り方も、ご喪家・ご本人様の意思に合わせた、小規模な葬儀に変化していくのではと推測される状況となって参りました。

 12年ほど前、直葬という言葉がマスコミに登場し始めた頃でした。

 まだ健康ですが、ご高齢なので万が一に備え、無宗教での直葬を御希望され、生前予約をされた方の妹様からも、お兄様の主旨に賛同されて、センターからお見積もりをお送りさせていただきました。

 早速に妹様からは、御礼のはがきと一緒に、ご自身の若かりし頃の自画像ですとパステル画の絵葉書が送られてきました。

 そこには赤いカンナの花に囲まれ、前方を見据えた白い服の少女が1人たたずんでいました。

 最期までご自身の意思を貫きたいと言う熱い想いが溢れた絵葉書の少女の横顔を見ていると、やっと、ご自身の想いが伝わる時代がやってきたのではという安堵感も伝わってきます。

 この1枚の絵ハガキを見ていると、コロナ騒動以後は、御葬儀の世界も 新たな時代がやってくるのでは、そんな思いも致します。

コロナ騒動以後の御葬儀は・・・?

 今年に入り、コロナ騒動で早くも半年近く経ってしまいました。

 この騒動を境に御葬儀の世界も大分様変わりを見せてくるのでしょうか。

 最近では「三密」状態から出来るだけ人と人との接触を避けるため、生前お世話になった方々と最期のお別れをされる一般葬が姿を消し、お身内だけの家族葬又は火葬のみの直葬を御希望される方が主流を占めるようになり、特に各地の公営式場は式場の予約が極端に減り、火葬場のみが混み合うという現象も起きていると伺っています。

 直葬の場合、通常ご遺体は安置所から火葬当日直接火葬場に向い、御住職には火葬場にお越しいただき、炉前にて10分程の読経をお願いすることになりますが、ご喪家の中には読経時間が余りに短いと難色を示す方もいらっしゃいます。

 しかしながら、葬儀社ご自身で安置所や式場を所有されている場合、空いている部屋を利用し、火葬当日の出発前に棺へのお花入れをされ、ゆっくり時間をかけて最期のお別れは可能ですが、御住職にお越しいただき、読経をお願いすることになりますと、多くの場合1日葬扱いになってしまうのが現状のようです。

 そんな中、まだ少数ですが市営斎場のお別れ室をご利用され、お別れ室のご利用時間内(25分間)でしたら読経も可能な状況も出て参りました。

 一方で自社安置所を所有されている葬儀社さんの中には、少数ですが火葬前日の面会時間を利用され、ゆっくりとお別れ時間を取り、その間御住職をお呼びして自由に読経をされることも可能な社もございます。

 ご葬儀も、これからは時代のニーズに合わせたやり方が検討され、人々の意識の変化と共に、コロナ騒動は従来の“ご葬儀はこうあるべき”という呪文から解き放つ材料になりうるだろうか・・・。