先日、静岡県駿東郡清水町にある、柿田川公園に行ってきました。
第三京浜道路→横浜新道→新湘南バイパス→西湘バイパス→箱根新道(現在、新湘南・西湘バイパス、箱根新道は無料で通行できます。)を下り、国道一号線沿いに柿田川公園があります。敷地内に無料駐車場がありました。
ここは、狩野川水系の一級河川である清流として有名だそうです。
早速、第二展望台のわき間(水の湧いている場所)へ向かいました。水が湧き出ていて、その水の色は真っ青です。とても神秘的な光景でした。
なぜ青いのかと疑問に思い、早速googleで調べてみました。
ここに湧く水は、光をよく吸収するため、水の層が深くなればなるほど青く見える水なのだそうです。
水の色が青い箇所は、2メートルくらいの深さでした。
少し涼しくなってから、また行ってみようと思います。
家族葬にこそ弔辞を取り入れよう・・・。
御家族・ご親族・ごく親しい友人のみのご葬儀が多くなる中、儀式としての読経が40~50分続くのはご列席の方々にとって時には苦行に感じることもあります。
特に会葬者が少ない場合はお1人お一人が目立つので緊張の度合いも大きくなり、儀式としてつつがなく終わっただけの印象が強く、ともするとお別れの気持も削がれ気味になってしまいます。
内輪のご葬儀だからこそ、最後のお別れをしっかりと心に留めておきたい方も多いのでは。
先日、そんな思いにピッタリのご葬儀に出会いました。
御家族・ご親族中心の家族葬に永年の友人もご参列され、引導を渡す読経の後、ご住職から少しお時間をいただき弔辞を読まれました。
弔辞ではお身内の皆さんが知らないお仕事での活躍ぶりが披露され、ご列席の方々は大いに納得し、満足げなご様子でお別れが出来たようです。
告別式の後、奥様が友人に「全部言っていただきましてありがとうございました。長生きしているとご縁が遠くなるのは寂しいです」とお礼をされている姿にはどこか毅然とした決意のようなものが感じられました。
弔辞が読まれ、最後のお言葉を掛けてあげられた安堵感で皆様のお気持も和み、再び始められた後半の読経がより鮮明なものになっていきました。
最近の事前相談から・・・。
当センターでは事前相談を主にメールと電話で承っております。
現在の状況・ご希望等をお書きいただき、またお話いただいたところからスタートし、お伺いしたことに関してできるだけ具体的にお尋ねしていくところから、お話のやりとりをさせていただいております。
スタート時点では何処からどのように手を付けたらよいのか漠然とされている方、希望されていることだけははっきりしているが後のことは漠としている方、頭に描いた理想形をどのようにしたら実現できるかお問い合わせされる方等様々です。
こちらのつたない問いかけにお答えいただいているうちにお考えが整理されてきて、どのようなご葬儀をされたいのか、またふさわしいか納得されて行くご様子が伺えたところで、ご相談に即した賛同社をご紹介しております。
今年上半期のご相談では御家族を中心にしたご葬儀を希望されたがために身近に菩提寺や戒名、法事、お墓の問題等をアドバイスしていただける方が見当たらず、ご葬儀後のご相談も引き続き受けてくださる葬儀社をご要望される方が目立っておりました。
この傾向は都市を中心に今後さらに増え、進化していくのではと思われます。
地域のことに詳しい年配者が姿を消し、ご相談相手に事欠く時代の新しいアドバイザーが必要不可欠になりつつあるようです。
ご葬儀が一つのご縁となり、「まだ、ずっと折りに触れ、葬儀社の方にご相談させていただいております」とのお便りを1年前のご相談者からいただきました。
サイドミラー
車の話なのですが、雨降りの夜はサイドミラーがとても見づらいと思います。サイドミラーについた水滴のせいで、後方の視界がとても悪くなります。
そこで昔から対策を考えていましたが、なかなか良い案がみつかりませんでした。
サイドミラーに何も塗らないと、均一でない水の膜で視界が悪くなり、撥水剤を塗ると、水滴で視界が悪くなる。
そこで、探し物に便利なインターネットで検索。
すると、サイドミラーに水滴がまったくつかなくなる超超撥水ミラーコートというものが現れました。
早速、近所の大型車用品店へ向かい、このミラーコート剤を購入しました。
サイドミラーに付着している油膜をクリーナーで取り、ミラーコート剤を吹き付けます。あとは乾くのを待つだけ。とても簡単です。
塗布後、水をかけてみると、なんと水滴がつきません。
ミラーにはいっさい水がつきません。ただ、皮膜を触るとすぐに剥がれてしまうそうです。ですので、塗布後は一切ミラーに触れてはいけません。
皆様も一度試されてはいかがでしょうか?
ご葬儀のキーワードは”安心”
ご両親や長年連れ添ったパートナーの突然のご不幸に対して、お気持をお察し適切な慰めの言葉を掛けるのは難しい。
目の前の現実と揺れ動いているご自分のお気持との整理ができない不安定な状況の中でも時間だけは容赦なくすぎて行きます。
死を完全に受け止められないまま、ご葬儀の準備に入らざるを得ません。
ご葬儀を目前にして、
「はたして少しでも故人のお気持にそえる様な葬儀準備が出来たのだろうか。これから大切なお客様をお迎えするにあたり、自分ではよかれと思って事を進めているが果たしてこれでよいのだろうか。
お見えになられる方々に受け入れてもらえるのだろうか。
火葬場併設に対する拒否はないだろうか。
考え始めると益々あせりを感じ、不安がつのってきます」と正直なお気持を問いかけてくる方もいらっしゃいます。
当センターではご不安を少しでも取り除いてあげられるように、問題の箇所があれば納得いただけるまで1つ1つにお答えしていきます。
まずは安心してご要望にそったご葬儀を執り行っていただけることが先決です。
また、あと数日という不安状況の中で、事前相談のアドバイスが心のよりどころとなったとおっしゃる方からは、安心した気持でお父様を最後まで看取ることができ、暖かい雰囲気の中で送り出すことが出来たとのご報告をいただきました。
「振り返ってみると看取りと葬儀が『幸せな思い出』となっていることに気が付き、父の死に関わって下さった皆様へ感謝の気持がいっぱいになります」と結んでいました。
担当者の心遣いに拍手をおくりたい
最近は、街を歩いていて「アンケートに協力してもらえませんか?」といういことは、めっきり少なくなってきたように思いますが、それでも何か物を買ったりしますと、後日、「アンケートをお願いします」はしょっちゅうです。
アンケートは自分の身において考えてみると面倒なものでもあり、その気持ちにならないとなかなか書きにくいものです。
ご葬儀が無事終わり、気持ちの整理が出始めた頃、当センターもご依頼者の方々にご葬儀のアンケートをお願いしています。
皆様お忙しい中にも関わらず、丁寧なご意見、お褒めの言葉、ご希望等率直にお書きいただき、スタッフ一同恐縮しながらも、その心境は通知表を貰う前の小学生のようです。
アンケートからは思いがけないことも見えてきますし、これからの方向付けにもなり、色々学ばせて頂いております。
中でも直接多く関わった葬儀社の担当者についてのお礼のお言葉にはご紹介してよかったとほっと胸を撫で下ろします。
「母の葬儀を依頼したのですが、遺体に対しても、遺族に対してもスタッフの方々の温かい誠意が伝わってくる葬儀社でした。わからないことだらけの我々に、いつでも携帯で対応してくださったのは助かりました。人の痛みや悲しみをわかってくれるスタッフだったのでとてもよかったです。父の葬儀もお願いしようと思っています。」
アンケートで知る、担当者の心遣いに思わず拍手をおくりたくなります。
正確な死因究明が求められていますが・・・。
東京23区には、専従の法医学者らによる監察医制度があります。明らかな病死や老衰をのぞく異常死を対象に死因究明のために法医解剖を行っています。
監察医制度は、東京23区のほか、横浜、名古屋、大阪、神戸の4市で、その他の地域は大学がこれを担っています。監察医制度がある地域の解剖率は高く、その他の地域の解剖率は低くなっています。
とすると、どこで亡くなるかによって、死因の判断が変わる可能性も大いにありえます。この死因究明の問題が大きくクローズアップされたのが、2007年に愛知県で起きた力士暴行死事件でした。遺族が動き出さなければ、病死として葬り去られてしまっているところでした。
とすると、単純に、大学にもっと協力の要請をすればいいのではないかと思えるのですが、大学に重荷になっている現状が、一昨日の読売新聞の記事を読むとわかります。
「スタッフは減少傾向だが、件数は年々増加。解剖医一人が100件以上を担当した大学も10校もあり、秋田大では一人で284件を解剖していた。犯罪の見逃しを防ぎ、正確な死因究明が求められる中、教育・研究が使命の大学に依存する制度は限界に近い」と指摘しています。
「現状のままでは解剖業務を行える医師は将来いなくなる」(横浜市立大)にならないことを願うばかりです。
2009年の日本の異常死解剖率は10%で先進国の中では最低ということです(フィンランドやスウェーデンの100%、英米豪の50~60%)。
きゅうりやナスの精霊馬、知ってますか?
お盆とは、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を略したもので、語源は梵語(ぼんご)の「ウランバナ(ullanbana)」、直訳すると「逆さ吊り」という意味を持つそうです。
お釈迦様の弟子が、亡くなった母親が餓鬼道に落ち、逆さに吊るされている様な非常な苦しみを受けているのを知り、何とか救おうと、お釈迦様にお願いしました。そのお導きで多くの僧を招いてご供養の大布施をした甲斐あって、母親は餓鬼の苦しみから逃れる事ができ極楽往生が出来たそうです。
このようなもともとの意味はともかく、今は祖先の霊を祀る一連の行事がお盆と言って差し支えないと思われます。仏教的な意味合いだけでなく習俗や地域の風習などが混ざり合って、今のような形になってきたようです。
地方によっては、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意するところもあります。(他の地域のことを知らないと、きゅうりやナスの精霊馬が日本のどこでも行われていると思ってしまいますよね)
私の生まれ故郷の遠州地方では、新盆を第2のお葬式と呼んでいます。新盆を迎える家の庭先で大念仏供養を行います。地元では「とったか」と呼ばれた「遠州大念仏」です。
記憶の中では、遠くから太鼓や笛の音が聞こえ、その音が段々近づいてくるのをわくわくしながら待っている。やがて庭先に集まった花笠を背負った男衆が電球の明かりに照らし出され、総勢30人以上で勇壮活発に太鼓を叩きながら乱舞する様が思い浮かびます。
暑いときに出てくる冷たいお茶は何ものにも代え難い
葬儀ではデリケートな状況の中で、気配りや思いやりの心遣いが高度に要求されるます。葬儀社の行う業務は究極のサービス業とも言われる所以です。普段は気にならないようなことでも、状況が状況名だけに、担当者の対応いかんでご喪家側を苛立たせてしまうことにもなりかねません。
火葬場で、葬儀社の人がご喪家とトラブルを起こしている姿をまれに見かけることがあります。火葬場の人の話では、だいたいトラブルを起こしている社は決まっているようです。
トラブルとは逆に、葬儀社の担当者が見せる、小さな心遣いやサービスにも思わぬ感動があるようです。
神社境内の耳を劈く様な蝉時雨の声と太陽が照りつける雲一つない炎天下、先程まで冷房がきいた室内にいたとは信じがたいほどの暑さに頭がくらくらしてきます。
今年の東京の夏は、例年にも増して厳しい暑さに見舞われています。
以前、お伺いした告別式では出棺をお見送りした会葬者に冷たいお茶のサービスがありました。
控室にあてがわれた境内の客殿前には葬儀社の取り計らいでお茶のセルフサービスのセットが置かれ、皆さん思わず駆け寄りのどを潤していらっしゃいました。
緊張し乾いた喉への一服の清涼剤はおもわぬ効果が発揮されたようです。最後のちょとしたサービスで葬儀に出席した印象もガラッと変わります。
続きです。
前回に引き続き、知っていると便利な機能のご紹介です。
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