コロナ禍での御葬儀

 2022年も早1週間が過ぎました。

 1昨年来のコロナ禍も、一旦沈静化の方向に向かったと思えば、再び猛威を振るい始め、もぐら叩きの様相を見せている昨今ですが、どの様な状況下でもご葬儀を辞める訳には参りません。

 お式を縮小し、身内だけでお見送りされるケースが大多数を占める昨今ですが、取りあえずネットでお調べしただけで一旦お決めになられたが、ハウツウ式の御葬儀の進め方に違和感を持たれ、ご満足出来ず、改めて御相談頂くケースも多々ございます。

 当センターではご相談者からお話をお伺いし、ご要望に見合う、地元の賛同葬儀社さん複数社をご紹介させて頂いております。

 センターでは常に御紹介する葬儀担当者レベルまで把握し、御葬儀終了まで責任をもって対応しておりますので、ご安心して御相談頂ければと存じます。

 万が一、事が起こった場合でも間に入り、解決する方向で対応しております。

 又、葬儀社さんをご紹介するにあたりましては、御葬儀の方向性を考慮し、予算と場所とサービスの質があるとするならば、あえてどれを優先されるかお伺いし、御要望に見合う社の御紹介をさせて頂いております。

 例えばお身内だけの家族葬を御希望され、ご高齢者が多く、ご要望として細やかな気配りや、適切なアドバイス等のサービスの質を挙げておられるご相談者には、永年御葬儀に関わり、小規模ゆえに自営的立場で小回りが利き、担当者の一存で臨機応変な対応が可能な社をご推薦させていただいております。

 但し、見積りの説明書等でも常に申しあげておりますが、実際にお会いされ、御紹介した担当者と合う・合わないという問題もございます。

 昨今のような少人数での御葬儀では、担当者との関係が重要になってきますので、実際にお会いされ、お話し合いをされてからご判断頂くよう、申しあげております。

 ご喪家それぞれのご要望があり、そのご要望をどれだけ汲み取れるか、ひとえに担当者の努力にかかっております。

 双方を取り持つ当方も、第3者としてこれからもご要望に見合った担当者の御紹介を心がけて行きたいと存じます。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

元旦への想い

新年 明けましておめでとうございます。

旧年中は色々お世話になりました。

 一昨年来のコロナ騒動とは裏腹に、穏やかな年明けを迎えることができました。

 本年もどうぞよろしく お願い申し上げます。

 元旦の朝9時を待って、友人・知人からの年賀状が今年も届きました。

 筆不精の当方は、今年もこれから賀状に取り組む羽目になってしまいましたが、友人からの年賀状はコロナ禍で気楽に会えない分、近況報告を兼ねた賀状が目立っているようです。

 昨年卒寿を迎え、相変わらず意気軒昂な大先輩からの賀状も届きました。

 まだお仕事を続けながらも、週1度は鎌倉から東京へ、横浜にと習い事に精を出している先輩の姿は、若輩の我々の憧れでもあります。

 年賀状の結びには、今年もお会いする機会の多い事を希っています。健康にはくれぐれもご留意を・・・との文字が躍動しています。

 こちらこそ、長寿の秘訣をよろしくご伝授頂ければと存じます。

 仕事柄、時に若くして生命を絶たれた方の御葬儀に、立合いでお伺いすることもございますが、場の空気を感じ、改めて命の大切さを身に染みる昨今でもあります。

 当センターも今年3月で、設立18年目を迎えることになります。

 ご相談者のお気持を汲み、御紹介する賛同葬儀社の担当者と二人三脚で、今後もご相談者のご要望に取り組んで参りたいと存じます。

後悔しないお見送りを・・・。

 昨年のコロナ騒動以来、早くも2年近くが経とうとしています。

 私達の日常生活も、大分様変わりを見せてきておりますが、人の死だけはやり直しが効かず、変えることが出来ません。

 死を悼む気持ちは以前と変わりありませんが、それでも昨今は御葬儀の仕方に大分様変わりを見せているようです。

 以前のように通夜に呼ばれた方々が、通夜ぶるまいで故人様を偲ぶこともめっきり減り、お身内の御家族・御親族だけでひっそりと執り行われるケースが多くを占める昨今です。

 周囲の方々も不慣れな状況の中で、勢い、ご喪家の方々はネットに頼り、取り急ぎハウツウ式の御葬儀を執り行ったが、これで良かったのか否か、中には、こんな見送り方で…と、御葬儀後不安を覚える方々も多いと伺っております。

 ここはどんな状況下でも長年の経験から、目配り・気配り・心配りができるベテランの担当者の出番です。

 その時の状況下で、自在に対応可能な担当者の存在は重要です。

 メンタルな面も含めて、ネットでお調べしただけでは分からなかった新たな提案もして頂けますし、担当者からも「サービスが行き届かなかったら何にもなりません。金銭面だけでなく、御葬儀ではご喪家との信頼関係が何よりも大事です」と伺っております。

 これからもどんな状況下に置かれても、後悔しないお見送りだけは心掛けたいものです。

 本年も後数日を残すのみとなりましたが、来年は少しでも多くのご相談者のお言葉に耳を傾けられるよう、更なる努力をして参るつもりでおります。

 当方の担当も本年最後になりました。

 この1年拙いブログにお目を通していただき、有難うございました。

 来年も引き続き、よろしくお願い申し上げます。

 少し早めではありますが、よいお年を!

担当者からの適切なアドバイスを・・・。

 コロナ禍の中、沈静化の方向に向かったと思えば、又別なウイルスが頭をもたげ、世間は相変わらずモグラ叩きのような状態が続いていますが、月日は何事もなかったように進み、早くも師走の様相を呈しています。

 御葬儀の世界も、3密(密閉・密集・密接)を避け、出来るだけシンプルにと、通夜を省いた1日葬が主流となり、お身内のみでひっそりと執り行われるケースが、大半を占める様になって参りました。

 取り急ぎ、御葬儀を済ませることが第1目標となり、勢い、ネットを通じてハウツウ型の御葬儀で執り行ったが、少人数であるだけ様々な問題も露呈し、こんなはずではとの声も聞こえてきます。しかしながら、御葬儀だけはやり直しが効きません。

 ネットの情報は一見詳しく説明され、使いかってもよく、ご要望に沿っているようですが、ご喪家のご事情やご要望も嚙合わせると思わぬことから向き不向きも出てくるようです。

 それを補っていただけるのは、地元の御葬儀に精通した御葬儀の担当者ではないでしょうか。

 実際にお会いされてご喪家のご要望をお伺いし、整理していく内に、必要なもの、必要でないものが区別され、ご喪家からも担当者のアドバイスで助かりましたとの報告も、数多く頂いております。

 「ボーとしていたら、いいようにされてしまった」という話はよく聞くが、「ボーとしていたら私共のいいようにしてくださった」と感じました。

 「追加オプションを勝手に付けられた」とは聞くが、「これは不要ですね」と削ってくださった。

 葬儀当日だけでなく、後日もお世話になり、申し訳なくなる程手厚く助けて下さった。どんな小さな疑問にも、相談にも丁寧に答えて下さりお願いして良かったです」

 以前頂いたアンケートの一部ですが、ご相談者とのコミュニケーションがどれだけ取れるかが大きな鍵となり、それがご相談者の安心に繋がっているのでは・・・。

大皿に盛られた通夜ぶるまいの席は何処へ

 普段の生活で、ご葬儀に出席される機会は度々ございますが、一方でご自身が喪主になり、ご喪家代表としてご会葬の方々をお迎えする立場になるのは初めて、とおっしゃる方が大多数かと存じます。

 更に追い打ちをかけるように、昨年来コロナの存在が急浮上し、まるでもぐらたたきのように一つが休息に向かうと、さらなる新種が現れ、いたちごっこの様相を呈し、気が付くと、御葬儀の世界もコロナ禍以前の2年前とはだいぶ趣も異なって参りました。

 ご喪家にとりましては、未経験の御葬儀を無事終わらせることが急務のような状態が続き、取りあえずハウツウ式の御葬儀で間に合わせようと最近はネットに依存される方も多く、御葬儀終了後、これで良かったのか否か、どこか釈然としないとおっしゃる方の声も多く耳にします。

 勢い、当初のご要望とはかけ離れても、ともかくも御葬儀を終わらせるという意識だけが先行されているご様子が目につく昨今です。

 通夜の後、お越し頂いた弔問客に大皿に盛ったお料理やお酒が振舞われ、故人を偲んだ通夜ぶるまいの席も、最近のコロナ禍以降は縮小されて、お身内だけの通夜ぶるまいに限定され、長年の友でもある弔問客にはお持ち帰り用のお弁当がご用意され、故人様を偲ぶ余裕もなくなってしまった感があるようです。

 通夜ぶるまいを召し上がって頂くことが故人様の供養になると言われ、その昔は夜通し故人様を偲びながら席を設け、もてなすことで生前の感謝の気持ちをお伝えしたとまで言われています。

 1日も早い、コロナの終焉を祈るばかりです。

御葬儀とお食事の関係は・・・。

 12月に入り、年の瀬を迎え、また新たなコロナウイルスの情報が飛びかっています。

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀の世界でも最近は通夜を省いた1日葬と、通夜も省いた直葬が主流を占めつつあるとのこと。

 更に通夜を含めた御葬儀でも、お食事はごく内輪の方々に限定され、一般弔問客の方々にはお持ち帰りのお弁当がご用意されるという方向に舵が取られ、昨今は長年のご友人の方々が通夜の後、故人様を偲びながら、思い出に浸ることもままならない状況が続いています。

 現状をお伺いしていると、数年前の通夜での状況が懐かしく思い出されます。

 立会いでお伺いした無宗教葬の御葬儀では、中央の柩が無ければパーティー会場と見間違うほどの賑わいを見せていました。

 60名程のご会葬の方々は、柩を囲った白薔薇と同じ薔薇の花を手に献花を済ませた後、シャンパングラスを片手に一堂に会し、お互いに久しぶりの旧近を温め合い、故人様を偲びながら、古き良き時代の思い出に浸っているご様子でした。

 皆様のお話は尽きず、故人様との最期の晩さんはお時間をだいぶオーバーしてしまいました。

 喪主のご長男様から「父の遺言通りの御葬儀ができました。沢山の友人に囲まれて、幸せな人生だったと思います。お父さん長い間ご苦労様でした。旅立ちにあたり乾杯をさせて頂きますので、皆様今一度グラスを・・・」とのご挨拶を頂きました。

 「父の旅立ちに先立ちましてカンパーイ」

 ご出席の方々の心に深く刻まれたことと存じます。

 今は1日も早く、自由に選択できる御葬儀が執り行われることを祈るばかりです。

お参りしたい人のお気持ちも考えて・・・。

 先日、お父様がご自宅で突然死され、警察での検視も終わり、御家族だけでのお見送りのお支度にとりかかっていましたが、お父様の友達に知れるところとなり、皆様のご要望で急遽お別れの場を設けることになりました。

 突然のこと故、御家族のお気持ちも動転されている中、昨今のコロナ禍での御葬儀同様に、お身内だけでのお別れをあえて1日葬に変更され、お友達とのお別れの機会を設けられたとの由。

 以前、アンケートを頂いた方のお言葉が蘇ってきました。

 「涙も笑いもある御葬儀でした。看病の流れのまま御葬儀に突入しながらも、残された家族がどれだけ気持ちに余裕をもっていられるかで、参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まり、すべてが過ぎ去る前に気付かされたお蔭で、皆様にも私たち家族にも一生の悔いが残らずに済みました」とのお言葉がリフレインしています。

 当初、ご本人様からは御家族4名様での火葬のみを希望され、病院に日参されている奥様のお体を気遣い「参ってくれる人が一人増えれば増える程、あんたが疲れるのだから・・・」と言い続けていらっしゃったと伺っておりました。

 しかしながらご相談者は当センタ―のホームページに記載されていた「お参りしたい人の気持ちを汲んであげることも大切・・」のくだりが頭の隅にこびりついて離れなかったご様子との由。

 当センターとのやり取りの中「近親者の率直なお気持ちをお伺いしていくうちに、父には申し訳ないが、御葬儀は私たちがどれだけその人達のお気持ちを受け止められるかにかかっている」と確信され、3ヵ月後の御葬儀には御親族の方々に大勢お見えいただき、通夜の晩、皆さんで斎場の大広間に雑魚寝をされ、久しぶりにお会いされた方々にとって合宿所のような1晩が思い出深く心に刻まれたご様子で、翌朝バケツリレーのようにして大広間に運ばれたお布団の山は圧巻でしたとご報告頂きました。

 お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎるとのご親戚の方々やお友達のお言葉に「どうぞ、お願いします。お見えになってくださいと言え、一生の悔いを残さずに済みました」とは奥様のお言葉。

 コロナ禍での規制の中、従来の御葬儀では難しい状況もあり、お別れもままならない中ですが、いつの世でもお別れのお気持ちに変わりはありません。

これからの御葬儀の在り方は・・・?

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀も出来るだけ質素にお身内だけでお別れを…とのご要望が多く寄せられていますが、一方でこんなご時世だからこそ、ご納得のいく形で最期のお別れをされたいとのお声も、故人様と古くからのお知り合いの方々から頂きます。

 社交辞令でお伺いするのではなく、ご自身の人生の中で深くかかわった方に最期のお別れをされ、けじめをつけたいとのご要望もお伺いしています。

 数年前、体育会系の先輩の御葬儀に立会いでお伺いした際でした。

 後輩の方々が多数ご出席された御葬儀も、いよいよ最後のご出棺の時間が迫って参りました。

 と、突然後輩達が柩を囲み、スクラムを組んで、面倒見が良かった先輩へ「最期に届け」とばかりに学生時代に戻り、蛮声を張り上げての応援歌が披露されました。

 一気に40数年前にタイムスリップしたおじさん達は溢れる涙を拭おうともせず、応援歌は終わることが無いように、リフレインされていました。

 周りを囲んだ他の参列者も思わず目頭を押さえ、式場は穏やかな空気に包まれ、不思議なことに、お別れの場である式場全体が幸せな空気に包まれたようにも感じられました。

 コロナ禍の中、御葬儀のお式をせずにお身内の方のみでお見送りする方、通夜を省いて1日葬のみでお別れされる方と様々ですが、人と人との距離感や式場での決まり事も含め、コロナ以前とは大分趣が異なって参りました。

 関わりのある方がご納得のいくお見送りの仕方を摸索し、これからの御葬儀の在り方も含めて、コロナ以降を問われる時代に入っているのかもしれません。

卒寿のお言葉

 11月11日テレビをつけると、作家で天台宗の尼僧・瀬戸内寂聴さんの訃報が飛び込んできました。

 享年99歳との由。

 謹んでお悔やみ申し上げます。

 最近はご高齢ながら、90代の方の活躍が目につきます。

 お料理教室の先輩も今年の春、卒寿のお祝いをしたところです。

 その先輩から先日卒寿に関するメールを頂きました。

 「とうとう90年を生きてしまったお祝いに、関係筋から卒寿の小冊子を頂きましたが、果たしてめでたいのか」

 と、申しますのも、最近は先輩・同級生と顔を合わせるのが稀になり、小学校・高等女学校・大学のクラス会は5年前が最後となってしまったが、それでも残り少ない大学時代の同級生とは3ヵ月に1回ランチをしていることを句会で披露したところ、2人では囲むにならないと揶揄されてしまわれたとのこと。

 かつての友人達も高齢者施設入居、車椅子,介添え人付きとなると次第にお会いするのもおっくうになり、コロナ禍の昨今では手紙とはがきを送りまくり、それでも用事を済ませた後、毎日のお使いは欠かさずに、1日平均5000歩~6000歩は確保しているとの由。

 お誘い頂くのは後輩ばかりとなりましたが、お誘いいただけることの幸せを昨今は身に染みていらっしゃるとのお言葉です。

 戦後初の女性管理職を歴任されて、80代後半までは海外出張も何のその、たくましい人生の先輩です。

 その先輩も昨今の風潮に対して、日本に住むからには噴火・地震・津波・台風は覚悟の上。

 コロナ禍は人災半分で、後手後手に回った政府、孤独に耐えられない若者・子供にとって目先の楽しいことばかりがあり過ぎた時代が長すぎた結果では・・・と。

 戦後の厳しい時代を体験され、喜怒哀楽・栄枯盛衰を噂ではなく、現場で見てきた先輩のお言葉です。

 まだまだ、現役で後輩を叱咤激励されている姿に安堵しました。

 また、ご連絡させていただきますので、こちらこそよろしくお願いいたします。  

ジャズとコロナと御葬儀と・・・。

 今年も残り早2ヵ月を切る季節となって参りましたが、季節感が薄れ、相変わらずコロナ一色の中で右往左往する毎日が続いています。

 街路樹も色づき、街中をジャズの音楽が流れ、各地でフェスティバルが開催される季節ですが、自粛ムードが定着し、生活の中からいつの間にか、音楽が遠のいてしまった感は否めません。

 御葬儀とジャズ、一見関わりが無いような組み合わせですが、以前お伺いした無宗教葬でのジャズメン達の熱い演奏ぶりがこの季節になると鮮烈に蘇ります。

 都内でジャズ喫茶を経営し、お仲間達とジャズの演奏をされていたご主人のたっての願いで、喪主の奥様は御主人のご兄弟の大反対を押し切って、無宗教葬での音楽葬を執り行いました。

 通夜の間中、ジャズの音楽が流れ、往年のジャズ仲間が多数お集まりになり、懐かしい写真や作品に触れ、思い出話に花を咲かせておりましたが、お仲間のお1人が感極まって持参されたトランペットを吹き始めると、他のお仲間達も我先にご自分の楽器を手にされ、ご一緒にスイングされて、気が付けば式場はいつの間にか演奏会場に早変わりし、皆さんご自慢の楽器を手に思いのたけを奏でて、お見送りされているご様子でした。

 大反対をされていたお兄様も、気が付けば、弟さんの御自慢だった楽器を手に、ご一緒にスイングされていらっしゃるご様子です。

 翌日の告別式ではあれだけ反対されていたお兄様が「こんな素晴らしいご葬儀は初めてだ」と号泣され、これからも末永くお付き合いを・・・と告白され、ご出席のお仲間達も、思い出深いご葬儀にご納得されたご様子でした。

 コロナに翻弄される昨今ですが、秋の深まりと共に、ジャズの音色が思い出される季節はいつになるのでしょうか・・・。