お気持ちはわかりますが・・・。

 「町田の○○の名前で一昨年初め、あさがおさんにお願いして、ご紹介頂いた葬儀社さんでご葬儀をさせて頂いた折、とてもよくしていただいたので、今回急にお電話をさせていただきました」。
 お名前には聞き覚えがあります。
 古い友人に久しぶりにお会いしたように気持ちもなごみかけ、続きをお伺いすると、ご主人の妹様が急変されて、先程病院でお亡くなりになられたとのこと。

 「前回のような葬儀社さんをご紹介いただければ・・・。具体的なご葬儀のことは主人の方が詳しいので代わります」。
 奥様に代わりご主人が話始めた時「あ、すみません!今病院から妹の遺体が到着したので、妻と代わります」あたりの空気が一変したかのように、一気に緊迫したあわただしさがこちらにも伝わってきました。

 ご遺体の搬送までを病院付きの葬儀社さんにお願いし、ご自宅にご安置されましたので、慌てずにお見積りを取り、前回同様ご要望に合った葬儀社さんに執り行っていただきたいとのご希望でした。

 お話をお伺いして、早速ご要望に合うと思われるセンターの賛同社さんを複数社、ご紹介させていただきました。
 お見積りは直接お取りになりたいとのことで、ご紹介した賛同社さんには事情を説明し、お待ちしていたところ、ご相談者からのお電話が入りました。

 「すみません。主人の父が先程、こちらに到着して、葬儀は私の知り合いの葬儀社に頼むから。娘の葬儀は私がするからと・・・。ご相談に乗っていただけるところがあると言ったのですが・・・」

 「ご紹介いただいた社にはよろしくお伝えください。嫁の立場ですので、申し訳ございません」

 ご相談者の平身低頭ぶりに思わず「大丈夫です。どうぞお気になさらないでください。それよりもお気をしっかり持って、お嫁さんの立場だからこそ、お義父様を脇からしっかりサポートしてあげてください」と申し上げておきました。
 でも、お気持ちよくわかります・・・。

 以前、ご相談者から妹様のご主人が危篤状態の中「実の兄以上の付き合いをしていたので、最期の別れを悔いのないものにしたいと、妹と相談しながらのお願いです」とのお電話をいただいたことがございました。
 その時、ご相談者のお気持ちは分かりますが、義弟のご実家の方々のお気持ちやご意向はどの様に汲んでいらっしゃるのかをお尋ねいたしました。

 実は東北地方にお母様もご兄弟もご健在ですが、妹様のご主人とは永年疎遠になったままで、ご病気の報告にも梨のつぶて状態でしたが、さすがに万が一のことに関しては見逃すわけにはいかないご様子で、しかも勝手に進めているのが奥様のお兄様となれば、血の繋がりの無いあなたがなぜ…という目で見られており、双方の思いは益々気まずくなるばかりとのこと。

 しばらくメールでのやりとりをしておりましたが、「肝心の妹が動揺しておりますので、これ以上のご相談は無理な状態になってしまいました」と丁重なお詫びのメールをいただいたことが、今でも思い出されます。

 良かれと思ってされたことが、思わぬ波紋を広げるのも、ご葬儀に多く見られるようです。
 ご希望・ご要望にはどなた様のご意向かを確認することも重要です。

久しぶりに街の本屋に

 検索エンジンに何らかの漠然とした言葉を入れても、検索窓の下には候補の言葉がずらりと並び、探したいのはこれですか、みたいな反応が返ってきます。ネットショップで何かを買えば、過去にはこれも買ってます買い物忘れはありませんか、とか、この商品を買った人はこういうのも買ってますよ、みたいな反応が返ってきます。どんどん、緻密になって的を射るような反応になってきているので喰いつきたくなります。

 たしかに便利ではありますが、こちらのネット上での振舞いを予想され、その通りに行動するのも癪に障ります。個人的に、一番、予想通りに行動してしまっているのが、本です。
 評価の高いお勧め本は、もちろんのこと、この本を買った人は、この本も一緒に買っています、も予想通りに購入ボタンをクリックして(させられて)しまうことが多い気がしてなりません。

 これでは、アマゾンの予想通りにしか知識が増えない!(大げさですが)ので、何かしら対策を考えなくては。
 先日、待ち時間が少しあって、暇つぶしのため、おそらく1年ぶりくらいに街の本屋に入り、買う気もなかったのに、タイトルとか装丁、内容を少し見て3冊買ってしまいました。「終活なんておやめなさい」という本もありました。これは対策になりそうです。ネット上ではおそらく、買う機会がなかったであろう本を読み、ためになったのですから。

 ちなみに、本の内容は、タイトル通りです。遺言、葬儀、墓、相続など、自らの人生の終わりに向けて積極的に準備を進める活動に対して、おやめなさい、です(理由は同書をご覧ください)。終活は、過剰な個人主義と自己決定権のような気だけしていたのですが、同書で知識補強させてもらいました。
 当センターも、葬儀に関わっているので終活を推し進める側だと思われがちですがそうでもありません。否定はしませんが、積極的にお勧めもしておりません。というより、ご相談者の99%以上は、ご本人以外なので、そうした機会があまりないのが現状です。

存在の意味。

 「あんたんとこはどういうところなの? 」
 私がセンターに入って少し経った頃に、ご相談の電話番号にかかってきたお問い合わせでした。
 お話しを聞くと、電話帳で『あさがお葬儀社紹介センター』の名前を見かけたのでかけてみたとのこと。葬儀社っぽい名前だが葬儀社じゃないみたいな名前で、センターが何なのか不思議に思われたそうです。
 「葬儀社を探している方やどんな葬儀社がいいのか困っている方へ、葬儀社を紹介しています」とお答えすると、「葬儀社なんて、電話帳で近いところを探してそこに頼めばいいじゃないか、歩いてても葬儀屋なんてあっちこっちにあるし。紹介なんかしてもらわなくても誰だって自分で見つけられる、あんたんところはどんな存在意味があるのか」と聞かれ、まだ入って間もない私はうまく納得がいく説明が出来ずに、困ってしまった事がありました。
 たしかに、電話帳に載っている社名と電話番号、住所だけではセンターがどのような活動をしているのかなどはよくわからないと思います。
 何年も前のことでしたが、うまく説明できなかった事が今でもなんとなく心に残っていて、ときどき思い出しては、色々な意味で残念な気持ちになる事があります。

 ただ、電話帳で当センターのことをよくわからないのと同じで、葬儀社も住所と電話番号だけの情報では、その葬儀社が自分に合うのか合わないのか、良心的なのか、そうではないのかなどを見分けることはできません。

 情報が少なかった時代には所在地と電話番号がわかるだけでもありがたいものだったかもしれませんが、今はインターネットやテレビ、雑誌などで、多すぎるほどの情報が出回っています。その多くの情報の中で自分がどれを取るのかの選択に混乱してしまうこともあるかと思いますが、色々な事を知ることができ、選べる事ができるのは良い事だと思います。
 
 インターネットを見られない環境の人、やり方がわからない、興味がないなどでネットに関心がない人でも、安心して満足のいく葬儀が行なえますよう、センターでももっと多くの人に知ってもらえるような情報発信をしていかなくてはと思います。

エンディングノートの出番です。

「もう、勘弁してよ!今年88歳になるお袋が、月1〜2回の割合で、猛然と家の中の整理をすると言い出して、せっかく仕舞ってあったものまで取り出し、ビニール袋に詰め込み、家中足の踏み場もない状態で、困った。この間も家に帰ったら、ビニール袋の間に挟まって逆立ち状態でいたんですよ!」
 電話の向こうの知人の困惑状態が手に取るようです。

 「でも、お母様は一生懸命整理整頓されているおつもりなんだから・・・」あまり良い答弁ではなかったなと思いながらも、似たようなご家庭が、増えているのでは・・・と、思わず親ごさんと同居されている独身の友人、知人を思い浮かべてしまいました。

 お電話はまだお元気なこのお母様の万が一を考え、いざという時には良心的な葬儀社さんをご紹介してもらえるかとのお問い合わせです。

 「勿論、任せておいてください。事後、病院からご自宅に戻っても時間は十分ありますので、見積りのチェックをされてから、葬儀社さんをお決めになっても大丈夫です」

 ちなみに17年前に亡くなられたお父様のご葬儀代を伺うと、都心でセンターが取り扱っている同じ地区での平均の2倍以上の金額に、こちらもビックリです。
 急にお亡くなりなられたこともあり、町内会の方からお近くの葬儀社さんを紹介していただき、見積書もいただいていないので、言われるままにお支払いし、その金額が平均だと思っていらっしゃったとの由。

 矢張り、当時はこの世界がかなりどんぶり勘定だったことが改めて思い知らされました。

 お話はお母様のことから、ご自身のことに移り、アメリカ在住のお兄様は当てにならないから、後見人制度の利用も考えていらっしゃるとのことでしたが、それはもう少し先のこととして、まずはエンディングノートを書くことをお勧めしてみました。

 5〜6年程前から、エンディングノートの存在がクローズアップされてきましたが、存在は知っていても実際に書かれていらっしゃる方は意外に少ないようで、当方の周りも又然りです。

 1ヶ月程前に対応したご相談者の場合も、ご葬儀はどのようにされたいのかをお母様にお聞きになりたかったが、すでに病状が悪化し、お尋ねできない状態とのことで、1人っ子のご相談者はお母様のお気持ちを推測するしか手立てがなく、それでも担当者とご相談しながら決めて行かれたが、はたしてこれでよかったのか、ご不安が残ったとのことです。

 ご自分の最期はどのようにされたいか、思いやご希望をお伝えしておくだけでも、残された方は安心してお見送りができます。

 思い立ったが吉日ではありませんが、まずは書きたいところからでも始めてみましょう。

実際にご利用頂いた方の声は大切です。

 センターでは、以前ご紹介で葬儀を行なった葬儀社へ次のご葬儀もご依頼されたなどの場合、担当葬儀社さんよりその旨の報告を頂いています。
 これは、リピートでのご依頼があるということが、以前に対応させていただいたご葬儀がご依頼者にとってご満足のいくご葬儀だったということの表れであると思いますし、担当者の説明や対応が丁寧であったりなど、安心してお任せいただける葬儀社であるという最大の情報であると思っているからです。
 
 センターでは、過去に行なった葬儀で二度と同じ思いをしたくないという経験をされた方からのご相談が寄せられる事もあり、葬儀社を選ぶ段階でとても用心しているご様子の方などもいらっしゃいます。
 このような方をはじめ、初めて葬儀を行なう方にとっても、リピートで利用されるような葬儀社であるという情報は、まず大きな安心材料になるのではないかと思うと同時に、過去のご葬儀を、当センターからの紹介であったことを覚えていて、報告をしてくれるという几帳面さも、信頼できる葬儀社さんとして安心してご紹介できる大事な要素だと思います。

 また、センターでは、このほかにも、実際にご葬儀を依頼された方へご葬儀後にアンケートのご協力を頂いています。
 アンケートには「お知り合いなどに、今回利用した葬儀社を勧めたいと思いますか」という設問がありますが、『ぜひ勧めたい、機会があれば勧めたい』と頂いたご回答もリピートでのご利用と同等の情報として、ご紹介の際の参考にさせていただいています。

 実際にご利用頂いた方からご協力いただくありがたい情報を活かして、これからもご相談、ご紹介につなげていきたいと思っています。

来年も再来年も・・

 1年半ほど前に、ご自身達ご夫婦の葬儀についての事前相談をされていた方から、先日、再度のご相談をいただきました。
 前にご相談をいただいた際に、数社の葬儀社をご紹介させていただき、その時点での概算見積書を提出しましたが、長期にわたるご相談でしたので1年程を目安に見積もりの見直しなどをして頂くことをお勧めしたことで、1年を過ぎたころから気に掛けられていたそうです。
 
 今回の見直しでは、以前は自宅近くの斎場を希望していたので、それに合うような提案・ご紹介をしましたが、今回はこの1年半の間に参列されたご葬儀で使われた斎場が気に入ったので、そこに変更したいとのこと、また、ご会葬の人数も30名から20名に変更したいと、ご要望に変更がありました。
 センターでも、この間に新たな賛同葬儀社として参加して下さった社も増え、ご要望の変更を踏まえて、改めてタイプの異なる社をご紹介させていただきました。

 長期のご相談では、ご相談者の状況や要望に変化があることもありますし、センターや賛同葬儀社さんにおいても変化があることもあります。
 また、今の時代は消費税の増税や葬儀に関わるものの価格変更など物価の変動もあるかもしれません。
 
 ご相談者がお電話で「一日一日、先延ばしにしていて、そちらに連絡するのが今になってしまって・・」とおっしゃっていましたが、先延ばしにするのは、お元気でいらっしゃるからだと思います。

 来年も見直しのご相談をお待ちしています。

キリスト教葬

  今、写真集のページをめくっています。
 永年撮りためたモノクロームの世界が、鮮やかな色彩を感じさせ、力強く迫ってきます。
 この写真集は、昨日・3月3日のご葬儀の返礼品の一つです。

 お亡くなりになる数日前、最終チェックをされ、4月出版予定だった写真集は、急遽皆様にお渡しすることになり、ご当人もびっくりされているのではと、にわかに先輩の死が信じられないまま、告別式に参列させていただきました。

 3月は別れの季節とも言われていますが、女の子の節句が奇しくも、お別れの日となってしまいました。

 葬儀ミサでのパイプオルガンの重厚な調べと聖歌隊によるミサ曲が流れる中、頭上高いステンドグラスを見つめていると、ふと門外漢の当方も、先輩の死が少しずつ受け入れられるような気持ちになってくるのが不思議です。

 教会のステンドグラスは日の光により色が変化して、時刻を知らせる役割もあったとも言われ、外は今にも雨が降りそうな曇天にも拘わらず、鮮やかな色彩に彩られステンドグラスは、光輝いて見え、何かを包み込むようなやさしさが感じられました。

 花に囲まれたひつぎのお顔は、笑みがこぼれていると錯覚を起こす程穏やかで、教会の信者の方々も多数ご参列され、こちらの教会で洗礼を受けた先輩は、大勢のお仲間に囲まれての旅立ちとなりました。

 仕事柄、これまでご葬儀の立会いには、数多くお伺いしておりますが、参列者の立場に立ちますと、実体験として別な側面が垣間見られ、特に今回はカトリック教会でのお式でしたので、教会主導のもと執り行われ、葬儀社の担当者の方々は完全に後方支援にまわっているご様子も、よく観察させていただきました。

 また、1ヶ月程前になりますが、プロテスタントのお父様のご葬儀を、教会にこだわって執り行いたいと、深夜急なご要望をいただき、キリスト教会に詳しい葬儀社の担当者さんの計らいで、担当者さんの知り合いの牧師さんにお願いし、役員会に掛け、無事教会でのお見送りを致しました。
 後日、ご相談者からご丁寧な感謝のお言葉をいただきましたが、参列してみて、教会にこだわったご相談者のお気持ちがよく分かりました。

 先輩、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
 安らかに、御休みください。

いろいろな棺

 先日、テレビでガーナの棺が紹介されていました。
 魚やコーラ瓶の形、飛行機や車の形など、故人を象徴する物を模って作るものだそうです。私は初めて見たものだったので、ネットで検索すると、たくさんの画像が出てきました。
 けっこう前からガーナの棺は有名だったようです。

 日本では、火葬をしなければいけないという法律があるため、棺は火葬炉に入るもの、燃やしても安全な材質のものでなければならないので、ガーナの棺のように奇抜な形のものは使えませんが、調べてみると、日本の棺でも花柄のプリント布が貼られていたり、絵が描いてあったりなどの棺もありました。

 個性的なものを好む人も一昔前より増えているような気がしますが、日本の場合は早急に棺を用意しなくてはならない状況になる事もあるので特注の棺を使うのは少し難しいかもしれません。

 キルト教室の先輩が、自分の葬儀には自作のベッドカバーサイズの華やかなキルトを棺にかけて・・と言っていましたが、そんな形で個性を出すのもいいかもしれません。

斎場の見学

先日、斎場の見学取材に行ってきました。
 葬儀社さんの自社斎場とお寺が保有する会館です。
 近年、お葬式の規模が縮小傾向にあり、家族葬などの小規模なご葬儀が主流になりつつあります。
 先日伺った斎場は、両方とも小規模な葬儀から、100名を超える葬儀まで、うまく対応ができる会館でした。
 葬儀社さんの自社会館はほとんどが宗旨宗派問わず、どのようなご葬儀にも利用できる融通性がありますが、お寺の会館の場合、檀家さんのみや、既成仏教のみなどの規制がある会館も多い中、先日おじゃまさせていただいた会館は、お寺の会館ではありますが、宗旨宗派問わず、どのようなご葬儀にも対応でき、また、近年希望者が多くなっている一日葬にも対応するという融通性の高い会館でした。保有する複数の式場は、ここ数年希望者の多い家族葬でちょうど良い規模のものをメインとし、人数が増えても十分に対応が可能なように作られています。
 葬儀社さんの自社斎場の方も、火葬のみでご安置されている方のお別れに利用できたり、センターへのご相談でもたまにお聞きする、「故人様と一緒のところで食事をとりたい」などの要望にも対応できるような融通性の高い会館となっていました。

 多様化するご相談者のご要望に応えるためには、葬儀を行なう場所の融通性も重要なところであると感じました。

ラストメイク

  先日、入院中のお母様の万が一を考慮して、ご家族ご親族を中心に、お世話になった町内会の方々と、ご自宅でのこぢんまりとしたご葬儀のお見積を、ご希望の方がいらっしゃいました。

 早速に賛同葬儀社の担当者からは見積りと見積りの補足説明書が届き、その補足説明の最後の1文「同じ女性として提案させていただきます」の言葉に思わず見入ってしまいました。
  
  「見積書には記載されておりませんが、メイクまたは湯灌を是非おすすめいたします。闘病後のお顔のやつれなども、安らかなお顔になりますし、矢張り女性ですので、最後の皆様とのお別れの前に、お風呂に入れて差し上げるのがよろしいのではないか」と、書かれた説明文を見て、急に8年前の母の最期の顔が浮かんできました。

 私事で恐縮ですが、臨終に間に合わず、駆け付けた時にはすでに母は実家のお布団の上でした。
 怖々そっと白い布をあげると、綺麗に薄化粧をほどこし血色も良く、今にもパッチリ目を開けて、にっこりしそうないつもの母の顔があり、思わずほっと安堵したことが思い出されます。

 親戚の者からも、一斉に最期の顔がよかったとお褒めの言葉をいただき、何気ないことが後々までも、事あるごとに語り草になるほどの、ラストメイクのインパクトの強さに、改めて驚かされたものでした。

 昨年、100歳の方のご葬儀では、担当者の気配りのある臨機応変な対応に、大変ご満足されたお礼状を、ご葬儀直後のお忙しい中頂きましたが、最後の1文に少し言いにくそうに「綺麗にラストメイクをしていただきましたが、少し綺麗になりすぎたようで、いつもの母とちょっと違ってしまいました」と書かれていました。
 プロのメイクアップアーティストにお願いしましたが、お歳を召しているからと言って、少々張り切りすぎてよそ行きのお顔になってしまったようです。

 普段のお顔で、それをいかにきれいに見せるか、プロの腕の見せ所ですが、一方でそれをすべて、ご家族の皆様の手で実現させるよう、提案している担当者もいらっしゃいました。

 ご喪家の方々にもご一緒に参加していただき、マッサージをほどこし、下地を綺麗にしてさしあげ、指導していくうちに、お孫さん達も亡くなられた方に対する意識の変化が見られ、ご遺体に対し、接し方も変わってくるとおっしゃいます。

 ラストメイクと言っても、門外漢には、たかがメイクとお映りかもしれませんが、ご家族や親しかった方にとってはされどメイクです。
 
 同じ女性として、私も提案させていただきます。