ベテラン担当者の心意気

 秋も深まり、朝晩の寒さを感じる季節になってきましたが、今年はコロナ禍の中、緊張の毎日が続いています。

 しかしながら、様々な催しがキャンセルされる中、御葬儀だけは止めるわけにはいきません。

 さらに他の催し物と違い、一生の内で最後に執り行う御葬儀はご会葬の方々にご納得いただき、皆様の心に残るものでなければなりません。その御葬儀も執り行う担当者の力量で決まってしまうとまで言われております。

 御葬儀の順番はあれども、時間内でどのような対応をされるかは、ひとえに担当者の力量に掛かっていると言っても過言ではありません。と言っても特別な事をするわけではありません。

 ベテラン担当者に伺うと、長年の経験から気配りの行き届いた御葬儀を心がけるよう、常に自身へ問いかけているとのこと。

 ご喪家の身になって考え、悲しみを癒すお手伝いをする立場であることを常に認識しているとおっしゃるベテラン担当者は、御葬儀を究極のサービス業と捉え、お料理も祭壇も大切だが、より重要なのは御相談を受ける担当者自身の気持ちだともおっしゃいます。

 ご相談者のお気持ちをガチッと掴むことが出来れば、よほどのことがあっても大丈夫との由。

 当初、お父様の搬送先をご自宅以外にとのご要望を伺い、自社の安置所にお連れしたところ、深夜でしたがお母様から矢張りご自宅に一度お連れしたいとのご要望が出され、急遽ご自宅に向かう羽目になりましたが、お母様のお気持ちを察し、自社までの搬送代はサービスされたとのこと。

 また、ご高齢で長患いだったお母様を見送る際のお気持ちの整理はすでに出来ているとおっしゃる喪主様からは、御葬儀後、こちらの気持ちを汲み取り、時には明るい笑顔で対応して頂き、心静かに見送ることが出来ましたとのお言葉もいただいております。

 ご要望に真正面から向き合う姿勢に、いつの間にかご喪家の方々からも絶大な信頼を得、無事御葬儀を済ませた暁には、ご相談者から御葬儀のご報告と共に「担当者に大変お世話になり、くれぐれもよろしくお伝え下さい」と熱いメッセージが寄せられました。

 コロナ禍の中、ハウツウ式の規格品の御葬儀が目立つ昨今ですが、ベテラン担当者のご意見も再考していただければと存じます。

ご自宅への想いは・・・。

 「病院に入院中の母の病状が最近思わしくないのですが、万が一の際、まずは自宅に送ってもらえるのですか」

 「大丈夫です。ご連絡頂ければセンターの賛同葬儀社さんをご紹介し、葬儀社さんの方で、ご自宅までお送り致します。これからお見積り等もお取りできますが・・・」

 「自宅に送って頂いて、後のことはそれからゆっくり考えます・・・」

 電話口からほっとされたようなお気持ちが伝わってきました。

 かつて、ご自宅での御葬儀が主流を占めておりましたが、昨今の住宅事情等もあり、いつの間にか御葬儀はおろか、ご自宅からのご出発までも、まれなケースになってしまいました。

 長い病院暮らしの果て、そのまま安置所に直行されるケースが主流を占める昨今ですが、御家族にとって、せめて永年住み慣れた家から送り出したいという想いに変わりはありません。

 病院近くのウイークリーマンションで、御主人の長い入院生活を支え続けてきた奥様は御主人の御葬儀に先立ち、ご近所には御葬儀後にご報告される手前、そっと気を使われてのご帰宅となりました。

 御主人にとって1年9ヵ月ぶりの我が家で奥様が最初にされたことは、長い間閉めっぱなしにしていた雨戸を開け、御主人ご自慢のお庭を見せて差し上げることでした。

 また、下町の商店街で永らく魚屋を営んでおられ、お誕生日3日前に病院でご逝去された方は、御家族のたっての願いで、最後の誕生日をご自宅でお迎えになりました。

 お誕生日までの3日間は、商店街のかつてのお仲間が随時お集まりになり、皆さんそれぞれ最期のお別れをされたとの由。

 お誕生日を終えられた後、棺の脇に置かれたケーキをご覧になった葬儀社の担当者は皆様の思い出にと写真に収め、棺の脇にかざられたとのこと。

 永年住み慣れた生活の場からの出発は、見送る方の心の支えにもなっているようです。

見送る気持ちは不変です。

 新聞に掲載されていた記事の切り抜きを見ています。

 「弔いのあり方」という特集記事の中で、遺言どおり家族葬を執り行った御家族の話に、思わず目が止まりました。

 「家族葬の大変さを実感しました」との記事内容は、御葬儀の段取りや内容そのものではではなく、周囲の方々のあまりにも大きな反応に戸惑われたことでした。

 「何で教えてくれなかった」に始まり、「この前執り行った旦那様の葬儀に比べ、質素でかわいそう」「えらい扱いだ。こんな目に合うなんて」「友達だってお別れを言いたい。それを断るのはおかしい」等々。

 故人の遺言であることを告げても、なかなか納得していただけなかった由。

 大分前のお話しかと思い、記事の日付を見るとほんの2年半ほどの前でした。

家族葬、直葬の言葉はマスコミを中心に以前から取り上げられていましたが、それが現実となると、一般的に浸透するまでには大分時間がかかったようです。

 それでも、いつの間にか内々での家族葬はもとより、火葬のみの直葬までもご家庭での御葬儀の話題に上るほどになり、今年に入ってもたらされたコロナ禍の中では、むしろ1日葬での家族葬が話題の主流を占めるまでになり、御葬儀の在り方にも急激な変化がもたらされて来ているようです。

 一方でコロナ禍の中、3密(密接、密閉、密集)を防ぐためと称し、御葬儀はオンラインでと、記帳・香典の受け渡しから始まり、御葬儀風景も生中継され、決済も全てオンラインで完結する御葬儀が話題を集める昨今でもあります。

 しかし、見送り方がどんなに変わろうとも、御葬儀だけはやり直しがききません。

 最近はハウツウ型の一見スマートな御葬儀が目につくようにも思われます。

 コロナ終息の折には、労を厭わぬ、お一人お1人の個性に合わせた、お見送り方が待ち望まれます。

ジャズメン最期の夜

 10月も後半を迎え、一気に秋の気配が濃厚になって参りましたが、今年は例年の秋とは大分趣が異なってきています。

 今の季節、例年ですと街中のライブハウスからはジャズの生演奏が漏れ聞こえ、秋の気配を一層盛り立てておりますが、今年はコロナ禍の中、一変して自粛が申し渡され、様々な制約の中、生演奏はひっそりと行われる始末です。

 それでも、今年で26回目のジャズフェスティバルを迎える、草分け的存在のわが町阿佐ヶ谷では、「ライブの火を消すな」とばかりに10月23,24日の両日、阿佐ヶ谷ジャズストリートを開催し、街中につかの間の懐かしいジャズのライブが戻って参りました。

 ジャズ仲間の結束は強固です。

 ジャズ仲間と言えば、以前の御葬儀でジャズ仲間の友情に思わず、胸を熱くしたことが思い出されます。

  時にもの悲しく、時に激しいジャズの音色は御葬儀でも度々耳にしておりましたが、以前都内でジャズ喫茶を経営し、ご自身も演奏されていた方の告別式にお伺いした際のことでした。

 喪主の奥様は「無宗教での音楽葬を」との故人様の遺志を継ぎ、通夜は昔からのジャズ仲間を中心に御兄弟、御親族の方々に、お集まりいただきました。

 無宗教葬の通夜には往年のジャズ仲間が駆け付け、御葬儀担当者も献花台をあえて柩の右側に置き・お仲間が献花をされてから棺の故人様とゆっくりご対面いただけるようにセッティングに気を使われたとの由。

 通夜の間中ジャズが流れ、ジャズ仲間も当初懐かしいライブの写真や譜面に触れ、思い出話に花を咲かせておりましたが、感極まったお仲間のお1人が突如トランペットを吹き、懐かしい曲を次々演奏されるや、他のお仲間も、負けじとスイングして盛り上がり、ジャズメンらしい最期の夜となりました。

 地方からお越し頂いたご親族は、通夜が始まるまで無宗教の音楽葬に難色を示し、特に故人様のお兄様は大反対と伺っておりました。

 しかしながら、お仲間の深い友情を目の当たりにされたお兄様は、通夜の御挨拶で涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」といたく感激された面持ちだったとの由。

 翌日の告別式はジャズの音楽が流れる中、御家族・御親族のみのお見送りとなりましたが、奥様はお兄様から改めてご挨拶をいただきました。

「これからも今まで同様、どうぞよろしくお願い致します」と・・・。

懐かしの我が家

 先日、永い間ご自宅を離れ、施設に入居中のお母様の万が一を想定した御相談を頂きました。

 コロナ禍の中、お身内だけでのお見送りになりますが、当初のご要望はご逝去後、病院から安置所に向かう途中、ご自宅に立ち寄り、久しぶりの我が家を満喫してほしいとのことでした。

 しかしながら、5階の我が家までは階段も狭く、エレベーターもない状態とのこと。

 棺をお運びするには、階段の踊り場等の広さを葬儀社の担当者と事前にチェックする必要も出て参ります。

 話し合いの結果、ご自宅にお連れするのは残念ながら断念され、代わりにご自宅前をお通りの際、暫しの間、お近くで我が家とのお別れをして頂くことになりました。

 懐かしの我が家に関しましては、以前、矢張り長患いをされ、病院からご自宅に戻る日を1日千秋の思いで待っていらっしゃったご主人を、何としてでもご近所に知られないように、ご自宅にお連れすることを第1条件にされた奥様から、感謝のご報告を頂いたことが思い出されます。

 2年近くに及ぶ入院生活を、病院近くのウイークリーマンション暮らしで支えてきた奥様が、ご自宅に戻られ、最初にされたことは、長い間閉めっぱなしにされていた雨戸を開け、御主人のご自慢だったお庭を見せて差し上げたことでした。

 また、今回の御相談で、以前いただいたアンケートのことも思い出されます。

 お父様のご相談を頂いたのは、お亡くなりになられるずっと以前のことでした。

 最初の御相談で「万が一の後、病院から安置所に向かう途中、自宅前を通ってほしい」とのお話しを伺っておりました。

 ところが、ご逝去された当日は、ご相談者も御家族の方々も気が動転されて、そのことをすっかり失念していましたが、葬儀社の担当者さんは覚えておりました。

 ご逝去後のアンケートには「自宅前で暫しの間停車し、お祈りをして頂けたことで、心が救われた気がします。元気で帰ってこれなくて・・・。悲しくて無念でしたが、一瞬でも立ち寄って頂けたことで、心が救われた気がします。このタイミングをおいて、他になかったですから・・・」と記されておりました。

コロナ禍の中、御葬儀担当者の存在は・・・。

 先日来、お母様の万が一を鑑みて、御相談を頂いている方から、ご連絡をいただきました。

 当センターの賛同社より見積もりをお取りし、センターの見積説明書を添えてお渡ししたところ、早速に見積もりをお取りした社の担当者とお話し合いをされ、担当者の人柄にふれ、まずはご安心されたとのこと。

 色々と制約の多いコロナ禍の中で、初めてのご葬儀を執り行うご喪家にとって、御葬儀をお任せする担当者の存在は如何ばかりかと存じます。

 センターではまずご相談者からお話しをお伺いし、ご要望に沿っていると思われる賛同葬儀社さんから見積りをお取りし、同時に見積りをお取りした社の担当者の御紹介もさせて頂いております。

 見積りの説明後は、葬儀社の担当者とお会いされたり、直接御連絡をお取りしていただくよう、奨励しております。

 と申しますのは、御葬儀の施行に関しましては見積りの数字だけではなく、担当者とのコミュニケーションのあり方が満足度に深く関係して来るからです。

 人によっては担当者と合う、合わないということも出てきます。

 お時間がございましたら、事前に担当者とご面談されて、人となりをお知りになることを是非にとお勧めしております。

 尚、見積りは概算ですので、実際に担当者とお会いされて、様々な資料を見せていただきながら、担当者から説明をお受けになり、祭壇やお料理の写真などを交えて説明頂くことになります。

 また、お話し合いの中で、ご不安な気持ちをお話しされたり、具体的なご要望をお話ししていく中で、当初の見積りとは異なる案が担当者から出てくる場合もあり、御葬儀後のアンケートでも、担当者と事前にご面談され、何気なくお話しされた中から、よりお気持ちを汲んだ提案がなされ、想像していた以上の御葬儀が出来ましたと、感謝のお言葉を頂くことも度々ございます。

 コロナ禍の中でもやり直しがきかない御葬儀は、ひとえに担当者の人柄に掛かっているといっても過言ではありません。

慣れるとは・・・。

 深夜お電話を頂きました。

 「今しがた父親が病院で息を引き取ったが、◯万円以下で直葬を執り行ってくれる葬儀社を捜している最中で、現在、◯万円で直葬を執り行ってくれる葬儀社を1社保留しているが、更に安くできるところをあたっている」とのこと。

 あまりの低価格に一瞬絶句してしまいましたが、気を取り直し、「御希望に添えられるのは難しいかもしれませんが、地元の当センターの賛同社に問い合わせ、折り返しご連絡を差し上げる」旨のご返事をさせて頂きました。

 ところが、電話の主からは「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上でしたら、結構です。ご連絡には及びません」とのご返事が返ってきました。

 夫々の御事情があるとはいえ、思わずため息をついて、一抹の寂しさを覚えたのも事実です。

 あれから3年。

 今年は別な意味での、そっけなさを感じてしまいます。

 コロナ禍の中、周りに気遣い、お身内だけでそっと執り行い、古くからの友人も御家族からの事後報告でその事実を知らされる羽目になってしまい、戸惑いも多く見受けられると伺っております。

 しかしながら、コロナ終焉後もいつの間にかに慣れて、御葬儀とはそういうものだと思わせる時代に突入するのではとも危惧されます。

 時代と共にご葬儀も変化するとは言え、8年前に頂いたご報告は懐かしい思い出だけになってしまうのでしょうか。

 看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが当の御父様の願いでした。

 けれども、お母様は当センターとのやり取りの中で、ホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最期のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭から離れなかったとの由。

 皆様からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞ来てください」と言えたことで、一生の悔いを残さず済みましたとの感謝のお言葉を御葬儀後頂きました。

 センタ―とのやり取りから3ヵ月後の御葬儀では親戚の方々が大勢馳せ参じ、「通夜の晩は大広間に雑魚寝され、さながら合宿所の様相を呈し、翌朝は皆様でバケツリレーよろしくお布団を運び、見る見るうちに大広間はお布団の山が出来、それは圧巻でした。通夜の一晩が思い出深いものになりました」との報告も頂いております。

コロナ禍以後の御葬儀は・・・。

 テレビでは9月4連休の行楽地は久しぶりの賑わいを見せていました。

 しかしながら一方で、2週間後のコロナでのクラスター拡大が心配されているのも現実です。

 人と人との接触や距離感が難点とされている昨今ですが、中でも御葬儀は他のことと違い、やり直しがきかないという最大の難関が待ち受けています。

 式場サイドの人数制限や、通夜を省いた1日葬への変更で、一般の方々のお見送りを制限した御葬儀は、お集まり頂いた方々も、お互いの距離感を意識しながら、そそくさとお見送りされ、お気持の中でわだかまりが残るお別れとなってしまっているのも現状です。

 コロナ禍以前、御葬儀の担当者はご喪家のお気持ちをいかに汲めるか、日夜奮闘されていましたが、様々な条件が加わり、最近の限られた現状ではご喪家のお気持ちもさることながら、以前よりも通り一遍のhowツウ式の御葬儀が主流となってしまっているようです。

 時間の問題もございますが、いつの間にかhowツウ式の御葬儀に慣れてしまったコロナ禍以後の御葬儀が心配です。

 コロナ終息の折には、是非ともそれぞれのご喪家の意図を汲んだ御葬儀を再開いただければと存じます。

 ベテランの担当者からは究極のサービス業と自負され、細やかな気配りと臨機応変な対応で、御葬儀前にはすでにご喪家との信頼関係ができ、御葬儀の善し悪しが決まるとまでお伺いしています。

 以前お伺いした御葬儀では、最期のお見送りで、一気に40数年前にタイムスリップしたおじさん達がスクラムを組み、面倒見が良かった先輩の柩を囲み、蛮声を張り上げ、溢れる涙を拭こうともせず、お見送りをしていました。

 他の参列者も思わず目頭を押さえ、そこには穏やかな空気が流れていました。

家族の絆

 今週は新政権発足のニュースで、コロナ禍の話題が少し遠のいておりますが、依然感染者数の減少は見られず、これからの季節、さらに危惧されている状況も続いております。

 目まぐるしい状況の中、そんな折でも、どんなに世の中が変わろうとも、一番の基盤は家族だと思わせる記事を見つけました。

 今、私の手元には、お父様の最期の夜を迎え、御家族の心境を淡々と綴っている一篇の投稿記事がございます。

 ご両親にお子様4人の御家族6名が全員そろったのは投稿者の結婚式前日以来、2十数年ぶりとのこと。

 それもお父様の最期の夜でした。

 お子様達の生活基盤は、全国・海外にまで散らばり、全員揃うのは投稿者の結婚式以来初めてです。

 忙しさを理由に、お互い中々帰省できず、ついにお父様の最期の晩を迎えてしまった御兄弟達は、1人未到着の弟さんを待つ間、お父様の好きだった歌を次々と小声で歌い、お母様はお子様達が生まれた時のお一人お1人の様子をお話しされたとの由。

 やがて最後、赴任地からこれ以上ない程走り、飛行機に飛び乗り、病室に駆け込んできた弟さんを迎え、全員で手をつなぎ、口々にお父様にお礼を言って、ついにその時を迎えられご様子が綴られていました。

 時々、目を見開き、涙を流していたお父様にはお子様達のお気持ちが痛い程、伝わっていたことだろうと思われます。

 家族の機微を淡々と綴った記事は、これ以上ないほど状況が目に浮かび、我が家も我が家もと多くの方が頷かれ、家族の絆を再認識されたことでしょう。

 投稿者も悲しすぎる夜だったが、心が温かくなる思い出の夜になったと綴っています。

 家族の絆は永遠です。

 お互いに頑張りましょう。

敬老の日を前に・・・。

 8月のカレンダーをめくり、9月に入っても、猛暑のような暑い日が続いています。

 9月のカレンダーで最初に秋の気配を感じさせた「敬老の日」も、以前は15日と決まっていましたが、平成15年からは9月第3月曜日に代わり、土・日を含ませてより一層一家団欒の様相を呈してきました。

 今年は翌日の秋分の日を含めると、4連休の方もいらっしゃいますが、しかしながら、猛威を振るっている新型コロナウイルス騒動は相変わらずで、終息の気配すら見えてきません。

 お爺さん・お婆さんにとって、お孫さん達との楽しいひとときもままならない状態が続いています。

 さらに最近では、御家族との接触がクラスターを呼ぶ原因の筆頭に挙げられるほど敏感になり、お会いするのさえも難しい状況になりかねません。

 敬老の日と言えば、当方が真っ先に思い浮かべるのは、雲一つない青空に響き渡った太鼓の音と、友人の飛び切りの笑顔です。

 あの日、東京郊外の特養老人ホームの広場では、青空の下、数十名の若者たちが汗だくになってダイナミックに和太鼓を連打していました。

 その広い空間も敬老の日のイベントのハイライトで、立錐の余地もない程の混雑ぶりを呈していました。

 久しぶりの五臓六腑に響き渡るような太鼓の音に欣喜雀躍の友人は、今にも車椅子から飛び出さんばかりの勢いで指揮を執り始めました。

 永年音楽の世界に身を置いていた友人が久しぶりに見せた笑顔には、格別な様子が見られ、弾けたような友人の喜びの動きにつれて、周りの車椅子の方々も負けじと若者たちに声援を送り始めました。

 いつの間にか広場中が和太鼓と一体になったような歓喜に包まれ、青空と笑顔が頂点に達した感をも、もたらしていました。

 広場にお集まりの御家族の方々も、久しぶりに見るお爺さん、お婆さん達のはじけたような笑顔に、安堵された方も大勢いらっしゃったのでは、と当時が懐かしく思い出されます。

 来年の敬老の日には、あの元気な声援が再び聞こえることを祈るばかりです。