悪夢を体験して・・・。

  タクシーに乗り込んだ先輩を大通りに出てお見送りしていると、信号待ちしていた先輩のタクシーに真後ろから1台の車が突っ込み、目の前で信じられない光景が展開され、呆然としているところで、目が覚めました。

  しばらくは夢の世界の出来事に、もしかしたらと不吉な予感を感じ、電話が鳴るたびに「どうか正夢ではありませんように・・・」と受話器を取る始末です。
  それでも周りの朝の元気な声に励まされながら1日が始まりました。

  なぜこんな夢をと考えていると、ハタと思い当たるふしがありました。

  もしかしたら前夜ご葬儀のご依頼をされた方の影響かもしれません。
  たったお一人のお身内の方の急死に駆けつけ、混乱された中でのご依頼で、お気持ちが当方にまで乗り移ってしまったことが発端なのだろうか。
  死という事実がにわかに信じられないという共通点が依頼者の現実と私の夢の中で妙に一致しているようにも思えてきました。

  仕事柄、死という言葉が電話やメールを介して、日常的に飛び交ってはいますが、現実の場で慣れるということはなかなかできません。

  ご葬儀の立会いにお伺いして6年ほど経ちますが、特に最後のお別れの場面ではお一人おひとりがお気持ちの中で故人様と真正面に向かい合い、目前に迫る永遠の別れに、はたからお伺いしていても、なんとも形容がつけられない身を切られるような痛みを感じることもしばしばです。

  悪夢から半日以上経ちましたが、先輩のご家族からは何のご連絡もありません。
  連絡ないのは良い知らせと、今、少しほっとしています。

  葬儀社の担当者からは「昨晩の方は一晩ゆっくりお休みいただいて、本日無事打ち合わせを済ませました」との連絡を頂きました。

お盆の風習

 お盆休みに入られている方も多いのではないでしょうか。私は帰省ラッシュのニュースを見て、「もうお盆休みなのか」と気がついた次第です。
 お墓参りに行かなくてはと思いながら、お盆が過ぎてしまいそうな感じもあるのですが。

 東京でも代々ずっとその土地で暮らしているご家庭ではきちんとお盆の行事をされていると聞いたことがあります。
 お墓参りの際にご先祖様をおんぶして(本当におんぶをする格好をするそうです)提灯を持って各親族の家をまわるそうです。
 地方によって、風習ややり方は違うのでしょうが、この時代でもでもきちんと弔ってもらえるご先祖様はさぞお喜びになっていることでしょう。代々受け継がれている風習は、できることならずっと後世につながっていけばいいなと思います。
 
 私の実家では、両親の田舎の家はもう無くなっていて、親族も皆関東近辺で暮らしているため、お盆の行事をしたことがありません。親戚関係は良好ですが、みんな忙しく、お盆だからと言ってわざわざ集まることもしません。
 ただ、ご先祖様はいつか、お墓参りで久しく会っていない親戚にばったり会わせてくれるような粋な計らいをしてくれるかもしれないな、なんて思ってみたりしているのですが…。

パソコンの中

 断捨離を兼ねて、少しずつ夏の大掃除を始めました。2カ月くらいかけてゆっくりなペースでやっていこうと思います。
 私は整理下手なので、まずは自分の身の回りからと、書類棚やデスクの中を整理していると、保険証券やらマンションの契約書やら、大切なものがあちらこちらから出てきました。これ、私に何かあったとき、家族は見つけ出せないな…。
 とりあえず、大切なもの、家族で必要なものはひとまとめにして誰もがわかるところに収納しておきました。

 葬儀のご相談でも、「互助会に入ってたはずなのだが、契約書が見つからず、どこの互助会にはいっていたのかもわからない」や、「印鑑や通帳のあるところがわからない」など、もう聞くことができない状況でご家族が困っているというお話しをうかがいます。
 
 今の時代、パソコンの中にも大切なものが入っていたりします。
 ご主人と二人暮らしだった妻が、急に旅立ってしまい、妻が遺したパソコンを開いたとき、ご主人に内緒でブログをやっていたことを知りました。内緒でやっていたので、そのたびにログアウトしていたのでしょう。ご主人はIDやパスワードがわかりません。やっとのことでメモを見つけ、ログインすることができたそうです。ご主人に内緒でやっていたことなので、見つかってしまって、天国の彼女はどう思っているのかなと思いますが、ご主人にとっては、彼女の大切な思い出が一つ増えたと喜んでいたそうです。
 これは私の知り合いのお話しですが、これを聞いたとき、私もパソコンの中をなんとかしておかなくては!と思いました。

 そんなことを思ってそろそろ一年が経ちますが、パソコンの中は今や大変なことになっています。パソコンの大掃除が一番大変かもしれません。

 家族や身内に知っておいてもらった方がいいもの、知られたくないもの、いろいろあると思います。そんなものの整理もきちんとできたらいいのですが…。

90歳代が注目の的

 最近、90歳代の方々の生き方が注目され、出版物も次々に刊行されていずれも多く読まれているようだと報道されています。

 かつて悠々自適の老人の範ちゅうだった70歳代、80歳代はいまだ現役バリバリの仕事人間で90歳代近くになって、やっとご自分の時間を持ち、エンディングをどのように生きるか、生きたいかを模索し始め、そのお手本となるような刊行物の売れ行きが好調とのこと。

 言われて改めて周りを見渡すと、そんなにオーバーなお話ではないようです。
 私の周りにも現役の80代、マイペースの90代が失礼な言い方ですが、ゴロゴロいらっしゃいます。

 お仕事で日本各地を東奔西走する間をぬって鎌倉の料理教室に通う83歳の先輩は、お気に入りの特注の赤い靴で胸突き八丁のような坂道もなんのその。
 5人グループの最年長が子供のような我々を叱咤激励しながら早足で登っていく姿を見ていると、不思議と闘志がわいてきます。
 お料理が食べたいのか、年長の友人に会って活力のお裾分けを頂戴したいのか。
 たぶんその両方でしょうが、お会いしてしばらくは元気が持続することは確かです。

 また、96歳のちぎり絵作家は湘南の友人宅を中継地として、東京、富士霊園へと足を伸ばし、桜の花を満喫してお元気で信州の山懐にお戻りになりました。
 あれからちぎり絵の題材も一段と充実されたと電話口でうれしそうにご報告を頂いたのが印象的でした。

 そんな大先輩の中でも代表格は御歳105歳のかつてのキャリアウーマンです。
 耳こそ少し遠いけれどもかくしゃくとしていらっしゃいます。
 以前お仕事をご一緒された友人は折に触れ花束持参でお手伝いに出かけては発破をかけられ、希望をもらってくるとうれしそうに報告します。
 先日も友人宅に伺ったおり、ケータイで撮った写真を見せていただきました。
 逆光気味の写真でしたが、いいお顔をしていらっしゃいます。

 そこではたと気がつきました。
 長生きの皆さんには何か共通項が感じられると。
 お顔の表情が意思的で、皆さんどこか似ていらっしゃるようにも感じられます。
 お手本は身近なところにあるようで、長生きの秘訣をこれからじっくり観察させていただきます。

夏休み

 子供が夏休みに入り、早2週間。子供が成長し、勝手に過ごしてくれるようになったからか、長期の休みがそれほど大変ではなくなってきたようです。
 こんな長期の休みを過ごせるのもあと数年。今のうちに大いに楽しんでもらえればと思っています。

 この土日、近所の公園で少し早目の盆踊りがありました。盆踊りの音楽につられて、買い物がてら、夕方様子を見にいったのですが、時間が少し早かったせいか人もまばらで、やぐらの周りに踊っている人の姿はなく、音楽が流れているだけ。
 町会の役員さんたちでしょうか、テーブルの席で数名が盛り上がっていましたが。

 盆踊りは本来、お盆にこちらに帰ってきた先祖様の精霊のために踊る行事だそうですが、誰も踊っていない盆踊りに、ご先祖様たちはどう思っているのでしょうか。

 8月のお盆の頃になれば、また、あちらこちらの公園で盆踊りが開催されることでしょう。今度は少し遅い時間に見に行ってみようと思います。

お参りするのも大変です。

 先日、「お墓を近所に移動したいんですが…」というご相談を受けました。
 お話しを伺うと、今のお墓はそんなに遠方なわけではないのですが、行く気にならないと行けない距離で、これから先、お参りに行くのが大変になってしまうので、できれば家の近所のお寺に移して、お散歩したときなどにちょくちょくお参りしたいとのことでした。
 お墓のことは専門ではありませんが、私の知っていることと、その場でお調べしたことをお話しさせていただきました。

 今あるお墓は霊園などではなく、菩提寺様とのことでしたので、まずはお寺に相談しなくてはならないこと、新しくお墓を作りたいお寺にもお話しをうかがわなくてはいけないこと、他のご親族などの御遺骨もある場合には、ご親族の了承を得なければならないこと、また、移転が可能になった場合には役所などでの手続きが必要なこと、墓石ごとのお引越しは難しいかもしれないこと、などなど…をお伝えしました。

 ご相談者様はお電話口で、「やはり簡単なことではないんですね。今度お墓参りに行った時に、それとなくお話しをしてみます。」とおっしゃっていました。

 あまりお役に立てる回答ができなかったのですが、実は私自身も実家のお墓のことで、少し考えたことがありました。
 今あるお墓は霊園なのですが、家から車で約2時間ほどかかります。今は父が運転をして、母と二人でお参りに行っているのですが、その父ももう高齢。そろそろ運転が危なくなってきました。
 また、母も高齢ですから、この先、どちらかがそのお墓に入ることになった時、一人になった親は、つれあいのお参りに行くのも困難になってしまうでしょう。

 最近ではすっかりそのことも忘れていたのですが、両親が健在なうちに一度提案してみようと思いました。

 今年のお盆も、お墓参りは父が運転して行くことでしょう。
 そろそろ近所の霊園を調べてみようと思います。

生と死と・・・。

 「え、自殺」受話器を持ったまま、次の言葉が出てきません。
 電話口で亡くなられた方の友人と一緒におろおろするばかりでした。
 私が電話のご相談に関わって2〜3ヶ月目の頃ですので、だいぶ前の話になります。

 それまで第3者的に漠然と捉えていたことと違って、電話口の声は生々しく、まるで身内の惨事のように聞こえ、しばらくは言葉だけが耳元でリフレインしている有様が昨日の様に思い出されます。

 最近では大津の中学生の自殺をめぐる報道を始め、若い人達の死に急ぐ様子がさらにマスコミを賑わしています。

 先月、立て続けにいただいたお電話の故人様も死因は「自殺」とのこと。
 まだ小さなお子様を置いての旅立ちに、残されたご主人の混乱振りも大きく、ご親族の方がお見えになるまで葬儀社さんとの打ち合わせもストップ状態に。
 おかけする言葉もなかなか見つかりません。

 そんな折、夏休み間近の親子を対象にした「親子で楽しむバレエフェスティバル」では楽しい作品やロマンチックな作品の中にそこだけが無色になったような異彩を放った「瀕死の白鳥」が上演されました。

  一羽の傷つき死を目前にした白鳥が最後まで必死に生きようと羽ばたき、ついに力尽きてしまうまでを踊っている小作品ですが、先ほどまで乗りに乗って手拍子を打っていた子達が静まり返り、目を皿のようにして見入っていました。
 子供たちの心に生きる力がどのように映ったのでしょうか。

 実は92歳で旅立ち、先日3回忌を迎えた友人の大好きな作品でもありました。
 その友人の口癖は「死んで花実が咲くものか、生きてるうちが花なのよ!」でした。

ご依頼者様の声はバロメータ

 本日、ご依頼者からのアンケートをホームページに3つ掲載しました。先週の10日に6通発送したものが、昨日3通、本日2通の返送をいただきました。
 アンケートは自分の身において考えてみると面倒なものでもあり、書くだけでも大変な作業です。その気持ちにならないとなかなか書きにくいものだと思います。それでもアンケートを丁寧にお書きくださり本当にありがたいことです。

 アンケートの最後に、
「これからご葬儀を考える方や、ご葬儀・葬儀社などに対して不安を持たれている方の参考になると思いますので、お答えいただいた内容を絶対匿名であさがお葬儀社紹介センターのホームページに掲載させていただいてよろしいでしょうか」

 の答えが「はい」のものだけ掲載しています。昨日の3通は「はい」で、本日の2通は「いいえ」でした。全体的に見ても、「はい」のほうが幾分多いようです。

 今日アップしたものの中には、
「あさがお紹介センターのフィルターを通して、葬儀屋が選ばれ、それを紹介いただける事は、迷える当事者にとってありがたい事でした」
 というものがありました。われわれの存在意義を再確認させてもらいました。

 存在意義を確認する場は思いのほか少なく、ともすれば惰性で日常は流れていきます。特に、変化が激しく速い時代です。いま現在の当センターが、どれぐらい社会の役に立っているのかを把握するのも簡単ではありません。ご依頼者様の声は、それを示すバロメータであると思っています。

希望する斎場は。

 以前、斎場取材でうかがった際、斎場の担当者が「新しく市営斎場ができた関係で、最近はこの斎場を利用する人がめっきり減ってしまった」とおっしゃっていました。
 『おばあちゃんのお葬式はここを使わせてもらうからよろしくね』とおっしゃっていたご近所の方も、つい先日、市営斎場でご葬儀をされたそうです。

 斎場として使っていた建物を他の施設に建て替えて、規模を縮小し、ご葬儀は本堂でされるようになった斎場もあります。

 やはり、公営の斎場は適用地域に居住されている方にとって、多少遠くても費用が抑えられることや利便性が良い(ほとんどの場合、火葬場が併設されている)ので利用を希望される方は多いようです。

 ご相談の際、その方にとっての優先順位をお聞きしていますが、やはり、この時代ですから「費用をできるだけ抑えたい」という方が多い中、「費用は気にしないから、とにかく新しくて近代的な設備があってきれいな斎場がいい」「親族が皆遠方からくるので、駅に近い斎場がいい」など、斎場を第一の優先順位にされる方も多くいらっしゃいます。

 先日、「親族と近隣の方で40名くらい、費用は抑えたい。斎場は○○斎場が希望」というご相談がありました。その斎場は大型葬でも対応できるほど広く、斎場費も比較的高めだったので、『費用は抑えたい』というご希望もあったことから、比較対象として葬儀社さんには市営斎場での見積もりも作っていただきました。
 見積書をお渡ししたところ、ご相談者様は「費用は市営斎場より高くなりますが、近隣の方が会葬に来てくれるし、(ご対象者も)地元で活動していたので、家に近い○○斎場のほうにします。」とのことでした。

 寺院の斎場も檀家さんだけでなく、宗旨宗派問わずどなたでも利用できるところが多くあり、費用も以前より下げている場合もあります。
 比較のために別の斎場での見積もりも作っていただけますので、ご近所に利用できる斎場があれば、見積もりをとってみるのもいいかもしれません。

冷静なリピーターに感謝する。

  「4年前に御社にお願いした者ですが、叔父が病院で先程亡くなりましたので、またご紹介いただけますか」お電話の主はてきぱきと話を切り出しました。

  お話をお伺いした後、ただちにご希望の斎場に精通したご要望に合うと思われる賛同社をご紹介し、様子を待ちました。
  まもなく賛同社から、今病院にお迎えに伺う途中との連絡を受け、ほっと一息つき、こちらも急いで4年前のファイルを紐解きました。

  アンケートとご寄付まで頂いておりました。
  しかし、頂いたアンケートを見てびっくり。
  そこには丁寧なきちんと整理された文章で、当時担当した賛同社への辛口の批評が書かれておりました。
  どんな行き違いがあったにせよ、ご迷惑をおかけしたことには相違ありません。

  ご葬儀の立会いにお伺いする日、先ずはお詫びをと勢い込んで斎場に入るやいなや、「やあ、以前にはお世話になりました」とご依頼者の明るい声に先手を打たれてしまいました。
  「今度は良い方を紹介して頂いてスムースに執り行っていますよ」場所のことも一瞬忘れ、思わずこちらもにっこりしかけ、あわてて非礼をお詫びする始末です。
  当時の賛同社のことはともかくも、万が一の時はまたお願いしようと当センターに全面的な信頼を寄せていらしたとのこと、ひたすら頭の下がる思いです。

  最近は大分趣が変わってきたとはいえ、マスコミを初めとした巷の噂でまだまだこの業界の苦情を耳にすることも多い中、冷静な判断でリピートしていただけたことは何事にも代えがたいできごとでした。

  ご葬儀は100人いれば100人それぞれ違います。
  ご喪家それぞれの立場に立ち、少しでも御満足いただけるよう、注意を払っておりますが、施行する担当者との疎通が十分行き渡らないままあわただしく日程が消化されるようなことがあれば、後々両者共々後悔するはめに陥らないとも限りません。

  そのためにも当センターでは見積りをお取りした後、出来るだけ葬儀社の担当者と直にお会いすることをお勧めしております。
  たとえ優秀な担当者であっても、ご葬儀はデリケートなことも含めて、ご喪家と合う合わないということもあり、また見積りだけでは分りにくい内容等の不安も解消されるのではとの観点からもお願いしております。
  地道なご紹介が皆様のご納得いくご葬儀の近道だと信じています。

  先日も95歳のお父様をお見送りしたご葬儀に立会い、ご相談者からは「良い葬儀社をご紹介いただいて感謝しております。母の時もよろしくお願いいたします」とその場で早くもお母様の時の御予約までいただきました。
 傍らのご高齢のお母様はにっこり微笑んで頷いていらっしゃいます。
 お役に立てるのは、ずっと先であることを願いながら、承諾いたしました。