アンケート

 今年も1年の反省をする時期がめぐってきました。
 反省する材料は多々ありますが、我々にとっての1番は矢張りアンケートでのご指摘ではないでしょうか。

 ご葬儀が終った後一段落されてから、ご依頼者にご葬儀に関する率直なお気持をアンケートでお伺いし、時には苦言を呈して私達が気付かなかった点のご指摘をしていただきます。
 私達も反省とともに、そこから次なる課題の材料を見つけ、それを翌年へのステップの足がかりとなるようにしなければいけません。
 鍵はどれだけ見つけられるかに掛かっています。 

 また、以前、アンケートに関してある舞踊家の方から「生徒にとっては何よりのプレゼントで大事にしている」と伺ったことがありました。
 アトリエ公演での発表会の後、自分の意としていることが伝わらず、アンケートでの評価に落ち込む生徒もいますが、そこが大切で、チャンスだとのこと。
 失敗を考えることで、自分というものが見つかってくるのだからと・・・。
 踊った、良かっただけでなく、自分に無理難題を与え、試行錯誤をしながら創作していくことが何より大事だと力説され、こちらもアンケートの大切さが分り始めた頃でしたので、わが意を得たりばかりに思わず大きく頷いたことが思い出されます。

 今年もアンケートには一喜一憂させられましたが、時には「10点満点の10です。親戚の人たちもよくがんばった。いいお式だったとほめてくれました。あの式以上なものは、金銭を積んでも出来なかったと思います!」と興奮冷めやらぬメールを早々といただいたこともありました。
 ストレートなお気持にご葬儀のことも一瞬忘れて、こちらも画面に向かい思わず「よかったわね」と声をかけ、何故かほっとしたものでした。

年賀欠礼

 先日、今年のはじめにお母様を亡くされた友人から喪中のため年賀欠礼のはがきが届きました。
学生時代からの長い付き合いで、住んでいるところはさほど遠くはないのですが、なかなか会うタイミングがなく、年に1回会えればいいほう。
 ご葬儀には参列させていただいたのですが、そのときに友人が「今年は年賀状がだせないな」と言っていたのを思い出しました。
 
 その友人から毎年送られてくる年賀状は必ず家族の写真を印刷したものなので、なかなか会えない分、もらう方も楽しみだったのですが、作る方も暮れの行事の一つにして毎年楽しみにしていたようです。

 今年はお母様を亡くされたのですが、数年前にはお父様を亡くされました。
 ご両親ともご自宅で最期を迎え、子供、孫、お嫁さんなど、可愛がっていたみんなに看取られて旅立ったそうです。友人は「子供(孫)に最期をみせてくれて、子供にはなによりの経験になったと思う。そして、おばあちゃんも幸せな最期だったんじゃないかな」と言っていたのが印象に残っています。

 再来年にはまた元気な写真入りの年賀状が届くと期待していますが、子供ももう中学生。もしかすると写真入りの年賀状ではなくなってしまうかもしれません。

後始末

 今年も残り1ヶ月を切ってしまいました。
 清々しい新年を迎えるためにはその前に大掃除という面倒な仕事(?)が待ち構えています。
 いつのころからか畳を上げての大掃除風景は見られなくなりましたが、「暮れのすす払い」は1年の締めくくりとして残しておきたい行事の一つです。

 この1年を一生に見立てると、最後の大掃除は、跡を濁さないためにも重要で、大掃除の「後始末」は大事なキーワードになるようです。

 1人暮らしの友人は引越しを機に最小限必要なものを残し、大事にしていた焼き物は火災に遭ったお寺に、大切な書籍は母校に寄付したとのこと。

 また、趣味のコレクターの「後始末」には決断も不可欠な要素になってくるようです。

 以前、大正・昭和初期からの子供の遊び道具を長年集めていらっしゃった方から珍しいもの、懐かしいものを沢山見せていただいたことがありました。
 二部屋ほどをぶち抜いた陳列室には、数え切れないほどの紙細工や紙のおもちゃの類が所狭しとばかりに積み重なるように置かれ、暫しその中で時間の経つのも忘れるほど遊ばせて頂きました。
 しかし、当主のコレクターがお亡くなりになった後、残された御家族にとっては薄汚れた紙切れ同然に過ぎないものが多く、この後始末が大変だったことを人づてに聞かされ、何とか残す手立てはなかったのかとはなはだ残念に思ったものでした。

 最近、写真を50年以上撮りつづけてお亡くなりになった知人の奥様からは、何万本もあるネガの整理をお願いされ、来年早々から有志・皆で手分けしてルーペ片手に着手することになりましたが、一部屋分のネガ整理には相当な時間を要しそうです。

 このように趣味の類のものは、残された方々にとって価値が分らず途方にくれてしまうことも多く、時として不本意な扱いをされてしまいがちになります。

 そうならないうちにご自身で後始末をされることは、取りも直さず御家族の為、それ以上にご自身のためでもあると思うのですが・・・。

 年末の大掃除を機会にそろそろ「後始末」のことも考えておきましょう。

無駄を減らそう。

 2年くらい前から、職場でも自宅でも、なるべく紙を使わないように、簡単なメモなども、なるべくパソコンや携帯のデータで管理するようになりました。それまでは、ずいぶん無駄に紙をつかっていたな…と反省し、紙を捨てることに少し罪悪感があったりしたもので。

 しかし、その間に、パソコンの故障により、バックアップをとっていなかったデータは消滅してしまい、プリントアウトしていなかったために、今では何がなくなったのかすらもわからない状態になったこともあり、バックアップやプリントアウトの必要性を十分に思い知った失敗もありました。

 今でも極力紙を使わないように頑張ってはいるのですが、パソコンで探すよりも紙をめくって探すほうが楽だなと思うときもたまにあります。

 先日、葬儀の現場立会いのため、少し遠方へ出かけたときのこと、帰りの電車の時間を私は携帯の路線情報に100%頼り、携帯の電池がある限り心配ないと思って準備していました。
 帰りに昼食をとったので、予定よりも遅い電車になってしまったため、もう一度携帯で検索しようとすると、なぜかエラーが・・。何度やってもつながらず、調べることができないまま…。電車の時間がわからないので、寒い中、駅で20分以上待つかもしれないという覚悟をしたときでした。一緒にいた先輩が、数時間先までの電車の時間のメモして持っていてくれたのです。駅まで少し走る事になりましたが、駅で無駄に20分以上待つこともなく、無事、電車に乗れたのでした。
 ちいさなきっかけでしたが、デジタル機器に頼りすぎるのもよくないなと、今更ながら実感しました

 紙も無駄にせず、きちんと使いきればいいだけのこと。
 紙に限らず「今日無駄にしてしまったもの」を思い出して、少し反省してみると、かなりの節約になるのでは、と、今更ながら感じています。

看板ができました。

 この数週間ほど、川崎市に新設した事務所の看板のデータ作りをしていました。
 何年も前のことですが、私は看板屋で仕事をしていた経験があり、今回その経験が生かされました。

 当センター代表が案を練り、私がそれをデータで形にしていったのですが、案を搾り出すのにも、作るのにもけっこうなエネルギーを使いました。
 何度も何度も変更を重ね、一番最初に出た案とは全く違う印象のものに仕上がりましたが、この看板には『存在を知ってもらい、何をしているのかをわかってもらい、葬儀において後悔する人が少しでも減ってほしい』という、当センターの思いがこめられています
 今はやっとデータが出来上がったばかりの状態で、これから看板屋さんに実際に作ってもらい、取り付けられるのはもう少し先になります。

 お近くを通った際には、少しだけ、足を止めて見ていただけたらな、と思います。

見積りの後は担当者との面談を・・・。

 「引越し先が決まったわよ」電話口の友人の弾んだ声が聞こえます。

 「引越ししようかな」と言う話がトントン拍子に決まり、都心の高田馬場から憧れの湘南に居を移すことになりました。
 新居は海岸から徒歩3分。昨今の津波が少々心配だが、気分の清々しさには変えられない由。

 さて、引越しにあたり、大手業者から地元業者まで3社に見積りを依頼し、値段を見てビックリ。
 自分で整理できるもの、運ぶものを事細かに説明したはずが、A社とB社では価格格差が倍近くになる。

 早速、各社の担当者に会って説明を伺うと、それぞれの社の特徴が分り、見積りだけでは判断がつかなかったことも十分に理解できたとのこと。
 さらに担当者の人柄もチェックでき、これで納得の行く引越しができそうだと、師走の引越しをわくわくしながら待っている様子が手に取るようです。
 ちなみにリーズナブルな値段をつけられた担当者の説明と人柄が一番だったようです。

 友人の話を聞いて、我々も賛同社から見積りをお取りした後、依頼者にお願いしていることを改めて確認させられました。

 概算の見積りをお取りした後、時間がありましたら出来るだけ担当者とお会いされて、見積りでは分りにくい詳しいお話をお伺いしてほしい・・・と。
 また、ご葬儀は担当者如何でかなり異なってきますので、詳しいお話だけではなく、担当者の人となりも観察されて、お式に臨まれることをお願いしております。

 先日葬儀の立会いに伺った担当者からも同じようなお話を聞きました。
 大手の葬儀社さんから取った見積りが思いの外高く、困惑されていた方から知り合いを介して見積りを依頼されたそうです。

 一つひとつ丁寧に見積ると何と半値近くになり、それでも十分納得していただけるご葬儀ができ、依頼された方も大いに満足されたご様子とのこと。
 勿論、その陰には見積りだけではなく、担当者の誠意ある説明と依頼者が安心された説得力があったことは言うまでもありません。

 見積りをきっかけとして、担当者とお会いすることを切に望みます。

先を見通すのは難しい

 「密葬が広く一般的に行われるようになったきっかけは、渥美清さんが密葬にしてからではないでしょうか」
 と、先日お会いした葬儀社さんの人が話していました。誰かの受け売りか、オリジナルな解釈かはわかりません。どれくらい本当らしいかもわかりません。
 ただ、そういう仮説で物事を見るのは、聞いていて実に気持ちが良いものです。
 
 そして、同時に、事業的には、取るに足らない仮説をほんの少し立て、その中のほんの少しだけ実行するという体たらくぶりを省み、そして同時に、最近のニュースを見るにつけ、仮説実行できる人や組織でないと、ますます厳しい社会になってくるのではないかと思えます。

 かつてに安定した社会があったかどうかはともかく、現代のようにグローバル化による不安定さは、自らの立ち位置とは関係なく、世界の様々な影響を受け、先行きを非常に見通しにくくさせています。(わずか数か月前、日本の円が80円を上回っていたとき、10人中9人のエコノミストは、徐々に円安になっていくだろうと言ってました!)

 この見通しにくさの中において、求められる人や組織は、どちらかと言えば、いまある決まりごとを踏まえ無難にやりすごすというよりも、よく言うPDCAを早く回せる人や組織であると思われます(仮説・計画 → 実行 →検証・評価 → 改善)。たとえ仮説が間違っていて時には失敗したとしても、何も実行しないところよりも、生き延びられる可能性は高いのではないでしょうか。

 個人にしても、仮に現在どんなに強い組織の中にいようとも、小さい失敗を繰り返して仮説実行するクセをつけておかないと、その後ろ盾がなくなったときに、本当は何もできなかったと嘆いてみても遅くなってしまいます。

ご自身の葬儀をどのようにしたいですか?

 「自分の場合だったらこのようにしたい」とご自分の葬儀をイメージされ、相談される方が増えてきたようです。。
 いざという時慌てないため、残された奥様やお子さん達が混乱しないようにと葬儀のやり方や葬儀社を決めておきたいという思いからかと思います。。
 以前から気になりつつも延び延びになっていたのがインターネットの普及で葬儀に関することが解りやすくなり、決心がついた方が多いようです。
 ご自分の最後をイメージし、決めるのも今が健康だからできることでもあります。
 
 第1条件にこじんまりした葬儀を望む方の場合、家族と近しい親族と親友という本当に別れを惜しんでいただける方のみにきていただきたい。
 これまでに多くの葬儀に参列されたが亡くなられた方とはほとんど面識もなく、ご家族への義理で伺ったことからの反省の意もあるようです。
 参列して頂かなかったお知り合いの方にはしかるべき時点で、ご家族から亡くなった旨をはがきで知らせてもらうようにするとのことです。
 予算、場所、サービスの順序も集まっていただくのは大切な方ばかりですので、まずは何をおいてもサービス第1。
 葬儀社の決め手も、いざという時当の本人はおりませんので、「約束を守り、誠実にやっていただけるところが第1です」とのことです。

 ご自身のいざというとき、遺された家族の大きな不安は少しだけででも小さくなることかと思います。

今年も喪中はがきの季節になりました。

 昨日、友人から102歳でお亡くなりになられた義父様の喪中はがきが届きました。

 気が付けば今年も残すところ2ヶ月をきり、年賀欠礼はがきの季節です。

 近年、頂いた喪中はがきの中で100歳を越えた方のものはこれで3回目です。

 最初に頂いた時は年齢を思わず何度も見直したほどでしたが、改めて周りを見渡すといらっしゃいました。
 しかも、皆さん押し並べてかくしゃくとしたご様子。

 20年ほど前、知り合いの医師から『人間の寿命は大方90歳。それを証拠に89歳の声は聞いても、90歳の声は聞かないでしょう』と言われ、当時妙に納得したことが懐かしく思い出されます。
 この20年間で寿命は確実に10年以上延びたことになります。

 100歳と言えば、ご葬儀でも昔からの慣わしで紅白餅や紅白の品を返礼品と一緒にお出しになる地域もあるようです。
 以前、100歳の方のご葬儀に立会いでお伺いした時には、返礼品にピンクのタオルが付け加えられ、喪主様からお祝いものだからお持ちくださいと頂いたことがありました。

 今でも100歳に何とかあやかろうと、時折タンスの奥から取り出しては眺めています。
 1世紀を駆け抜けた人生はどんなだったのでしょうか。

 大往生万歳と喪中はがきを眺めていると、ラジオから「東北の友人から喪中はがきが届きました」とのお便りが流れてきました。
 「あれから8ヶ月」と題したお便りコーナーからでした。

 今年の喪中はがきは複雑に様々な思いが込められていることを改めて思い知らされました。

友人の事前相談

 先日、数人の友人と会う機会があり、楽しくおしゃべりをしていました。
 その会話の中で友人の一人が、「最近、実家の母が少し体調を崩すとお葬式の話をするのよね」と。BR> 「私のお葬式は、この写真使って、この曲をかけてね、それから、遺骨は海に散骨してちょうだい。」と電話をしてくるそうです。

 そのお母様は80歳を過ぎているのですが、毎朝ウォーキングをしたり、テニスを楽しんだりしていてとてもお元気な方。ご自分の葬儀はこうしてほしいという強い思いがあるそうです。

 友人にしてみれば「お葬式にこんな曲かけちゃっていいの?」とか、「お墓があるのに散骨しちゃっていいのかな?」とか…色々と疑問点も出てくるし、現実的に大丈夫なのかと心配したり。

 あいにくお母様は地方に一人暮らしをしているため、私が直接お手伝いすることは難しいかもしれないけれど、幸い、お母様もお元気で、自分から葬儀の話しをしてくれるのだから、一度じっくり話し合ってみて、地元の葬儀社に相談してみるといいかもね、と話しました。

なかなか難しいことですが、私も一度、そのお母様とお会いしてお話をしてみたいな…と思いました。