今年の喪中はがきの特徴は・・・。

 今年も後1ヶ月と少しを残すまでになってしまいました。

 この季節になると喪中のはがきがポツン、ポツンと届きますが、今年は例年になく友人のご兄弟が亡くなられた喪中はがきが相次いでいます。

 今まで頂く喪中はがきと言えばお歳を召したご両親やご主人のご両親、中にはご長寿だった祖父母様のことと思い込んでいた身には、にわかに現実味を帯びてドキリとさせられます。

 秋口から知人の訃報が人伝いに相次いで伝えられていた矢先、先日はかつて仕事をご一緒した方が亡くなられ、友人から前日がご葬儀だったことを知らされました。
 暫くご無沙汰していたとは言え、お元気で巨漢を武器に国内外を東奔西走され仕事をバリバリやっていらしたころのイメージしか思い浮かばず、にわかに信じられない気持ちと、仕事半ばでギブアップさせられてさぞ無念だったのではとの思いが交差して、しばし落ち込んでしまいました。

 今までどこか儀礼的に受け取っていたふしがある喪中はがきですが、今年のように年齢的にも身近に迫ってくると、少し生活態度も変えなくてはとの思いがもたげてきました。
 変化の第一歩は間近に迫った年賀状からにしようと・・・。
 今年の年賀はがきに込める思いも新たに沸いてきました。

 今までのどちらかと言えば虚子の句にある様な「不精にて年賀略す他意あらず」の生活ではなく、蔵巨水の「まだ生きているぞ賀状の面構え」の句で行こうと。

 最近はお会いすることが少なくなり、疎遠になっていた友人に出し続けていた年賀状もそろそろお仕舞いにしようと思っていたが、こちらの近況報告の意味合いを込めて出し続けることにいたします。

 90歳をとうに過ぎた伯母からの年賀状には「今年限りにさせていただきます」との断りが書かれていましたが、お世話になった伯母にはこちらの近況を知らせる為にも年賀状を出し続けてみよう。

入院

 私事で恐縮ですが、先月5日間ほど入院を余儀なくされ、スタッフをはじめ周りの方々に、ご迷惑をかけてしまいました。
 夜中、突然の腹痛で、近所の総合病院に飛び込み、そのまま治療・検査入院で明け方には病室のベッドの上という始末でした。

 4人部屋の病室でうとうとしていると、突然お隣のベッドから断末魔の悲鳴のような男性の声が聞こえ、あまりの声にしばし痛みも忘れてこの病室は男女共用なのか、少し不用心では?と憤然としておりました。
 やがて、日に何回となく繰り返される悲鳴もこちらの耳に少しずつ慣れてくると、付き添いのご家族のお話も聞くとはなく聞こえてくるようになりました。
 一致団結してこのヤマ場を乗り越えようと、看病に専念されている様子が手に取るようです。
 お医者さんが病状を説明に来られ、一時は危ぶまれた容態も、このまま順調に行けば手術が可能な状態にまでなられるとのこと。
 お医者さんの説明でご家族皆様のホットされた空気がカーテン1枚仕切られたこちらのベッドにも伝わってきました。

 とりたてた病名もなく無事退院の朝を迎え、5日間お邪魔したお隣さんへご挨拶に伺うと、そこには小柄なお年を召したご婦人がすやすやとやすらかな寝息をたてていらっしゃいました。
 5日前の声の主とはとても想像がつかないほどのおだやかなお顔に、手術の無事をお祈りし、そっと病室を後にいたしました。

 仕事柄、事前相談でお話をお伺いし、見積りを取り、ひとまずホットされた依頼者の方には、後のお時間をできるだけ看病にあててくださいと申し上げておりますが、実際に病室でご家族皆様の看護振りに接し、頭の下がる思いを幾度となく見聞きした5日間の入院騒ぎも、あながち無駄ではなかったのではと実感しておりますが・・・。

メイクアップ

「女は顔が命です」その昔、こんなCMをどこかで聞いたような。
真偽のほどは定かではありませんが・・・。

 それはさておき、女性には最期のご葬儀にまでもこの言葉があてはまるようです。
 時にはメイクひとつでご葬儀の良し悪しを決定付ける要因になる場合もあります。

 少し前になりますが、長患いをされお歳を召されたお母様の最期のメイクアップをご希望されたので、プロの方にお願いしたのですが、依頼者のイメージにはいまひとつしっくり来なかったようで、そのことが最後まで気になり、終始落ち着かなかったご様子をアンケートで頂いたことがありました。
 
 写真をもとに綺麗にメイクをほどこしても、各人が持つお母様のイメージは心の中でゆるぎなく、時にはイメージが一人歩きするような場合もあり、万人を納得させる難しさを知らされたご葬儀でもありました。

 先日、ご親族のみのご葬儀に立会いした折には、開式1時間以上も前から女性陣が三々五々柩の周りにお集まりになり、柩の窓から故人様とご対面されては、一様にほっとした表情で、お顔のお話をされていらっしゃいました。

 話しかけたら今にも目を開け微笑んでくれるのではと思わせるほどのお顔に、女性陣の気持ちも和らぎ、開式までのお時間は柩を囲んでの皆さんのおしゃべりが続き、お見送りにも一段と弾みがついたご様子でした。

 この方の場合もプロのメイクアーティストの手により、長い入院生活で髪のお手入れができなかったためにまずはカラーリングをされ、落ち込んだ頬をふっくらさせ、肌の色を整え、明るくメイクをされて、ご喪家からもお元気な頃のイメージが蘇り、そのままの状態でお送りできたと感謝のお言葉を頂きました。

 もちろんプロの方を頼まなくても、病院での処置の範囲で簡単なお化粧はできますし、また、葬儀社さんによってはご家族のご協力を得て、ご家族の方々とご一緒にマッサージをされたり、ファンデーションで変色した皮膚を元の色に復元するお化粧の参加指導型を推薦している社もお見受けします。

 遺影の写真はお元気な時のお気に入りの表情で皆様をお出迎えできますが、柩に収まった現実のお顔は状況により様々な落差があります。少しでも写真のお顔に近づき、写真以上のお顔に変身できれば幸いです。
 やはり、女性は最期まで顔が命でしょうか・・・。

故人を囲んで最後のお食事を・・・。

 ご自宅でのご葬儀が年々難しくなってきている昨今ですが、ご自宅以外でもお集まりいただいた皆様と旅立つ前の最後の晩餐会をこころゆくまでご一緒させてあげられたら。
 そんな思いにさせられることがあります。

 仕事柄、度々斎場でのご葬儀に立ち会いますが、ひとつの形式に則り静々と進行していくご葬儀を拝見していると、時としてなんとなく距離感を感じる場合が出てきます。

 式場を知り尽くしている担当者が通夜に駆けつけた大勢の方々を見事に誘導されている、その手綱さばきには感心しながらも、場合によってはもっと雑然とした状況の中でのお別れの方が故人にとってお似合いなのでは、と勝手に想像する場面に出くわすことがあります。
 お別れにお見えになられた方々はご焼香が終わると式場控室に場を移し、こちらで故人を偲びながらのお清めとなりますが、当の本人は式場の柩の中にぽつんと一人置いてきぼりにされたようで、傍から見ていても一抹のさびしさが感じられます。

 かつて観た韓国の土俗的なお葬式の映画ではご会葬の方々が柩を囲み飲んで食べて歌い踊り、故人との一体感が感じられ、ハレの場として強烈な印象を残していましたが、日本でも地方によってはご自宅でのご葬儀でこれに似たような振舞いが行われていたように伺っています。

 次第に形骸化されてくるご葬儀ですが、時にはご希望により昔ご自宅でされたような最後の晩餐を心置きなくしてあげる。
 時にはそんなご葬儀があってもよいのでは・・・。

 最近では式場での飲食を容認する斎場も少しではありますが増えてきているようです。

 以前伺ったお食事会を兼ねたご葬儀では柩を除けば親しい友人が主催したパーティ会場という雰囲気でした。
 柩の友にシャンパングラスを片手に語りかけ、友の好物に舌鼓を打ち、時には歌い、昔の思い出を語り合う。
 50名余りの皆様はお互いに思いのたけを語り合い、長年の友をお見送りしました。

女性パワーの葬儀社とは・・・。

 近年同世代の女子だけで集まり、思い切り良く飲んだり食べたりおしゃべりしたりとストレスを見事に発散させている男子禁制の女子会が話題を呼んでいます。

 女子だけのおしゃべり会は以前からあり、結婚してもお姑さんの特別許可をもらってはせ参じていた友人を交え、それぞれの思いのたけをしゃべりあい、なんとなく結論なしに分かれていく会は男性陣には理解しがたいこともあるかも知れませんが、楽しいひと時でした。
 
 昨今の女子会は空気感に多少の違いはあるようですが、飲んで食べておしゃべりをする基本は昔も今もかわりません。
 しかし、今はパワフルです。
 あらゆる分野に出没し、最近はその女子会に焦点を合わせた企画物や商品までが至る所に並べられ、一種の社会現象を起こしているようにも見受けられます。

 マスコミもここぞとばかりに取り上げていますが、記者の多くが男性陣のためか、少し腰が引けて揶揄的に取り上げているのが、かえって問題を浮彫りにさせてもいるようです。
 毎週金曜日のデモに参加して写メールに撮っている若いママ達も、又、私が月1回通っている鎌倉の駅前を季節とあまり関係なく、埋め尽くしている元気な女性陣の集まりも、昨今の女子会の延長線上にあるように思われます。

 2〜3年前、葬儀社の関係者から女性だけの葬儀社を考えていることを間接的に伺い、当時立会いで見聞きしている分で判断するには、まだ時期尚早の感が否めなかったことを思い出しました。

 しかし、最近は昨今の女子会パワーを結集すれば、女子だけの画期的な葬儀社も夢ではないように思い直しています。

 女子の生真面目さを武器に、常に家族の1員の目線で臨機応変に対応できるのは長年家庭を切り盛りしてきた主婦感覚の結集であり、これこそがご葬儀で見事に発揮されるのではと密かに期待しています。

 特に昨今の家族葬を中心とするこぢんまりしたご葬儀が増えている中では、ご家族の希望に沿った提案がなされていることが最大の重要ポイントとなります。

 生活者の目線で物事を考え行動されるので、ご葬儀を特別な儀式としての意識が薄れ、家庭の延長線上でお見送りできる方向に持っていけるのはこの女子会のパワーをおいては他に見当たらないのではと、最近は女性のみの葬儀社に期待を膨らましておりますが・・・。

お元気なうちにこそ、ご自身の事前相談を・・・。

 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、うだるような暑さもいつの間にか遠のき、朝夕は秋の気配が漂い始めてきています。
 この秋の声とともに気持ちもリフレッシュされるのか、創作意欲がわき、各美術館、アトリエでは恒例の絵画・彫刻の展覧会ラッシュも始まったようです。

 先日、知人が所属する制作展に伺った折、畳3帖分以上もある作品群の中で、赤い花に囲まれじっとこちらを見据えている白い服の少女像に懐かしさを覚え、思わず「お元気ですか」と声を掛けてしまうところでした。

 4年前に頂いた絵葉書の白い服の少女とどこかダブってみえたようです。
 絵葉書の少女も同じように麦藁帽子をかぶり、ご自身の背丈以上もある赤いカンナの花に囲まれていましたが、夏の日差しの中、その少女は燐とした後姿をみせ、ご自分の道をひたすら歩いていらっしゃるように思われました。
 その後姿には様々なできごとにお会いされても、ご自身の手で解決されていくような並々ならぬ決意が伺われます。

 今年の夏も無事お過ごしになられたのでしょうか。便りのないのは良い知らせとばかりに思っておりますが・・・。
 4年前、センターにご自身のご葬儀について事前相談をされ、見積りをお取りになられた方でした。
 今までご自身が万が一のときには漠然とこのようにしてもらいたいと考えていらっしゃいましたが、一足お先に事前見積りをお取になられたお兄様からのご紹介を受け、センターにお問い合わせいただいたとのこと。

 「その時は自分自身がすでに一生を終えて何一つそのことに携わることもございません訳ですのに、客観的に冷静に考えられまして妙にすっきりいたしました。何年後になりますか。或いは意外に早く訪れることになりましょうか。いつか必ずお世話に預かりますことと存じます」と100号の油絵に自画像を描いた絵葉書とお便りをお送りいただきました。

 白い服の少女は私の中でもいつの間にか事前相談のシンボル的な存在を占めていました。

 ご自分の最期をどのようにされたいのか、ご自身の手でお元気な時にエンディングノートに書き写すとともにご葬儀の事前相談をされておくことをぜひお勧めいたします。

映画「おくりびと」が蒔いた種は・・・・。

映画「おくりびと」の滝田洋二郎監督が最近ラジオのインタビューで「おくりびと」の映画について、人は自分の最期を知ることはできないが、映画を観たきっかけで「最期を想像する人が増えたこと」をお話されていました。

 私が「おくりびと」を観たのは丁度4年前の9月のことでした。

 これまでタブー視されていたご葬儀に関することがこの映画を機に表舞台に引き出され、一般の関心も少しは高くなるのではと密かな期待を持って観ていましたが、翌年米アカデミー賞外国語映画賞に輝くや、予想をはるかに超え一気にブレイクし、その後流行語にまでなった顛末は皆様ご存知のとおりです。

 一時期、言葉が一人歩きしてしまう弊害はありますが、やがて沈静化され残った火種で次にバトンタッチされるように、最近ではご葬儀に関することが次第に日常的な会話の中でも語られるようになってきているようです。
 
 現状に伴い、葬儀社各社のホームページをご覧になる機会も、4年前に比べると格段に増えているようですが、各社それぞれのアピールぶりに何を基準に選べばよいか見れば見るほど混乱され、あげく当センターにご相談される方も数多くいらっしゃいます。

 センターではご要望を伺い、どのようなご葬儀をされたいのかを整理して、最もご希望にそえる葬儀社をご紹介し、まずは見積りをお取りしてご説明をいたしますが、お時間の許す方はできるだけ担当者と直接お会いされることをお勧めしております。

 と申しますのは、見積りの数字も大事ですが、それ以上に担当者のひととなりでいか様にも変化してしまうのがご葬儀の常で、メンタルな部分が非常に重要性をもっておりますので。

 立会いにお伺いして、最近のように少人数でのご葬儀が多い場合、それがさらに顕著に現れているようにも感じられます。

 ご葬儀というタブーに挑戦した「おくりびと」が蒔いた種はこの4年間で大きく成長しつつあり、これからはさらに花を咲かせるための的確な情報を伝えることが最重要課題となるようです。

誕生と死

 いきなり私事で恐縮ですが、先日実家の弟から姪が無事男の子を出産したとの電話がありました。

 待ちに待った初孫の誕生に、当人夫婦以上の興奮ぶりが電話口からこちらにまで伝染し、早くもとびきりかわいいベビー服を贈ろうか、いや誕生間際からの写真を撮りまくろうかとお祝いの品定めに頭を悩ませている最中です。

 折りしも、誕生日となった9月1日は防災の日でもあり、全国各地で防災訓練が東日本大震災の切実感を持って執り行われた様子が報じられていました。
 大震災では多くの方が犠牲になり、尊い命が亡くなった一方で、新たな命が誕生するシーンを思い出し、改めて「いのち」の不思議さを実感させられた1日となりました。

 また、仕事柄、いのちの強さ、はかなさが浮彫りにされるご様子を耳にする機会もたびたびで、そのつど、一喜一憂させられるご家族のお気持ちを察すると本当に切ないものです。
 
 最近でも事前相談を受けた時点では、まだ少し先の話ですがとのことでしたが、センターの賛同社に見積りを依頼した直後に急変されたという方がたて続けに出ました。
 一方で昨年5月に最初のご相談を受け、そのままになっていましたが、今年に入って、「心配しておりましたが元気を取り戻していますのでしばらくはペンディングとさせてください」というお便りを頂き、この8月永眠された方もいらっしゃいました。

 仕事では常に死という言葉と向かい合っている中で、今年は姪の男の子誕生を機に「いのち」について改めて考えさせられた夏でした。

チャリティ公演に参加して・・・。

 お盆休みも明けて、再び都会は朝のラッシュが戻って参りました。
 皆様はお休みをどのように過ごされましたか。

 当方は昨年、今年と少し仕事を離れ、知人が事務局を担当しているチャリティ公演の手伝いに忙殺される羽目になってしまいました。

 昨年、3月11日の東日本大震災から早くも1年半近くになろうとしています。
 ボランティア活動が盛んなヨーロッパでは、日本を応援しようとフランスを中心に震災から2週間ほどでアーチスト達が立ち上がり、チャリティコンサートが各地で催され、参加した日本人ダンサー達は大いに触発されたようです。

 次は日本で実行しようと世界各地で活躍されているダンサーに呼びかけ、昨年のお盆には東京で、暮れには被災地福島での無料招待公演を開催し、今年の夏は東京と横浜での開催にまで漕ぎ着けました。

 自分たちの出来ることで応援したいという出演者を始めスタッフの熱意が伝わり、フィナーレでは観客から大声援を浴び、通常の公演には見られないような盛り上がりを見せ、来年・再来年へと続く活動を新たに誓いあった2日間でした。

 公演終了後の打ち上げは参加された皆様へのささやかな宴となり、「世界狭し」とばかりに各地で活躍されている皆様の情報交換の場となり、それに伴う悩みの相談窓口の様相も呈していました。

 翌日1通のメールをいただきました。
 出演されたベルリン在住のダンサーの方からでした。
 「お話させていただいて、自分の中で躊躇していたところを背中を押していただけた感じがして気持ちが楽になりました。来週ベルリンに戻ってまた改めて頑張りたいと思います」と記され、ほっとすると同時にうれしくも気恥ずかしい気持ちが先立つ始末です。
 若い人達の前でいつの間にか先輩面をしていたようで、亡くなった先輩によく言われたことを、今度は私がいつの間にかお話ししていたようです。

 先輩! お盆のお墓参りをうっかりしていました。
 遅くなりましたがこれから伺いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

悪夢を体験して・・・。

  タクシーに乗り込んだ先輩を大通りに出てお見送りしていると、信号待ちしていた先輩のタクシーに真後ろから1台の車が突っ込み、目の前で信じられない光景が展開され、呆然としているところで、目が覚めました。

  しばらくは夢の世界の出来事に、もしかしたらと不吉な予感を感じ、電話が鳴るたびに「どうか正夢ではありませんように・・・」と受話器を取る始末です。
  それでも周りの朝の元気な声に励まされながら1日が始まりました。

  なぜこんな夢をと考えていると、ハタと思い当たるふしがありました。

  もしかしたら前夜ご葬儀のご依頼をされた方の影響かもしれません。
  たったお一人のお身内の方の急死に駆けつけ、混乱された中でのご依頼で、お気持ちが当方にまで乗り移ってしまったことが発端なのだろうか。
  死という事実がにわかに信じられないという共通点が依頼者の現実と私の夢の中で妙に一致しているようにも思えてきました。

  仕事柄、死という言葉が電話やメールを介して、日常的に飛び交ってはいますが、現実の場で慣れるということはなかなかできません。

  ご葬儀の立会いにお伺いして6年ほど経ちますが、特に最後のお別れの場面ではお一人おひとりがお気持ちの中で故人様と真正面に向かい合い、目前に迫る永遠の別れに、はたからお伺いしていても、なんとも形容がつけられない身を切られるような痛みを感じることもしばしばです。

  悪夢から半日以上経ちましたが、先輩のご家族からは何のご連絡もありません。
  連絡ないのは良い知らせと、今、少しほっとしています。

  葬儀社の担当者からは「昨晩の方は一晩ゆっくりお休みいただいて、本日無事打ち合わせを済ませました」との連絡を頂きました。