90歳代が注目の的

 最近、90歳代の方々の生き方が注目され、出版物も次々に刊行されていずれも多く読まれているようだと報道されています。

 かつて悠々自適の老人の範ちゅうだった70歳代、80歳代はいまだ現役バリバリの仕事人間で90歳代近くになって、やっとご自分の時間を持ち、エンディングをどのように生きるか、生きたいかを模索し始め、そのお手本となるような刊行物の売れ行きが好調とのこと。

 言われて改めて周りを見渡すと、そんなにオーバーなお話ではないようです。
 私の周りにも現役の80代、マイペースの90代が失礼な言い方ですが、ゴロゴロいらっしゃいます。

 お仕事で日本各地を東奔西走する間をぬって鎌倉の料理教室に通う83歳の先輩は、お気に入りの特注の赤い靴で胸突き八丁のような坂道もなんのその。
 5人グループの最年長が子供のような我々を叱咤激励しながら早足で登っていく姿を見ていると、不思議と闘志がわいてきます。
 お料理が食べたいのか、年長の友人に会って活力のお裾分けを頂戴したいのか。
 たぶんその両方でしょうが、お会いしてしばらくは元気が持続することは確かです。

 また、96歳のちぎり絵作家は湘南の友人宅を中継地として、東京、富士霊園へと足を伸ばし、桜の花を満喫してお元気で信州の山懐にお戻りになりました。
 あれからちぎり絵の題材も一段と充実されたと電話口でうれしそうにご報告を頂いたのが印象的でした。

 そんな大先輩の中でも代表格は御歳105歳のかつてのキャリアウーマンです。
 耳こそ少し遠いけれどもかくしゃくとしていらっしゃいます。
 以前お仕事をご一緒された友人は折に触れ花束持参でお手伝いに出かけては発破をかけられ、希望をもらってくるとうれしそうに報告します。
 先日も友人宅に伺ったおり、ケータイで撮った写真を見せていただきました。
 逆光気味の写真でしたが、いいお顔をしていらっしゃいます。

 そこではたと気がつきました。
 長生きの皆さんには何か共通項が感じられると。
 お顔の表情が意思的で、皆さんどこか似ていらっしゃるようにも感じられます。
 お手本は身近なところにあるようで、長生きの秘訣をこれからじっくり観察させていただきます。

生と死と・・・。

 「え、自殺」受話器を持ったまま、次の言葉が出てきません。
 電話口で亡くなられた方の友人と一緒におろおろするばかりでした。
 私が電話のご相談に関わって2〜3ヶ月目の頃ですので、だいぶ前の話になります。

 それまで第3者的に漠然と捉えていたことと違って、電話口の声は生々しく、まるで身内の惨事のように聞こえ、しばらくは言葉だけが耳元でリフレインしている有様が昨日の様に思い出されます。

 最近では大津の中学生の自殺をめぐる報道を始め、若い人達の死に急ぐ様子がさらにマスコミを賑わしています。

 先月、立て続けにいただいたお電話の故人様も死因は「自殺」とのこと。
 まだ小さなお子様を置いての旅立ちに、残されたご主人の混乱振りも大きく、ご親族の方がお見えになるまで葬儀社さんとの打ち合わせもストップ状態に。
 おかけする言葉もなかなか見つかりません。

 そんな折、夏休み間近の親子を対象にした「親子で楽しむバレエフェスティバル」では楽しい作品やロマンチックな作品の中にそこだけが無色になったような異彩を放った「瀕死の白鳥」が上演されました。

  一羽の傷つき死を目前にした白鳥が最後まで必死に生きようと羽ばたき、ついに力尽きてしまうまでを踊っている小作品ですが、先ほどまで乗りに乗って手拍子を打っていた子達が静まり返り、目を皿のようにして見入っていました。
 子供たちの心に生きる力がどのように映ったのでしょうか。

 実は92歳で旅立ち、先日3回忌を迎えた友人の大好きな作品でもありました。
 その友人の口癖は「死んで花実が咲くものか、生きてるうちが花なのよ!」でした。

冷静なリピーターに感謝する。

  「4年前に御社にお願いした者ですが、叔父が病院で先程亡くなりましたので、またご紹介いただけますか」お電話の主はてきぱきと話を切り出しました。

  お話をお伺いした後、ただちにご希望の斎場に精通したご要望に合うと思われる賛同社をご紹介し、様子を待ちました。
  まもなく賛同社から、今病院にお迎えに伺う途中との連絡を受け、ほっと一息つき、こちらも急いで4年前のファイルを紐解きました。

  アンケートとご寄付まで頂いておりました。
  しかし、頂いたアンケートを見てびっくり。
  そこには丁寧なきちんと整理された文章で、当時担当した賛同社への辛口の批評が書かれておりました。
  どんな行き違いがあったにせよ、ご迷惑をおかけしたことには相違ありません。

  ご葬儀の立会いにお伺いする日、先ずはお詫びをと勢い込んで斎場に入るやいなや、「やあ、以前にはお世話になりました」とご依頼者の明るい声に先手を打たれてしまいました。
  「今度は良い方を紹介して頂いてスムースに執り行っていますよ」場所のことも一瞬忘れ、思わずこちらもにっこりしかけ、あわてて非礼をお詫びする始末です。
  当時の賛同社のことはともかくも、万が一の時はまたお願いしようと当センターに全面的な信頼を寄せていらしたとのこと、ひたすら頭の下がる思いです。

  最近は大分趣が変わってきたとはいえ、マスコミを初めとした巷の噂でまだまだこの業界の苦情を耳にすることも多い中、冷静な判断でリピートしていただけたことは何事にも代えがたいできごとでした。

  ご葬儀は100人いれば100人それぞれ違います。
  ご喪家それぞれの立場に立ち、少しでも御満足いただけるよう、注意を払っておりますが、施行する担当者との疎通が十分行き渡らないままあわただしく日程が消化されるようなことがあれば、後々両者共々後悔するはめに陥らないとも限りません。

  そのためにも当センターでは見積りをお取りした後、出来るだけ葬儀社の担当者と直にお会いすることをお勧めしております。
  たとえ優秀な担当者であっても、ご葬儀はデリケートなことも含めて、ご喪家と合う合わないということもあり、また見積りだけでは分りにくい内容等の不安も解消されるのではとの観点からもお願いしております。
  地道なご紹介が皆様のご納得いくご葬儀の近道だと信じています。

  先日も95歳のお父様をお見送りしたご葬儀に立会い、ご相談者からは「良い葬儀社をご紹介いただいて感謝しております。母の時もよろしくお願いいたします」とその場で早くもお母様の時の御予約までいただきました。
 傍らのご高齢のお母様はにっこり微笑んで頷いていらっしゃいます。
 お役に立てるのは、ずっと先であることを願いながら、承諾いたしました。

喪主のご挨拶

 ご葬儀のお式においてのハイライトは、最後の喪主のご挨拶に関わってくることが意外に多く見受けられるようです。

 少し前のことになりますが、通夜・告別式合わせると永年からの友人400名近くに囲まれたご葬儀も、残すところ喪主のご挨拶のみとなっておりました。
 しかし、この時点ですでに出棺時間は10分程超過していましたが、担当者は何事もないように喪主の奥様にマイクをお預けになりました。

 「これだけは皆様にご報告をしなければ」とばかりに奥様が静かに故人様の病気の経過報告を語り始めると、今までお見舞いを拒まれていた皆様が、一様に胸のつかえが下りたように目を瞬いて頷きあっていらした光景が、昨日のように目に浮かびます。
 皆様のお気持が一瞬の間にひとつになったような空気が広い会場中を覆っていました。

 少し不謹慎な言い方ですが、この奥様のご報告が本日のハイライトで、このご報告のためにご葬儀があったのではと思わせるほどでした。
 後で担当者に伺うと、あえて急がせなかったのはここで奥様の胸のうちを全てお話して頂くことが一番重要なことだと判断し、心ゆくまで奥様に時間をお渡しされたとのこと。
 勿論、そのためには各方面への担当者の事前の配慮があったことは言うまでもありませんが。
 お帰りの皆様の表情と奥様の安堵のご様子は今でも思い出される程です。
 
 「沢山の友人に囲まれて、幸せな人生だったと思います。お父さん長い間ご苦労様でした。旅立ちにあたり乾杯をしますので、皆様今一度グラスを・・・。父の旅立ちに先立ちましてカンパイ!」。
 こちらも喪主の長男のご挨拶です。

 ご会葬の古くからの友人達60名程は白薔薇での献花を済ませ、シャンパングラス片手に献花と同じ白い薔薇に囲まれたお柩を取り囲み、旧交を温めあいながら思い出話に花を咲かせて、故人と最後の晩餐のひとときを過ごしておりました。
 喪主の奥様だけが真紅の薔薇をお持ちになり、ご会葬の方々お一人ずつとお話をされ、最後に真紅の薔薇は故人の胸の上にそっと置かれ、柩に納められました。

 また、喪主のご挨拶に対して御礼の言葉を述べた妹さんも忘れがたい存在です。
 それは複雑なご事情が絡み、何十年目かにお兄様とご対面をされた妹さんの心情が切々と伝わってくるようなご挨拶でした。

 親族を代表して、お手紙持参でお見えになり、柩に入れる前に初めてお目にかかるお義姉様へのお礼として読み上げられました。
 「あんちゃんらしく生きた人生でしたね。両親を早く亡くしたので、いつも心の支えはあんちゃんでした。etc.もう、実家のことは心配しなくても大丈夫です。おねえさん、長い間あんちゃんの面倒を見ていただき、有難うございました」と結ばれた文面に、喪主を務めた奥様の嬉しそうな泣き顔が全てを語っているようにも見え、傍から伺っていても胸が詰るおもいをしたものでした。

 最後のご挨拶の合否は話したい、話しておきたい気持をどれだけ持っているかの一点にのみかかってくるようにも思えますが・・・。

エンディングノートの必要性

  「お骨はひとまず預かってほしいと言われ、知り合いのお寺さんに預かって貰っています。ご連絡はまだいただいておりませんが、ご葬儀には菩提寺のご住職もお見えにならず、お父様のご葬儀以来からでしょうか。複雑なご事情があるようです」。
 出張先で急死され東京のご自宅まで搬送いたしましたが、2週間前にお父様が亡くなられたばかりとのことで、直葬という形をとられた方の現況を、葬儀担当者に伺った折の電話口でのやりとりです。

 昔からいつ何時ことが起こるか分らないからと言われながらも、普段多くの人は聞き流し、その場に出くわしてから、初めて事の大変さに気付き、うろたえ、ほぞを噛んだものでした。
 ことに人の死に関する問題は残された方々にも火の粉が降りかかり、取り払うのも大変です。
ご自身のためにも、残された方々のためにもご自身の最期をどのようにされたいのか、してほしいのか、知らせておく必要性がさらに増して来るのではと思われます。

 最近マスコミでもひんぱんに取り上げられて、自分のことは自分で処理できるようにと、万が一の時はどのようにしたいか書置きが出来るエンディングノートの存在がクローズアップされていますが、まだまだ一般的な普及までには至っていないようです。
 自身の死を意識するのは縁起でもないと一蹴する前に、元気だからこそ客観的に書ける要素も多く、後に残された方々が火の粉をかぶらないためにもエンディングノートの存在をアピールし、もっと日常の生活に溶け込ませたいものです。

 「エンディングノート」で思い出すのは昨年秋話題になった同名の映画です。
 
  余命を告げられた、かつての企業戦士が家族に残す遺言状として、自身のエンディングノートを制作して行く過程を、娘さんである監督が絶妙な距離をもって撮影をしていく様は、見る側に生きることの大切さをずっしりと伝えてくれました。

 モーレツサラリーマン時代そのまま全て段取りをしなくては気がすまない主人公は、冷静に病と向き合いながらも、葬儀の段取りを一つひとつ丹念に仕上げていきます。
 実家は仏式ですがお墓は宗教を問わないとのことでキリスト教葬に決めました。
 結婚式以来と軽口をたたきながら式場の下見をされ、こちらを選んだ理由を説明されていました。
 ①好印象だったこと②家から近いこと③リーズナブルであること。
 さらにご葬儀は近親者のみで執り行うことetc。
 死に対して向かい合うことの大切もさることながら、「一人ひとりの死に対する思いへのヒントになるのでは・・・。まさにエンディングノートだ」との思いを強くした映画でした。
また、パンフレットには「この映画を見たら皆エンディングノートを書きたくなるにちがいない」とコメントされた方もいらっしゃいました。

 エンディングノートを活用され、これからのご葬儀は自身の意思をより明確にし、自分流をアピールすることが周りのトラブル防止にも繋がること思われます。

地域の葬儀社さんを推薦する理由

 当センターの賛同社をご紹介する折の大きな要素として、ご希望されている地域に拠点があり、その地の斎場に精通した葬儀社のみをお引き合わせしております。

 ご逝去は予測できない事態が多く、お見積りをされたご希望の斎場がかなり先まで塞がり、ご喪家との日程が合わず、急遽変更せざるを得ないこともしばしば出てきます。
 ご指名を受けた葬儀社さんはご希望の斎場に見合う斎場をたちどころに捜し出し、さらにその斎場にも精通していることが大事な要素になってきます。

 先日ご葬儀の立会いでお会いした葬儀社の担当者はご相談者の希望されている地域で生まれ育ち、以前に在籍された社でもその区域を長年担当されていた方でした。

 ご紹介した依頼者が出した条件の中で「どの斎場が一番適しているか、また日にちが合わなかった場合にはどこが適当か、どのようにすればご希望に添えるか、地域のことは隅々まで頭の中にインプットされていますので、臨機応変に対応でき、細かなことまで調整できるのも強みです」とお話されていました。

 費用をできるだけ抑えたいご相談者に合わせて、先に検討されていた火葬場併設の斎場と比較しどの位抑えることができるか、またお客様をお迎えするのにふさわしい斎場か否か、あらゆる角度からご要望に近づけ、後日大変喜んでいただけたと伺いました。

 担当者が選んだのはお寺の古い会館でしたが、隅々まで消毒液を使って掃き清められた貸斎場ではお寺の境内という立地条件もあり、こぢんまりした中にも落着いたご葬儀を執り行うことができました。
 価格もリーズナブルで表立ってパンフレットにはうたっておりませんが、お願いしてご遺体を本堂脇のお部屋に通夜当日まで無料でご安置いただけました。
 結果、火葬場へのマイクロバス、霊柩車代等を加算してもかなり費用を抑えることが可能になり、細やかな気配りで、地元の状況をよく把握している強みが発揮されたようです。

 それぞれの葬儀社の方々もご葬儀のプロとして、広範囲の区域を網羅できるように一応の知識を身につけ、訓練されていらっしゃいますが、遠方の場合は細かな情報まではなかなか把握しきれずに、時として小さな穴から水が洩れるような場面も耳にいたします。

 先日も神奈川の葬儀社の方が東京でご葬儀を執り行った際に、東京の斎場では禁止されている看板を地元でのご葬儀と同じようになにげなく出してしまい、あわてて撤去するはめになり、看板を出すことを希望されていたご喪家は困惑され、ちょっとしたトラブルになってしまったことをお聞きしました。

 また、山の手の葬儀社さんが下町のお寺の貸斎場でご葬儀を取り扱った際には、ガードマンを雇って欲しいとの要請が最終見積りを取った後で分り、その分予算オーバーになってしまい、ご喪家にご迷惑をかけてしまったことも聞き及んでいます。

 斎場指定の料理屋さんがあることに気が付かずにいつものように見積りを作成し、通夜当日に判明して急遽斎場指定の料理屋さんにお願いするはめになりましたが、結果見積りよりも高い飲食代になってしまった例など、常に精通している斎場ではありえないミスも時として起こってしまうようです。

 ご紹介する立場といたしましては、先ずご希望の地域の葬儀社さんから見積りを取り、皆様でそれを検討されて、出来るだけ担当者と面談されることを希望いたします。
担当者とのコミュニケーションがはかれ、より深く臨機応変な対応が期待できますので・・・。

使い勝手のよい斎場とは・・・。

 斎場を選ぶ時の基準は様々です。
 どんなご葬儀をされたいかによって、斎場選びも異なってきますが、それでも人はヨーロッパ風の古い回廊を模した外観に魅せられ、由緒あるお寺という言葉にまどわされ、後でほぞをかむこともしばしばあります。

 中身の使い勝手の良さは重要なポイントになってきます。
 公営・民営を問わず、普段使い慣れている葬儀担当者に伺うと、一つひとつは些細な何気ないことでも実際に使う側にたってみると大きな問題を抱えていることに気付きます。

 中でもよく指摘されるのがトイレの場所の問題。
 先日立会いでお伺いした斎場もその一つです。
 ずらっと並んだ式場は大勢の会葬者の方々で賑わいを見せていました。
 葬儀担当者に使い勝手を伺うと少々渋い顔。

 これだけ立派な式場が並んでいてもトイレは左端に1ヶ所だけとのこと。
 右端の式場の方々は見慣れぬ長い回廊をひた走り、目的地に着くまでに思わぬ時間を要するはめになってしまうようです。
 お年を召した方には重労働です。

 また、別の斎場ではスペースをとる大式場はトイレの場所まで手がまわらず、トイレは小式場の隣に設けられていたが、後が大変です。

 式場どうし開式をずらして使用するまではよかったのですが、ずらしたために小式場での厳粛なご葬儀の間中、後から大式場へお見えになられた方々がトイレを行き来され、トイレの話し声が筒抜けになってしまうハプニングも今や日常茶飯事のようになってしまった感があり、おしゃべり禁止の立て札もなんのそのといったところのようです。

ご自宅代わりに個室でゆっくりご家族と・・・。

 「こんな所に入れられてと言われると正直心は痛みますが、それではご自宅にどうぞとも言いたくなります」人のよさそうな係りの方の口から思わず出た言葉です。
 
 最新式の設備が整った清潔な霊安室ですが、無機質な冷蔵庫を見ただけで、初めての方にとっては存在そのものが少なからずショックのようです。 
  ほんの数時間前まで御一緒していた方が入ってしまわれること自体に、呆然とされる方も多いのではないでしょうか。 

 少し前まではご自宅でのご葬儀がごく普通に執り行われ、ご近所の方々もお手伝いにかけ参じる風景が繰り広げられていましたが、都会を中心に今やご自宅でのご葬儀は皆無に近い状況になってしまいました。 
  当然のように病院でお亡くなりになってもご自宅には戻らず、ご自宅以外の場所にご安置され、ご葬儀の当日を待つのがごく一般的な習わしのようになってきています。 

 しかし、いざその場になってみると、ご自宅以外のご安置場所の存在が、にわかに心配になってくるようです。 
 公営斎場の霊安室は納棺された状態での受け入れとなるところが多く、まずは保管前の納棺をどこでするかが第1の関門です。  

 霊安室を持つ病院ならば霊安室での納棺は可能ですが、霊安室を持たない中小の病院の場合は、病院での長居も難しく、時として病院からせかされながらも一旦納棺のために民営の安置所に出向き、納棺された状態で初めて公営斎場の受け入れ対象となります。
 普段目にすることが無いご安置は一般の人達にとって不安材料の要因となるようです。 
 地域によっては適当な安置所が少なく、少し遠出になってしまい、面会にも支障をきたすケースも出てくるとか。 

 そんな中、益々ご自宅でのご安置が不可能に近い状態の昨今ですが、画一的に管理されてしまうご安置方法にも、変化の兆しが見え始めたようです。 
 いきなり冷蔵庫行きではなく、ご自宅の代わりに個室でゆっくりご家族とお過ごしいただけるようなご安置方法が目下注目です。

最近の遺影写真エトセトラ・・・。

今にも画面から飛び出して「やぁ、いらっしゃい」と、片手を上げてお客様をお招きするようなポーズに、ご会葬のお客様も思わず片手を上げ、「やぁ、しばらく・・・」とご返事されそうなお写真でした。

 遺影の写真と言えば上半身というよりバスト上くらいのお顔写真が多い中、お父様のお人柄がよく出ているこの写真を遺影に使いたいとのご喪家からの強いご希望がありました。
 真四角に近い画面の故人様とご対面された方々は終始温かな空気に包まれ、通夜のお清めでも思い出話は尽きなかったようです。

 一方、先日奥様を亡くされた御主人が素顔の素敵な奥様の写真を遺影用に作られましたが、親族会議で奥様の姉妹からの反対にあい、ご葬儀前日夜、急遽作り変えるというハプニングもありました。
 クレームの原因は化粧なしの素顔にあったようです。
 御主人は素顔のままの笑顔が一番との思いでしたが、最後の思い出に残るお顔は綺麗にお化粧された姿でなければ可愛そうというのが、仲のよかった姉妹の方々の反対理由です。

 正直、女性の目線から言えば、姉妹の方のお考えはごもっともですし、少々ややこしいことに、これから御主人のそばでずっと御一緒される写真ですから、御主人のお気に入りが一番のこともまたごもっともです。
 ここは御主人が姉妹の仲のよさに免じて1歩ゆずりましたが、思わぬところで女性目線、男性目線の違いが浮き彫りにされたようです。

 女性の皆さんはいかがお考えでしょうか。
 取っておきの一枚の写真。
 綺麗に撮れていることに越したことはありません。
 やはりこれは残された方々のためにも、お元気な今のうちにご自身で納得のいく写真を選んでおく必要があるように思われます。

女性担当者へエールを送ります。

 「A社とB社、甲乙つけがたいでしょうが、どちらがよろしいでしょうね」
  当センターが依頼者からご相談を受け、ご相談内容からご要望によりふさわしい賛同社を2社厳選してご紹介し、見積りのご説明をした後のお電話でのやり取りです。
  A社B社共、見積りにもほとんど差がなく、肝っ玉母さんのような担当者にされるか、丁寧な仕事ぶりで評判の若手担当者にされるかの違いです。
  今までのお話を総合して鑑みると、家族の目線で悩み事を一手に引き受けてくれそうな肝っ玉母さんの方に軍配が上がるのでは、と申し上げると
 「さっきからのお話で、僕もそうかなと思っていました。早速連絡してみます」とのご返事を頂きました。

  女性の味方をするわけではありませんが、特に少人数のご葬儀では段取りや規則よりも、時に長年家庭を切り盛りしてきた女性ならではの目線が生きてくるように思われます。

  女性担当者のご葬儀に立会う都度、常に生活者のヒフ感覚で行動し、時に応じて臨機応変に対応し、ある意味肝が据わったお母さん的存在は、今後益々多様化されるご葬儀に欠かせないものになっていくのではと実感させられます。
  ここはこうした方がいいと思えば、黙ってでも行動してしまうのもお母さんの特徴で、普段おせっかいに思えるくらいのことでも、気が動転しているご喪家にとっては、それがかえって潤滑油になっている場合も、多々見受けられるようです。

  ご葬儀後のアンケートでも、とてもよくして頂き感謝しています。ご葬儀にもかかわらず終始アットホームな雰囲気で見送ることができました。ビジネストークでなく親身に教えて頂きました。女性らしい温かみやきめ細やかな工夫が随所に感じられました。普通を押し付けず、家族と同じ目線で判断して頂けましたなどと、女性担当者ならではの反応も多く頂いております。

  全体数から見れば、まだまだ少数ですが、女性担当者の肝っ玉母さんには改めてエールを送りたいと思います。